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2010年8月10日 (火)

続々・陸軍参謀本部ノ観察セル支那ノ現状

 

 陸軍参謀本部(第一部)第二課の作成文書を読むことにより、「支那事変(日中戦争)前」の陸軍参謀本部の現状認識の実際を確かめて来た。

 

 

 今回は、「支那事変」当時(「前」ではなく)の文書を読むことにしたい。

 当初は「北支事変」と呼ばれていた(つまり、ある程度の地域的限定性を前提とした呼称である)日支の軍事的衝突が拡大の様相を呈する中で、「今回ノ事変ハ之ヲ支那事変ト称ス」(事変呼称ニ関スル件)との閣議決定(昭和十二年九月二日)により、全面的な日支の軍事的衝突へと立至ったという認識が表明されたわけである。

 ここに示すのは、それから二ヵ月後の「対支那中央政権方策」である。
 

 

 

     対支那中央政権方策
          (昭和十二年十一月二十一日 参謀本部第一部第二課)

     方針

一、現下時局解決のため現状に於ては尚中央政権(蒋政権若くは其継承政権)をして翻意我に提携せしめ全支の問題を統一処理するの方針を堅持す。
 此の際北支内蒙及上海等の問題は全支問題の部分として中央宗主権下に於ける範囲の存在として之を継承容認せしむ。
 本項の目的達成の為には現中央政権が一地方政権たるの実に堕せざる以前に於て長期持久の決心に陥ることなく其面子を保持して講和に移行する如く我諸般の措置を講ずるを要するものとす。
 右努力は主として本年内に尽くさるべきものなりとす。

二、前項目的達成のための努力奏功の望無きに到り南京中央政権飽く迄長期持久の策を執り事実に於て一地方政権たるに移行する場合には一時全支分裂主義を容認し各方面共反蒋反共政権を樹立し政略上の攻勢に転移す。
 本決心の時期は来年初頭と予想す。

三、南京中央政権の簒奪者発生したる時其全般的統制力を保有する場合には第一項の主旨に準拠し統制力局限せられある場合には第二項の主旨に準拠す後者の場合和を求むるとき之が処理は各方面毎に部分的に解決す。
  本項の事態発生したるときは其転機を誤らざるを切望す。

     理由

一、東亜経綸の大局的見地より
 静に支那本然の姿を観るに近世の歴史東西南北悉く侵略受難ならざるはなし支那人ならずとも排外の思想勃発せざるを得んや我亦友邦の為に之を憂ふる所以なり而して排欧米就中防共の問題は支那の為には国内の問題にして東亜のためには日支共同の関心事なり。
 東亜の経綸は支那の解放と日支の提携とより始まる而して支那最近最大の苦悩は日本の威力と「ソ」邦の赤化なるを思ふとき日本が支那を善導するに道を以てし所要の統一を助け其脅迫感を除くとき日支提携の大道此に通じ支那は欧米勢力就中赤化より自己を解放するに専念するを得べく近き将来に予想すべき諸般の事態に処して支那を以て東亜経綸の伴侶たらしむを得ん。

二、日支問題解決上の見地より
 日支全般の問題を根本的に綜合して解決し次期の東亜経綸に前進せんがためには支那に中央政権の存在を必要とし之がためには反省せる蒋政権若くは其継承政権の存続を必要なりとす。
 蓋し蒋政権(継承政権)の否定は彼等を反日の一点に飛び込み窮鼠反齧の勢を馴致し其崩壊と否とに拘はらず結局相当年月の間に亘る全支分裂の出現となるべく此の間必然的に「ソ」米英策源の推進と相俟ち此に永久抗争んため帝国は将来に亘り之に莫大の国力を吸収せらるべく且東洋を駆て欧米輩の好餌に供し東亜経綸の前途を誤る所以なればなり。
 以上の見地に基き若現政権倒壊したる場合に於ても可及的速に統一政権の樹立に努力すべきものなりとす。
 而して現政権一派の真の翻意に関する可能性は寧ろ将来に於ける我が国力の充備と我が対支政策とに懸る問題にして既に日本の威力と欧米の不信とを体験したる今日抗日の不利を認め過酷ならざる条件下に講和に入らんとしあることは想像に難からざる所なりとす。
 現政権が講和条件を現実に履行せざる場合若は戦後支那内部の事情と我所期と異なる場合には一時分裂(反蒋)主義を認容すべく此の際之が実行を可能ならしむる為には講和の際に於て其条件を保障として確立し置くべきものなりとす。

三、防共上の見地より
 支那赤化を最少限度に極限するが為には中央現政権一派の統制力崩壊するの依然に於て本事変を終結するを可とし又赤化の駆逐には事変後の将来に於て現中央政権一派をして西面せしめ之を赤系分子の清掃に推進するを以て東亜経綸大局上の上策とすべし。
 蓋持久長きに従い蒋勢力の衰微と共に分裂の形勢を馴致し赤禍の台頭を予想すべく又何れの型式なるに拘らず講和発生の場合には赤系分子は分離して奥地に残存すべければなり。
 而して最悪の場合依然として排日統一政権の存続することあるも之が容共ならざる限り其我に対する不利は分裂に乗ずる赤化が日満両国に及ぼす禍害に比ぶれば尚軽易なるものと謂ふべし。

     (現代史資料 9 『日中戦争 2』 みすず書房 1964)

 

 

 

 

 盧溝橋事件後、南京攻略戦以前の段階での、参謀本部の認識(ホンネと言うべきであろう)がここに記されている。

 

 

 

  静に支那本然の姿を観るに近世の歴史東西南北悉く侵略受難ならざるはなし支那人ならずとも排外の思想勃発せざるを得んや我亦友邦の為に之を憂ふる所以なり而して排欧米就中防共の問題は支那の為には国内の問題にして東亜のためには日支共同の関心事なり。
  東亜の経綸は支那の解放と日支の提携とより始まる而して支那最近最大の苦悩は日本の威力と「ソ」邦の赤化なるを思ふとき日本が支那を善導するに道を以てし所要の統一を助け其脅迫感を除くとき日支提携の大道此に通じ支那は欧米勢力就中赤化より自己を解放するに専念するを得べく近き将来に予想すべき諸般の事態に処して支那を以て東亜経綸の伴侶たらしむを得ん。

 

…とあるわけだが、ここにある、

  近世の歴史東西南北悉く侵略受難ならざるはなし支那人ならずとも排外の思想勃発せざるを得んや

  而して支那最近最大の苦悩は日本の威力

…という二つの認識を、参謀本部自身が示しているという歴史的事実は、深く噛み締めておくに値するだろう(決して「東京裁判史観」とやらではないのだ)。「支那最近最大の苦悩は日本の威力」との言葉で、大日本帝國の存在が(それまでの支那における振る舞い自体が)、支那における「排外の思想」(日本にとっては「排日・抗日」の運動として立ち現れた)の源泉として位置付けられているわけである。

 

 

 本来、対ソ戦を目指して構築された大日本帝國陸軍にとり、支那事変の拡大は、対ソ軍備充実への障害となるものでしかなかった。

 既に、「対支実行策改正意見」(昭和十二年一月六日)において、

1、帝国の対支強圧的又は優位的態度を更改し真に友情的対等的たらしむ
2、北支特殊地域なる観念を精算し之を五省独立の気運に誘致するが如き方策を是正し現冀察政権の管掌する地域は当然中華民国の領土にして主権亦中央政府に在る所以を明確にす

…と、それまでの対支政策からの転換姿勢を示していたように、参謀本部第二課では、従前の「帝国」による南京政権の統一妨害方策の限界を認識し、つまり南京政権の現実の支配力を認める方向にあった。

 それゆえに、

  支那に中央政権の存在を必要とし之がためには反省せる蒋政権若くは其継承政権の存続を必要なりとす。

  蓋し蒋政権(継承政権)の否定は彼等を反日の一点に飛び込み窮鼠反齧の勢を馴致し其崩壊と否とに拘はらず結局相当年月の間に亘る全支分裂の出現となるべく…

…との認識が、この「対支那中央政権方策」においても繰り返し示されているわけである。

 

 

 

 しかし、現実には、この後の大日本帝國は南京攻略戦を選択し、「蒋政権ヲ対手トセズ」の声明まで出すに及んで、

 

  蓋し蒋政権(継承政権)の否定は彼等を反日の一点に飛び込み窮鼠反齧の勢を馴致し其崩壊と否とに拘はらず結局相当年月の間に亘る全支分裂の出現となるべく此の間必然的に「ソ」米英策源の推進と相俟ち此に永久抗争んため帝国は将来に亘り之に莫大の国力を吸収せらるべく且東洋を駆て欧米輩の好餌に供し東亜経綸の前途を誤る所以なればなり。

 

…という通りの展開を、自ら歩むことになったのであった。

 

 結局、対ソ戦準備は画餅に終わり、用意もないままに対米英戦へと突き進んでしまった結果が、あの未曾有の敗戦である。東亜経綸の前途を誤り、我が国体の前途さえ危うい状況を招いたわけである。 

 

 

 

 

 「第二課」のスタッフの慧眼には敬意を払っておくべきであろう。

 

 

 

 

 それまでの参謀本部第一部第二課を統括していたのは石原莞爾であり、その戦略的思考が反映されてこその「対支那中央政権方策」であったわけでもある。

 しかし、同時に、あの謀略的で軍中央の指示を無視したところで達成された「満洲事変」の立役者である石原による、支那における事変の不拡大の主張が、最終的に帝國陸軍軍人多数派に支持されることなく終わったのも皮肉かつ悲劇的な事態であった。「満洲事変」の首謀者の事変不拡大方針が、戦略的思考の欠如した帝國陸軍軍人への説得力を獲得することなど無理な話だった、ということであろうか?

 その意味では、支那事変の拡大を生み出したのは満洲事変の(当面の)成功なのであった。大東亜戦争の起源としての満洲事変という構図として描くことも可能に思える。

 満洲事変までの大日本帝國陸軍による国境線防衛任務は朝鮮北部と樺太に限定されていたのだが、満洲事変の結果、満洲国の北部にはソ連との長い国境線、満洲国の南部には中国との長い国境線が、帝國陸軍の新たな国境防衛任務の対象として加わってしまったのであった。ソ連の視点からすれば、満洲南部の国境をめぐる日支の軍事的対立は、ソ満国境における関東軍の軍事行動を抑制的に拘束するものとして歓迎されることになる。支那事変の際の、中国政府に対するソ連の軍事的支援には、そのような戦略的意味があることに留意しておくべきだろう。また、満洲事変の結果は、中国大陸における米国の門戸開放・機会均等(という名の下での権益獲得)政策の障害となるものであり、その後の日米対立の出発点でもあった。支那事変の拡大もまた、米国の機会均等・門戸開放路線への障害として位置付けられ、日米対立は深化することになる。

 そのような意味で、支那事変の拡大の起源、大東亜戦争の起源には、確かに満洲事変が位置付けられるのである。

 

 

 

 

 

(オリジナルは、投稿日時 : 2010/08/10 07:54 → http://www.freeml.com/bl/316274/144651/

 

 

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