« 歴史の中の「放射能が健康へ与える悪影響」 1 | トップページ | 歴史としての「原子力の明るい未来」 »

2011年5月25日 (水)

歴史の中の「放射能が健康へ与える悪影響」 2

 

 どんなものであれ、科学的知見というものはデータの蓄積の上にしか築かれ得ないものである。

 放射能と呼ばれる、ある種の物質の未知の作用の発見と確定の前にはデータの蓄積が必要であったし、放射線被曝による健康への障害発生とそのメカニズムの理解の前にもデータの蓄積は必要であった。後者の場合、データとなるのは被曝により健康を害され、最悪の場合は死に至った人々の運命なのである。つまり被曝した人々の犠牲の蓄積が、現行の「放射線リスク評価」の基盤を形作っている(という悲しい)事実を理解しておく必要がある。

 『Nature』記事にあった、「1世紀以上前に放射能が発見されて以来、放射線の危険性に関する研究はずっと続けられてきたし、50年以上も前から、かなり突っ込んだ研究が行われるようになっている」という記述の背景には、そのような構図があるのだということを再確認しておきたい。

 

 

 「放射能が発見されて以来」の初期の流れを概観しておくと、

 

 X線が発見されて間もないころは、大量の放射線が人体に障害をおよぼすということまでは知られていませんでした。ですから研究者たちは無防備でした。このためX線発見の翌年には早くも、X線管の製作に従事していた米国人技術者が皮膚炎にかかりました。治療の目的でX線を使っていた医師たちは、患者に皮膚炎が起き、潰瘍にまでおよんでいることに気がつきました。
 ウランの放射能を発見したベクレルは、微量のラジウムの入ったガラス管をポケットに入れて持ち歩いたところ、腹部の皮膚に紅斑ができました。これを聞いたキュリー夫人が、実験の意味で同じ試みをしたところ、腕に紅斑ができました。
 夜光時計を作っていた米国の女子工員のラジウム中毒事件は有名です。彼女たちは第1次世界大戦から1924年ごろまで、時計の文字盤にラジウム入りの塗料を塗る仕事をしていたのですが、筆の先をなめなめ塗っていたのでラジウムが大量に体内に入り、骨の周辺にできるがん(骨肉腫)のほかいろいろな障害を起こし、死亡するものも出てきたのです。このような事件が続いたこともあって、放射線の生物への影響の研究が始まることになります。
     『放射線の影響がわかる本』(http://www.rea.or.jp/wakaruhon/mokuji.html

 

…ということになる。

 海野十三の日記にあった、東大都築外科の都築博士のエピソードを思い出そう。

 

  なお博士は二十年前、アメリカのレントゲン学会で、これに関した報告を出したことがある。レントゲンをウサギに三時間かけると全部死ぬ。二時間かけると、二週間後までに九割死ぬというのである。米人はそんな場合は実際には起こり得ないと、非実際なるを嗤ったが、今日原子爆弾によってその研究報告の値打ちが燐然と光を増したわけである。

 

…と、海野十三は記していたわけだが、「夜光時計を作っていた米国の女子工員のラジウム中毒事件」が明るみに出つつあったのと同時代に、都築博士は「そんな場合は実際には起こり得ないと、非実際なるを嗤」われていたことになる。

 「ラジウム中毒事件」の経緯は、

 

 放射性物質としてはラジウム(226Ra,228Ra)が1900年代の初めからアメリカで主として夜光時計用に用いられていた。使われていたラジウムの量は1個当たり3.7キロベクレル(kBq)から100キロベクレル程度と言われている。夜光時計を製造していたのはラジウムダイアルペインターと呼ばれていた女子作業員で、とくに、抜歯をした後に顔が腫れたり、貧血、白血球の減少、感染症などで亡くなる人も出た。その後、しばらく経ってからも骨がんや骨折が多発した。1929年、MartlandとHumphriesは骨肉腫の発生を報告し、その後数多くの障害が明らかにされた。
     原子力百科事典 (ATOMICA). 財団法人 高度情報科学技術研究機構 (http://www.rist.or.jp/atomica/data/dat_detail.php?Title_Key=09-03-01-10

 

…というものであった。ここには「抜歯をした後に顔が腫れたり、貧血、白血球の減少、感染症などで亡くなる人も出た。その後、しばらく経ってからも骨がんや骨折が多発した」という形で、障害の発生・発症形態に2タイプあったことがわかる。現在の用語で言えば、急性障害と晩発障害に(ある程度は)相当するであろうか。いずれにしても、1929年のMartlandとHumphriesによる報告が画期となっているようであり、放射線被曝障害理解についての歩みの実態としては、その時点では未知の部分の方が大きかったであろうことは否定出来ない。

 現在、国際的に「放射線リスク評価」の指標として用いられているのは、ICRP(国際放射線防護委員会)によるものだが、ICRPの前身である「国際エックス線・ラジウム防護委員会」が設立されたのも1928年のことなのであり、その意味では1920年代後半というのは放射線被曝の実態解明へ科学者達の目が向き始めた時点と考えることも出来る。いずれにしても、彼らにとっても未知の領域だったのである。

 

 科学者達が安全地帯にいたわけではないことは、『放射線の影響がわかる本』に付された「代表的な放射線被ばく調査事例一覧」を読むことで理解出来るはずだ。そこには、

 

ドイツ放射線学会の放射線被ばくで死亡した放射線学者の顕彰書には、15ヵ国、360人の名前が掲載されている(日本人28人を含む)(1900年-1960年の死亡者数)

 

…と書かれている。科学者自身を含む放射線被曝の犠牲が、データとして蓄積されることにより現在の知見が得られているのであり、その中でも広島・長崎市民の原爆による犠牲が、科学的知見の確保へ向けての大量のデータとして機能したことは確かなことである。

 広島と長崎の市民が、放射線被曝のデータ獲得のために原爆投下の犠牲になったと考えることは妥当ではないと思われるが、彼等の犠牲が人体実験の機能を果たしたことも否定出来ない(そもそも、ヒロシマ・ナガサキに前後する米国内での原爆実験に際し、陸軍地上部隊による爆心地への進撃訓練が付随していた事実は、米国当局者自身が被曝被害の可能性を軽視していたことによるのであり、米軍兵士を用いての人体実験の試みであったとは考え難い以上、ヒロシマ・ナガサキでの同様の意図を想定することが妥当だとは思えないわけである)。

 強制収容所での非人道的人体実験による犠牲者の苦痛に躊躇することのないナチス体制存続への危機感が生み出した原爆が、結果的に広島・長崎市民を用いた放射線被曝人体実験の様相を呈してしまったことは、歴史の悲劇と言うしかないだろう。

 

 

 

 『放射線の影響がわかる本』の巻末にある「代表的な放射線被ばく調査事例一覧」を見ると、最初にあるのが「広島・長崎原爆」であり、続いての項目で「チェルノブイリ事故」が「代表的事例」として示されている。

 放射線の人体への影響が定性的・定量的に把握されるためには事例(データ)の蓄積が必要なのであり、「広島・長崎原爆」と「チェルノブイリ事故」の犠牲者は、その事例(データ)となることで「科学的知見」の形成基盤となったわけである。

 参考までに、他の「事例」を書き出すと、「X線発見当初の被害」に始まり、「テチャ川住民(旧ソ連のマヤック軍事工場において1949年~1956年に多量の高レベル放射性廃棄物をテチャ川に放出)」、「マヤック工場従業員(1950年前後)」、「東ウラル核事故(1957年、マヤックの液体放射性廃棄物タンク爆発)」と、旧ソ連の軍事核施設関連のものが続き、「放射線治療患者」と「被ばく事故(世界の各国で、放射性物質をそれとは知らずにもち歩いたことによる被ばく、放射線発生装置の操作ミスによる過剰被ばく、など多数の事故による被ばくがあり云々)」が並べられている。

 その他にも、地上大気圏内核実験が繰り返された時期があり、関与した各国(核保有国)には、それぞれにデータの蓄積はあるはずである。

 

 

 いずれにしても、前世紀の初めには未知の領域であった「放射線被曝の人体への影響」に関して、20世紀を通じて得られた「科学的知見」の影には、多くの犠牲者が存在するということなのである。

 

 

 さて、再び『Nature』記事を読むと、

 

低線量被曝の生物学的影響について、個人レベルでも集団レベルでも予測できないのはなぜなのだろう? 1世紀以上前に放射能が発見されて以来、放射線の危険性に関する研究はずっと続けられてきたし、50年以上も前から、かなり突っ込んだ研究が行われるようになっている2。それなら今頃は、政策決定に必要な、正確な科学的知識は、十分得られているはずではないのか?

端的に言えば、低線量被曝をした人々の健康への影響を直接検出し、定量化することは難しく、たいていは不可能なのだ。低線量被曝に関連した長期的健康被害の中で、最も心配されているのは、がんである。しかしながら、どのような集団でも約40%の人がいつかはがんになることを考えると、被曝した人々の集団が非常に大きく、個人の被曝線量が比較的よくわかっていないかぎり、被曝に関連した発がん率のわずかな上昇を評価することは、かなり不確実である。

 

…と、「低線量被曝の生物学的影響」の評価の難しさが記されている。逆に言えば、広島・長崎の原爆被害やチェルノブイリ事故の検証の結果、あるレベル以上の放射線量被爆の生物学的影響については、かなりの程度の確定的評価が可能になっていることを意味する。

 

 

 その影にあるのは、

 

   その日
  いちめん蓮の葉が馬蹄形に焼けた蓮畑の中の、そこは陸軍被服廠倉庫の二階。高い格子窓だけのうす暗いコンクリートの床。そのうえに軍用毛布を一枚敷いて、逃げて来た者たちが向きむきに横たわっている。みんなかろうじてズロースやモンペの切れはしを腰にまとった裸体。
  足のふみ場もなくころがっているのはおおかた疎開家屋の片付に出ていた女学校の下級生だが、顔から全身にかけての火傷や、赤チン、凝血、油薬、包帯などのために汚穢な変貌をしてもの乞いの老婆の姿のよう。

   五日目
  手をやるだけでぬけ落ちる髪。化膿部に蛆がかたまり、掘るとぼろぼろ落ち、床に散ってまた膿に這いよる。
  足のふみ場もなかった倉庫は、のこる者だけでがらんとし、あちらの隅、こちらの陰にむくみきった絶望の人と、二、三人のみとりてが暗い顔で蠢き、傷にたかる蠅を追う。高窓からの陽が、しみのついた床を移動すると、早くから夕闇がしのび、ローソクの灯をたよりに次の収容所へ肉親をたずねて去る人たちを、床にころがった面のような表情が見おくっている。

   八日目
  がらんどうになった倉庫。歪んだ鉄格子の空に、きょうも外の空き地に積み上げた死屍からの煙があがる。

  柱の蔭から、ふと水筒をふる手があって、
  無数の眼玉がおびえて重なる暗い壁。
  K婦人も死んだ。
  -収容者なし、死亡者誰々-
  門前に貼り出された紙片に墨汁が乾き
  むしりとられた蓮の花辺が、敷石の上に白く散っている。

 
     峠三吉 「倉庫の記録」 (『原爆を見た建物』 西田書店 2006 による)

 

…という、昭和20年8月6日の広島の光景であることは、くどいようだが、再確認しておきたい。「事例(データ)」となることが当事者に意味していたのは、そのような光景の中を生き、そして死んでいくことだったのである。

 

 

 

 

 

 ここであらためて、「広島・長崎原爆」と「チェルノブイリ事故」の犠牲者達が「放射線の人体への影響」の深刻な事例(データ)となることで、人類の「科学的知見」が形成されていった過程を、「代表的な放射線被ばく調査事例一覧」から概観してみたい。

 

 まず、「広島・長崎原爆」の項の「概要」。

 

原爆投下時人口             580千人
4ヵ月以内死亡者            180千人
     (熱風、外傷等による者を含む)
屋外での線量              (広島の例)
     500m地点         9500mSV
     1km地点          6200mSV

寿命調査:
 被ばく者(2.5km以内)      86.5千人
   5mSV未満            34.3千人
   5mSV以上            52.2千人
 非被ばく者              26千人
 被ばく者平均線量           200mSV

 

 次に「急性症状」として、

 

死亡
 半数死亡線量        3000mSV
 同上の距離         約1km
   (広島での爆心地よりの距離)

急性・亜急性症状
 造血器官障害、各部出血、脱毛など

熱風、外傷などの放射線以外の症状による障害や死亡も多い

 

 「慢性症状」としては、

 

増加死亡率
 白血病   : 1.1%/1000mSV
 固形がん  : 10.9

がん増加時期
 白血病   : 被ばく後2~10年の間増加
 固形がん  : 10年以上経過後増加

がんの増加傾向
 線量に応じてがん死亡率は次のように増加する
 白血病   : 直線+二次曲線
 固形がん  : 直線的

白内障発生率 : (長崎の例)
 線量2000~4000mSVで55%
 5000以上で90%

精神発達遅滞(体内被ばく児)
 線量200mSVで     ほぼ0%
   600mSVで       10%

 

…というデータが示されている。広島・長崎の原爆被爆者調査に関しては、

 

第1群 爆心地から2km以内で被爆した被爆者全員
第2群 爆心地から2~2.5kmで被爆した被爆者全員
第3群 爆心地から2.5~10kmで被爆した被爆者全員のうち、第1群と性別年齢が一致するように選ばれた人
第4群 1950年代前半に広島・長崎に在住していたが、原爆時に市内にいなかった人のうち、第1群と性別年齢が一致するように選ばれた人

という形で、1,2,3群あわせて、爆心地から10km以内で被爆した93741人と、対照群となる第4群の原爆時市内不在者26580人を対象とした調査

 

…という形の要約もネット上で読むことが出来たが、これが『Nature』記事にあった、

 

  1世紀以上前に放射能が発見されて以来、放射線の危険性に関する研究はずっと続けられてきたし、50年以上も前から、かなり突っ込んだ研究が行われるようになっている。

 

…の内実、つまり放射線リスク研究の歴史の中での「50年以上も前」の出来事なのである。広島・長崎の被爆者の存在が、「かなり突っ込んだ研究」を支えたということなのである。投下された原子爆弾による広範囲かつ大量の被曝者の存在こそが、それまで未知であった被曝線量と放射線障害の因果的関連を、人類の科学的知見に加えることになったのであった。ナチス体制の下ではそれでさえ人体実験の対象となった可能性を排除出来ないが、まさにそのナチス体制を地上から排除する目的で開発・製造された原爆は、広島・長崎を実質的な人体実験の場としてしまったわけである。

 

 

 続く代表的事例が、チェルノブイリの原子力発電所事故となるわけだが、『Nature』記事から抜書きすると、

 

1986年に旧ソ連で発生したこの事故は、今回の日本の事故よりもはるかに深刻で、「最悪」の原発事故のシナリオを検証することを可能にした。被曝した人々の集団は大きく、その被曝線量の幅も広かったため、健康に関する集団研究を行うには絶好の対象であった。しかし、事故から25年が経過した今、甲状腺がんと白血病を除き、被曝した人々を対象とする大規模かつ組織的ながん研究は行われていない(Nature 2011年3月31日号547ページ、562ページ参照)。一方で、こうした研究では被曝線量の見積もりがカギとなるが、その作業はすでにかなり進んでいる。今後、我々は、これらの研究を一般的ながんのすべてに拡大するため、いっそう努力しなければならない。

 

…として位置付けられている。チェルノブイリ事故では放射性ヨウ素汚染と甲状腺がんの関係が明確になったわけだが、その影には小児甲状腺がん発症の犠牲者の存在があることを見落としてはならない(手術による対処法も確立されたにせよ、何の罪のない子どもたちが甲状腺がん患者となった事実は否定出来ない)。科学的知見の増大の影にある犠牲には敏感であり続ける必要がある。

 

 

 『Nature』記事は、

 

我々はまた、今回日本で被曝した人々を対象に大規模な集団研究を行うことが合理的であるかどうかも検討し始めなければならない。ここでは、被曝したすべての人々の被曝線量を個別に確定することがカギとなる。これは、放射線の危険に関するあらゆる研究に当てはまることだ。

 

…と続くのだが、そして確かに記事の通りであるのだが、そこで期待される科学的知見の増大の源泉となるのは、福島第一原子力発電所事故の被曝者の健康被害であり、健康被害への不安の日々なのである。

 誰も意図したものではないにしても、フクシマは人体実験の場として機能しかねない現実に見舞われているのである。人体実験の場として機能してしまったとすれば、既にそこに被曝犠牲者が存在するという、誰からも期待されるべきではない事態の現実化を意味するのである。

 福島での避難指示をめぐる政府の混乱の深層には、低線量被曝に関する科学的知見不足という事実があるようにも思えるが、科学的知見が存在しないこと自体は政府の責任ではないにしても、福島を低線量被曝の人体実験場にしてしまったら、それは政府の責任なのである。

 

 

 

〔追記 : 2011年6月12日〕
 当人にとって(あまりに)自明なことが書き落とされてしまう、という事態が、時として生じることがある。読み返してみて、今回のシリーズでも「それをやってしまった」ように感じたので「追記」として書いておくことにした。

 『Nature』記事の背景にも、言うならば、

  「低線量被曝」については、その結果としての健康被害発生を定性的・定量的に示す疫学的データが得られていない

…という現状認識があるわけだが、そのことの意味は、あくまでも、

  低線量被曝と健康被害発生に関する科学的知見は(現状では)十分なものではない

…ということに尽きるのであり、

  低線量被曝による健康被害発生の可能性は存在しない

…という意味なのではない。つまり、現在の知見からは、

  低線量被曝により健康被害は発生しない

…と断言することは出来ないし、同様に、

  低線量被曝により健康被害が発生する

…と断言することも出来ない、ということなのである。ましてや、

  低線量被曝により健康状態が改善される

…との主張には、未だ十分な疫学的データの裏付けが存在しないと、一般的には考えられているのである。
 その上で、「低線量被曝により健康被害は発生しない」と断定することの出来ない現状に鑑み、危険回避の立場から「低線量被曝による健康被害発生」の可能性を仮定して対応するというのが、放射線防護のあり方として国際的に共有されている態度なのだということを理解しておきたい。

 いずれにしても、被曝とは継続的蓄積が問題となるものであり、一過性の低線量被曝に関してはそれほど深刻に考える必要がないと言うことが出来るにせよ、その場所に居住し続けるというような状況は、結果として被曝量の蓄積を生み出し、健康被害発生の原因となり得るものなのである。

 ネット上に散見される「低線量被曝は健康にいい」的な論調に対する違和感が、今回の記事を書く上でのそもそもの動機であったのだが、その重要な論点に関するこちらの考えを書き落としていたという事実は、今後の反省材料としなければならない。
          (…と、現在反省中でございます)

 

 

 

 

 

(オリジナルは、投稿日時 : 2011/05/24 20:59 → http://www.freeml.com/bl/316274/165101/

 

 

|

« 歴史の中の「放射能が健康へ与える悪影響」 1 | トップページ | 歴史としての「原子力の明るい未来」 »

20世紀、そして21世紀」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.f.cocolog-nifty.com/t/trackback/1135955/40121886

この記事へのトラックバック一覧です: 歴史の中の「放射能が健康へ与える悪影響」 2:

» 東日本大震災後の生活術 [被ばくを最小限に抑えるための知識]
このたびの東日本大震災で被災された方々、そのご家族、ご関係者のみなさまへ心よりお見舞い申し上げます。 震災後、福島第1原発の放射能漏れ事故の影響で消費者が水道水を敬遠し、ペットボトルなどのミネラルウォーターなどの飲料水を買いだめする傾向がみられています。 安全な暮らしに役立つ生活術などをまとめてみました。... [続きを読む]

受信: 2011年5月26日 (木) 23時51分

« 歴史の中の「放射能が健康へ与える悪影響」 1 | トップページ | 歴史としての「原子力の明るい未来」 »