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2010年1月

2010年1月10日 (日)

日本人であること、あるいは木村久夫の刑死

 

 

 日本は負けたのである。全世界の憤怒と非難との真只中に負けたのである。日本がこれまであえてして来た数限りない無理非道を考える時、彼らの怒るのは全く当然なのである。今私は世界全人類の気晴らしの一つとして死んで行くのである。これで世界人類の気持ちが少しでも静まればよい。それは将来の日本に幸福の糧を遺すことなのである。

 

 私は何ら死に値する悪をした事はない。悪を為したのは他の人々である。しかし今の場合弁解は成立しない。江戸の敵を長崎で討たれたのであるが、全世界から見れば彼らも私と同じく日本人である。彼らの責任を私がとって死ぬことは、一見大きな不合理のように見えるが、かかる不合理は過去において日本人がいやというほど他国人に強いて来た事であるから、あえて不服はいい得ないのである。彼らの目に留まった私が不運とするより他、苦情の持って行きどころはないのである。日本国民全体の罪と非難とを一身に浴びて死ぬと思えば腹も立たない。笑って死んで行ける。

 

 

 

…と書いたのは、陸軍上等兵木村久夫28歳であった。

 大正7年4月9日、大阪生まれ。高知高校を経て、昭和17年4月京都大学経済学部に入学。昭和17年10月1日に入営し、昭和21年5月23日、シンガポールのチャンギー刑務所にて戦犯刑死という経歴が、『きけわだつみのこえ』(岩波文庫 1982)の巻末に掲載されている。

 

 いわゆるBC級戦犯として刑死した(させられた)わけである。

 冒頭の文は、その彼が、刑死までの日々に手にしていた田辺元『哲学通論』の余白に書き記した言葉の中にあるものだ。

 

 

 『きけわだつみのこえ』に掲載されている全文に目を通すと、

  私の上級者たる将校連より法廷において真実の陳述をなすことを厳禁され、それがため、命令者たる上級将校が懲役、被命者たる私が死刑の判決を下された。

…と、戦犯裁判の経緯も記されている。木村は、上官の自己保身・責任転嫁の犠牲となったわけである(判決後に、その事実を裁判当局に訴えてはいるが、判決が覆ることはなかった)。陸軍ではなく海軍の事例であるが、昨年に放送された、「NHKスペシャル 日本海軍 400時間の証言」の「第三回 戦犯裁判 第二の戦争」(8月11日 ( 火 ) 午後10時00分~10時59分 総合)では、海軍が組織的に戦犯裁判対策を行い、責任回避に努めたことが当事者による証言で明らかにされていたことを思い出す。
 

 

 

 木村久夫が、

  日本がこれまであえてして来た数限りない無理非道を考える時、彼らの怒るのは全く当然なのである。

…と書いているのを読む時、その背後に木村自身の従軍体験があることを見落としてはならない。

 「日本がこれまであえてして来た数限りない無理非道」とは、皇軍兵士としての木村自身が直面させられ、経験させられた事態を要約した言葉なのである。大東亜共栄圏の確立やアジア解放というスローガンがあった一方で、その現場に立ち会った木村自身は、「数限りない無理非道」の目撃者・当事者となっていたわけである。

 

 その要約が事実に反するものであるとは考え難い。それが木村にとり事実であったからこそ、

  今私は世界全人類の気晴らしの一つとして死んで行くのである。これで世界人類の気持ちが少しでも静まればよい。それは将来の日本に幸福の糧を遺すことなのである。

…という言葉で、自身の理不尽な運命が合理化出来る(つまり理解可能になる)と考えているのだから。そのことを確認した上で、

  悪を為したのは他の人々である。しかし今の場合弁解は成立しない。江戸の敵を長崎で討たれたのであるが、全世界から見れば彼らも私と同じく日本人である。彼らの責任を私がとって死ぬことは、一見大きな不合理のように見えるが、かかる不合理は過去において日本人がいやというほど他国人に強いて来た事であるから、あえて不服はいい得ないのである。

…という木村久夫の言葉を味わっておきたい。

 確かに被告は木村であるが、ここでは木村久夫個人が裁かれているわけではない、と木村は自身の境遇を理解したのである。形式的には個人の戦争犯罪が裁かれているわけだが、ここでの木村は、個人としての木村久夫ではなく、大日本帝國陸軍の上等兵という類、日本人という類の一例として取り扱われているのである。

 大東亜共栄圏において、日本人は、自身が万邦無比の国体の精華の顕現である日本人であることを、上位の指導的立場から植民地統治をし占領地支配をすることの理由として主張していた。そこでは個々の日本人の能力が問われることはなく、日本人であるという条件のみで、他民族への支配的地位が約束されていたわけだ。日本人ではないという理由のみで、他民族出身者は日本人の下位に甘んじなければならなかったのである。そこでは、個々の個人の個性や能力ではなく、日本人であるかどうかのみが問われているのだ。つまり、問われていたのは個ではなく類なのである。

 「かかる不合理は過去において日本人がいやというほど他国人に強いて来た事」と木村が書く背景には、そのような大東亜共栄圏の現実がある。

 木村久夫の陸軍上等兵としての体験は、「日本がこれまであえてして来た数限りない無理非道」との表現として要約され得るものであり、である以上、類としての日本人に属する木村久夫は、

  彼らの目に留まった私が不運とするより他、苦情の持って行きどころはないのである。日本国民全体の罪と非難とを一身に浴びて死ぬと思えば腹も立たない。笑って死んで行ける。

…と自分を納得させることしか出来なかった、あるいは納得させることが出来た、あるいは納得させようとしていたのであった。

 

 

 

 

 

 

  かつてのごとき、我に都合の悪しきもの、意に添わぬものは凡て悪なりとして、ただ武力をもって排斥せんとした態度の行き着くべき結果は明白になった。今こそ凡ての腕力武力を捨てて、あらゆるものを正しく認識し、吟味し、価値判断することが必要なのである。これが真の発展を我が国に来す所以の道である。

…という木村久夫の言葉を、あらためて噛み締めておきたい。

 「我に都合の悪しきもの、意に添わぬもの」を、「反日」の一語で「排斥せんと」するような態度の横行する現在に、このBC級戦犯裁判の犠牲者の言葉は重く響く。

 

 

 

 

 

 

(オリジナルは、投稿日時 : 2010/01/09 22:56 → http://www.freeml.com/ep.umzx/grid/Blog/node/BlogEntryFront/user_id/316274/blog_id/127131

 

 

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2010年1月 6日 (水)

スバラシイ英国の監視社会の危機を救う日本の企業の姿

 

 複数のMLに参加しているわけだけれど、お遊び関係以外は、近現代史関係だったり、哲学(?)関係だったり、その他も情報獲得か議論が中心の「お堅い」ものが多い。

 自由に参加可能というネット上のMLという場には、当然のことながら様々な人間が参加しているわけで、投稿内容・議論内容も玉石混交となるのは止むを得ないことではある。

 

 

 アラシ系にはそれなりの対処の仕方があるけれど、当人がマジメな参加者として投稿を続けている(つもり)にもかかわらず、表明されるご意見は愚論ばかりという手合いには困るしかない。

 事実関係をあくまでも実証的に論じるか、あるいは問題をどこまで論理的に分析出来るかというスキルが、「お堅い」系のML投稿者には問われるのだと思うが、実証的な事実の提示への努力に配慮せず、論理水準の維持にも無関心に、ただただ「お気持ち」をのみ書き連ねたような「感想文」レベルの投稿を続けるタイプにはうんざりさせられるものだ。

 

 

 

 まぁ、今日もそんな投稿を読まさせられてウンザリしていたわけである。

 

 

 

 日本社会への悪口と英国社会の賛美のセットがお得意な人物が、相変わらずのつまらん話を続けていたわけだ。

 

 旭川の街角に林立する(らしい)警官の人形への文句やら、多過ぎる信号機への文句が書き連ねてあり、それに対し英国では…というお話の構成。警官の人形が不必要であることには同意するし、無駄な信号機に悩まされることも事実ではある。

 しかし、戦争体験の継承を目的としたML上でそんな話を聞かされても迷惑でしかない。実に退屈な話だ。

 

 まぁ、確かに英国はすばらしいよなぁ、先進的な監視社会だもんな、なんて思いながら読んでいたわけ。

 

 で、退屈しのぎに「英国 監視システム」で検索してみたら…

…なかなかに面白い話が出て来るのであった。

 

 

 

 

 「WIRED VISION」というサイトの、Charlie Sorrel 氏による「「全車両の移動を検索可能」:英国や日本の監視カメラ(動画)」(2009年5月28日)という記事から始めよう。
 (→ http://wiredvision.jp/news/200905/2009052821.html

 記事によれば、

 英国警察は、巨大な監視作戦を開始しようとしている。これに比べれば、[ジョージ・オーウェルの小説]『1984年』に登場する、[市民の行動を監視する双方向テレビ]「テレスクリーン」など、近所の店の監視カメラと同じくらい役立たずで善良に思える。

 英国の監視カメラのネットワークには、[街角に設置されたもののほかに、車両向けとして、]1日当たりおよそ1000万枚のナンバープレートを読み取れる『自動ナンバープレート認識』(ANPR)の大量のカメラも含まれる。読み取られたナンバープレートはすぐに中央コンピューターに送信・蓄積され、全国で共有される。[英語版Wikipediaによると、データは5年間に渡って保存。今後は1日あたり1億件のデータを処理できるようにする計画]

という話である。更に、

 このネットワークには、簡単なソフトウェアのアップグレードで、ほとんどすべての「それなりの機能を備えた」カメラを追加できるという。つまり、その数の多さで有名な英国の監視カメラをネットワーク化して、ナンバープレートのデータベースと統合できるのだ。[ロンドンに設置された監視カメラ総数は50万台、英国全体では420万台と推定されている]

 理論的には、全国のすべての車が追跡される可能性がある。あちこちにある監視ネットワークで居所が追跡されるだけでなく、ナンバープレートを検索エンジンに入力するだけで居所がわかるようになる世界だ。

というシステムが構築可能なわけだ。

 その420万台という監視カメラ数は、「WIRED VISION」の別の記事によれば、

 BBCの記事によると、英国では420万台の監視カメラが設置されており、これは14人に1台という割合

という計算になるらしい。
 (→ http://wiredvision.jp/news/200809/2008090221.html

 

 

 何ともスバラシイ監視社会ぶりである。さすがに英国はオーウェルの故国であった。

 

 

 

…なんて感嘆していたわけであるが、検索を続けると更に驚愕の実態が…

 

 

 ご紹介するのは、「CNET Japan」というサイトにある、「「データが膨大で手が回らない」--監視カメラ大国の英国で警察が悲鳴」(2009/05/18 17:19)という Tom Espiner氏の記事である。
 (→ http://japan.cnet.com/news/sec/story/0,2000056024,20393264,00.htm

 同記事によれば、

 英国警察長協会(Association of Chief Police Officers:ACPO)によると、警察は監視カメラが日々生成する大量の情報に手が回らなくなっているという。

 ACPOの犯罪記録局で情報ディレクターを務めるIan Readhead氏は先週、警察は監視カメラからの大量のデータに圧倒されており、警察が監視カメラの1機能である「Automatic Number Plate Recognition System(自動ナンバープレート認識システム)」を使ってリアルタイムで車を追跡できなくなっていることは大きな懸念の1つであると述べた。

というのである。記事は、

 保守党の「影の内閣」で内務相を務めるDominic Grieve氏は、犯罪対策ツールとしての監視カメラの効力は明確ではなく、警察による監視カメラの利用はリソース不足が障害となっていると述べている。

という言葉で結ばれているのであった。

 情報は解析されなければ意味を成さない。あまりに大量の情報に対し、解析作業が追いつかなくなっているというのである。取得された情報が何も生み出さない状況が出現してしまっているわけだ。

 実に皮肉な話である。

 

 

 

 しかし、話はまだ続く。

 

 ブログ「目黒川の畔にて」にある「英国監視カメラ(CCTV)社会の実際」(June 26, 2008)という記事を読もう。
 (→ http://tokyo-nagano.txt-nifty.com/smutai/2008/06/cctv_c5c2.html

 記事は、

 英国では、CCTVという言葉が一般に通用する用語として定着しています。世界に4千万台設置されているとされているCCTVの実に10分の1とも言われる台数が英国に設置されているとも言われています。

 CCTVはClosed-circuit television(有線テレビ)の略称であり、防犯用・監視用に幅広く使われています。英国セコム社長の竹澤稔氏は、1日ロンドンを歩くと、300回くらいはCCTVに撮影されていることになるとおっしゃっておられます。

という解説から始まる。ここでは、英国に設置されている監視カメラの国民14人に1台という台数が、世界中の監視カメラ台数の10分の1が英国に存在するという事実として示されているわけだ。しかし、先の「CNET Japan」の記事同様に、

 最近行われたセキュリティ対策(安全対策)に関する会合で、警察幹部が、CCTV カメラの犯罪抑止効果を否定する発言を行い、物議を醸しています。

 2008 年4 月にロンドン市内で行われたウェブサイト「セキュリティ・ドキュメント・ワールド」12の主催する会合で、ロンドン警視庁の「視覚映像・身元識別・検出局(Visual Images,Identifications and Detections Office; Viido)」の局長であるミック・ネビルし捜査部長が、「CCTV カメラでは、裁判で容疑者を有罪に持ち込むのに十分なほど質の良い映像を撮ることができず、その結果として、犯罪抑止効果をもたらすことにも成功していない。英国におけるCCTV カメラの利用は、膨大な資金の無駄遣いとなっている」との発言を行っています。

という現状を紹介している。

 同記事には、「CCTV カメラの映像の監視を行う警察職員は、より多くの訓練が必要とされており」、「CCTV カメラの映像監視は、退屈な仕事であるとして回避されがちである」というロンドン警視庁捜査部長の言葉も載せられている。確かにウンザリさせられる仕事に違いない。

 

 もっとも、うがった見方をすれば、監視社会化への懸念を逸らすための警察当局者の発言と解釈することも出来そうではある。

 

 しかし、そんな英国への救いの手は、既に差し延べられているのである。「監視カメラ大国の英国で警察が悲鳴」という事態への救いの手は、なんと、日本から差し延べられていたのであった。筆者は続ける。

 さて、一般的にはCCTVの設置台数が異常に多い割には、その機能自体に対しては疑問の声も出ている英国ではありますが、CCTVを実際のサービス向上に生かしている日本の企業が英国にはあります。セコムPLCという英国セコムです。

どういうことかというと、

 このように、英国の警備会社は防犯装置の販売のみを行なうのみであり、後は警察にお任せ、というのが基本であるに対し、セコムは、CCTVでの監視に加え、防犯装置が作動した場合、オーナーへの連絡や、警察の初動対応の下準備のため鍵を持参し現場へ駆けつけるなど、ソフトの防犯サービスを提供していることで競争力をつけてきたようです。 防犯装置の販売だけでなく防犯サービスそのものを提供するというセコム方式は、韓国や台湾等のアジアにおいても取り入れられてきましたが、英国においても、警報器が鳴った際の初動対応は警察が行なうとされてはいるものの、実際には、上述のように警察の対応にも制限があったり、警察の十分な対応は期待できないため、セコム方式の防犯サービスの提供は英国マーケットにおいても歓迎されているということです。

というお話なのである。予想もつかぬ展開であった。

 

 

 

 セコムの活躍とは別次元で、監視カメラ映像の解析プログラムの開発という解析システムの自動化という方向も追求されてはいるわけなので、この問題、まだまだ今後の展開には予断を許さぬところがあるようではある。

 たとえば顔面による個人識別認証システムの開発とか…
 (顔認証システム → http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%A1%94%E8%AA%8D%E8%AD%98%E3%82%B7%E3%82%B9%E3%83%86%E3%83%A0
 既に最近では、顔認証システムがコンパクトカメラに組み込まれていたりする事例もある。画角内にある既に登録設定された顔をカメラが認識し、撮影時のピントや露出が自動設定されるらしい。

 

 

 

…とまで話が発展してしまったことを思えば、退屈極まりないMLの投稿を読まさせられたのも必ずしも無駄ではなかった、ということであろうか?

 

 

 

 

(オリジナルは、投稿日時 : 2010/01/05 23:51 → http://www.freeml.com/ep.umzx/grid/Blog/node/BlogEntryFront/blog_id/126816/user_id/316274

 

 

 

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2010年1月 3日 (日)

張子の虎の尾を踏むと…(年賀状 2010)

 

 ディズニーデザインのフライングタイガースのマークを、2010年、つまり今年の年賀状デザインに採用した話は既に書いた。

 

 12月24日の夜は、まず購入資料にあたり、次いで画像検索(flying tigers)で、当時の写真画像も多数チェックしたのだが、もうひとつ決め手を欠いた感じのものばかりだった。やがて、第二次世界大戦中にスイス山中に墜落した米軍爆撃機B-17の残骸を利用して、1972年生まれのスイス人の作製した「ノーズアート」作品シリーズ中の、「フライングタイガー」の姿を発見することになる。

 カーチスP-40に記されたフライングタイガーのマークが、美しく再現されている作品だ。
 (詳細は→ http://uma-sica.cocolog-nifty.com/blog/2010/01/post-985a.html

 
 
 
 

 しかし、それをどう年賀状デザインとしてまとめ上げるか、という問題が続くことになる。

 あの「現代史のトラウマ」シリーズを書いている人間の年賀状、という条件を満たさなければならないわけだ。

 つまり、どんな言葉を画像に添えるべきか、という問題である。実際に作業に取り掛かったのは、12月29日の夜であった。

 そしてその夜のうちに、デザイン決定&年賀状プリント作製完了。

 翌30日は宛名書きの一日。31日に、なんとか郵便ポストへ投函。

 
 
 
 

 まぁ、投函が大晦日ということで現物の配達はまだに違いないが、一足早くネットヴァージョン(オリジナルは住所電話番号氏名が記入されているので)を公開してしまおう。

 ↓  ↓  ↓

 
 
 

 
 
 
 

…という感じ。

 
 
 

 画像の下に添えた言葉は、

 1937年 支那事変 : 支那は張子の虎、皇軍に尻尾を踏まれた
 だけで屈服する(対支一撃論)はずだった。
  しかし、支那は実に巨大な「張子の虎」であった。いくら踏み続け
 ても屈服しない。
 1941年 真珠湾攻撃 : そして気付いた時には米国というマッチョ
 な虎の尾まで踏んでいた。
  そして4年後、
 1945年 ポツダム宣言受諾 : 屈服したのは皇軍の方であった。
  そして65年が過ぎ…
 2010年 …果たしてどんな年となりますやら?

というものである。

 

 画像の上の、

 張子の虎の尾を踏むと…

という言葉は、当初は、

 張子の虎の尾も踏むな!

だったのだけれど、画像下の言葉とのつながりから、「張子の虎の尾を踏むと…」へと変更した。

 

 まず、

 寅(虎)年→フライングタイガース

という連想から始まり、

 フライングタイガース→支那事変

 支那事変→中国

 中国→張子の虎(←眠れる獅子)

 張子の虎→対支一撃論(=支那事変) 

という構図となったわけだ。

 同時に、

 フライングタイガース→アメリカ

 アメリカ→対米戦争

 対米戦争→ポツダム宣言受諾

という流れから、虎の尾を踏んだ大日本帝國という連想が導き出される。

 両者が合体し、

 張子の虎+虎の尾を踏む→張子の虎の尾を踏む

という成句が生まれたわけだが、いかにも、かつての大日本帝國の失敗にふさわしい言葉ではありませぬか!

 つまり、

 盧溝橋事件→対支一撃論→戦線拡大→対米戦争→ポツダム宣言受諾

という大日本帝國の歩んだ歴史の流れが、

 張子の虎の尾を踏むと…

という成句に埋め込まれてしまうのだ。

 
 
 
 

 ちなみに、画面サイズの制約から盛り込むことは出来なかったが、

 米帝(アメリカ帝国主義)は張子の虎である

という中国共産党トップであった毛沢東の言葉も、「張子の虎」を語る上で欠かせないものだろう。1957年、モスクワでの演説中の言葉だという。

 もっとも、15年後には、その「米帝」の大統領と毛沢東は、平気な顔をして握手してしまうわけだ。大国同士の「大人の事情」というやつだろうか?

 わが日本国が「カヤの外」気分をたっぷり味うことになった歴史の一齣、1972年の出来事である。

 
 当初のアイディアでは、

 1945年 ポツダム宣言受諾 : 屈服したのは皇軍の方であった。

という言葉の後には、

 教訓 : 相手を「張子の虎」と呼ぶことで慢心してはいけない。

なんて言葉を続け、その上で、

  しかし…後日談がある。
 1957年 毛沢東モスクワ発言 : 今度は、中国共産党指導者が、
 米帝は張子の虎である、と主張する。
 1972年 ニクソン訪中 : 米帝の大統領が中共の主席と握手をした。
 張子の虎同士が手を結んだわけだ。

…となるはずだったのだが、そんなに文字数に余裕はなく、結果として現状デザインでまとまったというのが真相である。いずれにしても、

 相手を「張子の虎」と呼ぶことで慢心してはいけない

という教訓(?)は伝わるものになったとは思う。

 
 
 
 
 
 

【付記】

 「虎の尾を履む」(踏むではない)の出典は易経で(岩波文庫「易経」上巻p.151)云々、というコメントをオリジナルである「freeml」版の文章にいただいた。出典確認という、基本動作を怠っていた事実が暴露されてしまったのであった。

 ただし、意味的には「ドンピシャ」(→一般には思い上がりや慢心を戒める卦だとされています)だそうである。

 

 

 

(オリジナルは、投稿日時 : 2010/01/02 20:27 → http://www.freeml.com/ep.umzx/grid/Blog/node/BlogEntryFront/user_id/316274/blog_id/126505

 

 

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