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2010年8月 8日 (日)

陸軍参謀本部ノ観察セル支那ノ現状

 

 

支那事変(日中戦争)前、というか中華民国建国・成立以前より、日本は中国大陸に軍の駐留権、その他権益を保有していたこと、中央政権を自称する勢力が多数存在し、対日本以前から血みどろの内戦を繰り広げていたこと、日本は在支日本人・権益・日本軍が度重なるテロ行為により脅かされた為に軍事力を行使したこと、その他支那側のあらゆる違法行為に触れていません。
これは明らかに第二次世界大戦戦勝国側、連合国側の主張だと思いますね。

 

…とのご意見が、「南京事件否定論への視点 2 便衣兵の姿」(http://uma-sica.cocolog-nifty.com/blog/2010/02/post-3e58.html)に寄せられていたのであった(詳細は、同記事のコメント欄参照)。

 

 今回は、そのご意見(事実認識)の妥当性を、「支那事変(日中戦争)」直前の陸軍参謀本部の内部文書(ただし「第二課」作成の文書であって、必ずしも参謀本部全体を代表するものではない)を読むことによって検証してみたい(誤解のないように申し添えれば、ここでは、1920年代ではなく、1930年代後半の中国大陸における歴史的展開を対象として考えようとしているのである)。

 

 

 

 まず最初に取上げるのは、昭和十二年(1937年)一月六日付、参謀本部(第一部)第二課作成の「対支実行策改正意見」である。

 

 

 

     対支実行策改正意見(昭和十二年一月六日調整 参謀本部第二課)

 本実行策は昭和十一年八月十一日四省調整対支実行策を改訂し昭和十年十月四日外陸海三大臣間に諒解成立せる対政策に関する件及昭和十二年一月改訂帝国外交方針に準拠する新実行策を示すものとす

     対支実行策

一、対支政策
 対支政策の目的は漢民族伝統の精神を復活せしめ彼らの悩める所を正確に認識し其病痕を帝国の力に依りて救済し以て真の善隣関係に導き軈て日満支提携に至らしむるにあり之が為
1、帝国の対支強圧的又は優位的態度を更改し真に友情的対等的たらしむ
2、北支特殊地域なる観念を精算し之を五省独立の気醞に誘致するが如き方策を是正し現冀察政権の管掌する地域は当然中華民国の領土にして主権亦中央政府に在る所以を明確にす
3、冀東地区は満支経済提携の梃子とし該地域内の経済開発を急速に実現せしむる為暫く現状を維持せしむると共に支那が軍閥誅求の苛烈なる圧迫下にある現状に対する模範的楽土たるの一試験場として帝国竝満州国によりて支援し後述新支那建設と相俟ち適時支那に復帰すべきものとす
 冀東に対する誘導は右に準拠す
4、施策の対象は軍、政、党に偏することなし特に列強角逐の複雑混迷を正確に認識し大義名分に立脚せる行蔵に終始し具体的問題を捕捉して日支従来の先鋭関係を正道に入らしむを要す
5、抗日人民戦線は其発生関係を不問に附するに於ては支那現代の苦悩の一表現なり之を正当なる民衆運動に転向せしめ以て支那統一新支那建設の指導層たらしむを要す
6、綏東問題は内蒙軍政府が蒙古民族復興を方針として対外侵寇を中止し終始蒙古国建設に傾注することにより支那側との確執を解消せしむ支那側に対しても亦対蒙制圧の非を悟り民族善隣の誼に則るが如く逐次和解指導するに至らしむ

二、対支経済施策(特に一般対支政策と分離す)
 前項対支政策の実行特に新支那建設に向て之を哺育援助せんが為には漢民族の現下最も苦悩する所の経済状態を良好ならしむること最も肝要にして経済向上は固より其財政政策に負ふ所大なりと雖帝国は国家間の経済関係を増強する手段の外直接支那民衆の康寧福祉を齎すが如き凡有方途にりて其苦悩を救ふを要す之が為
1、満州国と支那との経済を依存状態に導くを要す
 即ち支那人の対満投資を許し冀東政府竝北支方面の農鉱業と満州国の農産重工業に連関あらしむる手段を講じ以て満支提携の基礎的紐帯たるに至らしむ
2、帝国は対外列強より輸入する原料中為し得るものは成るべく支那に求め以て僅かなる採算関係よりして日支経済関係を断絶するが如きことなきを要す特に北、中支に於ける紡績企業等は其綿花、羊毛の産出を促進せしむるを以て互譲紳士的態度を以て企業を行ひ不平等的独占的経済進出を是正す
3、列強の対支経済進出が結果に於て其統一竝に建設に資するに於ては帝国は寧ろ之と協力すべきものとす

三、防共協定は希望する所なるも対支政策の根幹とせず、又之を強制することなし
 日支軍事同盟の訂結、国民政府に於ける帝国最高政治顧問の傭聘、軍事顧問の傭聘、其他地方政権に対する施策等は暫く帝国より提議することを中止す

     (現代史資料 8 『日中戦争 1』 みすず書房 1964)

 

 

 

 

 要するに、ここに至るまでの大日本帝國の施策が、強圧的又は優越的態度に終始していたことの反省が、

1、帝国の対支強圧的又は優位的態度を更改し真に友情的対等的たらしむ

…という文言に込められているわけである。

 次の、

2、北支特殊地域なる観念を精算し之を五省独立の気醞に誘致するが如き方策を是正し現冀察政権の管掌する地域は当然中華民国の領土にして主権亦中央政府に在る所以を明確にす

…とはつまり、北支分離工作の中止である。「中華民国の領土にして主権亦中央政府に在る」地域を、中央政府から分離し、帝国の影響下に置こうとしたこれまでの「方策を是正」しようというわけである。

 

 

 どちらも、内戦状態からの統一過程にある中華民国の(当時の)現状に立脚することで、それまでの内戦状態を利用しての統一妨害工作(「北支分離」である)、そして「強圧的又は優位的態度」による内政干渉的姿勢を転換させることを、参謀本部第二課が提議するに至ったことを示している。

 

 昭和十二年一月六日までの帝国の、対支政策の問題点を率直に吐露しているところが注目点であろう。

 敗戦後の認識ではなく、つまり「東京裁判史観」とやらとは無縁に、陸軍参謀本部自身が、過去の大陸における振舞い方を反省しているのである。

 

 

 

 問題をより深く理解するために、その「対支実行策改正意見」で「改訂」の対象とされた「昭和十一年八月十一日四省調整対支実行策」から、北支分離(いわゆる華北分離)工作、内政干渉的姿勢に相当する文言を抜書きしておこう(これも『日中戦争 1』による)。

 

 

     対支実行策 (昭和十一年八月十一日関係諸省間決定)

 昭和十一年八月七日決定の「帝国外交方針」に準拠し対支政策に関し差当り執るべき施策左の通。

一、対北支施策
 北支処理の主眼は該地域を防共親日の特殊地帯たらしめ併せて国防資源の獲得竝に交通施設の拡充に資し一は以て蘇聯の侵寇に備へ他は以て日満支三国提携共助実現の基礎たらしむるに在り。
 右親日満的地帯は北支五省を以て目途とすべきも徒に地域の拡大若は理想的分治の一挙完成に焦慮するは却て紛糾を増し目的を達成する所以にあらざ非るのみならず、速に対蘇態勢を有利ならしめんとする考慮に反するの結果となる虞あるを以て、先づ徐に冀察二省の分治完成に専念し爾他三省殊に山東に対しては防共親日及日満支経済提携を主眼とする諸般の工作に努む。分治の形式に就ては名目の如何に拘泥することなく、実質を取ることに着眼し南京政権の面子をも考慮し同政権をして其の授権の形式下に実際上北支聯省分治を承認せしむること得策なりとす。(別紙第二次北支処理要綱参照)
 尚我方としては前記南京の授権を認むることは右を南京政権に対する政治上の手として利用し之に依り南京側との懸引に付最大限度の効果を収めんとするものなるを以て、之が処理に当りては中央及出先は一体となり緩急機宜の措置に出で飽迄厳正なる態度を持し仮にも支那側をして之に乗じ所謂二重政策を弄する余地なからしむること肝要なり。

二、南京政権に対する施策
 (以下の全文引用は省略)

 

 

…というものであった。

 「以下」の部分には、具体的項目として、

(三)日支懸案の解決促進
 (イ)最高政治顧問の傭聘
  国民政府に最高の邦人政治顧問を傭聘せしめ国民政府の内治外交等の枢機に参劃せしむ
 (ロ)軍事顧問の傭聘
  軍事顧問及軍事教官を傭聘せしむ

…などの南京政権への要求まで掲げられている。これでは、植民地扱い同然であり、南京政権が受け入れるはずもないだろう。そこに問題が存在するとの認識が抱かれたからこそ、「対支実行策改正意見」において、

三、防共協定は希望する所なるも対支政策の根幹とせず、又之を強制することなし
 日支軍事同盟の訂結、国民政府に於ける帝国最高政治顧問の傭聘、軍事顧問の傭聘、其他地方政権に対する施策等は暫く帝国より提議することを中止す

…との「意見」が発せられることになったのだと思われる。

 

 

 要するに、「対北支施策」の内容は、南京政権による国内統一への妨害の試み以外の何物でもない、内政干渉の最たるものなのである。

  分治の形式に就ては名目の如何に拘泥することなく、実質を取ることに着眼し南京政権の面子をも考慮し同政権をして其の授権の形式下に実際上北支聯省分治を承認せしむること得策なりとす。

 実現されるなら、確かに、「帝国」にとってこれほど都合のよい話はないだろう。しかし、「帝国」の都合通りになるほど、現実は甘いものではなかったのである。自国の領土(主権領域)であることが意味するのは、その領域が排他的な実効支配の下にあるという事実の存在であろう。実効支配の確立、つまり国内統一を目指していた渦中の南京政権に対し、「北支処理の主眼は該地域を防共親日の特殊地帯たらしめ併せて国防資源の獲得竝に交通施設の拡充に資」するとの「施策」をもって臨んだのが「帝国」日本だったわけである。自国内に、中央政権の統治から除外された地域の創設を求められて、南京政権が同意するなどと本気で考えていたのだろうか。

 

 

 

 昭和十二年一月六日に至っての、「対支実行策改正意見」における、

  1、帝国の対支強圧的又は優位的態度を更改し真に友情的対等的たらしむ

…との「改訂」は当然の帰結であると思われる。

 

 

 

 これが、陸軍参謀本部自身の「支那事変(日中戦争)前」における現状認識の実際であった。

 

 しかし、「改訂」以前の、「帝国の対支強圧的又は優位的態度」は、既に十分に、支那におけるナショナリズムの火に油を注いでしまっており、中国人の抗日意識を燃え上がらせ、むしろ南京政権の求心力を高めるものとなってしまっていたのである。

 要するに手遅れなのであった。

 

 

 

 

 

(オリジナルは、投稿日時 : 2010/08/08 15:20 → http://www.freeml.com/bl/316274/144491/

 

 

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