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2011年3月

2011年3月30日 (水)

原発事故情報の読み方(東電プレスリリースの解釈と鑑賞)

 

 今回の東北関東大震災に伴う原発事故に関して、様々な情報がある中で、私が基本情報として参照していたのは、東京電力のホームページに掲載されているプレスリリースであった。

 

◇東京電力のプレスリリース
 福島第一原子力発電所
http://www.tepco.co.jp/nu/f1-np/press_f1/2010/2010-j.html
 福島第二原子力発電所
http://www.tepco.co.jp/nu/f2-np/press_f2/2010/2010-j.html

 

 適宜、ダウンロードし、福島の第一第二原発の状況をモニターすることで、テレビ画面上の東京電力の記者会見の模様や、ニュース解説者の説明に加えて、テレビ画面上には現れないそれぞれの原発の現場の状況を、かなりの程度、推測することが出来た。

 

 東電や政府に対する、情報隠蔽や虚偽報告の疑いがネット上などでまことしやかに語られているが、プレスリリースを読解する限り、積極的な情報隠蔽や虚偽報告の証拠は発見出来ない。そこに必要十分な情報が盛られていたなどと言うことはまったく出来ないが、最低限必要な情報は既にそこにあり、その後の突っ込み取材こそが報道の使命であったはずだ(が、それは実に不十分なものだったように見える)。

 

 いずれにしても、最優先しなければならないのは、それぞれの原発の現場の現状把握なのであり、報道が(そして東電の記者会見が)その使命を果していなかったことは確かである。

 

 

 

 東電のプレスリリースに注目したのは震災の翌日のことだったが、震災後の最初のプレスリリースの文言は次のようなものである。

 

 

原子力災害対策特別措置法第10条第1項の規定に基づく特定事象の発生について

                    平成23年3月11日
                    東京電力株式会社
                    福島第一原子力発電所

 本日、当社・福島第一原発1号機(沸騰水型、定格出力46万キロワット、2号機及び3号機(沸騰水型、定格出力78万4千キロワット)は定格出力運転中のところ、午後2時46分頃に宮城県沖地震により、タービンおよび原子炉が自動停止しました。
 上記3プラントにおいて、2系統ある外部電源のうちの1系統が故障停止し、外部電源が確保できない状態となり、非常用ディーゼル発電機が自動起動しました。
 その後、午後3時41分、非常用ディーゼル発電機が故障停止し、これにより1、2号および3号の全ての交流電源が喪失したことから、午後3時42分に原子力災害対策特別措置法第10条第1項の規定に基づく特定事象が発生したと判断し、第1次緊急時態勢を発令するとともに、同項に基づき経済産業大臣、福島県知事、大熊町長および双葉町長ならびに関係行政機関に通報しました。

 今後、非常用ディーゼル発電機が停止した原因等を調査し復旧に取り組んでまいります。
 放射線を監視している排気筒モニタの指示値は通常時と変わっておらず、現時点において外部への放射能の影響は確認されておりません。詳細について、引き続き調査してまいります。

                          以上
(末尾に「原子力災害対策特別措置法第10条第1項の規定に基づく特定事象」についての注記があるが略)

03.11 原子力災害対策特別措置法第10条第1項の規定に基づく特定事象の発生について(PDF8.36KB)
http://www.tepco.co.jp/nu/f1-np/press_f1/2010/htmldata/bi1309-j.pdf

 

 

 ここには、福島第一原子力発電所が地震後(そして津波後)に襲われた事態が、確かに簡潔に過ぎるきらいはあるものの、最低限必要な情報としては示されているのである。つまり、

 

  本日、当社・福島第一原発1号機(沸騰水型、定格出力46万キロワット、2号機及び3号機(沸騰水型、定格出力78万4千キロワット)は定格出力運転中のところ、

1)  午後2時46分頃に宮城県沖地震により、タービンおよび原子炉が自動停止

2) 上記3プラントにおいて、2系統ある外部電源のうちの1系統が故障停止し、外部電源が確保できない状態となり、非常用ディーゼル発電機が自動起動

3) その後、午後3時41分、非常用ディーゼル発電機が故障停止し、これにより1、2号および3号の全ての交流電源が喪失

 

…という時系列で、「1、2号および3号の全ての交流電源が喪失」し、それを受けて「午後3時42分に原子力災害対策特別措置法第10条第1項の規定に基づく特定事象が発生したと判断し、第1次緊急時態勢を発令するとともに、同項に基づき経済産業大臣、福島県知事、大熊町長および双葉町長ならびに関係行政機関に通報」するに至ったことが、福島第一原発からのプレスリリース第一報から理解出来るのである。

 

 

 その日のプレスリリースは、

 

03.11 福島第一原子力発電所のプラント状況について(午後7時現在)(PDF7.43KB) プレス
http://www.tepco.co.jp/nu/f1-np/press_f1/2010/htmldata/bi1311-j.pdf
03.11 福島第一原子力発電所のプラント状況について(午後9時現在)(PDF9.25KB) プレス
http://www.tepco.co.jp/nu/f1-np/press_f1/2010/htmldata/bi1312-j.pdf
03.12 福島第一原子力発電所のプラント状況について(午後0時現在)(PDF9.36KB) プレス
http://www.tepco.co.jp/nu/f1-np/press_f1/2010/htmldata/bi1313-j.pdf

 

…と続き、少しずつ詳細化していく(註:1)。

 

 

 原子炉の状況。火災発生の有無。ケガ人及び行方不明者の存在が、時を追って詳細に伝えられていくのである(記載は簡潔に過ぎるにしても、読み取るべき情報量は少ないものではない)(註:2)。

 12日の午後には、一号機での、東電の表現によれば「白煙発生」、一般的には「水素爆発」と呼ばれる現象に発展し、事態は深刻化していくわけである(この時の「白煙発生」という東電の公式表現は、情報隠蔽・虚偽報告疑惑を生み出すに十分な理由を与えるものではあるが、「白煙発生」によるケガ人の存在も明記されているので、業界用語では「爆発は煙の発生として表現される」のだとして理解する道もある)(註:3)(註:8)」。

 

 その時点で、冷却系の維持、電源の回復が緊急の課題として再認識されたはずである(現場当時者には自明のことだろうが、テレビ画面から見守っていた冷静な観察者なら誰でも思ったことであろう)。

 

 

 要するに、東電の最初のプレスリリースに含まれている情報から、

1) 地震発生時(3月11日午後2時46分頃)の
     タービンおよび原子炉が自動停止
     2系統ある外部電源のうちの1系統が故障停止
     非常用ディーゼル発電機が自動起動

2) 津波襲来時(3月11日午後3時41分)の
     非常用ディーゼル発電機が故障停止
     1、2号および3号の全ての交流電源が喪失

…という時系列での展開が理解され、その後の情報により、冷却系の維持と電源回復という課題の存在が、誰の目にも明らかになるわけである。

 

…という話を、ML上のやり取りの中で進めている中で、午後3時41分の非常用ディーゼル発電機故障停止(完全な電源喪失)の原因が、本当に津波によるものなのかどうかが相手から疑問として提出され、それに応えるために検索の結果見つけたのが、

 

 

原子力安全委長「福島第1で冷却系動かず。放射能出る事態ない」

 原子力安全委員会の班目(まだらめ)春樹委員長は11日午後7時50分、東北・太平洋沿岸地震の被害について「東京電力福島第1発電所で、非常用ディーゼルを冷やす海水冷却系が水をかぶって動かなくなっている。現在の電源はバッテリーだけでやっている」と説明した。
 ただ、「現在、外部に放射能が出るような事態には一切なっていない」として、放射能漏れなどの事態には至っていないと強調。「バッテリーが切れたときのことを考え、ディーゼルに代わるものをヘリコプターで運ぶことを検討中だ」と述べた。首相官邸で記者団に語った。(2011.3.11 20:21)
http://sankei.jp.msn.com/politics/news/110311/plc11031120210035-n1.htm

 

 

…との、3月11日20時22分配信の産経新聞記事であった。つまり、原子力安全委員会委員長の、

  東京電力福島第1発電所で、非常用ディーゼルを冷やす海水冷却系が水をかぶって動かなくなっている

…という発言から、プレスリリースのみに頼っての私の推測は、関係者による裏付けを得たものへと変化したのである。

 

 

 その裏付け情報となる産経新聞記事を15日の夕方にMLに紹介したのだったが、その夜10時過ぎのNHKテレビで、津波による第一原発の施設喪失状況が報道されるのを見ることになった(海側の低地に設置されていた非常用電源用燃料タンクが完全に流されていたのである)。より詳細に、非常用電源喪失の実態が明らかになったわけだ。

…という話(津波要因による電源喪失=発電所の停電に起因する事態の悪化)は、やはりNHK報道前に私の友人が自身のブログに書き残しており(彼女の情報源は知らないが)、報道やネット上のウワサ話に頼ることなく、それなりに確度ある情報を獲得することは誰にでも(私も彼女も本質的に怠け者である)可能だということを示すものであろう。

 

 

 私がMLで東電プレスリリースの紹介に加えて書き添えたことは、

  

  プレスリリースはあっても、
  そこを出発点とした取材がされていない印象です。

  東海村の臨界事故の際には、
  現場の作業状況、手順、人員配置等までが、
  こちらにも把握出来るような報道がされていましたが、
  今回は、行方不明者、ケガ人等が、
  どのような作業のどの過程でどの場所で発生したのか?
  …といった内容が、一切報道されていません。

  注水した海水の行方がどうなっているのか?
  …という重要な問題も不明なままです。

  発表する側の問題よりも取材・報道する側の問題が、
  今回の一連の報道に接して、痛感・憂慮させられることです。

 

…ということであった。

 行方不明者やケガ人の発生状況を取材することで、現場の状況が具体性をもって把握可能になるのである。そこから発展させ、

 どれだけの人員が現地で作業に従事しているのか?

 どのような作業に重点が置かれているのか?

 現場に対する本社のバックアップ体制はどのように組まれているのか?

…といった取材をすることで、現地・現場の状況の詳細が共有可能になり、消防や自衛隊(あるいは特殊車輌の保有者や各種の技術者)による支援の必要性や支援内容の決定も容易になるのである。確かに、東電の記者会見には問題があるのだが、取材する側の力量不足を抜きに、今回の問題は語れないように思われる(註:4)。

 

 

 そもそもが原子力発電所における電力の完全喪失状況とは、監視・制御システムの喪失と同義なのである。加えて、夜間の屋外照明は不可能であり(つまり夜間作業が不可能となる)、そもそも外部への窓の少ない原発施設では室内用照明すら点灯しない(昼なお暗闇)状況に陥っているはずなのである。

 もちろん、外部への通信連絡手段の多くも機能しない状態であったに違いない。

 つまり、現地・現場での現状把握自体が非常に困難であり、それに加えて本社との連絡の困難は、本社における事態把握をも困難にしていたはずなのである。あのブザマとしか言いようのない東電の記者会見の背景には、そのような東電自体の情報喪失状態があったと、私は考えている。少なくとも報道陣には会見場で、現地との連絡手段の状況を問い質すことくらい出来たはずではないか。それすらなされていないのだから、彼等が東電の対応を批判し得る位置にいないことは明白である。

 

 現地・現場の具体的状況の把握と共有こそが、報道により広く情報が共有されることこそが、より有効な対応を生み出すのである。

 その努力を怠り、東電・政府の対応の拙さを「告発」して使命を果しているつもりの「報道」サイドのあり方には、かなり腹を立てていたわけだ(不安を煽るばかりの陰謀論好きのネット情報と共に)。

 

 東電の広報技術の拙劣さは、もちろん批判されねばならない。

 しかし、あの記者会見場でのブザマな姿は、情報隠蔽とか虚偽情報発信(註:9)などという技巧を彼等が発揮することすら出来ない事実をも示しているのである(「註:2」も参照のこと)。

 

 

 現在、原発事故後の東電本社の初期対応の評価を試みる上で重要な問題として考えているのは、非常用電源(及びポンプ機能)回復のための現地へのバックアップの時期とその内容である。代替機の用意や運搬等の支援の有無、というようなことだ。そこに瑕疵があったとするならば、その後に展開した事態への東電本社の責任は、より大きなものと考えねばならなくなる(註:5)。

 

 

 

【註:1】
     福島第一原子力発電所のプラント状況について(午後7時現在)

                    平成23年3月11日
                    東京電力株式会社
                    福島第一原子力発電所

 本日、当社・福島第一原子力発電所1号機(沸騰水型、定格出力46万キロワット)は定格出力一定運転中のところ、午後2時46分頃に宮城県沖地震により、タービンおよび原子炉が自動停止しました。
 その後、1、2および3号機の全ての交流電源が喪失したことから、午後3時42分に原子力災害特別措置法第10条第1項の規定に基づく特定事象が発生し、その後、1号機および2号機の非常用炉心冷却装置について、注水流量の確認ができないので、念のため午後4時36分に、原子力災害対策特別措置法第15条第1項の規定に基づく特定事象が発生したと判断しました。
                    (お知らせ済み)

 1号機においては、非常用復水器で原子炉内の蒸気を冷やしており、2、3号機については、原子炉隔離冷却系で原子炉に注水しております。
 4号機、5号機および6号機については、安全上の問題がない原子炉水位を確保しております。

 その後、福島第一原子力発電所内での火災は発生していないことを当社社員が確認しました。
 モニタリングカーにより発電所敷地内(屋外)の放射性物質の測定を行い、通常値と変らないことを確認しました。引き続き、測定を実施中です。

                    以上

03.11 福島第一原子力発電所のプラント状況について(午後7時現在)(PDF7.43KB)
http://www.tepco.co.jp/nu/f1-np/press_f1/2010/htmldata/bi1311-j.pdf

 

          〔午後9時55分発表〕
   〈福島第一原子力発電所のプラント状況等のお知らせ〉
          (3月11日午後9時現在)

                    平成23年3月11日
                    東京電力株式会社
                    福島第一原子力発電所

1号機(停止中)
 ・原子炉は停止し、非常用復水器で原子炉蒸気を冷やしております。
 ・現時点において、原子炉容器内での冷却材漏洩はないと考えております。

2号機(停止中)
 ・原子炉は停止し、原子炉隔離時冷却系で原子炉に注水をしておりましたが、現在、運転状態は不明であり、原子炉水位確認できない状態です。
 ・現時点において、原子炉の水位低下により、放射性物質が放出する恐れがあるため、半径3km以内の地域住民に対して、避難勧告が自治体から出されております。

3号機(停止中)
 ・原子炉は停止し、原子炉隔離時冷却系で原子炉に注水をしております。
 ・現時点において、原子炉格納容器内での冷却材漏洩はないと考えております。

4号機(定期検査で停止中)
 ・原子炉は停止しており、安全上の問題がない原子炉水位を確保しております。
 ・現時点において、原子炉格納容器内での冷却材漏洩はないと考えております。

5号機(定期検査で停止中)
 ・原子炉は停止しており、安全上の問題がない原子炉水位を確保しております。
 ・現時点において、原子炉格納容器内での冷却材漏洩はないと考えております。

6号機(定期検査で停止中)
 ・原子炉は停止しており、安全上の問題がない原子炉水位を確保しております。
 ・現時点において、原子炉格納容器内での冷却材漏洩はないと考えております。

その他
 ・モニタリングカーにより発電所敷地内外(屋外)の放射性物質の測定を行い、通常値と変らないことを確認しました。現時点において外部への放射能の影響は確認されておりません。
  引き続き、排気筒や放水口等からの放射性物質の放出の可能性について詳細に監視してまいります。

 ・発電所構内発電所構内(ママ)においてけが人(協力企業)2名が発生しており、そのうち1名(骨折)救急車、もう1名については業務車にて病院に搬送いたしました。

                    以上

               (お問い合わせ先)
                    福島第一原子力発電所
                    広報部
                    (電話番号の記載は略)

03.11 福島第一原子力発電所のプラント状況について(午後9時現在)(PDF9.25KB)
http://www.tepco.co.jp/nu/f1-np/press_f1/2010/htmldata/bi1312-j.pdf

 

          〔午前0時30分発表〕
     〈福島第一原子力発電所のプラント状況等のお知らせ〉
          (3月12日 午前0時現在)

                    平成23年3月11日
                    東京電力株式会社
                    福島第一原子力発電所

福島第一原子力発電所は全号機(1~6号機)停止しております。

1号機(停止中)
 ・原子炉は停止し、非常用復水器で原子炉蒸気を冷やしております。
 ・現時点において、原子炉の水位低下により、放射性物質が放出される恐れがあるため、国から、半径3km以内の地域住民に対して避難指示、半径3kmから10km以内は屋内退避の指示が出されています。

2号機(停止中)
 ・原子炉は停止し、原子炉隔離時冷却系で原子炉に注水をしておりましたが、現在、運転状態は不明でありますが、仮設電源により原子炉水位は確認でき水位は安定しております。
 ・現時点において、原子炉の水位低下により、放射性物質が放出される恐れがあるため、国から、半径3km以内の住民に対して避難指示、半径3kmから10km以内は屋内退避の指示が出されています。

3号機(停止中)
 ・原子炉は停止し、原子炉隔離時冷却系で原子炉に注水をしております。
 ・現時点において、原子炉格納容器内での冷却材漏洩はないと考えております。

4号機(定期検査で停止中)
 ・原子炉は停止し、原子炉隔離時冷却系で原子炉に注水をしております。
 ・現時点において、原子炉格納容器内での冷却材漏洩はないと考えております。

5号機(定期検査で停止中)
 ・原子炉は停止し、原子炉隔離時冷却系で原子炉に注水をしております。
 ・現時点において、原子炉格納容器内での冷却材漏洩はないと考えております。

6号機(定期検査で停止中)
 ・原子炉は停止し、原子炉隔離時冷却系で原子炉に注水をしております。
 ・現時点において、原子炉格納容器内での冷却材漏洩はないと考えております。

その他
 ・モニタリングカーにより発電所敷地内外(屋外)の放射性物質の測定を行い、通常値と変らないことを確認しました。現時点において外部への放射能の影響は確認されておりません。
  引き続き、排気筒や放水口等からの放射性物質の放出の可能性について詳細に監視してまいります。

 ・発電所構内においてけが人(協力企業)2名が発生しており、そのうち1名(骨折)は救急車、もう1名については業務車にて病院に搬送いたしました。
  また、当社社員2名が現場において、所在の確認ができておりません。

 ・余震や津波の状況を見ながら、現在各プラントの現場の状況を確認中です。

                    以上

03.12 福島第一原子力発電所のプラント状況について(午後0時現在)(PDF9.36KB)
http://www.tepco.co.jp/nu/f1-np/press_f1/2010/htmldata/bi1313-j.pdf
 
 

…と、ここまでが3月11日分の福島第一原発の「プラント状況等のお知らせ」である。

【註:2】
 1号機での水素爆発(白煙発生)直前に当たる、翌3月12日午後3時20分発表のプレスリリースでは、1~6号機それぞれの状況が概観され、1~3号機での、

 

  国の指示により、安全に万全を期すため、原子炉格納容器内の圧力を降下させる措置

 

…の実施および準備の状況が報告されている。「その他」の項目では、

 

 ・現在、1号機の原子炉格納容器の圧力を降下させる操作を実施しておりますが、原子炉建屋内で作業していた当社社員1名の線量が100mSvを超過しております(106.3mSv)。現在、産業医が不在のため、後日診察することとします。

 ・モニタリングカーによる発電所構内(屋外)の放射性物質(ヨウ素等)の測定の値が通常値より上昇しております。またモニタリングポストの測定値も通常値より上昇しております。
  引き続き排気筒や放水口等からの放射性物質の放出の可能性について詳細に監視してまいります。
  なお、放射性物質が放出される恐れがあるため、国から、半径10km以内の地域住民に対して避難指示が出されています。

 ・発電所構内においてけが人(協力企業)2名が発生しており、そのうち1名(骨折)は救急車で、もう1名については業務車にて病院に搬送いたしました。
  また、当社社員の1名は左胸を押さえて立てない状態であったため、救急車にて病院に搬送いたしました。
  また、当社社員のうち2名が現場において所在の確認ができておりません。
  さらに免震重要棟近傍にいた協力企業作業員1名が意識がないため、救急車で病院に搬送しました。

 

…と、悪化していく事態と、それに伴うけが人等の詳細が記されている。

 読んだ時点では気付かなかったが、この「所在の確認できて」いない2名の「当社社員」は、津波の犠牲者である可能性が高い(註:6)。けが人や行方不明者の発生状況を記者会見場で質問することで、現場の具体的状況が、より明らかになったはずである。
 
 
 参考までに、福島第二原子力発電所のプレスリリースでは行方不明者とけが人(死者を含む)の発生状況がどのように報告されていたのかを、読んでおきたい。行方不明者やけが人(死者)についての言及は、原子炉等の状況とは別の「その他」の項目にあるので、その項のみ抜書きしておく(つまり、原子炉等の状況の推移には独立した項目があるがここでは引用しない)。
 
 
〈福島第二原子力発電所プラント状況等のお知らせ〉
  (3月11日 午後10時00分現在)
 ・発電所構内において、行方不明者は発生していません。
 
〈福島第二原子力発電所プラント状況等のお知らせ〉
  (3月11日 午後11時00分現在)
 ・発電所構内において、行方不明者は発生していません。
 ・現時点で、発電所構内で発生したけが人は2名(軽傷1名、重傷1名)です。
 
〈福島第二原子力発電所プラント状況等のお知らせ〉
  (3月12日 午前0時00分現在)
 ・発電所構内において、行方不明者は発生していません。
 ・重傷者1名については、排気筒のクレーン操縦室に閉じ込められていますが、他の作業員の確認した情報では、当該作業員の呼吸および脈が確認できない状況です。
 ・軽傷1名の症状は、現場を歩行中に転倒し、左足首および両ひざ擦過傷したものであり、本人に意識はあります。
 
〈福島第二原子力発電所プラント状況等のお知らせ〉
  (3月12日 午後0時現在)
 ・発電所構内において、行方不明者は発生していません。
 ・重傷者1名については、排気筒のクレーン操縦室に閉じ込められており、他の作業員の確認した情報では、当該作業員の呼吸および脈が確認できない状況。現在、救出方法を検討中。
 ・軽傷者は1名(現場を歩行中に転倒し、左足首および両ひざ擦過傷)。治療後、所内で待機中。
 
〈福島第二原子力発電所プラント状況等のお知らせ〉
  (3月12日 午後2時00分現在)
 ・発電所構内において、行方不明者は発生していません。
 ・重傷者1名については、排気筒のクレーン操縦室に閉じ込められており、他の作業員の確認した情報では、当該作業員の呼吸および脈が確認できない状況。現在、搬送作業を開始。
 ・軽傷者は1名(現場を歩行中に転倒し、左足首および両ひざ擦過傷)。治療後、所内で待機中。
 
〈福島第二原子力発電所プラント状況等のお知らせ〉
  (3月12日 午後3時00分現在)
 ・発電所構内において、行方不明者は発生していません。
 ・重傷者1名については、排気筒のクレーン操縦室に閉じ込められており、他の作業員の確認した情報では、当該作業員の呼吸および脈が確認できない状況。現在、搬送作業を開始。
 ・軽傷者は1名(現場を歩行中に転倒し、左足首および両ひざ擦過傷)。治療し、所内で待機後、職場に復帰。
 
〈福島第二原子力発電所プラント状況等のお知らせ〉
  (3月12日 午後6時00分現在)
 ・発電所構内において、行方不明者は発生していません。
 ・重傷者1名については、排気筒のクレーン操縦室に閉じ込められておりましたが、午後5時13分、タワークレーンから地上に搬送し、午後5時17分、死亡が確認されました。
 ・軽傷者は1名(現場を歩行中に転倒し、左足首および両ひざ擦過傷)。治療し、所内で待機後、職場に復帰。
 
 
 当初の混乱の中から時間を追って発電所の現地当事者に状況が把握されていく過程と、発生した負傷者に対処していく過程が記されているのである(もちろん各原子炉に関する記述も同様であり、現状把握と現場での対処の経緯が簡潔に記録されている)。

 ここでは変化のあった時点のみ抜書きしているのだが、福島第二原発のプレスリリースは、11日の夜から一時間おきの発表となっていることを書き添えておきたい。それに比して、福島第一原発のプレスリリースの方は毎時発表ではないのである。しかも、第一原発の方は記者会見での発表と東電ホームページの掲載へのタイムラグも大きい。両者の書式も同一とは言えない。つまり、本社による情報操作の可能性は低いと考えられる。本社の介入度が高ければ、発表形態の統一度も高くなるはずなのである。

【註:3】
 第一原発1号機での「水素爆発」の第一報の実際の文言はというと…
 
 
     福島第一原子力発電所1号機付近での白煙発生について

                    平成23年3月12日
                    東京電力株式会社
                    福島第一原子力発電所

  平成23年3月11日、当社・福島第一原子力発電所1号機(沸騰水型、定格出力46万キロワット)、2号機および3号機〈沸騰水型、定格出力78万4千キロワット)は定格出力一定運転中のところ、同日午後2時46分頃に東北地方太平洋沖地震により、タービンおよび原子炉が自動停止しました。

 本日、午後3時36分頃、直下型の大きな揺れが発生し、1号機付近で大きな音があり白煙が発生しました。
 プラントの安全確保作業に携わっていた当社社員2名、協力企業作業員2名が負傷したため、病院に搬送しました。
 プラントの状態、外部への放射線の影響については、現在調査中です。

 今後、安全の確保に全力を尽してまいるとともに、引き続き周辺環境のモニタリングを継続・監視してまいります。

                     以上

03.12 福島第一原子力発電所1号機付近での白煙発生について(PDF7.32KB) プレス
http://www.tepco.co.jp/nu/f1-np/press_f1/2010/htmldata/bi1321-j.pdf
 
 
 「白煙」が「発生」したことで4名が「負傷」しているのである。

 この独特の東電用語からは、遡って今回の事故以前のプレス発表における「煙」の「発生」という記述が、実は「爆発」の言い換えであった可能性もあることを知ることが出来る。

 ここに、資料読解の醍醐味を感じるべきであろうか?

【註:4】
 現場は、それ自体が並みではない地震津波被害と、電源喪失=監視・制御システムの無効状態(照明さえない)という大きなダメージの渦中なのであり、その中で必死になって現状把握と緊急対応に努力中……ということが、プレスリリースからは伝わってくる。
 しかし、テレビ画面では、「危険なのか?安全なのか?」のような単純な二分法的愚問が続く。「危険」なのは自明のことではないか。
 原子力事故の特徴は、事態が深刻であればあるほど迅速な対応が求められるのにもかかわらず、事態の深刻さは高レベル放射線の存在と同義であるがために迅速な対応を困難にしてしまうという点にある。
 その危険な状況の中で現状把握と緊急対応に務めている現場の姿を、会見場に配布されたプレスリリースから読み取れぬようではお話にならないのである。重要なのはプレスリリースの読解と、その上での詳細説明を求める努力であろう。その場で答えが得られなくても、次の会見までに明らかにすることを東電の本社担当者に求めることは可能なのだ。
 会見で提供される情報の不足・不備を指摘することは重要だが、そのような不足・不備の原因の多くの背景には必要な情報の把握自体さえ困難な現場の状況があるだろうから、質疑応答の中で現場の状況をまず確認することから始めるべきなのである。もちろん、その時点で東電・政府当局者に気付かれていない問題もまた不足・不備を構成するだろうから、その指摘も重要である(それが情報の拡充につながる)。報道、東電・政府が一体となり、現場の状況、現場での優先事項、東電本社および政府による後方支援の優先順位等を確認し共有することが、初動時での最重要課題なのであり、会見取材の最優先事項であったはずだが、そのような認識が持たれていたようには見えなかった。
 この時点での報道の任務は、悲憤慷慨して東電や政府当局者の責任追及をし正義を語ることではなく、まず事実関係をしっかり把握し、広く伝えることなのである。

【註5】
 現時点(3月31日)で考えねばならないのは、現場作業員の置かれている劣悪な環境条件の改善である。簡易ベッドさえなく毛布一枚で床や椅子での睡眠が続く状況は、疲労の蓄積につながり、二次災害を引き起こす要因となる。原発事故での二次災害は致命的な結果をもたらす可能性があるのだ。

【註:6】
 4月3日の12時のNHKテレビ・ニュースによれば、東京電力は3日午前の記者会見で、

  福島第一原子力発電所で先月11日の震災のあと行方が分からなくなっていた、東京電力の社員2人が遺体で見つかったこと

…を発表したのだという(註:7)。

 

遺体で見つかったのは、東京電力の社員で福島第一原発の第一運転管理部に所属する小久保和彦さん(24)と寺島祥希さん(21)の2人です。当時、福島第一原発の4号機で行われていた定期検査では、電源操作や弁の開閉作業を担当していました。2人が地震のあと、タービン建屋に行ったという情報があったため探したところ、建屋の地下1階で先月30日の午後、相次いで見つかり、その後、死亡が確認されました。医師の診断によりますと、2人の死亡推定時刻は先月11日の午後4時ごろで、津波の直後とみられ、全身を強く打ち出血が多かったため死亡していたということです。
     (4月3日 12時19分)
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20110403/t10015072391000.html

 
 
 つまり、4月3日午前の記者会見で東電が明らかにしたのは、

  建屋の地下1階で先月30日の午後、相次いで見つかり、その後、死亡が確認

…という経緯である。しかし、福島第一原子力発電所のプレスリリースには、その事実は掲載されていない。

 まず、2人が発見された翌日に当たる3月31日のプレスリリースの関係項目を読んでみよう。
 
〈福島第一原子力発電所プラント状況等のお知らせ〉
  (3月31日 午後9時00分現在)

 負傷者等
  ・当社社員2名が現場において、所在不明(3月11日発生)
  ・3月24日、3号機タービン建屋1階および地下において、ケーブル施設作業を行なっていた協力企業作業員3名について、約170mSv以上の線量を確認。そのうちの2名について、両足の皮膚に汚染を確認し、除染を行なったものの、ベータ線熱傷の可能性があると判断したことから、福島県立医科大学付属病院へ搬送しました。また、3月25日、残り1名も福島県立医科大学付属病院に移動し、その後、千葉県にある放射線医学総合研究所に恵名が入院し、3月28日に退院しました。
  なお、本事象につきまして、更なる放射線管理の徹底と被ばくの作業管理に万全を期するため、本事象の教訓と今後の対策をまとめ、国等へ説明を行なっております。
  作業開始に先立ち、関係者へ周知するとともに、今後の管理に万全を期してまいります。

03.31 福島第一原子力発電所プラント状況等のお知らせ(3月31日 午後9時00分現在)
http://www.tepco.co.jp/nu/f1-np/press_f1/2010/htmldata/bi1408-j.pdf

 
 つまり、前日に4号機建屋地下1階で発見されていた「当社社員2名」についての記載は、発見翌日に至っても「所在不明」のままである。その状態は、4月2日午後9時のプレスリリースでも変化はない。「負傷者等」の項目は、3月31日と同文なのである。
→ 04.02 福島第一原子力発電所プラント状況等のお知らせ(4月2日 午後9時00分現在)
http://www.tepco.co.jp/nu/f1-np/press_f1/2011/htmldata/bi1413-j.pdf

 
 午前中に記者会見で「遺体で見つかった」ことを発表した後の4月3日午後のプレスリリースでは、「負傷者等」の項目は、

 
〈福島第一原子力発電所プラント状況等のお知らせ〉
  (4月3日 午後0時30分現在)

 負傷者等
  ・3月24日、3号機タービン建屋1階および地下において、ケーブル施設作業を行なっていた協力企業作業員3名について、約170mSv以上の線量を確認。そのうちの2名について、両足の皮膚に汚染を確認し、除染を行なったものの、ベータ線熱傷の可能性があると判断したことから、福島県立医科大学付属病院へ搬送しました。また、3月25日、残り1名も福島県立医科大学付属病院に移動し、その後、千葉県にある放射線医学総合研究所に恵名が入院し、3月28日に退院しました。
  なお、本事象につきまして、更なる放射線管理の徹底と被ばくの作業管理に万全を期するため、本事象の教訓と今後の対策をまとめ、国等へ説明を行なっております。
  作業開始に先立ち、関係者へ周知するとともに、今後の管理に万全を期してまいります。

04.03 福島第一原子力発電所プラント状況等のお知らせ(4月3日 午後0時30分現在)
http://www.tepco.co.jp/nu/f1-np/press_f1/2011/htmldata/bi1414-j.pdf

 
…となっており、「現場において、所在不明(3月11日発生)」でその後3月30日に発見され死亡が確認された2名の東電社員に関する記述はなぜか存在しない。
 その使命感のために津波の犠牲になったと思われる福島第一原子力発電所勤務の若い2名の東電社員の姿は、プレスリリースからは消えてしまったのである。ここにはどのような意図あるいは配慮が働いているのだろうか?

 既に3週間が過ぎたのであるから、当初の混乱を脱し、現場・本社共に広報(情報伝達・共有)体制の再構築を終えているべき時期である。
 それにもかかわらず、現場での行方不明社員の遺体はプレスリリースからも行方不明となってしまったのだ。この期に及んで何を考えているのだろうか?
                    (この項、2011年4月3日追記)

【註:7】
 以下、「毎日新聞(4月3日(日)13時11分配信)」と「産経新聞(4月4日(月)7時56分配信)を用いて、福島第一原子力発電所内で死亡した2名の東電社員に関する経緯を時系列で再確認しておきたい。各記事引用文の最後の( )内に、毎日新聞は「毎」、産経新聞は「産」としてある。

 両紙記事を総合すると、

 
  東京電力は3日、福島県大熊町の福島第1原発4号機のタービン建屋で地震後に行方不明になっていた社員2人を発見、死亡を確認したと発表した。(毎)

  東電によると、死亡したのは同原発第1運転管理部の小久保和彦さん(24)と寺島祥希(よしき)さん(21)。(毎)

  2人は定期検査中の4号機で、電源の操作などを担当。地震発生時は中央制御室にいたが、その後、連絡が取れなくなり、東電が捜索を続けていた。(産)

  2人は4号機の発電用タービン建屋地下の調査に向かい、津波に巻き込まれたとみられている。(産)

  タービン建屋地下1階は全域に放射性物質で汚染された水がたまり、3月24日時点の水深は約80センチ。東電は17~26日、汚染水の一部を「復水器逆洗弁ピット」と呼ばれるタンクへ排水していた。(産)

  3月30日午後3時25分ごろ、捜索していた社員が2人を発見。(毎)

  1人は水面に浮いている状態で、もう1人は水のない場所で発見された。(産)

  遺体は翌31日に運び出されて除染作業を行い、4月2日に死亡確認と家族との対面が行われたという。(産)

  東電によると、死亡推定時刻は3月11日午後4時ごろ。死因は多発性外傷による出血性ショックで、津波に巻き込まれて死亡した可能性が高い。(産)

  気象庁は同日午後2時49分に福島県などに大津波警報を発令しているが、この情報が2人に届いたかどうかは未確認だ。(産)

  東電福島事務所によると、一般的に地震発生時には、震度に応じて発電所内をパトロールする業務があるという。(産)

  東電は排水や遺体発見の事実をこれまで公表していなかった。(産)

 
…というのが「行方不明」から「発見」、そして「死亡確認」から「会見発表」までの経過となる。

 確かに4月3日の会見で「公表」はしたが、職務に忠実であったために死亡した2人の若手社員の存在は、東電のプレスリリースからは消えたのである。東電の情報公開に対する姿勢の一端が露見したものとして解釈されても仕方がないだろう。原子力発電所内での社員の死亡は優先度の低い情報であるらしい。
                    (この項、4月6日に追記)

【註8】
 3月31日(木)14時35分配信の「読売新聞」には、東電の協力会社社員による、地震直後の福島第一原発内の状況の証言がある。
 
 ◆圧力上昇◆
 協力会社の男性社員は11日午後2時46分、原発の敷地内にある建物で激しい横揺れに見舞われた。おびえた女性作業員が泣き出した。揺れがおさまり屋外に出ると、作業員が大勢施設から出てきていた。約30分後、海の方から「ゴー」という音が聞こえた。津波だった。
 1号機から300メートルほど離れた免震重要棟2階の「緊急時対策室」に現地対策本部が設置され、原発所長をはじめ、東電や協力会社の社員ら約300人が集まってきた。部屋の広さは学校の体育館の半分くらい。壁には大小のモニターがあり、東電本社内の様子も映し出されていた。
 「圧力が上がっている」「(放射)線量は○シーベルト」。作業員が慌ただしく出入りし、全員に情報が伝わるようマイクを使って現場の様子が逐次報告される。
 作業員らは、原子炉やタービン、救護など20~30人ずつの班に分かれた。異常に上昇した原子炉の格納容器内の圧力をどう下げるかが緊急の課題となり、ある班では、テーブルに図面を広げ、弁を開いて圧力を減らすベントの方法について議論を交わしていた。「圧力がこのまま上昇し続ければ、耐えられなくなる。早くベントをしないとダメだ」という声が聞こえた。
 夜が明けても、状況は好転しなかった。12日朝、視察に来た菅首相と廊下ですれ違った。

 ◆「地震か」◆
 午後3時36分頃、「ボン」という音がして、免震棟が揺れた。床に座っていた体が一瞬、浮き上がった。「直下型の地震か」。状況をつかめずにいると、モニターから流れていたニュースで白煙を上げる1号機が映し出された。水素爆発だった。
 「けが人がいる模様。救急車要請!」「線量をすぐに確認しろ!」。怒号が飛び交う。救急車のサイレンが聞こえる。
 
…というものだが、これまでプレスリリースの簡潔な表現から推測していた現場の状況が、具体的に臨場感をもって伝わってくるだろう。
 水素爆発に関してであるが、証言にある、
 
  午後3時36分頃、「ボン」という音がして、免震棟が揺れた。床に座っていた体が一瞬、浮き上がった。「直下型の地震か」。状況をつかめずにいると、モニターから流れていたニュースで白煙を上げる1号機が映し出された。水素爆発だった。
 
…という説明と、プレスリリースにある、
 
  本日、午後3時36分頃、直下型の大きな揺れが発生し、1号機付近で大きな音があり白煙が発生しました。
 
…という表現には、これまで思っていた以上に照応関係が見出される。取材された協力会社社員あるいは取材する記者にプレスリリース中の表現が影響を与えている可能性も考えねばならぬが、影響関係がなかったとすれば、現場の人間には水素爆発が「白煙発生」として観察されていたのだ、ということになる。
                    (この項、4月11日に追記)

【註:9】
 NHK(4月8日 7時17分)は、

 

 NHKが入手した資料には、地震当日の先月11日に福島第一原発の1号機から3号機で測定された原子炉の「水の高さ」や「圧力」などの値が示されていますが、東京電力などは、これまで地震の翌日以降の値しか公表してきませんでした。
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20110408/k10015172911000.html

  

…と報道した。
 東電による情報隠蔽の存在を想像させる指摘であろう。プレスリリースでは、その間の経緯がどのような形で「公表」されていたのだろうか?1号機に絞って読んでみよう。

 

     福島第一原子力発電所のプラント状況について(午後7時現在)

 1号機においては、非常用復水器で原子炉内の蒸気を冷やしており、2、3号機については、原子炉隔離冷却系で原子炉に注水しております。

 

          〔午後9時55分発表〕
   〈福島第一原子力発電所のプラント状況等のお知らせ〉
          (3月11日午後9時現在)

1号機(停止中)
 ・原子炉は停止し、非常用復水器で原子炉蒸気を冷やしております。
 ・現時点において、原子炉容器内での冷却材漏洩はないと考えております。

 

          〔午前0時30分発表〕
     〈福島第一原子力発電所のプラント状況等のお知らせ〉
          (3月12日 午前0時現在)

福島第一原子力発電所は全号機(1~6号機)停止しております。
1号機(停止中)
 ・原子炉は停止し、非常用復水器で原子炉蒸気を冷やしております。
 ・現時点において、原子炉の水位低下により、放射性物質が放出される恐れがあるため、国から、半径3km以内の地域住民に対して避難指示、半径3kmから10km以内は屋内退避の指示が出されています。

 

…という記述とNHK報道との照応関係を検証すると、「3月11日 午後9時現在(ただし午後9時55分発表)」のリリースには原子炉水位に関する言及はないが、「3月12日 午前0時現在(午前0時30分発表)」のリリースには、

  現時点において、原子炉の水位低下により、放射性物質が放出される恐れがあるため、国から、半径3km以内の地域住民に対して避難指示、半径3kmから10km以内は屋内退避の指示が出されています。

…との記載がある。東電は原子炉水位低下を、「3月11日 午後9時現在(ただし午後9時55分発表)」と「3月12日 午前0時現在(午前0時30分発表)」の間の時点で政府に報告し、その結果として「半径3km以内の地域住民に対して避難指示、半径3kmから10km以内は屋内退避の指示」という対処がなされたことになる。
 プレスリリースを読む限り、その経緯の中での東電の対応自体に大きな問題は見出せない。情報隠蔽とか虚偽報告という問題ではないように思われる。

 ただし、なぜ、「東京電力などは、これまで地震の翌日以降の値しか公表してきませんでした」のかについては、検証の余地は残されてはいるだろう。
                    (この項は、4月11日に追記)

 

 

 

 

(オリジナルは、
 投稿日時 : 2011/03/28 14:42 → http://www.freeml.com/bl/316274/161119/
 投稿日時 : 2011/03/29 22:18 → http://www.freeml.com/bl/316274/161179/

 

 

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2011年3月24日 (木)

わたしはここにいる 広瀬美紀写真展

 

 新宿のニコンサロンで開催されていた、広瀬美紀写真展「わたしはここにいる requiem 東京大空襲」を観に出かけたのは春分の日、写真展の最終日でもあった。

 

 

 3月11日の東北関東大震災、そして原発事故の渦中の外出である。東京電力による「計画停電」が実施される日々であり、利用したJR中央線も暖房は切られていた(アナウンスがあってはじめて気付いたことではあるが)。春分の日というのに、寒い雨模様の一日。

 

 

 

 会場内に並んでいるのはモノクロプリント(木製フレームに収められた、多分、四つ切サイズのプリント)。そして被写体の多くは、公園やグラウンド。都内の何の変哲もない公園だったりグラウンドだったりの光景。それも現在の光景だ。

 キャプションを読むことで、どのような公園、どのようなグラウンドを写真家が目の前にしていたのかがわかる。

 たとえば、DMにも用いられていた写真は、「仮埋葬地#41 埋葬体数504」というタイトル。滑り台などの遊具のある公園には504体の東京大空襲犠牲者の遺体が「仮埋葬」されていたのだ。

 現在の、21世紀の、ありふれた都内の公園やグラウンドの光景と、昭和20年3月10日の情景が重なる瞬間だ。10万人の死者が出た「大空襲」の情景。

 死者は埋葬されねばならない。死者の多くは「身元不明」である。家族が全滅、ご近所一帯が全滅という「大空襲」の様相が、「身元不明」の死者の背景である。死者が誰であるかを確認出来る人間も死者の一員なのである。

 「身元不明」であっても死者は埋葬されねばならない。

 

 

 

 以前に書いた文章、「東京大空襲」とは関係なく書いた文章を、ここに再録しておこう。

 

 

  ホロコーストの歴史に立ち向かう時、あの絶滅収容所の効率的な殺害システムが、その当初、抱えていた欠陥を知ることになるだろう。
  当初ドイツ人たちは、確かに効率的な殺害には成功したが、死体処理システムの設計を怠っていたために、大いに不愉快な状況に直面させられることとなった。もちろん、効率的な大量殺害自体が大いに不愉快な事態なのであるが、それは絶滅収容所の運用に関与していたドイツ人達からすれば無意味でセンチメンタルな感情であったに過ぎない(彼らからすれば、ということだが)。
  彼らが直面させられたのは、処理されないままに積み上げられた大量の死体が生み出す現実なのであった。
  耐え難い悪臭を放ちながら腐乱していく死体(の山)。
  もちろん、有能で勤勉なドイツ人達は腐乱死体の山を座視し続けることはなく、焼却処理のシステムを組み上げることにより、その問題に対処していくことになる。
 
  ナチズムに忠誠を誓ったドイツ人達にとって、効率的に殺害されたユダヤ人の死体の処理は、糞いまいましい問題であったに違いない。
 
  話を戻すが、神が聖なるイメージを負わされる存在であるのと同様に(とまでは言い切れないような気もするが)、生きている人間にも聖性を感じさせられる瞬間がある。特に死体との対比において、生きている人間は、穢れとしてイメージされる死体に対し、聖性を帯びた存在として立ち現れることになる。
  しかし同時に、死体とは、生きた世俗を離れた存在なのである。穢れだからこそ触れてはならぬ存在であると同時に、毀損してはならぬ聖性を帯びた存在としても立ち現れるのである。
 
  絶滅収容所の運営に当たっていたナチズムに忠実なドイツ人にとっては、そもそも死体にされるべきユダヤ人は、下等人種であり、軽蔑され排除されるべき既に汚れた存在なのであった。
  しかし、死体となったユダヤ人達は、優越なるドイツ人の死体と同様に腐敗し、その処理を迫る存在となって彼らの前に山を築いたのである。腐乱することにおいて、人種の相違など吹き飛んでしまっているのだ。積み上げられた死体の腐敗する臭気の中に、人種主義の愚劣さが露呈する瞬間であった。死体となった汚れたユダヤ人が、聖なる悪臭を放ち、人種主義者を覆い尽すのだ。

 

 

…という文章を書いた自分を思い出しながら、モノクロプリントの公園やグラウンドの静かな光景に向き合っていた。かつての私は、その翌日、この文章を、

 

 

  幸いなことだと思うが、私には、人間の死体の臭い、死臭の中で暮らした経験もない。

  ……

  幸いにも、これまで、周囲が戦場となることもなく、大地震・大災害に見舞われるという経験もない。処理されない死体と共に暮らさねばならぬ状況とは無縁に過ごすことが出来ている。
 
  昨日は、ナチスの絶滅収容所における死体処理システム構築を話題として取り上げた。
  大きな穴を掘り、トラックの車台を組み合わせた上に死体を積み上げ、順次焼却することで、絶滅収容所の運営者は問題を解決したわけだが、焼却処理の対象は既に腐敗が進んだ死体なのである。悪臭の中での作業となったことは確かだ。
 
  そこで思い出したのは、1945年夏のベルリンの情景である。ベルリンフィル関係者の日記中のエピソードとして読んだ記憶があるが、5月のナチスドイツ降伏に至る市街戦の死者の埋め直し作業の情景が、臭気と共に描かれていたのである。
  作業には、かつてのナチ党員が狩り出され、炎天下のベルリンで、簡易埋葬されていた市街戦の死者の死体を掘り出し、埋め直すのである。読み進めながら、その腐乱死体の臭気を強調する、夏のベルリンという条件を思ったものだ。
 
  大日本帝國の降伏は、まさに真夏の出来事であった。
  そこにも臭気との闘いがあったはずである。
  文書記録にも、画像・映像にも、臭気は記録されない。しかし、大量の死者の存在は、嗅覚上の出来事としても経験されていたはずなのである。

 

 

…と続けたものだ。

 「仮埋葬」であったということは、いつか遺体は掘り返され正式に葬られることになる。写真のキャプションには、遺体の掘り起こし時の証言の添えられたものがあった。「臭い」の話、そして作業に狩り出された「囚人」の話。ベルリンの夏の情景と重なるだろう(註:1)。

 文章は三日目に続く。

 

 

  人の死は、腐敗へのスタートであり、そこから先は生ゴミの腐敗過程と同様の変化が、かつて生きていた身体を襲うのである。
 
  現代日本では、通常、人はそれぞれに死を迎えるのであり、死体と化した身体は、それぞれに相応の取り扱いを受けることになる。病院で迎える死であれば、自身の身体が腐乱状態に至る以前に適切に処理されることは、ほぼ確実であろう。
  個別の死には、個別の対応が可能なのである。
 
  一昨日以来の話題に戻れば、絶滅収容所での効率的な大量殺害は、事前に効率的な死体処理システムを構築しなかったことにより、適切に処理されない死体の山として結実したわけである。腐敗を続ける死体の山、なのである。
  そこにあるのは個別の死ではなく、効率的な大量殺害であった。
  しかしやがて、絶滅収容所の運営スタッフは、効率的な焼却システムを導入することにより、効率的な大量殺害に対し、効率的な死体焼却で対応することになる。そこには、個別の死は存在せず、個別の葬送も存在しない。
  人は統計上の数字として殺され、死体は統計上の数字として処理されるのである。
 
  腐敗する生ゴミ状態の死体が発するのは、その存在を主張するのは、臭気という形式のメッセージであろう。
  死体の存在が目には見えなくとも、肉塊の腐敗過程は、不快な臭気としてその存在(死んだ肉体の存在)を主張するのである。見ないふりは出来ないのだ。
  目を閉ざしても、臭気が、容赦なく襲うのである。
 
  絶滅収容所の設立に関与した優秀なナチス党員達は、不愉快な臭気に覆われるという事態として死体処理システムの事前設計を怠ったことの不用意さを味わった後は、すべてを一連の処理過程として構築することで対処することが出来た。
  なぜならば、効率的な大量殺害と、効率的な大量の死体処理は、計画的に運営すべき日常業務として、彼らの課題となっていたからである。
 
  戦場において、そして地震等の大規模災害現場において、人が直面させられるのは、計画的処理が成立しない状況である。死者数は予測出来ず、死者の所在確認も容易ではない。事前に組み上げられるからこそ「計画」なのであって、出来ることは現状への対応、事後対応だけなのである。
  その中で人は死に、その肉体は腐敗し始める。

 

 

…その翌日の文章は、

 

  正確に言えば、昭和二十年の夏には、既に沖縄の戦闘は終了し、大都市に対する米軍の空襲も一巡し、「外地」は別として、処理能力を超えた大量の死者が本土の人々を悩ませる段階は過ぎていた。

  しかし、より正確に言えば、昭和二十年の夏の空の下、広島と長崎の人々は、原子爆弾投下後の惨状の中に日々を送っていたのである。

 

…と続き、昭和20年夏の広島の情景の詳細が、当時の記録から引用されていた(あまりに長くなるので、本文には「再録」しないが「註:2」として加えておいた)。

 かつて東京大空襲の犠牲者の仮埋葬地であった場所の写真を目の前にして、そんなことを考え書いていたかつての自分がよみがえる。

 そして、昨夜のニュースでは、東北関東大震災の犠牲者の仮埋葬が始まったことが伝えられていた。

 

 

 「臭い」の話に戻れば、「東京大空襲」は焼夷弾の大量集中投下による大火災に特徴付けられる歴史的経験でもある。焼き尽くされた東京。つまり、そこには焼跡の臭いもある。

 個人的経験だが、自宅の数百メートル先で放火事件があり、二棟ほどが全焼した。焼け落ち炭化した宅地の前を通る度に、しばらくの間、焼跡特有の臭いを嗅いだものだ。大空襲で焼けたのは二棟ではなく、街そのものであった。焼け焦げた臭いが世界を覆っていたのだ。

 21世紀の、かつての仮埋葬地の写真である。言うまでもないが、写真には臭いはない。しかし、私の内部では、かつて嗅いだ焼跡の臭いがよみがえる。

 

 

 

 ここでは、普段あまり意識しない形での、写真の持つ力が体験されていたのだ。

 写真の画像そのものの後ろに、観る者の想像力に伴われた様々な経験が嗅覚にまで及ぶ喚起力と共に拡がるのである。

 

 繰り返すと、会場に並べられたモノクロ写真は、ありふれた・何の変哲もない都内の公園やグラウンドを撮影したものである。技巧を凝らすというわけでもなく、真っ直ぐに撮られた写真だ。

 タイトル、キャプションを読むことで、21世紀のありふれた・何の変哲もない公園やグラウンドが、1945年3月10日の夜とその後の仮埋葬作業、そして遺体の掘り出し作業の情景を背負ったものであることが理解される。ありふれた・何の変哲もない光景の背後に、思いもよらない世界の経験・意味が隠されていたことに気付くわけである。

 画像として写されているわけではないが、そのモノクロプリントの背後にある人間の経験、つまり土地の歴史が、観る者の前に立ち上がるのだ。画像自体が語っているわけではないが、モノクロプリントを前にした者の内部で、歴史が語りだすのだ。

 かつて目にした、平野正樹によるサラエボの美的な弾痕や東チモールの美しい焼跡の画像。米田知子の撮影したノルマンディーの海岸やサイパンの小道の静かな光景。そんなものを思い出したりもする。その画像の撮影地のかつての情景、土地としての歴史(つまり人間の経験)が、キャプションを介して観る側のものとなり、目の前の画像がまったく異なる様相を持って迫ってくることになる。

 

 同時に、東京の何の変哲もない街角が、様々な歴史的経験を背後に持っている事実にも気付かされるだろう。今歩いている道路脇には、焼け焦げた死体の山があったのかも知れないのだ。

 写真を見た経験が、写真展会場の外に拡がる東京の現実世界の見え方まで変化させることになる。

 

 

 

 会場内にいらした広瀬美紀さんとは短い会話を交わすことが出来たのだが、ここでは次のエピソードを書き残しておきたい。

 

 陽のあたらない土の上にある縦長のレンガ造り鉄扉付きの焼却炉(?)が、画面中央に写されている。そんな一枚についての話。

 これまでに書いたように、ナチスの絶滅収容所の死体処理の情景を重ね合わせながら会場内の写真を観ていた私の前に、収容所施設に組み込まれた死体焼却炉を連想させる画像が出現したのである。そんな絶滅収容所施設の話をした上で、写されていたのが実際に焼却炉なのかどうかを広瀬さんに伺ってみたわけだ。

 写されていたのは、確かに焼却炉であった。そこはお寺の境内で、大空襲後の仮埋葬地として提供された場所だったのである。

 戦後、仮埋葬された遺体を掘り出した後に、ご住職が焼却炉を据え置くことで他の形での土地利用を防止し、いわば仮埋葬地としての土地の保存を意図したものであったらしい。焼却炉は使用するためのものではなく、仮埋葬の歴史を保存するためのものであったということらしいのであった。

 

 

 

 

 会場を後にした私は、停電におびえる震災後の東京(註:3)に、照明により無駄に明るかったかつての世界とは異なる暗い街並みの中に歩みを進めながら、目の前の新宿の光景と絶滅収容所施設と原発施設と大空襲後の東京と被災地の惨状とが重なる歴史的瞬間を味わうことを迫られていた。都内のありふれた公園やグラウンドのモノクロ写真を観てしまったことによって(註:4)。

 

 

 

【註:1】
 会田雄次の『アーロン収容所』の中でも有名な「イラワジ河の鉄道隊」をめぐるエピソードも、仮埋葬された「棺を掘り出し、別の場所へ移す仕事」に従事させられた、英軍の管理下にある日本兵の身の上に起きた話であった。

  二十一年の初秋ごろだったか、雨季あけの心地よい季節であるのに、私たちの隊は特に憂鬱だった。じつに嫌な仕事が廻ってきたのである。兵隊たちの言葉でいえば隠亡(おんぼ)作業、つまり英軍墓地の整理である。
  終戦前後からそのころまで続々戦傷戦病死するイギリス人やインド人は、仮墓地に応急的に埋葬された。それが不規則で乱雑だったので、整頓することになったのであろう。
  私たちに与えられたのは、棺を掘り出し、別の場所へ移す仕事である。…
  …
  ほとんどの死体は腐乱最中である。…

 会田雄次 『アーロン収容所』を読む 1 (イラワジ河の鉄道隊)
 → http://uma-sica.cocolog-nifty.com/blog/2011/02/post-1b2e.html

 私たちの意識に上ることは少ないが、戦争とは死者を「仮墓地に応急的に埋葬」するしかない状況を生み出すものであり、戦後とは「棺を掘り出し、別の場所へ移す仕事」から始まるものなのである。

【註:2】
 本文からは外した「昭和20年夏の広島の情景の詳細」を、「註」の形でここに「再録」しておきたい。

 今回の東北関東大震災の報道に接して、何より強烈なイメージとして迫ってきたのは、あの空前の大津波に襲われ、地上から拭い去られた街並みの姿であった。
 被爆後の、なぎ倒され焼き尽くされた広島の空からの光景と、大津波に襲われ洗い流されたような東北の街並みの空撮画像が、私の中では重なって感じられたのである。コンクリートの頑丈な建物を残して、他のすべてが消えた地上の姿を俯瞰する映像には、ただただ圧倒されていた。

 同時に、その地上に残されていたのは、原爆の被爆者であり、やがて原発の被曝者となる(かも知れぬ)人々なのである。

 このダブルイメージを、あらためて自分の中に確認したがゆえの「再録」行為である。

 

   その日
  いちめん蓮の葉が馬蹄形に焼けた蓮畑の中の、そこは陸軍被服廠倉庫の二階。高い格子窓だけのうす暗いコンクリートの床。そのうえに軍用毛布を一枚敷いて、逃げて来た者たちが向きむきに横たわっている。みんなかろうじてズロースやモンペの切れはしを腰にまとった裸体。
  足のふみ場もなくころがっているのはおおかた疎開家屋の片付に出ていた女学校の下級生だが、顔から全身にかけての火傷や、赤チン、凝血、油薬、包帯などのために汚穢な変貌をしてもの乞いの老婆の姿のよう。

   五日目
  手をやるだけでぬけ落ちる髪。化膿部に蛆がかたまり、掘るとぼろぼろ落ち、床に散ってまた膿に這いよる。
  足のふみ場もなかった倉庫は、のこる者だけでがらんとし、あちらの隅、こちらの陰にむくみきった絶望の人と、二、三人のみとりてが暗い顔で蠢き、傷にたかる蠅を追う。高窓からの陽が、しみのついた床を移動すると、早くから夕闇がしのび、ローソクの灯をたよりに次の収容所へ肉親をたずねて去る人たちを、床にころがった面のような表情が見おくっている。

   八日目
  がらんどうになった倉庫。歪んだ鉄格子の空に、きょうも外の空き地に積み上げた死屍からの煙があがる。

  柱の蔭から、ふと水筒をふる手があって、
  無数の眼玉がおびえて重なる暗い壁。
  K婦人も死んだ。
  -収容者なし、死亡者誰々-
  門前に貼り出された紙片に墨汁が乾き
  むしりとられた蓮の花辺が、敷石の上に白く散っている。
 
 峠三吉の「倉庫の記録」にある描写である(ただし直接の引用ではなく、『原爆を見た建物』 西田書店 2006 による)。
 
 これが、昭和二十年の夏、広島の人々の前に展開した世界の情景であった。
 
 『原爆を見た建物』(山下和也 井出三千男 叶真幹 の共著書である)は、被爆後も残された建築物をめぐる調査記録であるが、ここで同書中にある被爆後の広島の情景を少し引用しておこう。
 
   広島逓信病院
  当日に収容された重傷者は250人に達した。しかし激しい下痢・吐血などが出始め、被爆後3日でほとんどの重傷者は死亡した。それが放射線によるものだと分かったのは、顕微鏡の到着で白血球の減少を知り、解剖によって症状を確認する3週間後のことであった。
  全壊全焼した爆心地からおよそ2キロメートル以内で残った医療施設は、この逓信病院と日赤だけであり、救護と医療面で果たした役割は大きい。自らも負傷しながら、救護に当たった蜂谷道彦医師が綴った「ヒロシマ日記」は、世界中で翻訳され、大きな反響を浴びた。

   陸軍船舶練習部 (現・マツダ宇品工場)
  原爆によりガラスが割れるなどしたものの、被害は比較的軽微であった。構内の負傷者の手当てや整理復旧を急いでいた午前9時過ぎには、負傷した市民が避難し、重傷者は運ばれ、翌7日の朝には3千から4千人の患者で埋め尽くされた。
  9日にはこの建物内に臨時陸軍野戦病院(第1陸軍病院宇品分院)が設置され、延べ6千人が収容されたが、その中には外傷を負っていない死亡者も多数みられた。
  この間、8日には理化学研究所の仁科芳雄博士らが到着し、ここで無傷遺体の解剖が行われ、これら死体には放射線の影響が認められ、投下されたのは原子爆弾であることが確認されたのである。

   広島陸軍被服支廠
  原爆によって、3キロメートル近く離れているこの建物も、鉄扉が湾曲するほどの被害を受けたが、火災は発生せず、直後から臨時救護所となり、多くの被爆者は医薬品も少なく、食糧もなく、汚穢にまみれ、死臭を発しながらここで息を引き取った。その凄惨な地獄の様子を詩人・峠三吉は詩「倉庫の記録」に生々しく描写している。
 
…これが峠三吉の見た光景であり、広島市民の前に展開した世界の情景であった。
 
 既に私たちには、この世界を視覚的光景としてのみではなく、様々な臭いに包まれた情景として理解する準備が出来ているはずだ。
 
 
…と、かつての私は書いたのだが、新宿の写真展会場で、空襲で焦土と化した東京の空撮映像までをイメージしながら、あの夏の広島と現在只今の被災地に思いを馳せていたのである。

【註:3】
 大岡昇平は、『俘虜記』に収められた「八月十日」と題された文章(昭和20年8月10日、つまり原爆投下直後にして「終戦」直前の、大岡が囚われていたフィリピンの捕虜収容所でのエピソードである)に、
 
 十万以上の人命が一挙に失われ、なお恐らく同数が、徐々に死なねばならぬ惨禍は空前である。しかしよく考えてみれば、程度の差こそあれ、最初に大砲の殺戮力を見た中世人も同様に感じたであろう。さらに遡れば最初矢によって貫かれ、あるいは鉄刀によって切り裂かれた隣人を見た原始人も、同じに感じはしなかったであろうか。すべて新しい惨状は第三者に衝撃を与えずにはおかないが、しかし死ぬ当人にしてみれば五十歩百歩ではあるまいか。
 レマルクは砲弾によって頭を飛ばされ、首から血を噴きながら三歩歩いた人間を物珍し気に描き、メイラーもまた首なし死体を克明に写しているが、こういう戦場の光景を凄惨と感じるのは観者の眼の感傷である。戦争の悲惨は人間が不本意ながら死なねばならぬという一事に尽き、その死に方は問題ではない。
 しかもその人間は多く戦時或いは国家が戦争準備中、喜んで恩恵を受けていたものであり、正しくいえば、すべて身から出た錆なのである。
 広島市民とても私と同じ身から出た錆で死ぬのである。兵士となって以来、私はすべて自分と同じ原因によって死ぬ人間に同情を失っている。
          (新潮文庫 308~309頁)
 
…と書いていた。
 
  こういう戦場の光景を凄惨と感じるのは観者の眼の感傷である。
  戦争の悲惨は人間が不本意ながら死なねばならぬという一事に尽き、その死に方は問題ではない。
 
…という一文それだけを取上げるのと、それに続く、
 
  しかもその人間は多く戦時或いは国家が戦争準備中、喜んで恩恵を受けていたものであり、正しくいえば、すべて身から出た錆なのである。
  広島市民とても私と同じ身から出た錆で死ぬのである。兵士となって以来、私はすべて自分と同じ原因によって死ぬ人間に同情を失っている。
 
…という文章と一体のものとして読むのでは、若干、意味に違いが生まれる。

 前者のみであれば、大規模自然災害の死者も含まれ得る。大地震や大津波の死者、つまり今回の東北関東大震災の死者も含まれ得るだろう。そこに生まれるのは、
 
  地震であれ津波であれ大規模自然災害の悲惨は人間が不本意ながら死なねばならぬという一事に尽き、その死に方は問題ではない。
 
…という認識である。起こり得る地震規模や津波の規模を想定した防災計画を策定し、防災訓練を重ねて来た人々の死の悲惨は、それが圧死であろうが焼死であろうが溺死であろうが、確かに「人間が不本意ながら死なねばならぬという一事に尽き」る。しかし、そのような自然災害の死者の悲惨を後者の文意と一体化させることは出来ない。

 後者に連なるのは「大震災」そのものによる死ではなく、原発事故による死(の可能性)である。

 今になって放射能汚染におびえる都会人こそは、
 
  しかもその人間は多く原子力発電所が供給する電力とその存在から、喜んで恩恵を受けていたものであり、正しくいえば、すべて身から出た錆なのである。
 
…と言われるしかない存在なのだ。福島県民にもまた、原発の存在に利益を見出していたからこそ、その存在を容認していた側面があることは否定出来ないが、それ以上に快適な都会生活維持の被害者である側面も否定出来ない。

 都会の浄水施設に降る放射能におびえる都会人の姿は、まさに「身から出た錆」なのである。

【註:4】
 戦争であれ、災害であれ、20世紀以前には、絵画のみが視覚的な記録手段であった。それは画家という専門職の仕事であった。
 20世紀になると、戦争や災害の視覚的記録の作成は、写真や映画に担われることになる。
 初期には撮影機材は大型であり重いものであった。操作にも熟練を要し、記録作成は、専門職としてのカメラマンの仕事だったわけである。
 やがて機材は小型化され、様々な操作も自動化されはしたが、20世紀の戦争や災害の視覚的記録の多くは、依然として専門職としての写真家に担われ続けた。
 
 21世紀になって、その様相は一変した。携帯電話の登場に続き、撮影機能が追加される。
 結果として、専門職ではない一般市民が、戦争や災害の現場から瞬時に画像を、それも世界に向けて発信することが可能になってしまったのである。専門職の独占が失われると共に、かつてはフィルムの現像からメディアへの印刷あるいは映画館での公開という、撮影時から公開時までの時間差が存在したが、今はすべてが瞬時に行なわれ、現場とモニター画面の前に時間差は存在しない。
 今回の大震災の津波についても、その圧倒的な力を示す映像の多くが一般市民により撮影された事実がある。20世紀における視覚的記録のあり方からは、短い期間で大きな変貌を遂げているのだ。
 
 
 ここで、広瀬美紀の撮影した何の変哲もない都内の公園やグラウンドの画像と共に、本文中で取上げた平野正樹や米田知子の写真の意味がクローズアップされるのかも知れない。
 そこでは戦争や災害の現場そのものではなく、かつて戦争にかかわった土地が、彼らの「作品」として撮影され、私たちの前に提供されているのである。そこでは、その土地に対する写真家の視線のあり方が視覚的に記録され、作品としての写真を前にした者に共有されることになるわけだ。
 写真家であることの意味、写真家の仕事の意味もまた変容していることを示しているように思われる。

 

 

 

〔付記〕
 東京大空襲の経験そのものを取扱った記事として、

 「生き残るということの意味」
 → http://uma-sica.cocolog-nifty.com/blog/2008/12/post-c9f0.html

…がある。併せ読んでいただけると、より立体的に「かつて起きたこと」が理解出来るものと思う。

 

 

 

 

(オリジナルは、
 投稿日時 : 2011/03/23 20:41 → http://www.freeml.com/bl/316274/160777/
 投稿日時 : 2011/03/24 18:13 → http://www.freeml.com/bl/316274/160852/
 

 

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