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2011年1月 2日 (日)

白兎の末裔(『古事記』と満洲事変、そして真珠湾)

 

 元日には年賀状が届く仕組みになっているが、常識的には、「御目出度い」イメージが賀状デザインの基本だと思われる。

 その意味では、毎年(しかも益々)、「御目出度くない」イメージの賀状を送りつけるような行為は、常識人のすることではないのかも知れない。まぁ、自分が常識人だと主張する気はないから、本人の内部では特別に問題となることもない。

 で、今年の賀状だが、下のようなデザインで仕上がった(のは昨日、大晦日の話である)。

 卯年=兎の年ということなので、兎の姿をどう入れるかが問題だった。まぁ、毎年、干支を気にしたデザインにしているわけでもないが、干支をネタに出来ればそれに越したことはない。

…というわけで、11月くらいには、巌谷小波の『日本昔噺』にある「かちかち山」と「兎と鰐」には目をつけておいた。が、それをどう料理するかについては、何の目算もないままに年の暮れを迎えてしまったのであった。

 2011年ということでもあるので、1931年が満洲事変、1941年が真珠湾攻撃、1951年が講和条約発効(日本の独立回復であると同時に米国の従属国家としての再出発の記念すべき年)…そして1991年は湾岸戦争だったし、2001年は「9.11」だった(これこそが日本人及び人類のミモフタモナイ歴史の実相だ!)。

…という歴史のそれぞれ何十年目かの節目であることも、ずっと頭の中からは離れなかった。

 そんなわけで、ネット上にある、満洲事変関連や真珠湾攻撃関連の写真画像をチェックしたりしてもいたのである。

 どっちも、もうひとつイメージとして煮詰まらないままに、12月30日になってしまった。その夜、寝床の中で、ふと、巌谷小波の『日本昔噺』にあったあの兎の姿と、満洲事変や真珠湾攻撃の際とその後の大日本帝國の姿が重なって見えるような気がしたのであった。

          

(あの兎の姿)

 で、まず、あらためて『古事記』を読んだ。言うまでもなく、『古事記』の本文は漢字表記のみである。問題のくだりは、

故此大國主神之兄弟八十神坐然皆國者避於大國主神所以避者其八十神各有(下)欲婚稻羽之八上比賣之心共行稻羽時於大穴牟遲神負〇爲從者率往於是到氣多之前時裸菟伏也爾八十神謂其菟云汝將爲者浴此海鹽當風吹而伏高山尾上故其菟從八十神之教而伏爾其鹽隨乾其身皮悉風見吹拆故痛苦泣伏者最後之來大穴牟遲神見其菟言何由汝泣伏菟答言僕在淤岐嶋雖欲度此地無度因故欺海和迩(此二字以音 下效此)言吾與汝竸欲計族之多少故汝者隨其族在悉率來自此嶋至于氣多前皆列伏度爾吾蹈其上走乍讀度於是知與吾族孰多如此言者見欺而列伏之時吾蹈其上讀度來今將下地時吾云汝者我見欺言竟即伏最端和迩捕我悉剥我衣服因此泣患者先行八十神之命以誨告浴海鹽當風伏故爲如教者我身悉傷於是大穴牟遲神教告其菟今急往此水門以水洗汝身即取其水門之蒲黄敷散而輾轉其上者汝身如本膚必差故爲如教其身如本也此稻羽之素菟者也於今者謂菟神也故其菟白大穴牟遲神此八十神者必不得八上比賣雖負〇汝命獲之

…と書いてある(上記引用の文言表記はネット上からいただいた物だが、旧字体の変換が十分ではない)。

 そこから特に、「兎と亀」の挿絵のシーンに相当する部分として、

  見欺而列伏之時吾蹈其上讀度來今將下地時吾云汝者我見欺言竟
  即伏最端和迩捕我悉剥我衣服因此泣患者
(訓みは、 欺かえて列(な)み伏せりし時、吾その上を蹈みて、讀み度り來て、今地に下りむとせし時、吾云ひしく、『汝は我に欺かえつ。』と言ひ竟(を)はる即ち、最端(いやはし)に伏せりし鰐、我を捕へて悉に我が衣服を剥ぎき。これによりて泣き患(うれ)ひしかば… …となる←岩波文庫『古事記』による)

…を選び、同時に満洲事変と真珠湾攻撃への言及として、

  1931年の満洲事変から80年。
  1941年の真珠湾攻撃から70年。

  策士と自惚れ、調子に乗った挙句に、
  大変に痛い目に遭ったウサギのお話を思い出してみたりする
  2011年のお正月…

…という言葉をひねり出した。

 その両者を組み合わせて、画面上のバランスを考えた上で、デザイン終了となったのは大晦日の夕方であった(実物は実名住所入りだが、こちらはネットバージョンで、画面のバランスも少し異なる)。

 こんな賀状を受け取って、果して嬉しいものなのかどうかはわからないが…

 

 

 

 ところで、巌谷小波の「兎と鰐」の方の当該箇所の文章が味わい深いので、最後に添えておきたい。

 

 …と、小言を云ひながら、ピョイピョイ飛んで行きましたが、其中(そのうち)に因幡の国まで来ますと、速くも陸(おか)へ飛び上がりながら、『やァいやァい鰐の大馬鹿やい、誑(だま)かされるのも知(しら)ないで、とうとう此処まで渡しやがつた。遠方御苦労御宿へよろしく。』と、憎まれ口を利いて逃げやうとしますから、さては一杯喰はされたかと、鰐は大きに怒りまして、『こん畜生、生意気な事を云やがんな。如何(どう)するか覚えて居ろ。』と、直ぐに追つかけて取つつかまへ、『御免だ御免だ。』という奴を、『御免も糞もあるものか。』と、寄てたかつて丸裸にし、身体中の毛をすつかり抜いて、砂の上に投(ほう)り出し、『態(ざま)ァ見ろやいやい。』と、大声あげて囃しながら、鰐は又海の中へ、鯨波(かちどき)あげて引揚げてしまひました。
  可哀さうなのは兎です。元は自分が悪いとは云ひながら、身体中の毛をすつかり剥かれて、砂の上に投り出され、如何することも出来ませんから、オイオイと云つて泣いて居りました。

 

…と書いてあるのだが、この兎と鰐のやり取り(その台詞回し)の魅力的なこと。「遠方御苦労御宿へよろしく」なんて表現は今やまったく耳にすることも出来ないが、巌谷小波の時代(連載出版は日清戦争の前後である)にはポピュラーなものであったに違いない。

 当時の人々の息遣いまで伝わってくるような文章に出会うと、つい嬉しくなってしまうのだ。

 

 

 

 

 

(オリジナルは、投稿日時 : 2011/01/01 20:25 → http://www.freeml.com/bl/316274/155070/

 

 

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