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2011年12月 6日 (火)

「表現者たちの関東大震災」

 

 御茶ノ水の文化学院のホールを会場として、「明星研究会」の主催による「表現者たちの関東大震災」と題する、講演会とシンポジウムがあった(12月4日の話)。昨年、同会による「大逆事件」をテーマとした企画があり、たまたま参加したら実に刺激的だったので、今回も出かけたわけである。

 
 

 今回の講演は、黒川創氏による「関東大震災と文化学院、西村伊作、与謝野夫妻」というもの。

 シンポジウムの方は、「関東大震災に表現者たちはどう向き合ったか」と題され、坂井修一氏の司会により、松平盟子氏が与謝野晶子、西川恵氏がポール・クローデル、石川桂子氏が竹久夢二、内藤明氏が窪田空穂、土岐善麿、北原白秋、高田浪吉、島木赤彦に焦点を当てて、それぞれがどのように大震災を体験し、どのような表現を残したのかが報告され、討議が行なわれた。

 
 

 このところ清水多嘉示(フランスに彫刻を学んでいるが、ポール・クローデルとその妹のカミーユとの交流もあったはず)について書いたり、西村伊作による住宅設計の展覧会を観たり、身近なところ(ネット上ではあるが)で辻まこととその父母である辻潤と伊藤野枝が話題になったり、大杉栄と監獄建築の関係だの添田唖蝉坊と後藤新平をめぐる話を聞いたり、関東大震災の経験が東京大空襲時の行動に反映されていた可能性について論じられているのを耳にしたりと、関東大震災あるいは大正という時代に縁のある展開が続いている。

 

 私自身の関心の方向という、たまたまの個人的問題でもあるのだろうが、周囲の人々の関心もまた、大正時代に向かったり大震災の経験をあらためて問題化したり(もちろん東日本大震災の経験がそう仕向けるわけだが)ということになっているようにも感じられる。

 国体明徴論者による天皇親政原理主義に侵され、政治的にも文化的にも硬直化に向かい、軍事的拡張主義の果てに亡国へと向かう昭和の(いわゆる)戦前期の直前に存在した、あの大正という時代への関心と要約出来るだろうか? その時代の言論が何をどのように表現していたのか? 表現しようとしていたのか? その表現がどこまで可能だったのか? そんなことを考えるわけである。

 で、実際、かなり踏み込んだ表現が存在するのが、大正という時代であったようにも思われる。

 

 今回の講演及びシンポジウムの場で(あるいは最近の個人的展開の中で)、再会したり出会ったりしたあの時代の人々の姿を通して、あらためて当時、既に提示されていた問題として、現在の我々自身の問題が見出されもするのである。

 
 

 それが新しい現在の問題であるのか、古い問題に過ぎないのであるのか? と、ここで問うことは野暮な話で、我々自身の現在の問題として現に問題は存在しているのである。

 我々自身の想像力の限界(現在そのものについては我々はあまりに未経験であり、過去の歴史は我々自身の経験ではない)を意識しつつ大正の表現者たちの経験を共有することは可能であり、そのような可能性の中に、我々の大正への視線の現代的意味があるようにも思われる。

 

 

 

 

 

(オリジナルは、投稿日時 : 2011/12/04 21:49 → http://www.freeml.com/bl/316274/176861/

 

 






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