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2010年5月16日 (日)

聖戦の論理(対支一撃論の果ての亡国)

 

 南京事件、そして支那事変をめぐって、

 

  いずれにしても、他国の国境内に軍隊を進撃させ敵対的行為を継続したのは、大日本帝國の側なのであり…

 

…と書いたのに対し、コメント欄に、

 

この見解はどう考えても誤りでしょう。
支那事変(日中戦争)前、というか中華民国建国・成立以前より、日本は中国大陸に軍の駐留権、その他権益を保有していたこと、中央政権を自称する勢力が多数存在し、対日本以前から血みどろの内戦を繰り広げていたこと、日本は在支日本人・権益・日本軍が度重なるテロ行為により脅かされた為に軍事力を行使したこと、その他支那側のあらゆる違法行為に触れていません。
これは明らかに第二次世界大戦戦勝国側、連合国側の主張だと思いますね。

盧溝橋事件、度重なる停戦交渉、停戦協定、そして通州虐殺・・・それでも日本は停戦交渉を重ね、軍人が惨殺され、
その上での第二次上海事変ですよ?
通州も上海も日本軍の軍事力が無く、確実に民間の日本人が殺害できるシチュエーションを狙ってきている。
現在においても、このような仕打ちを受けながら容認する国があるでしょうか?
軍事力を行使しない国があるでしょうか?
敵対勢力を制圧せよ!と世論が爆発することが異常な事でしょうか?

たしかに支那事変は日本の国際的立場を危うくさせました。
しかし、その後の歴史が経緯を踏まえず断片的に断罪する事はいかがなものか。
中国を近代化させたのもまた日本です。
事変と言っても実質国家間の戦争行為だった事は明らかで、中立を守らず蒋を支援し続けた列強の行為も問題です。
そもそも侵略者は軍事力によって日本を脅かし、先制攻撃をした支那側であり、日本は被害者なのです。

>戦争における俘虜(捕虜)の発生の問題に関し、
>「国際法」的常識を踏まえた上で戦争に臨んではいなかった

あくまで南京での捕虜殺害に関しては同意ですね
しかし、支那はもちろんのこと、列強に関しても国際法を遵守した国など存在しません
あくまで敗戦したからこそ誇張され、架空の罪まで加えて一方的に裁かれたのだという大前提を忘れて欲しくないものです

国際法は本来、戦勝国・敗戦国全ての罪を裁かなければならなかったのではないでしょうか?

     投稿: 頽廃 | 2010年3月18日 (木) 21時27分

 

…とのご意見が、以前の記事、「南京事件否定論への視点 2 便衣兵の姿」(http://uma-sica.cocolog-nifty.com/blog/2010/02/post-3e58.html)に寄せられていた。早くも二ヶ月近く前の話になるわけだが、もうひとつ焦点の定まらない印象のコメント(記事の主旨からすれば枝葉の問題でもあるし)なもので、答えあぐねたまま、時間が過ぎてしまった。

 複数の論点があるし、それぞれの論点に対しこちらの見解を示すには、歴史的事実を援用しての長い議論への覚悟が必要になる(と私には思われる)。同時に、コメント欄でのやり取りという対応では、現状以上に問題(論点)が拡散してしまう可能性も感じたので、新たな記事を書くという形での対応を取ることにした。

 
 
 
 
 

 ここでは、歴史理解の是非、歴史認識の是非の問題を前にしているわけだが、時系列で展開されるのが歴史である以上、それぞれの理解・認識も時系列上の展開に沿うものである必要がある。

 

 たとえばの話、寄せられたコメントにある、

支那事変(日中戦争)前、というか中華民国建国・成立以前より、日本は中国大陸に軍の駐留権、その他権益を保有していたこと、中央政権を自称する勢力が多数存在し、対日本以前から血みどろの内戦を繰り広げていたこと、日本は在支日本人・権益・日本軍が度重なるテロ行為により脅かされた為に軍事力を行使したこと、その他支那側のあらゆる違法行為に触れていません。

…という認識だが、1937年の盧溝橋事件以後の歴史を対象とする考察をする上では、あまりに雑駁な事実認識であると、私には思われる。

 

 1927年当時の中国大陸の状況に関してなら、確かに、

中央政権を自称する勢力が多数存在し、対日本以前から血みどろの内戦を繰り広げていた

…という認識も誤りではないだろうが、1937年の時点では、既に蒋介石の国民政府が「中央政権」としての実質を備えていたことは否定し難い。共産党を除いては、蒋介石に対抗し得る国内勢力は存在しなくなっていたのが1937年の政治状況であった。蒋の国民政府こそが国際連盟に代表を送っていたのだし、彼らが国際的承認も確保していたことは、たとえば「中独合作」の進行という事実を見れば明らかなことだろう。

 そもそも大日本帝國政府は、蒋介石の政権を正統政府として認めていたのである。そして共産党の「国共合作」の選択は、蒋介石政権の「中央政権」としての正統性を共産党の側が(少なくとも形式的には)承認したことを意味するのである。

 いずれにせよ、1938年1月のあの有名な「爾後、国民政府ヲ対手トセズ」との帝國政府の声明は、まさにそれまで「国民政府ヲ対手」としていた現実の反映以外のなにものでもない。そして、その声明の結果、外交交渉の相手を失い、外交的解決の道を自ら閉ざしてしまったのは帝國政府の失策そのものであろう。蒋介石政権以外に、中国大陸を政治的に掌握する勢力が存在していなかった現実があったからこそ、外交的解決の手段喪失状態となったことを、深く認識すべきなのである。

 外交交渉において、自国の要求を十分に満たさない状況があるからといって、相手国との外交関係を断絶するような選択は賢いものとは言えない(近衛は「声明」を後悔したようだが、その外交的稚拙さは取り返しのつかない「敗戦」への第一歩であったことを見逃すことは出来ない)。

 
 

 また、

支那事変(日中戦争)前、というか中華民国建国・成立以前より、日本は中国大陸に軍の駐留権、その他権益を保有していた…
日本は在支日本人・権益・日本軍が度重なるテロ行為により脅かされた為に軍事力を行使したこと、その他支那側のあらゆる違法行為に触れていません。

…という主張にしても、大日本帝國がその軍事力行使を、「合法的」と主張可能な「権益」の保護・防衛に限定しなかったという重大な事実を見落としているところに大きな問題がある。

 合法的な「権益」の保護を超えた軍事力の行使により、満洲全土が関東軍の支配下となったことをまず忘れてはならない。その上で、支那事変の「不拡大」ではなく「対支一撃論」に基づく事変の「拡大」とは、「合法的」に保有していた「権益」の領域外における軍事力の行使に外ならず、つまり中国の主権領域における敵対的な軍事力の行使であったことを意味することは明白であり、

そもそも侵略者は軍事力によって日本を脅かし、先制攻撃をした支那側であり、日本は被害者なのです

…という主張は、正当性を欠いたものと判断せざるを得ない。コメント中にある「通州事件」に至っては、大日本帝國の傀儡政権であった「冀東防共自治政府」の保安隊が引き起こしたものなのであり、そこに「侵略者は軍事力によって日本を脅かし、先制攻撃をした支那側であり、日本は被害者なのです」という構図を描こうとすること自体に無理がある。「第二次上海事変」についても、上海からの「支那側」の軍事力の排除までは正当性を主張出来るだろうが、首都南京攻略に至っては「合法的」な「権益」の保護を明らかに逸脱した、中国の主権領域での敵対的軍事力行使に外ならず、軍事力によって中国を脅かしていたのは大日本帝國の側であったと言わざるを得ない。

 
 あくまでも、「合法的」な「権益」の防衛に軍事力行使を限定し続けていれば、支那事変が対米英戦へと転化し、あの未曾有の敗戦=大日本帝國の滅亡を経験することもなく済んでいたはずである。

 

 
 植民地保有、そして植民地的権益の維持が、大東亜戦争の有無に関わらず、いずれかの時点で困難となるものであった(世界史的な展望として)にせよ、事変の拡大を抑制し対米英開戦に至ることさえなければ、大日本帝國には、1945年8月15日以降も植民地保有国・植民地的権益保有国としての地位を保ち続けることが可能であったはずである。

 朝鮮半島、台湾、南樺太といった植民地及び南洋の信託統治地域を失い、関東軍により達成された満洲国建国の成果を無にし、大陸におけるすべての権益を喪失し、靖国に新たに200万人を超える英霊を加え、核兵器の「被爆国」となり、占領下のアジアの人々の恨みを買い(直接の戦闘行為のみではなく、皇軍の現地調達主義の犠牲者の存在は無視出来ない)、マッカーサーの軍隊の占領下となることは、避けようとすれば避けられたことなのである。

 「事変の拡大」とは、大日本帝國の国益のすべての喪失をもたらした国家的選択だったのであり、そのことから眼を逸らすような(逸らそうとするような、あるいは逸らすように仕向けるような)態度に同意することは、私には出来ない。

 

 大東亜戦争が植民地解放戦争であったという主張を可能にするのは、植民地あるいは他国への植民地的従属状態にある民族の持つナショナリズムへの理解、民族独立への希求への理解であろう。中国国民のナショナリズムもまた正当なものであると考えざるを得ない以上、大日本帝國の「合法的」な植民地的権益維持への努力が中国の愛国的民族主義者からの排撃の対象となることは、理の当然なのである。

 しかし、その上で、「権益保有の合法性」という言い分を維持しようとするならば、「合法的」である「権益」外での軍事力行使の徹底的な抑制以外に選択の道はない。

 明らかに、1937年の大日本帝國は、その選択を誤ったと言うしかないのである。亡国への道は、あくまでも大日本帝國が主体的に選択したものなのであって、蒋介石やルーズベルトのせいにしたり、コミンテルンの陰謀のせいにすることは、結果として、大日本帝國が国際政治における主体的プレーヤーとしての資格を欠いていたことを主張してしまうことになるに過ぎない。

 私にはそんな恥ずかしい真似は出来ないが…

 

 

 

 

 

 

 

(オリジナルは、投稿日時 : 2010/05/15 22:37 → http://www.freeml.com/bl/316274/138062/

 

 

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