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2011年10月26日 (水)

昭和十一年 宮澤俊義 『憲法講義案』 (植民地としての朝鮮)

 

 ネット上に出回っている、

 

【本当に半島を植民地化したのか?】
韓国の教育による歴史改竄手法の一つに「不適切な用語の適用」がある。
1910年の日韓併合を(当時は朝鮮併合)「植民地化」と表記する。
英語表記をすれば、植民地化=Colonizationであり、併合=Annexationである。
この二つの歴史用語の意味する統治概念や対応する史実は全く異なる。
・「併合」
自国化が目的。
獲得地域に本土と同じ生活環境を整備し、住民を本土国民と同じ権利義務を持つ人として扱う。
その統治の基本方針は同化。
・「植民地化」
経済的収奪が目的
その為の開発だけが行なわれ、植民地住人は労働力として位置づけられる。
その統治の基本方針は本国の収益の最大化。
日本による数々の朝鮮半島併合後に行った近代化事業を見れば、日韓併合の実態は、将に自国化(Annexation)である。
実態と違う「植民地化」表記は日本的な誠実さや穏健性を隠蔽、日本が朝鮮半島を奴隷的に支配したかの様な負のイメージを目的としている。

 

…なんていう、一見するともっともらしい言説の問題点については、既に論じてある(参照 : 「植民地化=Colonization」と「併合=Annexation」 → http://uma-sica.cocolog-nifty.com/blog/2010/06/colonizationann.html)。

 

 ここにある、「併合=Annexation」あるいは「自国化(Annexation)」と「植民地化=Colonization」は異なる概念なのであり、大日本帝國は朝鮮半島を「併合あるいは自国化(Annexation)」したのであって、「植民地化(Colonization)」したのではないという主張は、いかにももっともらしいが、問題の理解としては完全に誤ったものなのである。

 「併合あるいは自国化(Annexation)」とは、「植民地化(Colonization)」の手法の一つに過ぎず、大阪市民が同時に日本国民でもあるように、「併合あるいは自国化(Annexation)」とは「植民地化(Colonization)」以外の何物でもないのである。

 

 

 

 今回は、前回と異なる史料を用いて、その問題をあらためて検証しておきたい。大日本帝國において、朝鮮や台湾がどのように位置付けられていたのかの実際を読んでみようという試みである。

 

 

 今回、テキストとして使用するのは、

宮澤俊義 『憲法講義案』 
     昭和十一年四月十二日印刷
     昭和十一年四月十七日発行 講義用
        東京市豊島区巣鴨五丁目一一六五
          著作兼発行者 宮澤俊義
        東京市神田区錦町3丁目一一
          印刷者 白井赫太郎

…である。昭和十一年の東京帝國大学法学部の、宮澤俊義による憲法学講義で用いられた出版物(教科書)である(古書店で入手したものだが、「東法一 倉本和男」という巻末にある旧所有者の署名と、文中の書き込みから、実際の講義で用いられたものであることがわかる)。言うまでもないことであるとは思うが、東京帝國大学法学部とは官学の最高峰であり、つまり大日本帝國の官吏養成システムの最上位に位置付けられる教育機関である。

 この昭和十一年という時点(ちなみに倉本氏の書き込みは、「昭和十三年二月十五日終了 於三十一番教室」の文字で終えられている)は、既に前年のいわゆる「天皇機関説事件」により美濃部達吉が東京帝國大学の教壇から追われた後のことであり、帝國大学法学部もまた、国家主義的観点に基づく官吏養成機関としての再出発を遂げさせられていることを念頭においておく必要がある。美濃部と異なり宮澤は帝大の教壇から追われることなく、つまり国体明徴的観点から排撃されることなく帝大教授の地位を維持したのであり、それは宮澤の憲法論が国家的承認を得たものであることを意味すると考えておくべきであろう。

 日本国憲法解釈の主流となった戦後の宮澤俊義からは想像し難いことかも知れないが、敗戦直後の宮澤による憲法草案を見れば、そこにあるのは「大日本帝國憲法」から継続する「天皇大権」の位置付け(つまり主権者としての天皇の姿)なのである。つまり、敗戦直後の宮澤にとって、「日本国憲法」の思想は異質なものだったのだ。

 総じて見れば、宮澤は、官吏養成の最高学府の構成員として(憲法学者として)、国家のその時々の要請に応えることの出来る人物なのである。

 

 宮澤による『憲法講義案』を読み解くに当たっても、そこに見出されるのが、大日本帝國の統治システムを支える官吏層に共有される発想あるいは思想であることに留意しておかねばならない。言い換えれば、大日本帝國の統治者の常識を、そこに読み取らねばならないのである。

 

 

 さて、では本文から、「第一章 序説  第ニ節 日本憲法の法源  ニ 日本憲法の成文法源」の項を読むことにしたい。そこには、

 

 わが憲法の成文法源は次の如くである。
 (一)大日本帝國憲法 これはわが國の形式的意味での憲法である。明治二二年二月一一日に公布せられた。御告文・憲法発布勅語および皇室典範と共にわが憲法の最も重要な法源を形成する。 
 (イ)構造 略
 (ロ)内容 略
 (ハ)制定 略
 (ニ)通用(妥当)範囲
  (a)時間的通用範囲 通用の始期は第一回帝國議会「開会」の時とせられている(上諭四段)。
  (b)空間的通用範囲 憲法の通用する空間的通用範囲如何の問題はわが國ではかの「六三問題」以来「憲法は外地(植民地)で通用するか」といふ問題として実際上・学問上争はれたところである。その論点はおよそ次の如きものである。
  (1)憲法は外地で通用するか(又は施行されてゐる)か。
  (2)もし憲法が外地で通用するとすれば、台湾および朝鮮で法律(大正一〇法三台湾ニ施行スベキ法律ニ関スル法律、明四四法三〇朝鮮ニ施行スベキ法律ニ関スル法律)で総督に対していはゆる「立法の委任」を行なつてゐるのは憲法違反ではないか。
  (3)もしまたこれに反して憲法が外地で通用しないとすれば、右の諸法律は一体どのような意味をもつか。
 これらの論点についてはいまだに定説を見ないが、従来の諸説はこれらについて考察する場合に(a)すべての外地がこの点について同じに取扱はるべきことおよび(b)前記の諸法律が行つてゐるやうな「立法の委任」が憲法上本来許されぬことのニ原則を無批判的にわが実定法上の原則としてゐるやうであるが、これはおそらく正当ではあるまい。さうした原則は決して実定法を離れて「理論上」成立しうるものではなく、実定法によつてのみ基礎づけられうるものである。それならばわが実定法はそれらの原則をみとめてゐるのであらうか。それらをみとめてゐないと私は考へる。憲法の通用する空間に関するわが実定法上の原則は次のやうなものであると思ふ。
   (1)憲法制定当時の領土では憲法は通用する。
   (2)台湾・朝鮮および樺太でも憲法は通用する。但し、ここでは法律(大正一〇法三・明治四四法三〇・明治四〇法二五)によつてゐる程度の「立法の委任」が行はれてゐる。
   (3)関東州および南洋群島でも憲法の規定は大部分通用するが、そのうちで法律事項に関する規定はそこで通用せず、法律事項はそこではすべて大権事項とせられる。
 かやうな広汎な立法の委任をみとめたり、外地の中で関東州と南洋群島だけを他から区別して取扱つたりすることは政治的・立法的には問題となる余地もあらうが、現在のわが実定法がさうなつてゐることは否定せられえぬであらう。
               (15~16頁)

 

…と記されているのである。


 今回の問題である、大日本帝國における植民地認識の実際を考える上での焦点となるのは、

 
  (b)空間的通用範囲 憲法の通用する空間的通用範囲如何の問題はわが國ではかの「六三問題」以来「憲法は外地(植民地)で通用するか」といふ問題として実際上・学問上争はれたところである。その論点はおよそ次の如きものである。
  (1)憲法は外地で通用するか(又は施行されてゐる)か。
  (2)もし憲法が外地で通用するとすれば、台湾および朝鮮で法律(大正一〇法三台湾ニ施行スベキ法律ニ関スル法律、明四四法三〇朝鮮ニ施行スベキ法律ニ関スル法律)で総督に対していはゆる「立法の委任」を行なつてゐるのは憲法違反ではないか。
               (15頁)

…憲法の通用する空間に関するわが実定法上の原則は次のやうなものであると思ふ。
   (1)憲法制定当時の領土では憲法は通用する。
   (2)台湾・朝鮮および樺太でも憲法は通用する。但し、ここでは法律(大正一〇法三・明治四四法三〇・明治四〇法二五)によつてゐる程度の「立法の委任」が行はれてゐる。
               (16頁)

 
…との記述であろう。

 ここでは、

  「憲法は外地(植民地)で通用するか」といふ問題

…に応える形で、

  もし憲法が外地で通用するとすれば、台湾および朝鮮で法律(大正一〇法三台湾ニ施行スベキ法律ニ関スル法律、明四四法三〇朝鮮ニ施行スベキ法律ニ関スル法律)で総督に対していはゆる「立法の委任」を行なつてゐるのは憲法違反ではないか。

…という一文が書かれているのであり、そのことが意味するのは、

  外地(植民地)=台湾および朝鮮

…という認識の存在であり、次の、

  憲法の通用する空間に関するわが実定法上の原則は次のやうなものであると思ふ。
   (1)憲法制定当時の領土では憲法は通用する。
   (2)台湾・朝鮮および樺太でも憲法は通用する。

…との一文からも、

  外地(植民地)=台湾・朝鮮および樺太

…という宮澤の(そして大日本帝國における統治者層の)認識が読み取れるわけだ。

 

 東京帝國大学という官学の最高学府の法学部、つまり大日本帝國を運営する官僚養成機関で使用された憲法学の教科書中に、台湾や朝鮮が帝國の植民地であることが明記されていた、ということなのである。ネット上に流布されている、

  韓国の教育による歴史改竄手法の一つに「不適切な用語の適用」がある。
  1910年の日韓併合を(当時は朝鮮併合)「植民地化」と表記する。
  …
  実態と違う「植民地化」表記は日本的な誠実さや穏健性を隠蔽、日本が朝鮮半島を奴隷的に支配したかの様な負のイメージを目的としている。

…というお話は、確かにもっともらしいが、大日本帝國の高級官吏養成教育システムの中で、朝鮮半島が帝國の植民地として取扱われていた事実を隠蔽しようとする試みこそは、「日本的な誠実さ」に反する「不適切」極まる「歴史改竄手法」と言われるべきものであろう。

 

 

 以上の話は、歴史学的には常識的な問題と思われるのだが、冒頭に引用した通り、ネット上には、「大日本帝國は朝鮮を併合(自国化)したのであって植民地化したのではない」などというヨタ話が拡散されているのである。それが虚偽に過ぎないものであることが、この大日本帝國で用いられていた憲法学教科書を通してもよくわかる、というお話。

 

 当時の世界の中で、日本が植民地保有国であったことは、虚偽を用いてまで隠す必要のある問題とも思われない。明治日本が、欧米列強並みの存在に到達し得た世界史的事実を示すに過ぎないのである。植民地の被支配住民の存在を考えれば、わざわざ自慢すべきエピソードとは言い難いにせよ、それを「なかったこと」にする必要はないはずだ。

 いずれにしても、現代を生きる我々には、大日本帝國による植民地統治について、直接的責任などないのである。

 しかし、歴史的事実に関しての虚偽に基づく主張をすること及びその主張を容認することの方には、我々自身の直接的責任が伴うわけである。

 

 

 

 

 

(オリジナルは、投稿日時 : 2011/10/26 13:33 → http://www.freeml.com/bl/316274/174130/

 

 

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