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2010年6月30日 (水)

続々々・蘭印にやって来た桃太郎

 

 我が愛読書である、靖国神社の遊就館の図録(ここでは平成20年版を使用)を読むと、

  戦後アジアの独立
 終戦と同時に、かつての宗主国が自らの領土と信じる植民地に復帰した。しかし、独立の意欲に目覚めた人々は、かつての従順な下僕ではなかった。マレーや仏印、蘭印で、激烈な独立戦争が勃発した。第一次世界大戦後に、日本が提唱して否決された「人種平等」の理想は、開戦劈頭に日本に破れて権威を失った宗主国が、武力で阻止できるものではなかった。東南アジアの民族は次々と独立し、やがて独立運動はアフリカなどに波及した。

  第二次世界大戦後の各国独立
 日露戦争の勝利は、世界特にアジアの人々に独立の夢を与え、多くの先覚者が独立、近代化の模範として日本を訪れた。しかし、第一次世界大戦が終わっても、アジア民族に独立の道は開けなかった。
 アジア民族の独立が現実になったのは、大東亜戦争緒戦の日本軍による植民地権力打倒の後であった。日本軍の占領下で一度燃え上がった炎は、日本が破れても消えることはなく、独立戦争などを経て民族国家が次々と誕生した。

…などと書いてあるのに出会う。

 アジア解放戦争としての大東亜戦争という物語が語られようとしているわけである。

 

 先日来の話で言えば、アニメ『桃太郎 海の神兵』で描かれた、蘭印に降下した海軍空挺部隊長の桃太郎の活躍には、アジア諸民族の植民地状態からの解放に貢献する皇軍のイメージが込められている、というわけだ。

 

 

 しかし、先日来のもう一つのストーリーである、蘭印(インドネシア)の人々自身の目には進駐して来た皇軍の姿がどのように見えていたのか?という話からは、桃太郎の自己イメージとは異なる物語の存在を思い知らされことになるのであった。

 

 蘭印(インドネシア)の民族主義者の一人、イワ・クスマ・スマントリの『インドネシア民族主義の源流 -イワ・クスマ・スマントリ自伝-』(早稲田大学出版部 1975)を読めば、

  私たちは、まだ植民地支配のおりの中にあった。白い肌をした民族による植民地主義支配は終わったが、インドネシア民族は、黄色い肌の民族である日本人によって支配され続けていた。独立を求め闘おうとする者は、オランダ時代と同じ圧迫を受けていた。

あるいは、

  しかし、このインドネシア民族に数多くの悲劇をひき起こした日本軍の残酷で強圧的で厳しい植民地支配は、私たちの民族に積極的な感情をも植えつけた。

…という表現にぶつかるのである。

 ここには、はっきりと「インドネシア民族に数多くの悲劇をひき起こした日本軍の残酷で強圧的で厳しい植民地支配」と書かれているのである。インドネシアの民族主義者にとって、日本軍による占領(つまり桃太郎による占領)は、オランダの植民地から日本の植民地への変更を意味するものでしかなかったということになる。「私たちは、まだ植民地支配のおりの中にあった」とは、つまり、そういうことだ。

 

 

 もちろん、遊就館の図録にあるように、

  日露戦争の勝利は、世界特にアジアの人々に独立の夢を与え…

…たことは事実である。しかし、昨日に指摘したように、日露戦争後の日本の国策の基本は、

 一、国利民福ヲ増進スル為メ勉テ海外ニ向テ我利権ヲ拡張スルコト
 二、年々増加シツツアル過剰ノ人口ヲ移殖スヘキ植民地ヲ獲得スルコト
  即チ是ナリ
  利権ノ拡張ハ兵力ノ発達ニ伴ヒ世界ノ各方面ニ向ヒ商業的即チ平和的ニ増進セシムルヨリ外道ナシト雖モ植民地ノ獲得ニ至テハ平和的手段ノ外必ス兵力ノ之ニ伴隋スルモノナカル可ラス

…というものであった。まさに、日露戦争後の日本の陸軍中枢は、「年々増加シツツアル過剰ノ人口ヲ移殖スヘキ植民地ヲ獲得スルコト」という国策上の課題を実現すべく、「陸海軍ノ総兵力ヲ策定」するための作業に心血を注いでいたのである。

 日露戦争後の帝國の国是は、植民地解放ではなく、植民地獲得だったということだ。

 もちろん、それは、大日本帝國が特異な存在であったことを意味するのではなく、西欧先進諸国の流儀を見事に学び、列強と肩を並べつつあったことを意味するのである。大日本帝國の国益増進は、「植民地ヲ獲得スルコト」と不可分の関係にあると考えられていたのが、日露戦争後の現実であった。「植民地ヲ獲得スル」能力を持つことに、列強の一員たる資格が見出されていた時代の話である。

 そして、当時の日本人は、「植民地ヲ獲得スルコト」に成功し植民地保有国の一員となった祖国、列強の一員となった祖国に誇りを抱くことが出来たのである(その「誇り」は、往々にして、依然として列強の植民地下にあったアジアの人々に対する優越感となって表明されてしまうものではあったが)。

 

 

 さて、再び、遊就館の図録に戻ろう。そこには、

  第一次世界大戦後に、日本が提唱して否決された「人種平等」の理想は、開戦劈頭に日本に破れて権威を失った宗主国が、武力で阻止できるものではなかった。

…とも書いてあった。

 「日本が提唱して否決された人種平等の理想」とは、第一次世界大戦後のパリ講和会議における「国際連盟規約委員会」の場で、日本全権であった牧野伸顕が提唱した、

  人種あるいは国籍如何により法律上あるいは事実上何ら差別を設けざることを約す

…という規約条文案のこと(提案された文言は、たったこれだけの短いものである)を指していると思われる。が、帝國日本の示したこの美しい理想は、第一次世界大戦後の列強に受け入れられることはなかった。

 

 しかし、その美しい挫折の一方で、第一次世界大戦中の日本には、中華民国政府に対し、あの「二十一ヶ条」要求を突きつけた歴史もある。

 
 

第1号 山東問題の処分に関する条約案
 日本国政府及支那国政府は、偏に極東に於ける全局の平和を維持し且両国の間に存する友好善隣の関係を益々鞏固ならしめんことを希望し、ここに左の条款を締結せり。
1. 支那国政府は、独逸国が山東省に関し条約其他に依り支那国に対して有する一切の権利利益譲与等の処分に付、日本国政府が独逸国政府と協定すべき一切の事項を承認すべきことを約す。
2. 支那国政府は、山東省内若くは其沿海一帯の地又は島嶼を、何等の名義を以てするに拘わらず、他国に譲与し又は貸与せざるべきことを約す。 
3. 支那国政府は、芝盃又は龍口と膠州湾から済南に至る鉄道とを聯絡すべき鉄道の敷設を日本国に允許す。
4. 支那国政府は、成るべく速に外国人の居住及貿易の為自ら進で山東省に於ける主要都市を開くことを約す。其地点は別に協定すべし。

第2号 南満東蒙に於ける日本の地位を明確ならしむる為の条約案
 日本国政府及支那国政府は、支那国政府が南満州及東部内蒙古に於ける日本国の優越なる地位を承認するに依り、ここに左の条款を締結せり。
1. 両締約国は、旅順大連租借期限並南満州及安奉両鉄道各期限を、何れも更に九九カ年づつ延長すべきことを約す。
2. 日本国臣民は、南満州及東部内蒙古に於て、各種商工業上の建物の建設又は耕作の為必要なる土地の賃借権又は其所有権を取得することを得。
3. 日本国臣民は、南満州及東部内蒙古に於て、自由に居住往来し各種の商工業及其他の業務に従事することを得。
4. 支那国政府は、南満州及東部内蒙古に於ける鉱山の採掘権を日本国臣民に許与す。其採掘すべき鉱山は別に協定すべし。
5. 支那国政府は、左の事項に関しては予め日本国政府の同意を経べきことを承諾す。
6. 南満州及東内蒙古に於て他国人に鉄道敷設権を与え、又は鉄道敷設の為に他国人より資金の供給を仰ぐこと
7. 南満州及東部内蒙古に於ける諸税を担保として他国より借款を起こすこと
8. 支那国政府は、南満州及東部内蒙古に於ける政治財政軍事に関し顧問教官を要する場合には、必ず先ず日本国に協議すべきことを約す。
9. 支那国政府は本条約締結の日より九九カ年間日本国に吉長鉄道の管理経営を委任す。

第3号 漢冶萍公司に関する取極案
 日本国政府及支那国政府は、日本国資本家と漢冶萍公司との間に存する密接なる関係に顧み且両国共通の利益を増進せんが為、左の条款を締結せり。
1. 両締約国は、将来適当の時機に於て漢冶萍公司を両国の合弁となすこと、並支那国政府は日本国政府の同意なくして同公司に属する一切の権利財産を自ら処分し又は同公司をして処分せしめざることを約す。
2. 支那国政府は、漢冶萍公司に属する諸鉱山付近に於ける鉱山に付ては同公司の承諾なくしては之が採掘を同公司以外のものに許可せざるべきこと、並其他直接間接同公司に影響を及ぼすべき虞ある措置を執らんとする場合には先ず同公司の同意を経べきことを約す。

第4号 中国の領土保全の為の約定案
 日本国政府及支那国政府は、支那国領土保全の目的を確保せんが為、ここに左の条款を締結せり。支那国政府は、支那国沿岸の港湾及島嶼を他国に譲与し若くは貸与せざるべきことを約す。

第5号 中国政府の顧問として日本人傭聘方勧告、其他の件
1. 中央政府に政治財政及軍事顧問として有力なる日本人を傭聘せしむること。
2. 支那内地に於ける日本の病院、寺院及学校に対しては、其土地所有権を認むること。
3. 従来日支間に警察事故の発生を見ること多く、不快なる論争を醸したることも少からざるに付、此際必要の地方に於ける警察を日支合同とし、又は此等地方に於ける支那警察官庁に多数の日本人を傭聘せしめ、以て一面支那警察機関の刷新確立を図るに資すること。
4. 日本より一定の数量(例えば支那政府所要兵器の半数)以上の兵器の供給を仰ぎ、又は支那に日支合弁の兵器廠を設立し日本より技師及材料の供給を仰ぐこと。
5. 武昌と九江南昌線とを聯絡する鉄道及南昌杭州間、南昌潮州間鉄道敷設権を日本に許与すること。
6. 福建省に於ける鉄道、鉱山、港湾の設備(造船所を含む)に関し外国資本を要する場合には、先ず日本に協議すべきこと。
7. 支那における本邦人の布教権を認むること。

 
 

 国際政治の場で「人種平等」の理想を唱えることと、中国大陸における植民地的権益拡大の試み(それが二十一ヶ条-特に第5号-の実質である)が、我らが日本により、同じ1910年代に遂行されていた現実を見ておくことも、帝國の末裔たる私たちには必要なことだと思われる。

 

 

 

 

 今回、桃太郎=海兵隊説(?)から始まって、桃太郎による蘭印(インドネシア)の占領統治の話となり、当のインドネシア独立に貢献した民族主義者の自伝の記述という他者の視線と、「帝國國防方針」を策定した陸軍参謀本部自身の視線を交えることにより、「大東亜戦争=植民地解放戦争」論の自己欺瞞的側面を明らかにするという結果となってしまった。

 重要な点は、そこで援用したのが、決して「第二次世界大戦戦勝国側、連合国側の主張」ではないというところにある(と思っている)。

 一方は、植民地宗主国としての「第二次世界大戦戦勝国側、連合国」からの独立を果たしたインドネシアの民族主義者の自伝の記述なのであり、もう一方は、大日本帝國の国策遂行の当事者の認識を示した内部文書の記述なのである。いわゆる「東京裁判史観」とは関係のないところで、「大東亜戦争=植民地解放戦争」論の問題点が明らかにされてしまったわけだ。

 
 
 

 植民地保有国としての過去は、自慢すべき話ではないかもしれないが、「なかったこと」にして大東亜戦争=植民地解放戦争などという都合の良い話をでっち上げる必要もないんじゃないか、と私は思う。

 現在を生きる我々にとって、過去の大日本帝國の植民地保有を特別に恥じなければならない理由はない。植民地保有は、現代人としての我々自身の行為ではないからだ。つまり、我々が直接責任を負うべき問題ではないのである。世界史的展望の下で、過去の祖国の歴史を対象化し、距離をもって冷静に考察すればよいだけの話なのだ。

 しかし、歴史の捏造の試みは恥ずかしい。これは現在の我々の現実の恥、我々自身が責任を負うべき恥なのである。

 

 

 

 

 

〔付記〕 桃太郎については、「海兵隊と桃太郎(桃太郎 海の神兵)」(→ http://uma-sica.cocolog-nifty.com/blog/2010/06/post-e5e1.html)をお読みいただきたい。

 

 

 

 

 

(オリジナルは、投稿日時 : 2010/06/03 23:03 → http://www.freeml.com/bl/316274/139497/

 

 

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