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2011年1月28日 (金)

支那、露西亜、そして日本の正月 (反日的初詣の一日)

 

 初詣、ということで出かけたのであった。

 

 

 受験生となる娘(現在高二)のため、というわけではまったくないが、まずは湯島の聖堂である。

 孔子の聖地(?)だ(高校時代にクラスメートとの初詣以来の訪問)。

 伊東忠太が手がけた建築と聞いた覚えがあったが、境内(?)の立て札の類には、そのような話は書かれてはいなかった。帰宅後にチェックしたところでは、やはり、震災後のコンクリート造りでの再建には関係していたようだ。

 

 そもそも、なんで湯島なのか?と言えば、娘が冬休みの課題で『カラマーゾフの兄弟』の読破に挑んでいるのだった。それならロシア正教だし、ロシア正教ならニコライ堂だ。そしてニコライ堂なら御茶ノ水だし、御茶ノ水なら湯島の聖堂もある…という連想ゲームのような選択なのであった。計画段階では湯島天神も含まれていたのだが、時間その他(この「その他」とは、「天神様よりゴハン!」と空腹を訴える、わが家族の日和見主義的要求である)の関係でカット。

 で、とにかくそんなわけで、湯島の聖堂で孔子様とのご対面なのであった。

 まぁ、ネトウヨさん的には、大嫌いな(であろう)支那の「聖人」詣でをしてしまったわけだ。

 もっとも、境内(?)には絵馬のコーナーもあったりして、(案外と)既に十分に日本化された世界なのではあった。

 

 空腹の家族とイタリアンレストランで食事をしてから(ここで「伊太利亜」も追加)、ニコライ堂へと向かう。

 門をくぐるのは、実は、生まれて始めてである(東京生まれの東京育ちではあるのだが)。

 拝観料(?)に300円を徴収されたが、パンフレットとローソクを渡された(ローソクは後で献灯)。受付にいたご婦人(白人)がすごいのだ。ロシア語(?)で喋っていたかと思ったら一瞬にして英語を喋り、次の瞬間には日本語で応対…という転換の速さに感嘆。

 案内の男性によるイコンの説明を(途中から)聞きながら、ステンドグラスを通しての外光の美しさなどを堪能する。日が暮れてからの光の状態と、イコンの画像の関係(暗い中に、ローソクの光だけで浮かび上がる)などを考えたりした。

 正教のカレンダーだの、各種パンフレットを参考のために購入。柴山正雄 『俘虜慰安日誌 日露戦争時の国内ロシア人捕虜と神父との交流』 (オフィス・アンドゥ 2010)は「現代史のトラウマ」ネタに選んだのだが、受付のご婦人に(なぜか)感心された。

…てな具合で、支那の聖人のお次も、ネトウヨさんのお嫌いな(であろう)露西亜の精神世界に浸ってしまったのである。

 

 で、お次は新宿へと向かったのであった。

 JRの各駅停車に乗ると、信濃町(ネトウヨさんの大嫌いな、あの「創価」の党本部がある)と代々木(ネトウヨさんの大嫌いな、かの日本共産党本部の最寄り駅)に、それぞれ停車するのがおかしい。もっとも、千駄ヶ谷で降りて坂を下りれば、かの(ネトウヨさんの聖地)靖國神社である。家族的には、時間があれば靖國神社にも立ち寄り、遊就館見学と行きたかったが、本日は新宿優先。

 

 新宿下車なら、もちろん(?)花園神社に決まっている。破魔矢の袋には「新宿総鎮守」と書いてあるくらいだから、新宿に縁のある生活をしていた人間なら、決してなおざりにしてはいけない聖地であるに違いない。

 到着後は、まずは参拝客の列の最後に並ぶわけだ(本殿の賽銭箱に着いた時には、到着から30分以上経っていた)。この行列姿には、ネトウヨさんご推薦の「日本人の美風」的世界を見出しておくべきなのであろう(行列をしない支那人の話題がお好みらしいから)。

 

 最後の目的地は西口の「ヨドバシカメラ」だったのだが、すっかり冷え切ってしまったので、「中村屋」で一服することにした。カレーは食べなかったが、この「中村屋」の創業者こそはネトウヨさんご推薦のインド独立の闘志の支援者なのであった(これで印度も追加)。

 で、西口にまわって、娘のためにデジカメの購入(昨日、ネットで製品チェック済み)。ちなみに購入したソニー製のサイバーショット(レンズがツァイスで、1400万画素超で11,000円はお買い得品だと思う←自分用にも一台…とか考えてしまう)だが、ネトウヨさんのお嫌いな「メイドインチャイナ」であった。

 

 

 既に日は完全に暮れていた(日も没して、まさに世界は「反日」…なんちゃって)。

 
 
 


〔ココログ版「現代史のトラウマ」掲載に際しての蛇足〕

 新宿では、もうひとつ新大久保方面で、焼肉で晩飯といけば「朝鮮」も追加出来たのに…
  (新年早々何を考えているんだか…)

 旧聞に属すると言うべきであろう正月二日のお話を、今日(1月28日)になって、ここ(ココログ)にも採録しておくことにした。
 オリジナルの「freeml」版のコメント欄では、ニコライ堂の創設者である聖ニコライが、本格的な来日前にドストエフスキーと会っていたことが話題となっている。
 ニコライ堂で購入したパンフレットにも、

 …ロシアに帰国していた(1880年の話)聖ニコライは、日本に牧会・宣教そして奉神礼の拠点となる大聖堂を建設するという大望を抱き、献金協力者を募るために、各地の教会、主教、有力者のもとを訪ね歩きました。そのときプーシキン記念祭に出席するためモスクワに来ていた、文豪ドストエフスキーに会っています。
 (以下、日記の内容紹介アリ)

…との言及があったことを付け加えておこう(2011年月28日記)。

 

 

 

 

 

(オリジナルは、投降日時 : 2011/01/02 23:16 → http://www.freeml.com/bl/316274/155168/

 

 

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