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2010年3月 2日 (火)

ジュリエットDVD 無敵の英雄(その知られざる過去)

 

 

   一人を殺せば…

 

…と、舞台中央に立つオッペンハイマー中将は、アイヒマンの言葉の引用を始めたのであった。

 

   一人を殺せば犯罪者だが…

 

 そして中将は叫ぶ。

 

   ワタシのケータイはエーユーだ!!

 

 爆笑する私。

 

 

 劇団無敵、第二回公演『ジュリエットDVD』のワンシーンであった。

 

 オッペンハイマー中将を演じているのは、劇団主宰者であり、作・演出でもある金城孝祐その人。

 ドイツ軍の制服の肩には大日本帝國陸軍の階級章という組み合わせ。しかし、下半身はフンドシに黒タイツ姿である。

 イ・カ・レ・タ・姿、だ。

 そのイカレタ将軍の口から、

   一人を殺せば犯罪者だが、私の携帯は英雄だ!!

というイカレタ言葉が吐き出される。完全にイカレタ将軍であることが宣言されたわけだ。

 

 本題から外れるが、

   一人を殺せば犯罪者だが、百万人殺せば英雄だ!

というセリフで思い出すのは、チャップリンの『独裁者』の中の演説である(私の場合)。ついでに調べてみると、そのセリフ自体は、ベイルビー・ポーテューズという英国国教会牧師で奴隷廃止論者の「人を一人殺せば人殺し(殺人犯)であるが、数千人殺せば英雄である」に遡ることになるらしい。

 で、実際のルドルフ・アイヒマンの言葉は、

   百人の死は悲劇だが百万人の死は統計だ

なのだそうだが、ネット上でのおざなりなチェックなので、
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1419096629
今のところは、例の[[要出典]]状態ではある(しかも、チャップリンの作品は『殺人狂時代』の方であるらしい)。

 

 

 『ジュリエットDVD』の舞台に話を戻そう。

 

 本筋は、失業中(らしい)DV男と、そのパートナーのやり取りから始まる。

 新しい仕事を探すことより、前職での失敗のトラウマに精神が引きずり込まれてしまう男。しかし、そもそもオレは失敗したのか?オレは何を失敗したのか?…というような精神の動きであろうか。

 男の心は過去へと向かい、「前を向こうよ」という女の声に耳を傾けることはない。むしろ暴力(DV)へと向かってしまう。

 そんなシチュエーションであった。

 

 舞台はフラッシュバックし、男の仕事場のシーンになる。

 男は小金井市長(!)だったのだ。治安悪化の一途を辿る前原地域への対策に追われる市長の姿。

 やがて、彼を叱責する上司が登場する。上司はホワイトハウスに属しているらしい。その上司が連れてくるのが、件のオッペンハイマー中将なのであった。

 

 再びフラッシュバックが繰り返され、法学部学生時代の市長と現在は上司となった男(二人はクラスメートだった)の居酒屋での会話シーンとなる。二人が前原出身であることが明かされ、居酒屋のマスターである、やはり前原出身のシゲさんも会話に絡んで来る。

 そんな主要登場人物が、それぞれに自分の現在を説明するために、それぞれの過去にフラッシュバックしていくのだ。

 シゲさんの少年時代であり、新兵時代のオッペンハイマーの姿(最初からイカレタ男ではなかった)。フラッシュバックにより、それぞれの現在が、過去に遡及することにより理解されようとしていく、ということになるだろうか。

 

 

 ここで思い出したのが、以前に書いた、

 日々の様々な行為や経験の内で、言語化され認識の対象となるのはその一部に過ぎないのであり、ましてや記憶されるまでに至る行為や経験は更にその一部に過ぎない。
 「更にその一部」となっていくのは、時系列の中で、自らの現在を説明するに有意だと思われる過去の経験、現状を説明し得るものとして因果的に把握される出来事の連鎖であろう。それが自らの来歴を形成し、自らにとっての事実となり、自らの歴史として記憶され、自身と他者に向けて説明されることになる自分という存在を構成するのである。つまり、過去は現在によって構成される。
 (http://uma-sica.cocolog-nifty.com/blog/2009/12/post-6b40.html

…という、経験と記憶の問題、個人を形成する歴史の問題であった。あるいは歴史を形成するファクターとしての記憶の問題であり、記憶を選択する個人の問題である。

 

 言葉で説明しようとするとシチメンドクサイ話が、演劇の舞台として、見事に可視化されていたのである。

 まぁ、複数の登場人物の過去と現在が複雑に絡まりあうわけだから、舞台の進行を理解するのも、多分にシチメンドクサイ体験となるわけでもあるが。

 

 

 しかし、自分の過去と再会し、トラウマとの和解を果たすことで、後ろを向き続けることから前を向くことへの方向転換も果たされ得るわけでもある。

…と要約してしまっては、舞台のカオスとエネルギーを伝えることが出来ない。

 

 焦土と化す前原のシーンを見ながら、現実に小金井市前原町にお住まいになっているらしい作者の金城氏が、このシナリオを書きながら炎上する前原町の姿をイメージしていたことは確かに違いない。ブッソーな男だ。個人的には、もうすぐやって来る3月10日が東京大空襲から65年となることを思い、65年という年月、体験者の中で燃え続けた東京の街のイメージを考えたりもしていた。

 また、街を守るためにテロリストとなったシゲさんの、男性器型の被り物を頭に載せた姿の後ろには、ムサビ(武蔵野美術大学)の芸祭名物(?)の男神輿のイメージがダブるのであった。心に対する肉体の勝利というモチーフと、校内外を駆け巡る男神輿(男神輿→ http://www.youtube.com/watch?v=ffeRABEO6CI&feature=related)。

 しかし、それもまた、遡及的にイメージをイメージに重ねる作業であり、その作業により、現に目前で展開されている舞台を理解することが試みられてしまうのである。作者がムサビ出身であるということが、ムサビの芸祭を知る者に、シゲさんの被り物と男神輿を一連のイメージとして了解させてしまうのだ。

 

 詰まるところ、現在は過去によって説明されるのだが、その過去は現在によって構成されているのである。

 

 

 

 

 

…なんてことを考えながら舞台を楽しんでいたわけだが、頭の一方で、私もメンバーである、戦争体験の継承を目的としたMLに最近乱入したネトウヨ(?)氏のことを思ってもいた。

 彼らの主張を要約すると、事実としての過去を見つめることによってではなく、美しい過去を捏造することに拠らずしては、自らの現在を愛することが出来ないという現実が彼らのものであることが理解出来るのだ。

 過去、そして歴史は、こうして事実からの逸脱を始めるのである。あるいは、創り上げられた美しい過去は、既に彼らの事実と成りおおせているのかも知れないのである。

 

 日曜日の夜、劇場から帰宅すると、PC画面上には、そんな現実が展開されていたのであった。

 

 

 

 

 

 

(オリジナルは、投稿日時 : 2010/03/02 21:12 → http://www.freeml.com/bl/316274/131667/

 

 

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