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2012年7月30日 (月)

警察署長のミクロな幸福(「よだかの星」と「毒もみのすきな署長さん」)

 

 宮澤賢治の「幸福」について考えながら、

 

  彼の不幸は、彼が資産家の息子であったという一事に尽きる。
  それも家業である質屋は、進行する農村社会の疲弊を利益の源泉としていたのである。

 

  彼の初めから持っていた資質(自然への感受性に支えられた科学的かつ文学的感性)を抜きに、彼の生涯を語ることは出来ないが、その資質を育てたのは実家の資産であった。実家の資産あればこそのモダンボーイであり自然科学者であり教育者なのである。しかし、その実家の資産が、資産家の息子という出自が、彼の不幸の原点ともなっていたわけである。

 

…という問題を指摘した。

 

 

 賢治の名高い作品である「よだかの星」の基調にあるのは、農村社会の搾取者としての自身の姿だと言ってよいであろう。

 しかし、どんな家に生まれるかを人は選択出来ない。それが人生の出発点にある人間の条件なのである。

 そして、どんな生物として生まれるのかを選択することは出来ない。それが生物として生まれることの条件なのである。しかし、その「生まれ」を意識することは、生き物を絶望へと追い込むかも知れない。「よだかの星」を読むと、そんなことを思う。

 

 

 それからにわかによだかは口を大きくひらいて、はねをまっすぐに張って、まるで矢のようにそらをよこぎりました。小さな羽虫が幾匹も幾匹もその咽喉にはいりました。
 からだがつちにつくかつかないうちに、よだかはひらりとまたそらへはねあがりました。もう雲は鼠色になり、向うの山には山焼けの火がまっ赤です。
 夜だかが思い切って飛ぶときは、そらがまるで二つに切れたように思われます。一疋の甲虫が、夜だかの咽喉にはいって、ひどくもがきました。よだかはすぐそれを呑みこみましたが、その時何だかせなかがぞっとしたように思いました。
 雲はもうまっくろく、東の方だけ山やけの火が赤くうつって、恐ろしいようです。よだかはむねがつかえたように思いながら、又そらへのぼりました。
 また一疋の甲虫が、夜だかののどに、はいりました。そしてまるでよだかの咽喉をひっかいてばたばたしました。よだかはそれを無理にのみこんでしまいましたが、その時、急に胸がどきっとして、夜だかは大声をあげて泣き出しました。泣きながらぐるぐるぐるぐる空をめぐったのです。
(ああ、かぶとむしや、たくさんの羽虫が、毎晩僕に殺される。そしてそのただ一つの僕がこんどは鷹に殺される。それがこんなにつらいのだ。ああ、つらい、つらい。僕はもう虫をたべないで餓えて死のう。いやその前にもう鷹が僕を殺すだろう。いや、その前に、僕は遠くの遠くの空の向うに行ってしまおう。)

     (宮澤賢治 「よだかの星」より)

 

 

 よだかの自意識の目覚めは、羽虫を食べる経験そのものからではなく、鷹から改名を迫られたことによる。鷹のマガイモノのような名を責められたのだ。そして改名しないと殺すと脅されるのである。

 殺されるかも知れない立場に追い込まれ、それに怯える自分自身の姿を省みることで、「毎晩僕に殺されるたくさんの羽虫」の存在に思い至るのである。

 そして、生き続けることを罪深いものと感じてしまう。

 

 しかし、生き物を食べて命をつなぐのは、そもそもの生き物としての宿命的な条件である。

 よだかだけが罪深いわけではないのである。

 

 賢治について、

 

  家業である質屋は、進行する農村社会の疲弊を利益の源泉としていた

 

…という事実から生じたであろう自己意識を指摘したが、その事実に立ち向かおうとする賢治の姿を見ていて、いわゆる社会問題としてではなく、存在すること自体の問題として捉えようとしていたような印象を受ける。そこにあるのは社会的矛盾と言うことも出来るが、しかし、賢治はそれを社会的矛盾=社会問題のレベル(国家の制度設計もまた社会問題であるし、経済体制のあり方も社会問題である)で考えるのではなく、生きて存在することそのものの宿命的問題として考えようとしていたように思えるのだ。社会問題という枠組みで考えるならば解決は、少なくとも解決の方法を提示することくらいなら、容易である(「おれたちは大いにやらう約束しやう」と気炎を上げることも出来る)。

 であるからこその、法華経への接近・傾倒があるわけだし、法華経への接近は、社会問題として社会制度を弄ぶような解決法から賢治の身を引き離す方向に(あらためて)役立ったであろう。

 

 「よだかの星」では自身の存在を消し去る選択が示されているわけだが、それは同時に星として輝くイメージで語られてもいる。

 

 

 どんな家に生まれるかを人は選択出来ない。それが人生の出発点にある人間の条件なのである。(註:1)

 

 そこで、現実にはどのような選択肢が残されているのだろうか?

 

 

 

…と、考えを進めながらも、あまりに深刻な方向に行ってしまうことには、賢治の愛読者として多いに違和感も感じざるを得ない。

 ここで思い起こすのは、別の賢治の作品である。ここではまず、「毒もみのすきな署長さん」が相応しいだろう。

 

 

 さてこの国の第一条の
「火薬を使って鳥をとってはなりません、
 毒もみをして魚をとってはなりません。」
 というその毒もみというのは、何かと云いますと床屋のリチキはこう云う風に教えます。
 山椒の皮を春の午の日の暗夜に剥いて土用を二回かけて乾かしうすでよくつく、その目方一貫匁を天気のいい日にもみじの木を焼いてこしらえた木灰七百匁とまぜる、それを袋に入れて水の中へ手でもみ出すことです。
 そうすると、魚はみんな毒をのんで、口をあぶあぶやりながら、白い腹を上にして浮びあがるのです。そんなふうにして、水の中で死ぬことは、この国の語ではエップカップと云いました。これはずいぶんいい語です。
 とにかくこの毒もみをするものを押えるということは警察のいちばん大事な仕事でした。
 ある夏、この町の警察へ、新らしい署長さんが来ました。

     (宮澤賢治 「毒もみのすきな署長さん」より)

 

 

 「毒もみ」という行為が禁じられている国のある町(ブハラ)の新任警察署長が主人公である。赴任後のその町で、「毒もみ」の使用事件が多発する。やがて町の子供たちの間で署長犯人説が囁かれ始め、噂は拡がっていく。

 ブハラの町長は警察署を訪問し、署長に町の評判について尋ねる。

 

「はあ、そんな評判がありますかな。」
「ありますとも。どうもそしてその、子供らが、あなたのしわざだと云いますが、困ったもんですな。」
 署長さんは椅子から飛びあがりました。
「そいつは大へんだ。僕の名誉にも関係します。早速犯人をつかまえます。」
「何かおてがかりがありますか。」
「さあ、そうそう、ありますとも。ちゃんと証拠があがっています。」
「もうおわかりですか。」
「よくわかってます。実は毒もみは私ですがね。」
 署長さんは町長さんの前へ顔をつき出してこの顔を見ろというようにしました。
 町長さんも愕きました。
「あなた? やっぱりそうでしたか。」
「そうです。」
「そんならもうたしかですね。」
「たしかですとも。」
 署長さんは落ち着いて、卓子の上の鐘を一つカーンと叩いて、赤ひげのもじゃもじゃ生えた、第一等の探偵を呼びました。
 さて署長さんは縛られて、裁判にかかり死刑ということにきまりました。
 いよいよ巨きな曲った刀で、首を落されるとき、署長さんは笑って云いました。
「ああ、面白かった。おれはもう、毒もみのことときたら、全く夢中なんだ。いよいよこんどは、地獄で毒もみをやるかな。」
 みんなはすっかり感服しました。

 

 

 この署長最後のエピソード、

 

 いよいよ巨きな曲った刀で、首を落されるとき、署長さんは笑って云いました。
「ああ、面白かった。おれはもう、毒もみのことときたら、全く夢中なんだ。いよいよこんどは、地獄で毒もみをやるかな。」
 みんなはすっかり感服しました。

 

 これが、私には忘れ難い。賢治は署長にわざわざ、

 

  ああ、面白かった。おれはもう、毒もみのことときたら、全く夢中なんだ。いよいよこんどは、地獄で毒もみをやるかな。

 

…と語らせ(註:2)、しかも、

 

  みんなはすっかり感服しました。

 

…と、話を締め括っているのである。(註:3)

 

 

 

【註:1】 
 「よだかの星」には、次のような一節もある。

 ある夕方、とうとう、鷹がよだかのうちへやって参りました。
「おい。居るかい。まだお前は名前をかえないのか。ずいぶんお前も恥知らずだな。お前とおれでは、よっぽど人格がちがうんだよ。たとえばおれは、青いそらをどこまででも飛んで行く。おまえは、曇ってうすぐらい日か、夜でなくちゃ、出て来ない。それから、おれのくちばしやつめを見ろ。そして、よくお前のとくらべて見るがいい。」
「鷹さん。それはあんまり無理です。私の名前は私が勝手につけたのではありません。神さまから下さったのです。」
「いいや。おれの名なら、神さまから貰ったのだと云ってもよかろうが、お前のは、云わば、おれと夜と、両方から借りてあるんだ。さあ返せ。」
「鷹さん。それは無理です。」

 よだかの、

「鷹さん。それはあんまり無理です。私の名前は私が勝手につけたのではありません。神さまから下さったのです。」

…という言葉の含意は深い。

 示されているのは、神によって命名された(=神に条件付けられた)自らの出自である。

【註:2】
 署長は、いわば「ミクロな幸福」を生き切った人物である。
 それに対し、

  みんなはすっかり感服しました。

…と、話を締め括った賢治に注目しておきたい。

 反社会的行為に「ミクロな幸福」を見出した署長に、「すっかり感服」するブハラの町の「みんな」なのである。
 この「みんな」には賢治も含まれる、と考えることは、多分、間違ってはいないものと思われる。

【註:3】
 天上のよだかと地獄の警察署長。
 読者は、そのどちらにも「すっかり感服」させられることになるわけである。
 ただし、宮澤賢治の「愛読者」としての私を支えているのは、「よだかの星」であるよりは「毒もみのすきな署長さん」の賢治である。

 

 

 

(オリジナルは、投稿日時 : 2012/05/09 23:01 → http://www.freeml.com/bl/316274/188528/

 

 

 

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