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2010年5月18日 (火)

続々・聖戦の論理(植民地宗主国への道)

 

 前回は、植民地支配の正当化の論理を、

  鍵がかかっていなかったからと他人の住居に侵入し、
  住人を一発殴ったら言うことを聞くようになったから居座ることは、
  侵入者の正しい権利である

…という主張及び、

  それを西欧国家が実行していた以上、
  続く大日本帝國もその論理を採用することは正当である

…とする、二つの命題により構成されるものとして要約することから始めたわけだが、今夜は、あらためて明治日本が直面させられた世界を振り返って考えてみたい。
 
 

 西欧列強によるアジア・アフリカの植民地化が展開された、19世紀後半の世界の中で、日本は西欧による植民地化を免れることに成功した。それは、軍事的弱者が西欧列強の植民地とされる時代の出来事であった。

 
 明治日本が採用した「富国強兵政策」とはまさに、軍事力の充実により、軍事的弱者である当時の現状から脱することで、西欧列強による植民地化を免れ得るとする発想によるものであろう。そして、明治日本は軍事力の充実に成功し、植民地化を免れるという目的は実現された。

 
 しかし「富国強兵政策」は植民地化に対する防衛にとどまらず、日露戦争後には、日本自身が植民地保有国となることで、防衛的なものから攻撃的なものへと変化していく。
 

 当時の国際情勢の中で西欧列強に植民地化されることは、日本にとって何よりの脅威だったわけだが、植民地化への防衛策としての「富国強兵」から、自らが他国を植民地化することが自己目的化される過程は、分けて考えられるべき側面があるように思われる。自らが植民地保有国になることは、いわば、防衛的姿勢から攻撃的姿勢への転換を意味するわけである。

 
 ここにあるのは、

  いぢめられないためには、自分がいぢめっ子になればいい

…という発想に近いものに思える。本来ならば、

  自分に対するいぢめは許さないが、自分は誰もいぢめない

…という発想の仕方もあるはずである。いぢめ(「いじめ」と書くべきか?←どうも『ぼのぼの』のしまりす君を連想してしまう「いぢめ」という表記を好んでしまうが)の対象とならないための腕力の獲得と、その腕力を、より弱い者に対して振るおうとすることは、別の事柄なのである。

 しかし、自分が誰もいぢめない道、より弱いものに対し腕力を振るわない道は、帝国への道を歩んだ日本には選択されなかったわけだ。

 「いぢめられることへの恐怖」は十分に理解されるべきであるし、その「恐怖」が、自らいぢめっ子にならねば解消されないという強迫観念に結びついてしまうことは、人間の心情としては理解可能であると思う。実際問題として、いぢめの連鎖(あるいは「いじめ」の連鎖)、いぢめの拡大再生産(あるいは「イジメ」の拡大再生産)の過程を観察することは、日本社会に生きる者にとって難しいものではない、かなり「ありふれた」と言ってもよい光景ではないだろうか?

 しかし、自らがいぢめっ子になった結果もたらされるのは、新たないぢめの被害者の発生に他ならないのである。

 
 日本の植民地保有努力を当初支えたであろう、上に示したような強迫的心情は十分に理解されるべきだとは思うが、しかしそれが植民地化による被害者をも生み出した事実も、同時に、直視すべき事柄であると、私は考える。

 明治初年の日本人が感じていたであろう「植民地とされる恐怖」を理解し、多大な努力の末に植民地化を免れた明治の歴史を賞賛するならば、その後の日本の帝国主義的政策の下に日本の植民地となった民族が感じた屈辱に対する想像力も必要に思う。

 支那事変の拡大の過程を振り返れば、中国大陸における「権益」の維持にとどまらず、その拡大をも目指していたように見えてしまうのは仕方がないことであろう。大日本帝國による、二国間条約により保障されていた「権益」の領域外での、つまり中国の主権領域での敵対的軍事行動の継続こそが、「支那事変」と呼ばれる歴史的出来事を構成しているのであるから。

 大日本帝国の「権益」の拡大とは、支那人の側からは祖国の「植民地状態」の拡大として感じられるものなのである。そこに彼らが喜ぶべき事態は存在しない。支那の愛国的民族主義者に、そのような事態が歓迎されるわけはないのである。

 明治初年の日本人が感じていたであろう、西欧列強の「植民地とされる恐怖」に対する想像力を持っているなら、大日本帝國の軍事行動の進展は、支那の人々にとっては大日本帝國の「植民地とされる恐怖」の源泉となったであろうことに対する想像力を持つことは難しくないはずである。

 

 にもかかわらず、

  中国を近代化させたのもまた日本です

…などと言って平然としている神経のあり方は、私には謎に近いものだ。

 中国共産党の支配する国に併合されたチベットの人々が、

  チベットを近代化させたのもまた中国共産党です

…などという言葉を喜んで受け入れると思うのだろうか?

 

 

 
 振り返って、たかだか数年間の米軍による戦後の日本占領統治を考えれば、、そこには現地調達主義の占領軍の存在ゆえの餓死者はなく、組織的に虐殺された日本人も存在しない。

 戦後の日本人は、占領軍から英語を強制されることも、教会での礼拝を強要されることもなく、検閲はされたが執筆を理由に投獄され拷問されることもなく、…結局、誰も占領軍に抵抗しようともしなかったのが歴史的現実である。

 にもかかわらず、占領から60年近く過ぎた今でも、「GHQのWIGPの影響」とやらについてクダ巻く(愛国系の?)諸氏の姿を見れば、かつての大日本帝國の植民地支配、皇軍による占領を経験した、朝鮮半島や中国大陸そして東南アジア諸国の人々が、今に至るまで日本に対して被害者として振舞うことの正当性を、私は、当然のこととして見出さざるを得なくなるわけだ。

 

 米軍の占領により、大日本帝國の占領下に置かれた人々が味わったようには「痛い目に遭う」ことのほとんどなかった日本人が、自らの現状を(60年前の5年ちょっとの)占領軍による洗脳政策(!)の結果であるなどと言い募ろうとする姿は、私には痛々しく滑稽に思える。

 そのような論者が本気でそれを主張するならば、かつての大日本帝國の植民地統治や占領支配の被害者の経験にも十分な想像力を払うことを忘れてはならないのは当然のことであろう。

…が、しかし、それを平気で忘れることの出来るのが、彼らの強みと言えば強みなのである。

 
 

 もし、本気で、

  中国を近代化させたのもまた日本です

…という主張をしようとするのならば、

  日本を近代化させたのはペリーです

あるいは、

  日本を民主化させたのはマッカーサーです

という主張もまた、論理的にはまったく同じ構造を持つものであることを理解し、日本の「近代化」や「民主化」について、ペリーやマッカーサーに感謝しなければならなくなるだけの話となるのであって、「GHQのWIGPの影響」とやらについてクダ巻いている場合じゃぁなくなってしまうのだ。

 自らの言説の現状の問題に気付き、他の国の愛国的民族主義者の心情への想像力を取り戻すことが、自身の愛国主義を説得力あるものへと鍛え上げる道となる。現状では、「愛国」を掲げる諸氏の主張が持ち得ているのは、愛国主義者ならぬ、ご都合主義者としての説得力であるに過ぎない。

 

 

 

 

 

 

 

(オリジナルは、投稿日時 : 2010/05/17 22:56 → http://www.freeml.com/bl/316274/138219/

 

 

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