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2010年7月 8日 (木)

桃太郎の蘭印(インドネシア民族独立の幻)

 

 昭和18年5月31日の御前会議で決定されたのが、「大東亜政略指導大綱」であった。

 大東亜戦争における大日本帝國占領地域の処遇に関する、国策最高レベルでの決定事項である。

 

 その内容は、

 

大東亜政略指導大綱
    第一 方針  
一、帝国ハ大東亜戦争完遂ノ為帝国ヲ中核トスル大東亜ノ諸国家民族結集ノ政略態勢ヲ更ニ整備強化シ以テ戦争指導ノ主導性ヲ堅持シ世界情勢ノ変転ニ対処ス 政略態勢ノ整備強化ハ遅クモ本年十一月頃迄ニ達成スルヲ目途トス  
二、政略態勢ノ整備ハ帝国ニ対スル諸国家民族ノ戦争協力強化ヲ主眼トシ特ニ支那問題ノ解決ニ資ス  
    第二 要領  
一、対満華方策
  帝国ヲ中心トスル日満華相互間ノ結合ヲ更ニ強化ス
  之ガ為
  (イ)対満方策
   既定方針ニ拠ル
  (ロ)対華方策
  「大東亜戦争完遂ノ為ノ対支処理根本方針」ノ徹底具現ヲ図ル為右ニ即応スル如ク別紙ニ定ムル所ニ拠リ日華基本条約ヲ改訂シ日華同盟ヲ締結ス之ガ為速ニ諸準備ヲ整フ
  右ニ関連シ機ヲ見テ国民政府ヲシテ対重慶政治工作ヲ実施セシムル如ク指導ス
  前項実行ノ時機ハ大本営政府協議ノ上之ヲ決定ス
二、対泰方策
  既定方針ニ基キ相互協力ノ強化ヲ強化ス特ニ「マライ」ニ於ケル失地回復、経済協力強化ハ速ニ実行ス
  「シャン」地方ノ一部ハ泰国領ニ編入スルモノトシ之ガ実施ニ関シテハ「ビルマ」トノ関係ヲ考慮シテ決定ス
三、対仏印方策 既定方針ヲ強化ス  
四、対緬方策 昭和十八年三月十日大本営政府連絡会議決定緬甸独立指導要綱ニ基キ施策ス  
五、対比方策 成ルヘク速ニ独立セシム  
独立ノ時期ハ概ネ本年十月頃ト予定シ極力諸準備ヲ促進ス  
六、其他ノ占領地域ニ対スル方策ヲ左ノ通定ム  
但シ(ロ)(ニ)以外ハ当分発表セス  
  (イ)「マライ」、「スマトラ」、「ジャワ」、「ボルネオ」、「セレベス」ハ帝国領土ト決定シ重要資源ノ供給源トシテ極力之ガ開発並ニ民心ノ把握ニ努ム  
  (ロ)前号各地域ニ於テハ原住民ノ民度ニ応シ努メテ政治ニ参与セシム  
  (ハ) ニューギニア等(イ)以外ノ地域ノ処理ニ関シテハ前二号ニ準ジ追テ定ム  
  (二) 前期各地ニ於テハ当分軍政ヲ継続ス  
七、大東亜会議  
以上各方策ノ具現ニ伴ヒ本年十月下旬頃(比島独立後)大東亜各国ノ指導者ヲ東京ニ参集セシメ牢固タル戦争完遂ノ決意ト大東亜共栄圏ノ確立トヲ中外ニ宣明ス

 

…というもの(これで全文)であった(明治百年史叢書 『杉山メモ 下』 原書房 1967)。

 

 

 

 ここでは蘭印(インドネシア)の取り扱いに注目しておこう。
 

  (イ)「マライ」、「スマトラ」、「ジャワ」、「ボルネオ」、「セレベス」ハ帝国領土ト決定シ重要資源ノ供給源トシテ極力之ガ開発並ニ民心ノ把握ニ努ム

…というのが、開戦後三年目(開戦の翌々年)における大日本帝國の国策の現実なのであった。「スマトラ」、「ジャワ」、「ボルネオ」、「セレベス」を併せれば、即ち蘭印である。

 つまり、蘭印に対しては「帝国領土」とすることが、昭和18年5月31日の御前会議の決定事項には含まれていたのである。「大東亜戦争完遂ノ為帝国ヲ中核トスル大東亜ノ諸国家民族結集ノ政略態勢ヲ更ニ整備強化」するためには、蘭印を「帝国領土」としておくことが必要と判断されたのであった。

 

 

 

 

 これまでも繰り返しご紹介した通り、靖国神社の遊就館の図録(平成20年版)には、

 

  戦後アジアの独立
 終戦と同時に、かつての宗主国が自らの領土と信じる植民地に復帰した。しかし、独立の意欲に目覚めた人々は、かつての従順な下僕ではなかった。マレーや仏印、蘭印で、激烈な独立戦争が勃発した。第一次世界大戦後に、日本が提唱して否決された「人種平等」の理想は、開戦劈頭に日本に破れて権威を失った宗主国が、武力で阻止できるものではなかった。東南アジアの民族は次々と独立し、やがて独立運動はアフリカなどに波及した。

  第二次世界大戦後の各国独立
 日露戦争の勝利は、世界特にアジアの人々に独立の夢を与え、多くの先覚者が独立、近代化の模範として日本を訪れた。しかし、第一次世界大戦が終わっても、アジア民族に独立の道は開けなかった。
 アジア民族の独立が現実になったのは、大東亜戦争緒戦の日本軍による植民地権力打倒の後であった。日本軍の占領下で一度燃え上がった炎は、日本が破れても消えることはなく、独立戦争などを経て民族国家が次々と誕生した。

 

…などという解説文が、インド、フィリピン、ミャンマー(ビルマ)、ベトナムの独立後の指導者の写真と共に掲載されている。そこには(当然のことながら)インドネシアのスカルノ、ハッタの姿もある。そしてインドネシアの「ナラリア勲章」の写真には、

  インドネシアの最高勲章。インドネシア対蘭独立(昭和二十四年)のために帰国せず現地に残り、オランダとの独立戦争に参加した日本軍軍人六名の功績に対し授与された。

…という説明が添えられていたりもする。

 記されているのは、植民地の解放の契機となった大日本帝國の姿であり、インドネシアの独立に貢献した日本軍軍人の存在である。

 

 インドネシアの独立と大日本帝國の戦争が同時に語られることにより、そして大日本帝國敗戦後にインドネシアの独立に協力した元帝国軍人の存在が強調されることにより、大東亜戦争がインドネシア独立をもたらしたもの(もたらすためのもの)であったかのように、事情を知らない者には読み取られてしまうだろう。

 

 確かに、

  アジア民族の独立が現実になったのは、大東亜戦争緒戦の日本軍による植民地権力打倒の後であった。

…という記述に偽りはないが、重要な事実が省略されてもいるのだ。

 

 蘭印(インドネシア)の人々にとり、

  大東亜戦争緒戦の日本軍による植民地権力打倒の後

…に「現実」であったのは、

  (イ)「マライ」、「スマトラ」、「ジャワ」、「ボルネオ」、「セレベス」ハ帝国領土ト決定シ重要資源ノ供給源トシテ極力之ガ開発並ニ民心ノ把握ニ努ム

…という大日本帝國の国策なのであって、その時点で「民族の独立」が彼らの「現実」となることはなかったのである。

 

 

 

 

 

 

(オリジナルは、投稿日時 : 2010/07/06 23:46 → http://www.freeml.com/bl/316274/142105/

 

 

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