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2010年1月 3日 (日)

張子の虎の尾を踏むと…(年賀状 2010)

 

 ディズニーデザインのフライングタイガースのマークを、2010年、つまり今年の年賀状デザインに採用した話は既に書いた。

 

 12月24日の夜は、まず購入資料にあたり、次いで画像検索(flying tigers)で、当時の写真画像も多数チェックしたのだが、もうひとつ決め手を欠いた感じのものばかりだった。やがて、第二次世界大戦中にスイス山中に墜落した米軍爆撃機B-17の残骸を利用して、1972年生まれのスイス人の作製した「ノーズアート」作品シリーズ中の、「フライングタイガー」の姿を発見することになる。

 カーチスP-40に記されたフライングタイガーのマークが、美しく再現されている作品だ。
 (詳細は→ http://uma-sica.cocolog-nifty.com/blog/2010/01/post-985a.html

 
 
 
 

 しかし、それをどう年賀状デザインとしてまとめ上げるか、という問題が続くことになる。

 あの「現代史のトラウマ」シリーズを書いている人間の年賀状、という条件を満たさなければならないわけだ。

 つまり、どんな言葉を画像に添えるべきか、という問題である。実際に作業に取り掛かったのは、12月29日の夜であった。

 そしてその夜のうちに、デザイン決定&年賀状プリント作製完了。

 翌30日は宛名書きの一日。31日に、なんとか郵便ポストへ投函。

 
 
 
 

 まぁ、投函が大晦日ということで現物の配達はまだに違いないが、一足早くネットヴァージョン(オリジナルは住所電話番号氏名が記入されているので)を公開してしまおう。

 ↓  ↓  ↓

 
 
 

 
 
 
 

…という感じ。

 
 
 

 画像の下に添えた言葉は、

 1937年 支那事変 : 支那は張子の虎、皇軍に尻尾を踏まれた
 だけで屈服する(対支一撃論)はずだった。
  しかし、支那は実に巨大な「張子の虎」であった。いくら踏み続け
 ても屈服しない。
 1941年 真珠湾攻撃 : そして気付いた時には米国というマッチョ
 な虎の尾まで踏んでいた。
  そして4年後、
 1945年 ポツダム宣言受諾 : 屈服したのは皇軍の方であった。
  そして65年が過ぎ…
 2010年 …果たしてどんな年となりますやら?

というものである。

 

 画像の上の、

 張子の虎の尾を踏むと…

という言葉は、当初は、

 張子の虎の尾も踏むな!

だったのだけれど、画像下の言葉とのつながりから、「張子の虎の尾を踏むと…」へと変更した。

 

 まず、

 寅(虎)年→フライングタイガース

という連想から始まり、

 フライングタイガース→支那事変

 支那事変→中国

 中国→張子の虎(←眠れる獅子)

 張子の虎→対支一撃論(=支那事変) 

という構図となったわけだ。

 同時に、

 フライングタイガース→アメリカ

 アメリカ→対米戦争

 対米戦争→ポツダム宣言受諾

という流れから、虎の尾を踏んだ大日本帝國という連想が導き出される。

 両者が合体し、

 張子の虎+虎の尾を踏む→張子の虎の尾を踏む

という成句が生まれたわけだが、いかにも、かつての大日本帝國の失敗にふさわしい言葉ではありませぬか!

 つまり、

 盧溝橋事件→対支一撃論→戦線拡大→対米戦争→ポツダム宣言受諾

という大日本帝國の歩んだ歴史の流れが、

 張子の虎の尾を踏むと…

という成句に埋め込まれてしまうのだ。

 
 
 
 

 ちなみに、画面サイズの制約から盛り込むことは出来なかったが、

 米帝(アメリカ帝国主義)は張子の虎である

という中国共産党トップであった毛沢東の言葉も、「張子の虎」を語る上で欠かせないものだろう。1957年、モスクワでの演説中の言葉だという。

 もっとも、15年後には、その「米帝」の大統領と毛沢東は、平気な顔をして握手してしまうわけだ。大国同士の「大人の事情」というやつだろうか?

 わが日本国が「カヤの外」気分をたっぷり味うことになった歴史の一齣、1972年の出来事である。

 
 当初のアイディアでは、

 1945年 ポツダム宣言受諾 : 屈服したのは皇軍の方であった。

という言葉の後には、

 教訓 : 相手を「張子の虎」と呼ぶことで慢心してはいけない。

なんて言葉を続け、その上で、

  しかし…後日談がある。
 1957年 毛沢東モスクワ発言 : 今度は、中国共産党指導者が、
 米帝は張子の虎である、と主張する。
 1972年 ニクソン訪中 : 米帝の大統領が中共の主席と握手をした。
 張子の虎同士が手を結んだわけだ。

…となるはずだったのだが、そんなに文字数に余裕はなく、結果として現状デザインでまとまったというのが真相である。いずれにしても、

 相手を「張子の虎」と呼ぶことで慢心してはいけない

という教訓(?)は伝わるものになったとは思う。

 
 
 
 
 
 

【付記】

 「虎の尾を履む」(踏むではない)の出典は易経で(岩波文庫「易経」上巻p.151)云々、というコメントをオリジナルである「freeml」版の文章にいただいた。出典確認という、基本動作を怠っていた事実が暴露されてしまったのであった。

 ただし、意味的には「ドンピシャ」(→一般には思い上がりや慢心を戒める卦だとされています)だそうである。

 

 

 

(オリジナルは、投稿日時 : 2010/01/02 20:27 → http://www.freeml.com/ep.umzx/grid/Blog/node/BlogEntryFront/user_id/316274/blog_id/126505

 

 

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