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2010年6月27日 (日)

蘭印にやって来た桃太郎

 

  なお、「空の神兵」として国民に広く知られる事となる日本海軍空挺部隊を運搬したのも、九六式陸攻の輸送機版である九六式陸上輸送機である。1942年(昭和17年)1月11日にセレベス島のメナドに二波408人を降下させたのは延べ45機、2月20日に西ティモールのクパンへ二次に渡り700人を降下させたのは28機の九六式輸送機であった。

…という『桃太郎 海の神兵』にまつわる話(前回、前々回参照)と、

  神州丸はGL,龍城丸,MT,土佐丸という多彩な防諜名を持っているので,その事績を調べようとするとしばしば混乱してしまいます.対米英開戦開始の直後,インドネシア(蘭印)攻略を目指すジャワ島上陸作戦の最中に味方の魚雷を受け,作戦を指揮する第十六軍司令官今村均中將を海中に放り出して転覆した龍城丸がこの神州丸のことだと理解するまで私自身だいぶ回り道をしてしまいました.それほどに重要な機密として秘匿された船でした.

…という「陸軍独創の強襲揚陸艦」にまつわる話(前回参照)の共通点は、蘭印(インドネシア)であった。
(前々回→ http://uma-sica.cocolog-nifty.com/blog/2010/06/post-e5e1.html
(前回→ http://uma-sica.cocolog-nifty.com/blog/2010/06/post-c1ca.html

 どちらも、大東亜戦争緒戦段階における、蘭印攻略戦でのエピソードということになる。

 

 蘭印獲得こそが、対米英戦となった昭和16年12月8日以降の大日本帝國の戦争の焦点だったわけである。

 もちろん、真珠湾攻撃には、米太平洋艦隊の無力化という軍事的目的があり、大東亜戦争の重要な作戦であったことは確かだ。しかし、それは太平洋・東南アジア方面における米英の軍事力の弱体化が、蘭印獲得の永続性の保障を意味するからこその軍事作戦行動なのである。

 

 収拾不能となった盧溝橋以来の中国大陸における軍事力行使が、仏印進駐にまで拡大し、米国による石油禁輸という経済制裁発動をもたらしてしまった結果、大日本帝國は石油供給の枯渇の現実化という事態に直面してしまう。そこにあらためて浮上したのが、蘭印の石油の存在であり、軍事力による獲得の実行策としての開戦なのである。

 そこに、いわゆる南進局面となった対米英戦としての大東亜戦争の起源がある。

 資源確保における対米依存からの脱却、米国に依存しない石油資源の確保こそが、大東亜戦争の目的なのである。実際、開戦に先立つ大本営での議論は、南進の形式(対英蘭戦争に限定するのかどうか、それが可能かどうか、つまり対米戦争回避の可能性)と対米戦争となった場合の勝算、そして南進による資源獲得問題(南方資源確保が戦争の目的であると同時に、占領地からの資源供給が対米英戦の戦線維持の前提となる)に集中しているのだ。植民地からのアジアの解放についての議論には、大本営の参謀達には、その段階では関心が持たれていなかったように見える。

 
 

 もちろん、大東亜戦争における大日本帝國の敗戦が、戦後のアジアにおける植民地独立の契機となったことは確かである。その意味では、大東亜戦争は、アジアの植民地状態からの脱却の重要な要因であった。

 インドネシアの独立に際して、旧日本軍軍人兵士の果たした役割が評価されているのも事実である。しかし、大日本帝國の蘭印への関心は、石油資源の確保に始まるものであったのもまた、事実と言わねばならない。

 

 ここでは、植民地からの「解放」をもたらした大日本帝國の占領統治が、インドネシアの民族主義者の目に、どのように映じていたかを見ておこう。

 
 

  私たちは、蘭印政庁がどんなに残忍なインドネシア統治をしていたかを、いつでも、即座に描き出すことができる。人民は、オランダ人に対し激しい憎悪の念をもやしていた。従って、日本軍がインドネシアに上陸すると、私たちの間には、オランダからの解放感が生まれていた。民族運動の一部指導者は、日本軍を、将来のインドネシアに対する良い兆候であるとみなした。日本軍は、巧みな宣伝活動を行った。一部の知識人は、日本軍の語る計画を真実であると信じた。次々に標語が打ち出されてきた。そして、インドネシア人の胸を燃えたたせた。「アジア民族のためのアジア」「大東亜共栄圏」「アジアの指導者日本」が、その主なスローガンであった。日本軍がインドネシアに上陸したばかりのころ、インドネシア人民は、インドネシアに独立を与えるという日本軍の約束を大きな希望をもって迎えたものであった。
  だが、そうした状況は長く続かなかった。インドネシア人民、とりわけ知識人は、日本軍のジャワ上陸の意味が何であるかに、次第に気づくようになった。日本軍に続いて、文官、サクラ・グループ(民間人)が、インドネシアにやってきた。彼らは、インドネシアの天然資源を乱掘した。
  日本軍が、インドネシア人を登用し、官吏や兵士にする教育をしたのは、オランダ人が去ったあと、そのオランダ人の仕事の空白を埋めることができなかったからであった。日本軍に協力したインドネシア人指導者は、強制されたものもあったが、自発的に協力したものも少なくなかった。強制であれ、何であれ、私たちは、日本軍に協力しなければならなかった。一時に、全面的に日本軍との協力を拒否するのは、賢明な道ではなかった。知識人が占領軍に協力したのは、彼らがインドネシア民族の利益を無視したり、また、忘れたりしたからではなかった。そののちにおいても、あらゆる危険をのりこえて民族闘争が続けられていった。

 
 

 独立達成後のインドネシアで政府閣僚となった、イワ・クスマ・スマントリの『インドネシア民族主義の源流 -イワ・クスマ・スマントリ自伝-』(早稲田大学出版部 1975)の、第五章「日本軍政の時代」には、このように書かれている。

 
 

 桃太郎の意気込みとは別に、オランダという鬼の下で植民地とされていたインドネシアの人々に、桃太郎がどのように見えたのか?

 インドネシアの人々の目に映じた桃太郎の姿、それをここから読み取っておきたい。

 
 
 
 
 
 

 

〔付記〕 アニメ『桃太郎 海の神兵』(1944)の詳細については、前々回の記事、「海兵隊と桃太郎(桃太郎 海の神兵)」の後半をお読みいただきたい。
→ http://uma-sica.cocolog-nifty.com/blog/2010/06/post-e5e1.html


 

 

(オリジナルは、投稿日時 : 2010/05/31 23:38 → http://www.freeml.com/bl/316274/139273/

 

 

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