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2012年4月 1日 (日)

『蘭医雑稿』にある「でべでべ」と蘭印の「デベデベ」

 

 

 斎藤智久の『蘭学夜話』(学而書房 昭和26年)には、多貫泥舟斎の著作『蘭医雑稿』(寛政年間)中にある、当時のジャワの「でべでべ」に関する記述が紹介されている。『蘭医雑稿』では「流行り病」という扱いとなっているが、むしろ風土病的なものであったらしい。

 泥舟斎の親しくしていたオランダ商館の医師から、現地語で「デベデベ」と呼ばれた病について聞いたということであるが、オランダ商館の医師自身も伝聞として語っているので、実態はもうひとつ把握し難い。

 

 『蘭学夜話』の刊行は戦後のことであるが、収録された文章の多くは戦前に発表されたものであり、この泥舟斎の『蘭医雑稿』に関する一文も、昭和13年の「蘭学雑誌」に随筆として掲載されたものである。

 

 

 斎藤智久の戦中から戦後の日々が記された『智久日録』(幽玄閣 昭和31年)には、「デベデベ」に関すると思われる、より詳細な記述が見出される。『智久日録』は、斎藤智久が群馬県の奥野村にあった陸軍冬期戦研究所の世話になっていた日々の記録として位置付けられるが、昭和20年になって研究所所員となった多貫中尉との交流の中で「デベデベ」が話題となるのだ。

 この多貫中尉は、多貫泥舟斎の血縁に当たる人物で、蘭印作戦終了と共にジャワの陸軍病院に軍医として勤務していたが、その際に風土病としての「デベデベ」の研究もしていたらしい。

 

 『智久日録』の記述からは、「デベデベ」研究の動機が泥舟斎と関連したものであったのかどうかは判然としないが、『日録』中のエピソードからは、多貫中尉が泥舟斎の『蘭医雑稿』にある「でべでべ」について知っていたことは確からしい。

 

 

 多貫中尉の語るところによれば、風土病としての「デベデベ」は、まず発話における意味不明瞭を兆候とし、やがて高熱を発するが、特に投薬治療を要することなく安静状態にしさえすれば平熱に戻る。しかし、日常生活への復帰は再度の発熱に至り、その繰り返しとなるのだという。多貫中尉による「研究」は病因の解明に至る前に、当人のマラリア罹患により中断され、中尉自身も蘭印から本土へ後送されることになった。療養生活の後に、陸軍冬期戦研究所長清水七郎大佐に招聘され、冬期戦研究所勤務となったようである。当時の悪化する食糧事情の中で、冬期戦研究所勤務は、多貫中尉自身にとっても嬉しいものであっただろう。

 

 斎藤智久にとっても、泥舟斎の伝えた「でべでべ」にあらためて出会う機会を提供するものとなったわけで、戦後の斎藤による『蘭医雑稿』への注釈作業の成果の多くには、陸軍冬期戦研究所での多貫中尉との会話が反映されているものと思われる。

 日本軍による蘭印の占領と、現地での多貫中尉のマラリア罹患は、少なくとも斎藤智久には嬉しい果実をもたらしたわけである。

 

 晩年の斎藤自身も、研究に身が入らなくなると、「デベデベ」と称し昼間から寝ていたという話だ。「医者も薬も必要ない。寝てれば元気になるから」という斎藤の言葉が残されている。

 

 

 

          (恒例のエイプリルフール用のネタ記事でごさいます)

(ネット上の友人が高熱のために入院したが原因不明との診断。周囲の人間から「でべでべ病」ということにされたエピソードによる)

 

 

 

 

(オリジナルは、投稿日時 : 2012/04/01 18:02 → http://www.freeml.com/bl/316274/185794/

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