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2011年2月28日 (月)

『アーロン収容所』を読む 3 (日本人がよくやったような、なぐったり蹴ったりの直接行動)

 

 シリーズの前回には、会田雄次の『アーロン収容所』にある、

  たえずなぐられ蹴られる目にあったというわけでもない。
               (「まえがき」2頁)

  日本人がよくやったような、なぐったり蹴ったりの直接行動はほとんどない。
               (63頁)

…という記述の存在について指摘したが、ここには、

  なぐられ蹴られる

  なぐったり蹴ったり

…という二様の表現があることにも留意しておくべきだろう。

 前者では、「なぐられ蹴られる」という受動的な存在(つまり暴力行為の被害者である)として提示されているのに対し、後者では、「なぐったり蹴ったり」する側の能動的行為者(暴力行為の加害者)として位置付けられている。

 前回には、 

  日本人もまた、朝鮮人、支那人、満人…といった、大日本帝國の統治下・占領下に置かれた人々を対等な存在として取扱おうとはしなかったが、そこでの日本人の優位は、恒常的・直接的な暴力(殴る日本人である)によって示されるものであった。つまり、そこでは、暴力行使の非対称性が、支配関係の優劣を明示するのである(常に殴られる側と常に殴る側の関係として)。

…ということも書いたが、ここにあるのは、会田が書いた「日本人がよくやったような、なぐったり蹴ったりの直接行動」が、日本人ではない人々に向けて行使された場面である(日本人は暴力を行使する側に位置し、つまり「加害者」である)。

 しかし、これも前回に書いたことだが、そこには同時に、

  皇軍内での日常的な暴力行使の実状(そこでは上級者と下級者の関係が、暴力行使の非対称性により再確認され続けるのである―下級者は一方的に殴られ続けられる存在だ)

…という問題もある。そこでは、「なぐられ蹴られる」のも日本人なら、「なぐったり蹴ったり」するのも日本人なのである(つまり「被害者」も「加害者」も日本人である)。もちろん、そのような日本人内部の経験・行動様式の延長として(つまり日本人にとり「当たり前」の行為として)、「大日本帝國の統治下・占領下に置かれた人々」への「なぐったり蹴ったりの直接行動」が引き起こされてしまったわけである。

 

 
 

 ここでは、まず、「なぐったり蹴ったり」が当然とされる世界で、「なぐったり蹴ったり」が引き起こされなかった例外的状況の記録を読んでおきたい。

 

 元来我輸送大隊ハ渡兵団(第十四軍)補充隊トシテ、マニラ周辺ノ警備ニ就ク予定デアッタガ、内地参謀ト現地参謀ノ間ニ意見ノ相違アリ(端的ニイエバ現地参謀ハ我々ノ如キ装備訓練劣等ノ兵隊ハ要ラナイトイッタ由)、着クニハ着イタガ、現地デハ我々ヲ作戦通リ使用スル意志ナク、然ルベキ兵器弾薬モ支給サレズ、僻地ノ警備ニ当テラレタノデアル。
 シカシコノ混乱カラ我々兵士ハ一ツノ利益ヲ受ケタ。即チ我々ハ上官トシテ将校(准尉欠)下士官(曹長欠)ヲ戴クノミデ、カノ班内ノ暴君上等兵ヲ持タズニ済ンダコトデアル。住地ニツクト下士官ハ別室ニ集マッタカラ、我々ハ少クトモ班内デハ平等デアッタ。
 カツ中隊長ノ方針デ我々ノ教育(我々ハ前線ニ着イテモナオ教育中ト見做サレタ)ハカナリ寛大ナモノデアッタ。頬打(ビンタ)ハメッタニ行ナワレズ、演習モ必要以上ノ過激ニ至ラナイ。
     大岡昇平 「西矢隊始末記」 『俘虜記』所収 新潮文庫 昭和42年(原著は昭和27年刊)

 

 昭和19年7月、フィリピンでの話である。「兵ノ三分ノ二ガ昭和七年徴集ノ三十四、五歳、三分ノ一ガ昭和十八年徴集ノ二十一歳の補充兵デアッタ」中の、35歳の補充兵の一人が大岡であった。三十代半ばの兵士が最前線に送られるというのは、それだけで軍事的に追いつめられた事態を意味しているのだが、到着したフィリピンでの大岡が、

  班内ノ暴君上等兵ヲ持タズニ済ンダコト

  我々ハ少クトモ班内デハ平等デアッタ

  頬打ハメッタニ行ナワレズ

…と記していることの意味を、ここでは味わっておきたい。

 つまり大岡の記述から反語的に読み取れるのは、「班内ノ暴君上等兵」の存在により、「班内デハ平等」であることはなく、「頬打」が頻繁に「行ナワレ」ている状態が基本であった、皇軍内の初年兵の日常なのである(註:1)。

 つまりそこでは、「なぐられ蹴られる」のも日本人なら、「なぐったり蹴ったり」するのも日本人なのであった。

 帝國陸軍をめぐり、兵隊の経験のある世代には当たり前の話題として語られていた「内務班」での凄惨な「しごき」や「私的制裁」を体験談として聞く機会が失われつつある現在であるからこそ、かつての日本の軍隊内の日常風景を大岡や会田の記述から読み取る力をなくさないようにしたい。

 

 

 

 「大日本帝國の統治下・占領下に置かれた人々」への日本人の態度を考える上で、大岡がフィリピンへと送られたのと同じ昭和19年に刊行された、日本放送協会編の『日本教育の道統』(日本放送出版協会 昭和十九年十月二十日発行)を読んでおくことにしよう。

 読むのは同書に収録された、幣原坦文学博士による「大東亜建設と次代育成」と題された文章である。大東亜戦争下、博士の問題意識は、

 

 かやうに、何れの地域においても、今日は皆日本の方を向いてをる。これ一には、日本の武力に信頼するの外がないことを知つてをるのと、また一には、米英蘭等の圧迫搾取の悪夢より覚めたのとに依るのであらう。然し彼等は、たとひこの悪夢より覚めたとしても、日本人が果して、米英蘭に優つてゐるや否やと、事毎に比較して、注意の眼を見張つてゐる。原住民は、概して単純で、而も着目の鋭いことは、恰も小児の場合と同じであるから、目の当り日本人が、過去の英米蘭に優つてゐるならば、いつ迄もこちらを向いてゐるけれども、若しこれに劣つてゐると見たならば、何時あちらを向いてしまうか、知れない状態である。
 いかなる事があつても、大東亜の新建設は、わが国民の総力を以て完成しなければならぬのであるから、次代の育成も、またこの線に沿ひ、決戦体制に則つて、皇軍と一体となり、この大戦に勝ちぬいて、建設の大業を遂げ、民族指導の大試験に及第せなばならぬ立場は、抜き差しならぬ所である。国民教育者も、最早旧体制の観念論や、教科書の内容を図解することなどに浮身をやつすやうな、上滑りに終始すべきでなく、次の代に、道義亜細亜の建設者として立たしめる青少年の練成には、より深刻にして、より底力ある、準備をなさしめる必要があるであらう。その日常の生活に具現せられる準備は、眼前の事実を通じて為されるのではあつても、着眼の処は、素より高所大局にあるべきである。

 

…というものであった(もちろん、オリジナルは旧字体表記である)。

 大東亜戦争の開戦により、「日本の武力」は、アジア地域を「米英蘭等の圧迫搾取の悪夢」から解放したわけだが、そのアジアの、

  原住民は、概して単純で、而も着目の鋭いことは、恰も小児の場合と同じであるから、目の当り日本人が、過去の英米蘭に優つてゐるならば、いつ迄もこちらを向いてゐるけれども、若しこれに劣つてゐると見たならば、何時あちらを向いてしまうか、知れない状態…

…にあるというわけだ(幣原博士の記述の背景となっているのは、南方での「原住民」に対する占領統治の経験である)。そこに、

   いかなる事があつても、大東亜の新建設は、わが国民の総力を以て完成しなければならぬのであるから、次代の育成も、またこの線に沿ひ、決戦体制に則つて、皇軍と一体となり、この大戦に勝ちぬいて、建設の大業を遂げ、民族指導の大試験に及第せなばならぬ立場は、抜き差しならぬ所…

…であるとの、次世代教育という課題への認識が生まれる。その先で幣原博士は、

  我々は、国体の精華を凝視し、皇民の本分に徹し、中外に施して悖らざる大道を邁進するあるのみであるが、更にわが国の現状において、大東亜建設の為に、各地域の民族に臨む準備としては、差向き左の如き修練を以て、青少年の習慣性としたいと思ふのである。

…と十項目の提言をしているが、その中にある、

  一 国民の品位を墜さぬこと―このことは米英蘭も、最も注意してゐた。彼等は、人の見ていない所では可なり悪いことを行ふが、人の面前にては、自戒自粛して醜態を暴露せず、どこまでも自分等は、上等な国民であると見せかけてゐた。我々日本人は、露骨にして裏表のないのは一面美点ともいへるが、行儀が悪くして、原住民の反発をかひ、甚しきは原住民との間に殺傷事件を生ずることは、南方から帰った人々が、異口同音に唱ふる所である。三百年前、礼儀の民として賞賛を受けた国民が、今俄にかく変化したとは考へられないところである。恐らく他の住民を軽く見る結果かと思はれる。何れにしても、次代の育成上、考慮すべきことであると思ふ。

  三 生活安定の注意―何れの処とても同様であるが、特に原住民の場合においては、先づ以て生活を安定せしめるのが要件である。彼らの信仰慣習を無視したり、一個人の感情を以て彼らを苦しめたりすることなく、而して、衣食住の満足を得しめる工夫をしてやるのが大切である。

  八 小事を忍んで、大事を決行する勇気―小事に腹を立てて、個人の感情を以て人の頭を打つやうなことは、我々日本人の間に少なくない。原住民の多くは、人の霊が頭の中に宿ると信じてゐるから、頭を打たれることは、殺されるに等しいと思つて反抗する。何分にも小事に気を取られることなく、而も東亜建設の為に為さねばならぬ大事は、何の躊躇もなくこれを断行する勇気を要する。次代育成の為には、幼き時より、小事と大事とを見極める見識を養つておく必要がある。

…といった「次代育成」・「青少年の練成」の要点には、反語的に、大東亜諸地域における日本人の振る舞いの実状が反映されていることに気付いておくことは重要である。幣原博士は、控えめな表現ながら、

  行儀が悪くして、原住民の反発をかひ、甚しきは原住民との間に殺傷事件を生ずることは、南方から帰った人々が、異口同音に唱ふる所

  彼らの信仰慣習を無視したり、一個人の感情を以て彼らを苦しめたりすること

  小事に腹を立てて、個人の感情を以て人の頭を打つやうなことは、我々日本人の間に少なくない

…などの事象(註:2)を、南方での日本の占領統治の際に噴出した「我々日本人」の問題点として指摘しているのである。博士にとってそれらの諸点が、「我々日本人の間に少なくない」・「南方から帰った人々が、異口同音に唱ふる所」(註:3)として問題視されているというところに、私たちは留意しなければならない(博士は特殊な事例としてではなく、一般的に観察される問題として提示しているのである)。

 博士は、まさに「日本人がよくやったような、なぐったり蹴ったりの直接行動」に心を痛めているのだ(註:4)。

 

 

 

 

(註:1)
 飯塚浩二 『日本の軍隊』(岩波同時代ライブラリー 1991)には、

小林 軍隊の中でも、上等兵というのが殴るね。内務班において。
多米田 それはこうなんです。一つの階級的組織に入っておりますから、将校が直接兵隊を殴るということは一番少ない。将校はむしろ下士官を殴り、下士官は上等兵くらいまで殴る、上等兵は直接兵隊を殴る、将校が兵隊を殴るというのは、非常に特別な場合なんですね。将校はある程度おうようにしておるわけなんで、その代わり下士官をしぼり、下士官は上等兵を、上等兵は兵隊を、兵隊はどこにも当たるところがないから馬に当たるとか。(笑声)
小林 ですから、厩を見て馬が非常に荒れている、または馬にきずのある中隊に、だいたい制裁が盛んだというようなことがいわれますね。(笑声)

…という座談の記録が残されている。
 原著書は1950年、東大協同組合出版部刊、つまり玉音放送から五年という早い時期の出版物であり、「昔話」としてではなく、まさに同時代の体験として語られているのである。ちなみに、発言者は、

 小林順一 経済学士 陸士五六期
 多米田宏司 経済学士 陸士五五期(幼年学校)

…という経歴の持ち主である。

(註:2)
 「聖戦一年を顧て」と題された望月重信少尉の執筆記事が、第十四軍機関紙『南十字星』(昭和17-1942-年12月)に収録されている。望月少尉もその一員として体験した日本軍によるフィリピンの占領統治は、

 一部の不心得の〇〇の中には、戦場に於いてあれほど立派に戦い抜いた神兵の本性を忘却して、無辜の良民に些細な事柄にて平ビンタを喰わせたり、甚しきは一函の中に半分丈しかない煙草を一函分として無力な比島人に売りつけたものがある。マニラ市の或る地点の歩哨にして、教会に通ふ婦女子に幾遍も敬礼を強要し、其の挙句に鼻先をつまんで戯れて居つたものがある。甚しき者に至つては、婦女子に強姦を敢行してあたら軍人の誉れを失ひ、罪人の汚名を負ふて身を獄中に置いてゐるものがある。

…と記さざるを得ないものであった。
 この記事が第十四軍機関紙に掲載されている事実に、私たちは希望を見出すべきだろうか? 少なくとも、占領統治の実状から眼を逸らそうとしなかった陸軍関係者が存在したという意味において。
 (この望月少尉の文章は、津野海太郎 『物語・日本人の占領』(平凡社ライブラリー 1999)に収録されたものを使用した)

(註:3)
 鶴見俊輔は、かつての海軍バタビア在勤武官府での勤務経験を振り返り、

  昭和十年代に日米戦争が始まって南洋に出て行く。ジャワで日本語をしいたら、土地の人は愉快じゃないですよ。酔っぱらうと殴ったり、いい関係が出来るわけはないですよ。オランダ人は自分たちはえらいと思ってるから、酔っぱらって殴るようなことはしない。逆に日本軍は人力車で行って、「おれたちはおまえたちより白い。同格じゃないんだ」といって殴る。「土人と一緒にされてたまるか」ということです。

…と、当時の経験を要約している
 (鶴見俊輔 『期待と回想』 朝日文庫 2008)

(註:4)
 もちろん、すべての日本人が「なぐったり蹴ったり」に憂き身をやつしていたわけではない。
 大岡昇平自身、

 無論中には遅れた昇進、その他によって意地悪になった古兵もいたが、旧日本軍隊の兵士が悉く悪漢であったかの如く想像するのは、丁度前線で一部の者の犯した惨虐を見て、日本兵を悉く人でなしと空想するのと同じく事実と符合しない。
 もっとも私がここで兵士というのは、文字通りに兵を指すのであって、下士官は含まない。これは既に軍隊内のその位置に快適を感じ、自己の個人的幸福のためにも、この組織を支持する意識を持ったエゴイストである。彼等は特権によって誘惑された者共であり、特権ある者は常に堕落するのである。
          「季節」 『俘虜記』 208~209頁

…と書いている通りで、あくまでも、

  旧日本軍隊の兵士が悉く悪漢であったかの如く想像するのは、丁度前線で一部の者の犯した惨虐を見て、日本兵を悉く人でなしと空想するのと同じく事実と符合しない。

…ということなのである。

 

 

 

 

 

(オリジナルは、投稿日時 : 2011/02/28 17:38 http://www.freeml.com/bl/316274/159116/

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