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2010年9月 2日 (木)

満洲という土地

 

 以下に紹介するような「満州についての疑問」を前にして、どのように答えるべきだろうか?

 

  満州という地域はどこの国の持ち物だったんでしょうか?
  現在では「中国東北部」なんていう表現こそされていますが、時代背景を考えると満州人の国である清の故郷、持ち物?
  でも空き家にしていたようなものだし、領有宣言もしていないようですが…
  それで、満州を神聖なる領土と言い出したのは中国に共産党政権が出来てかららしいですが。どうか 教えていただけないですか?

 

…というようなお話なのであった(大日本帝国による満洲領有の正当化の意図を背後に感じさせるところが、私には興味深い問いかけだったのである)。

 

 

 で、思い出したのが、我が帝國政府の「満蒙問題処理方針要綱」の文言であった。

 

 

 満蒙問題処理方針要綱 (昭和七年三月十二日閣議決定)

一、満蒙に付ては帝国の支援の下に該地を政治、経済、国防、交通、通信等諸般の関係に於て帝国存立の重要要素たるの性能を顕現するものたらしめむことを期す
二、満蒙は支那本部政権より分立せる一政権の統治支配地域となれる現状に鑑み逐次一国家たるの実質を具有する様之を誘導す
三、現下に於ける満蒙の治安維持は主として帝国之に任ず
 将来に於ける満蒙の治安維持及満鉄以外の鉄道保護は主として新国家の警察乃至警察的軍隊をして之に当たらしむ右目的の為之等新国家側治安維持機関の建設刷新を図らしめ特に邦人を之が指導的骨幹たらしむ
四、満蒙の地を以て帝国の対露対支国防の第一線とし外部よりの攪乱は之を許さず右目的の為め駐満帝国陸軍の兵力を之に適応する如く増加し又必要なる海軍施設をなすべし新国家正規陸軍は之が存在を許さず
五、満蒙に於ける我権益の回復拡充は新国家を相手として之を行ふ
六、以上各般の施措実行に当りては努めて国際法乃至国際条約抵触を避け就中満蒙政権問題に関する施措は九国条約等の関係上出来得る限り新国家側の自主的発意に基くが如き形式に依るを可とす
七、満蒙に関する帝国の政策遂行の為め速に統制機関の設置を要す但し差当り現状を維持す
     (『現代史資料8 日中戦争1』 みすず書房 1964)

 

 

…というのが、政府閣議決定による「満蒙問題処理方針要綱」の全文である。

 

 今回の問題で特に注目すべきは、

二、満蒙は支那本部政権より分立せる一政権の統治支配地域となれる現状に鑑み逐次一国家たるの実質を具有する様之を誘導す

六、以上各般の施措実行に当りては努めて国際法乃至国際条約抵触を避け就中満蒙政権問題に関する施措は九国条約等の関係上出来得る限り新国家側の自主的発意に基くが如き形式に依るを可とす

…の二項の文言であろう。

つまり、

  満蒙は支那本部政権より分立せる一政権の統治支配地域となれる現状…

…という表現からは、本来の満蒙が「支那本部政権」の「統治支配地域」であるとの、満洲事変に対処するに際しての日本政府自身の認識が読み取れるわけである。

 また、

  新国家側の自主的発意に基くが如き形式に依るを可とす

…という文言(「基くが如き」という文言のことである)からは、実際には存在しない「自主的発意」に対する政府の認識が窺われ、「形式」だけでも整えておこうとの「処理方針」であることが、読む者には理解出来るはずだ。

 

 公表を前提としない政府の内部文書であるからこそ、「満蒙問題処理方針要綱」には当時の日本政府のホンネ、大日本帝國の国策遂行者のホンネの言葉が残されていると考えられるわけである。

 

…ということで、

  満州を神聖なる領土と言い出したのは中国に共産党政権が出来てから…

…という以前に、既に大日本帝國政府には、満洲が本来的には、「支那本部政権」の「統治支配地域」であるとの認識があった、との結論が導き出されるのではないのか?

…というお話をしたのだが、お相手は、どうも納得出来ないらしい。

 「黄 文雄 氏の説を基本にすれば…」とゴタゴタ言うのだが、肝心の「黄 文雄 氏の説」の内容は(困ったことに)よくわからない。要するに、論点としては、

 

  当時の中国は内乱状態であったという事実が抜けている。

  この閣議決定の内容は、植民地や保護国を持つ国なら普通の感覚である。

 

…というようなところにあるらしい。しかし、満洲に対して「植民地や保護国」などという言い方をしてしまえば、リットン調査団に対しての大日本帝國の立場がなくなってしまうのではないか(!)とは思うのだが(そういうことは考えないのだろうか?)、とりあえず、「当時の中国は内乱状態」であったから日本の満洲領有は正当化され得る、との趣旨と推測されるご意見の方にお答えをしておいた。

 

 

 用語としては、正統的権力の存在を想定させる「内乱状態」というよりは、並立的な勢力による抗争を想定させる「内戦状態」の方が、どちらかと言えば当人の主張の文脈からは適切な感じはするが、まぁ、これは二者択一的な争点とする必要はないだろう。

 いずれにせよ、内戦(あるいは内乱)状態であるかどうかと、満洲が中国という国家の主権領域であるかどうかは別問題なのである。

 南北戦争という内戦状態にあった米国を考えてみれば、内戦下であろうが、ジョージアが米国に帰属することに変化はないではないか。

 内戦下にあったという理由で、それまで当該国の主権領域として承認されていた土地を、他国が領有することは正当なのかどうか?という問題なのである。内戦下にあった幕末の日本で、四国がフランスに領有宣言され占領されたとすれば、それはあくまでも不当な話と言うべきなのだ。

 
 

 で、ここではあらためて、日本と満洲の関係を考えてみよう。

 

 そもそも満鉄の土地、そして関東州の租借地とはどんな性格の土地だったのか? まずはその点が問題とされなければならない。

 そもそもは、ロシアが清朝から満洲の土地に「租借権」を獲得したのが始まりなのである。それが「租借権」と呼ばれているということは、そこに持ち主と借り手という関係が成立していることを意味することは言うまでもない。

 で、満洲の場合は、満洲の持ち主(「租貸国」という用語で呼ばれる)が清朝であり、借り手(「租借国」と呼ばれる)がロシアであった、という構図になる。まずここで、清国の主権領域(領土)としての満洲の国際法上の地位が、清露間に結ばれた租借条約の存在を介して理解されねばならない(ロシアにより、満洲が清朝に帰属する土地であることが、条約作成の手続きを通して認定されているのである)。

 

 日露戦争後のポーツマス条約で「租借権」はロシアから日本に移譲されたが、ここでも持ち主=貸し手(租貸国)は依然として清朝であり、借り手(租借国)がロシアから日本に変更になったということなのである(日本政府により、満洲が清朝に帰属する土地であることが、ロシアからの租借権の継承の手続きにより再確認されているのである)。

 この時点で「日清満洲善後協約」が締結されて、日本政府と清朝との間でも、その関係(満洲が清朝に帰属する土地であるという認識)は明文化されている。つまり、清朝の主権領域の一部を、ロシアから租借権を継承した日本があらためて日清間での「協約」を締結し、租貸国である清国から「租借」した、という形式となっているのである。

 

 辛亥革命後も、その関係に変化はない。たとえば、有名な二十一ヶ条要求の条項には、

 

 

第2号 南満東蒙に於ける日本の地位を明確ならしむる為の条約案
日本国政府及支那国政府は、支那国政府が南満州及東部内蒙古に於ける日本国の優越なる地位を承認するに依り、ここに左の条款を締結せり。
両締約国は、旅順大連租借期限並南満州及安奉両鉄道各期限を、何れも更に九九カ年づつ延長すべきことを約す。
日本国臣民は、南満州及東部内蒙古に於て、各種商工業上の建物の建設又は耕作の為必要なる土地の賃借権又は其所有権を取得することを得。
日本国臣民は、南満州及東部内蒙古に於て、自由に居住往来し各種の商工業及其他の業務に従事することを得。
支那国政府は、南満州及東部内蒙古に於ける鉱山の採掘権を日本国臣民に許与す。其採掘すべき鉱山は別に協定すべし。
支那国政府は、左の事項に関しては予め日本国政府の同意を経べきことを承諾す。
南満州及東内蒙古に於て他国人に鉄道敷設権を与え、又は鉄道敷設の為に他国人より資金の供給を仰ぐこと
南満州及東部内蒙古に於ける諸税を担保として他国より借款を起こすこと
支那国政府は、南満州及東部内蒙古に於ける政治財政軍事に関し顧問教官を要する場合には、必ず先ず日本国に協議すべきことを約す。
支那国政府は本条約締結の日より九九カ年間日本国に吉長鉄道の管理経営を委任す。

 

 

…などと書いてあるのだ。

 この時点での「支那国政府」は辛亥革命後に成立したものであり、つまり「清朝」の主権領域が革命後の「支那国政府」にも継承されているとの認識があるからこそ、

  両締約国は、旅順大連租借期限並南満州及安奉両鉄道各期限を、何れも九九カ年づつ延長すべきことを約す。

…との文言が、日本政府作成の「二十一ヶ条要求」に登場するのである。満洲が「支那国政府」の主権領域にないのなら、このような要求条項は必要がないものであることは言うまでもない。

 ここでは、借り手と貸し手双方が、

  何れも更に九九カ年づつ延長すべきことを…

…約すとの条款を締結することが、借り手側である日本から求められているのである。「支那国政府」が貸し手としての資格を持っている、つまり満洲の領有者であるという地位にあると日本政府が認めているからこそ、意味を持つ文言であることに気付かねばならない。

 
 そのような関係は、「内乱状態であったという事実」が主張されている(らしい)1930年前後(つまり「満州事変」直前の時代)になっても変化はしていない。

 張学良による満鉄並行線敷設に際し、日本政府は「国民政府」に対して、「日清満洲善後協約」での取り決めを根拠にして抗議しているのである。つまり、満洲が中国の主権領域であるという認識で、明治・大正・昭和の日本政府の対応は一貫している、ということなのだ。

 

 

 

 ここではもう一つ、満洲国と大日本帝國の関係を公にした文書としての「日満議定書」を思い出しておこう。

 
 その条文はというと、
 

 

日本国ハ満洲国カ其ノ住民ノ意思ニ基キテ自由ニ成立シ独立ノ一国家ヲ成スニ至リタル事実ヲ確認シタルニ因リ満洲国ハ中華民国ノ有スル国際約定ハ満洲国ニ適用シ得ヘキ限リ之ヲ尊重スヘキコトヲ宣言セルニ因リ日本国政府及満洲国政府ハ日満両国間ノ善隣ノ関係ヲ永遠ニ鞏固ニシ互ニ其ノ領土権ヲ尊重シ東洋ノ平和ヲ確保センカ為左ノ如ク協定セリ

一、満洲国ハ将来日満両国間ニ別段ノ約定ヲ締結セサル限リ満洲国領域内ニ於テ日本国又ハ日本国臣民カ従来ノ日支間ノ条約、協定其ノ他ノ取極及公私ノ契約ニ依リ有スル一切ノ権利利益ヲ確認尊重スヘシ
二、日本国及満洲国ハ締約国ノ一方ノ領土及治安ニ対スル一切ノ脅威ハ同時ニ締約国ノ他方ノ安寧及存立ニ対スル脅威タルノ事実ヲ確認シ両国共同シテ国家ノ防衛ニ当ルヘキコトヲ約ス之カ為所要ノ日本国軍ハ満洲国内ニ駐屯スルモノトス

本議定書ハ署名ノ日ヨリ効力ヲ生スヘシ
本議定書ハ日本文漢文ヲ以テ各二通ヲ作成ス日本文本文ト漢文本文トノ間ニ解釈ヲ異ニスルトキハ日本文本文ニ拠ルモノトス
右証拠トシテ下名ハ各本国政府ヨリ正当ノ委任ヲ受ケ本議定書ニ署名調印セリ
昭和七年九月十五日即チ大同元年九月十五日新京ニ於テ之ヲ作成ス

 

 
…というものであった。

 

 この中で注目すべきは、

  満洲国ハ中華民国ノ有スル国際約定ハ満洲国ニ適用シ得ヘキ限リ之ヲ尊重スヘキコトヲ宣言セルニ因リ…

及び、

  満洲国ハ将来日満両国間ニ別段ノ約定ヲ締結セサル限リ満洲国領域内ニ於テ日本国又ハ日本国臣民カ従来ノ日支間ノ条約、協定其ノ他ノ取極及公私ノ契約ニ依リ有スル一切ノ権利利益ヲ確認尊重スヘシ

…という文言であろう。

 満洲の地が、満洲国の「独立」以前は、中華民国の領土(主権領域)であったからこそ、

  中華民国ノ有スル国際約定ハ満洲国ニ適用シ得ヘキ限リ之ヲ尊重スヘキコト

  満洲国領域内ニ於テ日本国又ハ日本国臣民カ従来ノ日支間ノ条約、協定其ノ他ノ取極及公私ノ契約ニ依リ有スル一切ノ権利利益ヲ確認尊重スヘシ

…ということになるのである。つまり、満州国がどこの「国」から「独立」した(独立ノ一国家ヲ成スニ至リタル)のかというと、「中華民国」から分離独立したという認識を日本国が保有していると考えない限り意味を持たないのが、ここに示した条項なのである。満洲の土地が「中華民国」と無関係なのであれば(つまり中国の領土でなかったならば)、「中華民国ノ有スル国際約定」を満洲国が「尊重スヘキ」理由など存在しないはずである。満洲が「中華民国」と無関係な土地であるならば、満洲国が「日本国又ハ日本国臣民カ従来ノ日支間ノ条約、協定其ノ他ノ取極及公私ノ契約ニ依リ有スル一切ノ権利利益ヲ確認尊重」しなければならぬ理由もない。

 

 つまりここでは、日本政府と満州国政府の双方が、満洲の地が本来は中華民国に帰属する土地であったとの認識を「日満議定書」中で共有・表明しているのだということを、(公文書が示す)歴史的事実として理解しておかなければならないのである。

 

 

 

…というわけで、「黄 文雄 氏の説」というものがどのようなものであるのかは知らないが、満洲を清朝の、そして支那国政府の主権領域であると認識して来た歴代日本政府の一貫した姿勢に疑問の余地はなく、確かな歴史的事実として考えなければならないのである。

 

 

 詰まるところ、満洲を神聖なる領土と言い出したのは中国に共産党政権が出来てから…などではまったくなく、それよりはるか以前の我らが祖国が大日本帝國を名乗っていた時代に、既に満洲の地を中国の領土として外交的に対応していた事実を(歴代日本政府作成の公文書の読解を「基本」にして)しっかり認識しておく必要があるように思われる。「黄 文雄 氏の説」を「基本」にしてしまうと、満洲をめぐる歴史の基礎的事実にさえ到達出来ないことになってしまうわけだ。

 

 

 

〔付記〕

「当時の中国は内乱状態であったという事実」については、以下の記事も参照することで、「事実」の実際をより広い視野から理解することが出来るようになるはずである。

陸軍参謀本部ノ観察セル支那ノ現状
 → http://uma-sica.cocolog-nifty.com/blog/2010/08/post-a3c9.html
続・陸軍参謀本部ノ観察セル支那ノ現状
 → http://uma-sica.cocolog-nifty.com/blog/2010/08/post-6798.html
続々・陸軍参謀本部ノ観察セル支那ノ現状
 → http://uma-sica.cocolog-nifty.com/blog/2010/08/post-1661.html
聖戦の論理(対支一撃論の果ての亡国)
 → http://uma-sica.cocolog-nifty.com/blog/2010/05/post-5bd9.html

 

 

 

 

 

(オリジナルは、投稿日時 : 2010/09/02 22:27 → http://www.freeml.com/bl/316274/146335/

 

 

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