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2010年5月

2010年5月18日 (火)

続々・聖戦の論理(植民地宗主国への道)

 

 前回は、植民地支配の正当化の論理を、

  鍵がかかっていなかったからと他人の住居に侵入し、
  住人を一発殴ったら言うことを聞くようになったから居座ることは、
  侵入者の正しい権利である

…という主張及び、

  それを西欧国家が実行していた以上、
  続く大日本帝國もその論理を採用することは正当である

…とする、二つの命題により構成されるものとして要約することから始めたわけだが、今夜は、あらためて明治日本が直面させられた世界を振り返って考えてみたい。
 
 

 西欧列強によるアジア・アフリカの植民地化が展開された、19世紀後半の世界の中で、日本は西欧による植民地化を免れることに成功した。それは、軍事的弱者が西欧列強の植民地とされる時代の出来事であった。

 
 明治日本が採用した「富国強兵政策」とはまさに、軍事力の充実により、軍事的弱者である当時の現状から脱することで、西欧列強による植民地化を免れ得るとする発想によるものであろう。そして、明治日本は軍事力の充実に成功し、植民地化を免れるという目的は実現された。

 
 しかし「富国強兵政策」は植民地化に対する防衛にとどまらず、日露戦争後には、日本自身が植民地保有国となることで、防衛的なものから攻撃的なものへと変化していく。
 

 当時の国際情勢の中で西欧列強に植民地化されることは、日本にとって何よりの脅威だったわけだが、植民地化への防衛策としての「富国強兵」から、自らが他国を植民地化することが自己目的化される過程は、分けて考えられるべき側面があるように思われる。自らが植民地保有国になることは、いわば、防衛的姿勢から攻撃的姿勢への転換を意味するわけである。

 
 ここにあるのは、

  いぢめられないためには、自分がいぢめっ子になればいい

…という発想に近いものに思える。本来ならば、

  自分に対するいぢめは許さないが、自分は誰もいぢめない

…という発想の仕方もあるはずである。いぢめ(「いじめ」と書くべきか?←どうも『ぼのぼの』のしまりす君を連想してしまう「いぢめ」という表記を好んでしまうが)の対象とならないための腕力の獲得と、その腕力を、より弱い者に対して振るおうとすることは、別の事柄なのである。

 しかし、自分が誰もいぢめない道、より弱いものに対し腕力を振るわない道は、帝国への道を歩んだ日本には選択されなかったわけだ。

 「いぢめられることへの恐怖」は十分に理解されるべきであるし、その「恐怖」が、自らいぢめっ子にならねば解消されないという強迫観念に結びついてしまうことは、人間の心情としては理解可能であると思う。実際問題として、いぢめの連鎖(あるいは「いじめ」の連鎖)、いぢめの拡大再生産(あるいは「イジメ」の拡大再生産)の過程を観察することは、日本社会に生きる者にとって難しいものではない、かなり「ありふれた」と言ってもよい光景ではないだろうか?

 しかし、自らがいぢめっ子になった結果もたらされるのは、新たないぢめの被害者の発生に他ならないのである。

 
 日本の植民地保有努力を当初支えたであろう、上に示したような強迫的心情は十分に理解されるべきだとは思うが、しかしそれが植民地化による被害者をも生み出した事実も、同時に、直視すべき事柄であると、私は考える。

 明治初年の日本人が感じていたであろう「植民地とされる恐怖」を理解し、多大な努力の末に植民地化を免れた明治の歴史を賞賛するならば、その後の日本の帝国主義的政策の下に日本の植民地となった民族が感じた屈辱に対する想像力も必要に思う。

 支那事変の拡大の過程を振り返れば、中国大陸における「権益」の維持にとどまらず、その拡大をも目指していたように見えてしまうのは仕方がないことであろう。大日本帝國による、二国間条約により保障されていた「権益」の領域外での、つまり中国の主権領域での敵対的軍事行動の継続こそが、「支那事変」と呼ばれる歴史的出来事を構成しているのであるから。

 大日本帝国の「権益」の拡大とは、支那人の側からは祖国の「植民地状態」の拡大として感じられるものなのである。そこに彼らが喜ぶべき事態は存在しない。支那の愛国的民族主義者に、そのような事態が歓迎されるわけはないのである。

 明治初年の日本人が感じていたであろう、西欧列強の「植民地とされる恐怖」に対する想像力を持っているなら、大日本帝國の軍事行動の進展は、支那の人々にとっては大日本帝國の「植民地とされる恐怖」の源泉となったであろうことに対する想像力を持つことは難しくないはずである。

 

 にもかかわらず、

  中国を近代化させたのもまた日本です

…などと言って平然としている神経のあり方は、私には謎に近いものだ。

 中国共産党の支配する国に併合されたチベットの人々が、

  チベットを近代化させたのもまた中国共産党です

…などという言葉を喜んで受け入れると思うのだろうか?

 

 

 
 振り返って、たかだか数年間の米軍による戦後の日本占領統治を考えれば、、そこには現地調達主義の占領軍の存在ゆえの餓死者はなく、組織的に虐殺された日本人も存在しない。

 戦後の日本人は、占領軍から英語を強制されることも、教会での礼拝を強要されることもなく、検閲はされたが執筆を理由に投獄され拷問されることもなく、…結局、誰も占領軍に抵抗しようともしなかったのが歴史的現実である。

 にもかかわらず、占領から60年近く過ぎた今でも、「GHQのWIGPの影響」とやらについてクダ巻く(愛国系の?)諸氏の姿を見れば、かつての大日本帝國の植民地支配、皇軍による占領を経験した、朝鮮半島や中国大陸そして東南アジア諸国の人々が、今に至るまで日本に対して被害者として振舞うことの正当性を、私は、当然のこととして見出さざるを得なくなるわけだ。

 

 米軍の占領により、大日本帝國の占領下に置かれた人々が味わったようには「痛い目に遭う」ことのほとんどなかった日本人が、自らの現状を(60年前の5年ちょっとの)占領軍による洗脳政策(!)の結果であるなどと言い募ろうとする姿は、私には痛々しく滑稽に思える。

 そのような論者が本気でそれを主張するならば、かつての大日本帝國の植民地統治や占領支配の被害者の経験にも十分な想像力を払うことを忘れてはならないのは当然のことであろう。

…が、しかし、それを平気で忘れることの出来るのが、彼らの強みと言えば強みなのである。

 
 

 もし、本気で、

  中国を近代化させたのもまた日本です

…という主張をしようとするのならば、

  日本を近代化させたのはペリーです

あるいは、

  日本を民主化させたのはマッカーサーです

という主張もまた、論理的にはまったく同じ構造を持つものであることを理解し、日本の「近代化」や「民主化」について、ペリーやマッカーサーに感謝しなければならなくなるだけの話となるのであって、「GHQのWIGPの影響」とやらについてクダ巻いている場合じゃぁなくなってしまうのだ。

 自らの言説の現状の問題に気付き、他の国の愛国的民族主義者の心情への想像力を取り戻すことが、自身の愛国主義を説得力あるものへと鍛え上げる道となる。現状では、「愛国」を掲げる諸氏の主張が持ち得ているのは、愛国主義者ならぬ、ご都合主義者としての説得力であるに過ぎない。

 

 

 

 

 

 

 

(オリジナルは、投稿日時 : 2010/05/17 22:56 → http://www.freeml.com/bl/316274/138219/

 

 

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2010年5月16日 (日)

続・聖戦の論理(支那事変と大東亜戦争)

 

 前回の記事で、私は、

  植民地保有、そして植民地的権益の維持が、大東亜戦争の有無に関わらず、いずれかの時点で困難となるものであった(世界史的な展望として)にせよ、事変の拡大を抑制し対米英開戦に至ることさえなければ、大日本帝國は1945年8月15日以降も植民地保有国・植民地的権益保有国としての地位を保ち続けることは可能であったはずである。

…と書いた。また、

  大東亜戦争が植民地解放戦争であったという主張を可能にするのは、植民地あるいは他国への植民地的従属状態にある民族の持つナショナリズムへの理解、民族独立への希求への理解であろう。中国国民のナショナリズムもまた正当なものであると考えざるを得ない以上、大日本帝國の「合法的」な植民地的権益維持への努力が中国の愛国的民族主義者からの排撃の対象となることは、理の当然なのである。
  しかし、その上で、「権益保有の合法性」という言い分を維持しようとするならば、「合法的」である「権益」外での軍事力行使の徹底的な抑制以外に選択の道はない。

…とも書いた。

 

 

 今回は、前回の考察から得られた認識を出発点として、大東亜戦争の意義付けの試みと大日本帝國の植民地保有との関連をテーマとして書いてみたい。

 

 

 

 大東亜戦争を「正しい戦争」として意義付けるために、「植民地解放戦争」として位置付けることが一般的には行われている。

 昭和16年12月8日以降の戦争は、確かに植民地宗主国としての米英蘭に対するものであった。しかし、「大東亜戦争」と大日本帝國政府により名付けられたその戦争は、中国大陸を舞台として続いていた「支那事変」と呼ばれる実質的な戦争と不可分のものである。実際問題として、帝國政府自身が「今次の対米英戦は、支那事変をも含め大東亜戦争と呼称す」(情報局発表 12月13日「朝日新聞」)と宣言しているのである以上、支那事変と対米英戦は一体のものとして考えなければならない。

 

 

 ここで、前回の記事の元となったコメントを思い出しておきたい。コメントの趣旨は、支那事変の正当化の試みであったように思われる。あらためて引用すれば、

支那事変(日中戦争)前、というか中華民国建国・成立以前より、日本は中国大陸に軍の駐留権、その他権益を保有していたこと、中央政権を自称する勢力が多数存在し、対日本以前から血みどろの内戦を繰り広げていたこと、日本は在支日本人・権益・日本軍が度重なるテロ行為により脅かされた為に軍事力を行使したこと、その他支那側のあらゆる違法行為に触れていません。

…と書かれている。

 つまり、「中華民国建国・成立以前より、日本は中国大陸に軍の駐留権、その他権益を保有していた」のであり、その「権益」の保護を大日本帝國にとっての事変の目的と位置付けることで、「事変」の正当化が可能だとする論理がここにある。植民地的権益の維持を目的とした中国に対する敵対的軍事力の行使が正当なものであるとの主張がここにあるのである。

 

 

 しかし、ここで気付かねばならないのは、

  大東亜戦争の正当化への努力(=植民地解放戦争としての位置付けによる)

  支那事変の正当化への努力(=植民地的権益の維持の合法性の主張による)

…という二つの主張を同時に行おうとすれば、論理的整合性において破綻せざるを得ないという事実に直面してしまうという、論理的かつ倫理的な問題の存在ではないだろうか?

 

 

 

 そもそもの話、植民地支配の正当化の論理は、

 鍵がかかっていなかったからと他人の住居に侵入し、
 住人を一発殴ったら言うことを聞くようになったから居座ることは、
 侵入者の正しい権利である

…という主張及び、

 それを西欧国家が実行していた以上、
 続く大日本帝國もその論理を採用することは正当である

…とする、二つの命題により構成されるものとして要約出来るだろう。

 
 「支那事変」とは、日中間のニ国間条約に規定されたという意味では「正当」な(はずの)中国大陸における大日本帝國の「植民地的権益」の維持を目的とした、しかし「権益」の区域外である中国の主権下にある地域での、拡大の一途を辿った大日本帝國による軍事行動の一連の過程の呼称である。である以上、既に指摘したように、まさに支那事変=植民地的権益維持戦争と言うべきなのである。

 ここで、植民地「的」権益という語法を用いたからといって、「だからそれは植民地そのものとは異なる」と主張することは、不適切であろう。

 そこにあった「権益」とは、そもそも上記の、

 鍵がかかっていなかったからと他人の住居に侵入し、
 住人を一発殴ったら言うことを聞くようになったから居座ることは、
 侵入者の正しい権利である

との論理に基づいて獲得されたものなのであり、中国大陸における大日本帝國の「権益の正当化」の論理は、既に植民地獲得正当化の論理そのものと言うべきものなのだから。

 

 つまり、「支那事変」とは、まさに大日本帝國による植民地維持戦争であったのであり、その支那事変の展開の結果としての対米英戦争を植民地維持戦争と別の枠組みで捉えようとする試みは、欺瞞に満ちたものとならざるを得ないことになる。

 先に示したように、「大東亜戦争」という呼称は、当時の大日本帝國政府により、対米英戦争のみではなく支那事変をも含む呼称として採用されている以上、事変と対米英戦争は一体・不可分のものと考えらるべきものなのである。つまり、昭和16年12月8日に始まる対米英戦争は、植民地維持戦争としての支那事変の「展開・延長」として位置付けられなければならないということだ。

 そもそも、支那事変の拡大がなければ対米英開戦もないのであって、昭和16年12月8日以降の展開のみを取り出して「植民地解放戦争」として大東亜戦争を語ろうとすることは、歴史的事実関係の隠蔽・歪曲の試み以外の何物でもなく、論者の知的誠実さの欠如を証明する結果となるだけの話なのである。

 
 対米英戦争としての大東亜戦争が、言葉の真の意味での「植民地解放戦争」として評価されるべきだと主張するのであれば、それに先立って、大日本帝國の中国大陸における権益は帝國政府により率先して放棄されているべきなのであり朝鮮半島が朝鮮民族の手に委ねられているべきであることは、主張における論理的整合性の維持を知的誠実さの要件とするならば、つまり自身が倫理的であろうとするならば、当然の論理的かつ倫理的な帰結であろう。

 
 「大日本帝國による植民地支配の正当化」と同時に、植民地解放戦争として「大東亜戦争の正当化」を試みようとすれば、「大東亜戦争」と大日本帝國政府が名付けた戦争が、植民地維持戦争としての「支那事変」と一体不可分であった現実との両立不能性に直面せざるを得ないのであって、そのことから眼を逸らした上で展開されるような議論は欺瞞であり、論理的には無効なものに過ぎなくなる。

 
 もし、米英の対日外交政策に関し、中国大陸における大日本帝國の植民地的権益の維持を妨害し帝國の植民地維持政策に反するものであった、との理解の上で、植民地帝国としての大日本帝國の維持という国益の観点から、

 帝國の自存自衛戦争=大東亜戦争=植民地維持戦争

…として対米英戦をも含む大東亜戦争を正当化しようとするのであれば、そこに論理的整合性を保つことは可能である。

 

 つまり、大日本帝國の植民地保有を正当化しようとするならば、大東亜戦争=植民地解放戦争という図式での大東亜戦争正当化論を主張することは論理的に出来ないし、大東亜戦争=植民地解放戦争という戦争正当化論を本気で主張しようとするならば、支那事変=植民地維持戦争であったことを真摯に反省し、まず支那人に対する謝罪から始めるのが筋というものに思える(それが知的に誠実であるということだ)。

 しかし現実には、大日本帝國の植民地保有は正当なものだったのであり、なおかつ大東亜戦争=植民地解放戦争であったというのが、支那事変正当化論と大東亜戦争正当化論の主要な主張を構成する以上、そこに論理的整合性を見出すことは出来ないのである。
 

 

 

 

 知的な誠実さを持ち合わせているならば、

  大日本帝國の植民地保有を正当化しようとするなら、大東亜戦争=植民地解放戦争論は捨て去る

  大東亜戦争=植民地解放戦争論を主張するなら、支那事変=植民地維持戦争であったことを認め支那人に謝罪する

…のどちらかを選択しなければならない。もし、従前通りの主張を続けると言うならば、それは論者が、

 「知的」であっても「誠実」でない
 「知的」ではないが「誠実」かも知れない
 「知的」でも「誠実」でもない

…のどれかなのだということになる。
 

 潔さが日本人の美徳であると考える知的で誠実な人物ならば、過去の主張はどうあれ、私に同意するはずである。

 

 

 

 

 

 

(オリジナルは、投稿日時 : 2010/05/16 21:53 → http://www.freeml.com/bl/316274/138135/

 

 

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聖戦の論理(対支一撃論の果ての亡国)

 

 南京事件、そして支那事変をめぐって、

 

  いずれにしても、他国の国境内に軍隊を進撃させ敵対的行為を継続したのは、大日本帝國の側なのであり…

 

…と書いたのに対し、コメント欄に、

 

この見解はどう考えても誤りでしょう。
支那事変(日中戦争)前、というか中華民国建国・成立以前より、日本は中国大陸に軍の駐留権、その他権益を保有していたこと、中央政権を自称する勢力が多数存在し、対日本以前から血みどろの内戦を繰り広げていたこと、日本は在支日本人・権益・日本軍が度重なるテロ行為により脅かされた為に軍事力を行使したこと、その他支那側のあらゆる違法行為に触れていません。
これは明らかに第二次世界大戦戦勝国側、連合国側の主張だと思いますね。

盧溝橋事件、度重なる停戦交渉、停戦協定、そして通州虐殺・・・それでも日本は停戦交渉を重ね、軍人が惨殺され、
その上での第二次上海事変ですよ?
通州も上海も日本軍の軍事力が無く、確実に民間の日本人が殺害できるシチュエーションを狙ってきている。
現在においても、このような仕打ちを受けながら容認する国があるでしょうか?
軍事力を行使しない国があるでしょうか?
敵対勢力を制圧せよ!と世論が爆発することが異常な事でしょうか?

たしかに支那事変は日本の国際的立場を危うくさせました。
しかし、その後の歴史が経緯を踏まえず断片的に断罪する事はいかがなものか。
中国を近代化させたのもまた日本です。
事変と言っても実質国家間の戦争行為だった事は明らかで、中立を守らず蒋を支援し続けた列強の行為も問題です。
そもそも侵略者は軍事力によって日本を脅かし、先制攻撃をした支那側であり、日本は被害者なのです。

>戦争における俘虜(捕虜)の発生の問題に関し、
>「国際法」的常識を踏まえた上で戦争に臨んではいなかった

あくまで南京での捕虜殺害に関しては同意ですね
しかし、支那はもちろんのこと、列強に関しても国際法を遵守した国など存在しません
あくまで敗戦したからこそ誇張され、架空の罪まで加えて一方的に裁かれたのだという大前提を忘れて欲しくないものです

国際法は本来、戦勝国・敗戦国全ての罪を裁かなければならなかったのではないでしょうか?

     投稿: 頽廃 | 2010年3月18日 (木) 21時27分

 

…とのご意見が、以前の記事、「南京事件否定論への視点 2 便衣兵の姿」(http://uma-sica.cocolog-nifty.com/blog/2010/02/post-3e58.html)に寄せられていた。早くも二ヶ月近く前の話になるわけだが、もうひとつ焦点の定まらない印象のコメント(記事の主旨からすれば枝葉の問題でもあるし)なもので、答えあぐねたまま、時間が過ぎてしまった。

 複数の論点があるし、それぞれの論点に対しこちらの見解を示すには、歴史的事実を援用しての長い議論への覚悟が必要になる(と私には思われる)。同時に、コメント欄でのやり取りという対応では、現状以上に問題(論点)が拡散してしまう可能性も感じたので、新たな記事を書くという形での対応を取ることにした。

 
 
 
 
 

 ここでは、歴史理解の是非、歴史認識の是非の問題を前にしているわけだが、時系列で展開されるのが歴史である以上、それぞれの理解・認識も時系列上の展開に沿うものである必要がある。

 

 たとえばの話、寄せられたコメントにある、

支那事変(日中戦争)前、というか中華民国建国・成立以前より、日本は中国大陸に軍の駐留権、その他権益を保有していたこと、中央政権を自称する勢力が多数存在し、対日本以前から血みどろの内戦を繰り広げていたこと、日本は在支日本人・権益・日本軍が度重なるテロ行為により脅かされた為に軍事力を行使したこと、その他支那側のあらゆる違法行為に触れていません。

…という認識だが、1937年の盧溝橋事件以後の歴史を対象とする考察をする上では、あまりに雑駁な事実認識であると、私には思われる。

 

 1927年当時の中国大陸の状況に関してなら、確かに、

中央政権を自称する勢力が多数存在し、対日本以前から血みどろの内戦を繰り広げていた

…という認識も誤りではないだろうが、1937年の時点では、既に蒋介石の国民政府が「中央政権」としての実質を備えていたことは否定し難い。共産党を除いては、蒋介石に対抗し得る国内勢力は存在しなくなっていたのが1937年の政治状況であった。蒋の国民政府こそが国際連盟に代表を送っていたのだし、彼らが国際的承認も確保していたことは、たとえば「中独合作」の進行という事実を見れば明らかなことだろう。

 そもそも大日本帝國政府は、蒋介石の政権を正統政府として認めていたのである。そして共産党の「国共合作」の選択は、蒋介石政権の「中央政権」としての正統性を共産党の側が(少なくとも形式的には)承認したことを意味するのである。

 いずれにせよ、1938年1月のあの有名な「爾後、国民政府ヲ対手トセズ」との帝國政府の声明は、まさにそれまで「国民政府ヲ対手」としていた現実の反映以外のなにものでもない。そして、その声明の結果、外交交渉の相手を失い、外交的解決の道を自ら閉ざしてしまったのは帝國政府の失策そのものであろう。蒋介石政権以外に、中国大陸を政治的に掌握する勢力が存在していなかった現実があったからこそ、外交的解決の手段喪失状態となったことを、深く認識すべきなのである。

 外交交渉において、自国の要求を十分に満たさない状況があるからといって、相手国との外交関係を断絶するような選択は賢いものとは言えない(近衛は「声明」を後悔したようだが、その外交的稚拙さは取り返しのつかない「敗戦」への第一歩であったことを見逃すことは出来ない)。

 
 

 また、

支那事変(日中戦争)前、というか中華民国建国・成立以前より、日本は中国大陸に軍の駐留権、その他権益を保有していた…
日本は在支日本人・権益・日本軍が度重なるテロ行為により脅かされた為に軍事力を行使したこと、その他支那側のあらゆる違法行為に触れていません。

…という主張にしても、大日本帝國がその軍事力行使を、「合法的」と主張可能な「権益」の保護・防衛に限定しなかったという重大な事実を見落としているところに大きな問題がある。

 合法的な「権益」の保護を超えた軍事力の行使により、満洲全土が関東軍の支配下となったことをまず忘れてはならない。その上で、支那事変の「不拡大」ではなく「対支一撃論」に基づく事変の「拡大」とは、「合法的」に保有していた「権益」の領域外における軍事力の行使に外ならず、つまり中国の主権領域における敵対的な軍事力の行使であったことを意味することは明白であり、

そもそも侵略者は軍事力によって日本を脅かし、先制攻撃をした支那側であり、日本は被害者なのです

…という主張は、正当性を欠いたものと判断せざるを得ない。コメント中にある「通州事件」に至っては、大日本帝國の傀儡政権であった「冀東防共自治政府」の保安隊が引き起こしたものなのであり、そこに「侵略者は軍事力によって日本を脅かし、先制攻撃をした支那側であり、日本は被害者なのです」という構図を描こうとすること自体に無理がある。「第二次上海事変」についても、上海からの「支那側」の軍事力の排除までは正当性を主張出来るだろうが、首都南京攻略に至っては「合法的」な「権益」の保護を明らかに逸脱した、中国の主権領域での敵対的軍事力行使に外ならず、軍事力によって中国を脅かしていたのは大日本帝國の側であったと言わざるを得ない。

 
 あくまでも、「合法的」な「権益」の防衛に軍事力行使を限定し続けていれば、支那事変が対米英戦へと転化し、あの未曾有の敗戦=大日本帝國の滅亡を経験することもなく済んでいたはずである。

 

 
 植民地保有、そして植民地的権益の維持が、大東亜戦争の有無に関わらず、いずれかの時点で困難となるものであった(世界史的な展望として)にせよ、事変の拡大を抑制し対米英開戦に至ることさえなければ、大日本帝國には、1945年8月15日以降も植民地保有国・植民地的権益保有国としての地位を保ち続けることが可能であったはずである。

 朝鮮半島、台湾、南樺太といった植民地及び南洋の信託統治地域を失い、関東軍により達成された満洲国建国の成果を無にし、大陸におけるすべての権益を喪失し、靖国に新たに200万人を超える英霊を加え、核兵器の「被爆国」となり、占領下のアジアの人々の恨みを買い(直接の戦闘行為のみではなく、皇軍の現地調達主義の犠牲者の存在は無視出来ない)、マッカーサーの軍隊の占領下となることは、避けようとすれば避けられたことなのである。

 「事変の拡大」とは、大日本帝國の国益のすべての喪失をもたらした国家的選択だったのであり、そのことから眼を逸らすような(逸らそうとするような、あるいは逸らすように仕向けるような)態度に同意することは、私には出来ない。

 

 大東亜戦争が植民地解放戦争であったという主張を可能にするのは、植民地あるいは他国への植民地的従属状態にある民族の持つナショナリズムへの理解、民族独立への希求への理解であろう。中国国民のナショナリズムもまた正当なものであると考えざるを得ない以上、大日本帝國の「合法的」な植民地的権益維持への努力が中国の愛国的民族主義者からの排撃の対象となることは、理の当然なのである。

 しかし、その上で、「権益保有の合法性」という言い分を維持しようとするならば、「合法的」である「権益」外での軍事力行使の徹底的な抑制以外に選択の道はない。

 明らかに、1937年の大日本帝國は、その選択を誤ったと言うしかないのである。亡国への道は、あくまでも大日本帝國が主体的に選択したものなのであって、蒋介石やルーズベルトのせいにしたり、コミンテルンの陰謀のせいにすることは、結果として、大日本帝國が国際政治における主体的プレーヤーとしての資格を欠いていたことを主張してしまうことになるに過ぎない。

 私にはそんな恥ずかしい真似は出来ないが…

 

 

 

 

 

 

 

(オリジナルは、投稿日時 : 2010/05/15 22:37 → http://www.freeml.com/bl/316274/138062/

 

 

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