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2011年7月27日 (水)

故以此吾身成餘處。刺塞汝身不成合處而。

 

 

其嶋天降坐而。見立天之御柱。見立八尋殿。於是問其妹伊邪那美命曰。汝身者如何成。答曰吾身者成成不成合處一處在。爾伊邪那岐命詔。我身者。成成而成餘處一處在。故以此吾身成餘處。刺塞汝身不成合處而。爲生成國土奈何【訓生云宇牟下效此】伊邪那美命答曰然善。爾伊邪那岐命。詔然者吾與汝行迴逢是天之御柱而。爲美斗能麻具波比【此七字以音】如此云期。乃詔汝者自右迴逢。我者自左迴逢。約竟以迴時。伊邪那美命先言阿那迩夜志愛(上)袁登古袁【此十字以音下效此】後伊邪那岐命言阿那迩夜志愛(上)袁登賣袁。各言竟之後。告其妹曰。女人先言不良。雖然久美度迩【此四字以音】興而。生子水蛭子。此子者入葦船而流去。

…つまり、『古事記』の本文である。

其の島に天降りなさつて、自ら天の御柱を立て、八尋殿をお建てになつた。そこで男神が伊邪那美命に、「貴方の體はどんなになつてゐますか。」とお問ひになると、「私の體は出来上つて、而も足りない所が一所あります。」とお答へになつた。伊邪那岐命が仰せられるには、「私の體は出来上つて、而も餘つてゐる所が一所ある。そこで此の我が身の餘つてゐる所を、御身の足りない所に足して、國土を生まうと思ふが如何であらう。」と仰せられると、伊邪那美命は「それがよろしからう。」とお答へになつた。そこで伊邪那岐命が「それでは二人で此の天の御柱を廻つて、夫婦の道を始めよう。」と仰せられた。かやうに約束をして、即ち「御身は右の方から廻り給へ、自分は左の方から廻り逢はう。」と仰せられてお廻りになる時、伊邪那岐命が先づ、「ああほんに好き殿下よ。」と仰せられ次に伊邪那岐命が「ああほんに好い少女よ。」と仰せられた。各かやうに言つてしまつた後に、伊邪那岐命は「女が先立つて聲をかけたからよろしくない。」と仰せられた。然し夫婦の契をお籠めになつて、水蛭子をお生みになつた。この御子は葦船に入れて流し捨て給うた。

…というのは、昭和七年八月廿五日印刷 昭和七年八月三十日発行 昭和一八年七月二十日七版(一〇〇〇〇部)の『古事記』の問題の(?)部分の現代語(昭和七年当時の)訳である。

 文学博士 次田潤 校訂 解読による、文部省蔵版の〔日本思想叢書第五編〕(大日本教化図書株式会社発行)に収録されているものだ。

 

 現代の「現代語訳」では、

 ふとイザナキはイザナミにたずねました

 イザナキ
   おいイザナミ
   お前の体はどうなっている?

 イザナミ
   イザナキさま?
   えーとー
   私の体はだいたい良くできていますが
   なんだか足りない穴があるようです

 イザナキ
   穴が!?
   なんと私の体には
   ちょうど余って
   飛び出している部分があるんだけど

 イザナミ
   なんてことでしょう!!

 イザナキ
   どうだろう
   私の余っている部分と
   お前の足りない部分で
   うまいことやったら
   国が造れたりしないだろうか

 イザナミ
   そうね!
   そうかもしれませんわね

     五月女ケイ子 『五月女ケイコの レッツ!!古事記』 (講談社 2008)

…となっている箇所である(少し足りないが)。

 

 昭和七年と言えば、満洲國建国の年である。

 1932年と2008年の「現代語」の隔たりを楽しむことにしよう。

 

 ふとイザナキはイザナミにたずねました

 イザナキ
   おいイザナミ
   お前の体はどうなっている?

   → 貴方の體はどんなになつてゐますか。

 イザナミ
   イザナキさま?
   えーとー
   私の体はだいたい良くできていますが
   なんだか足りない穴があるようです

   → 私の體は出来上つて、而も足りない所が一所あります。

 イザナキ
   穴が!?
   なんと私の体には
   ちょうど余って
   飛び出している部分があるんだけど

   → 私の體は出来上つて、而も餘つてゐる所が一所ある。

 イザナミ
   なんてことでしょう!!

 イザナキ
   どうだろう
   私の余っている部分と
   お前の足りない部分で
   うまいことやったら
   国が造れたりしないだろうか

   → そこで此の我が身の餘つてゐる所を、御身の足りない所に足して、國土を生まうと思ふが如何であらう。

 イザナミ
   そうね!
   そうかもしれませんわね

   → それがよろしからう。

 

 「夫婦の契をお籠めになつて」という言い回しに、昭和七年文部省蔵版〔日本思想叢書第五編〕的な、「性交」をめぐる表現を見出してしまうわけだ。

 

 

 このエピソードは、日本列島の起源と天皇家の起源が、イザナキとイザナミという神の存在を通して、最初に重ね合わせて描かれたという意味でも、『古事記』の最も重要なシーンのひとつだと思われるが、それが男女神による生々しいセックスシーンであるところは興味深い。そのセックスシーンとしての生々しさは、古代日本人の心性を考える上でも、注目に値する(『旧約聖書』の「創世記」に比べてみて欲しい)と思われる。

 本居宣長は、そんな『古事記』を、「日本」を語る際の中心に据えてしまったのであった。

 結果として、ゴリゴリに頭の固そうな文部省お墨付きの本でも、問題のシーンを避けるわけにいかなくなってしまったわけである。そこで、文部省お墨付きの(当時の)「現代語訳」に興味を持ったのだったが、思いのほか誠実に訳しており、好感を抱いてしまった。

 そんなわけで、日本史の始原のセックスシーンの、昭和七年の文部省お墨付きの「現代語訳」を、あらためてここでご紹介した次第である。これを機会に、古代日本人の性意識、大日本帝國臣民の性意識、そして現代日本人の性意識とその背後の心性の変遷(あるいは一貫性)にまで思いを馳せてみてはいかがだろうか?

 

 

 

『古事記』原文のソース

 → http://homepage1.nifty.com/o-mino/page202.html

 

 

 

 

 

(オリジナルは、投稿日時 : 2010/06/21 22:38 → http://www.freeml.com/bl/316274/140959/

 

 

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