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2009年12月20日 (日)

日本国の象徴と、國體の本義 11

 

 

  我が神代に於ける現国(あきつくに)即ち葦原中国の統制の原理は、記紀に見える民族意識の内に、最も厳格に又最も明確に現れてゐる。その統制の原理として最も重大な点は、唯一つ皇室の尊厳といふことに帰着するのであつて、これは総べての生活の根底たり中枢たるものである。故に皇室の尊厳を犯すことは国民生活を根底から破壊することである。

…というのは、『新制 女子国語読本 巻九』(昭和十二年 東京開成館)に収録されている、田中義能の「世界無比の我が國性」と題された文章の冒頭である。国語教科書であって、歴史教科書ではないにしても、「世界無比の我が國性」の根拠が神話の記述に求められていることは確認出来るだろう。

 この冒頭に始まる文章は、

  神代にあつては、畏くも天照大神が当時の生活の中心として仰がれ給ひ、国民のあらゆる者は悉くこれを崇敬し奉つて、誰一人としてその高大な権威を認識し奉らない者はない実情であった。随つて御降誕の初からして、「光華明彩、六合の内に照徹せり。」と伝はり、最も優れた世界の高天原に君臨せられ統治あらせられたと記されている。故に一朝素戔嗚尊の如き神があつて、その尊厳を犯し奉られるや、八百万神は、一斉に立つて、天照大神の御為に百万奉仕し、その不祥神を排斥することに全力を尽くされたのである。かくして皇祖神である天照大神の御尊厳は、如何なる僻遠の地方にも早くから徹底してゐたのであつて、その証拠は種々の記述に於て見出される。素戔嗚尊が高天原から追われて出雲の国に降りられた時、足名椎・手名椎の二神は容易に尊に信服しなかつた。恐らく当時素戔嗚尊は多数の部下を率ゐ、権威を以て足名椎に臨まれたらうと察せられるが、而もその地方の有力者であつた足名椎も尊を知らなかつたとみえて、「恐(かしこ)けれども御名を覚(し)らず。」と、躊躇の色を示しているのである。然るに素戔嗚尊がこれに対して最も厳かな口調で、「吾(あ)は天照大神の伊呂勢(いろせ)なり。」と、その兄弟神たること答へさせ給ふや、「然坐(しかま)さばかしこし。」と言下に信服の旨を言上してゐるのである。この一事によつて見ても、天照大神の尊厳が、全国の如何なる地にも及んでゐたことが十分に理解されるのである。勿論今日の如き世の中ならば、新聞紙や雑誌などによつて、統べての事が容易に全国に普及するのは怪しむを要しないことであるが、何等の交通施設もなく報道機関もなかつた当時に於て、なほ天照大神の尊厳が徹底的に普く認識されてゐたことは、尋常ではないことと言はねばならぬ。
  この時に素戔嗚尊は八岐大蛇を平げて、その尾の中から霊剣を得られたので、「これは以て私に用ふべからず。と、わざわざ特使を出して、これを御姉天照大神に献上されたと伝へられてゐる。更にその御子の大国主命は、父尊から、「速に天下を平定して大国主命となり、また宇都志国玉神となつて国土を経営せよ。」との命を受けて、努力奮闘、遂に赫々たる功勲を立てられ、百姓はその恩沢を被つて、皆その徳を仰いだといふほどの大勢力者であつたにも拘らず、天つ神からこの国土を皇孫に奉れとの命を受けられるや、何等の抗争もなしにこれを献上された上、自ら八十万神を率ゐて、永く皇孫のために奉護を盟はれたのである。此等の事は、或は一種の神話に過ぎないと見る人があるかも知れないが、上代の伝説によれば、これは確な事実である。そしてこの事実は皇室の尊厳がただ漫然と全国的に認められていたといふのに止らず、如何に深く一般国民の脳裏に浸透してゐたかといふことを物語るものである。

…と続くのである。

 ここでは、神話の内容が歴史的事実として主張されることの実際に触れて欲しい。1937年の大日本帝國の教科書には、ファンタジーとしてではなく大真面目に、このような文章が収録されているのである。

 

 ここまで読めば、冒頭の文中の、

  皇室の尊厳を犯すことは国民生活を根底から破壊することである。

…という結語は、神話=歴史的事実という認識に起源を持つものであったことが、あらためて、理解出来るであろう。

 
 
 

 もちろん、そのような認識は教科書だけの問題ではない。

 

 政治の中枢である内閣までがそのような認識を強調して見せていたのが、昭和になっての大日本帝國の現実の姿なのである。

  恭しく惟るに、我が国体は天孫降臨の際下し賜へる御神勅に依り昭示せらるる所にして、万世一系の天皇国を統治し給ひ、宝祚の隆は天地と倶に窮なし。されば憲法発布の御上諭に国家統治の大権は朕が之を祖宗に承けて之を子孫に伝ふる所なりと宣ひ、憲法第一条には、大日本帝国は万世一系の天皇之を統治すと明示し給ふ。即ち大日本帝国統治の大権は厳として天皇に存すること明かなり。もしそれ統治権が天皇に存せずして天皇は之を行使する為の機関なりと為すがごときは、これ全く万邦無比なる我が国体の本義を愆るものなり。近時憲法学説を繞り国体の本義に関連して兎角の論議を見るに至れるは寔に遺憾に堪へず。政府はいよいよ国体の明徴に力を効し、その精華を発揚せんことを期す。乃千茲に意の在る所を述べて広く各方面の協力を希望す。
     (「国体明徴に関する政府声明」1935年8月3日  第1次国体明徴声明)

  暴に政府は国体の本義に間し所信を披涯し以って国民の響ふ所を明にしいよいよその精華を発揚せんことを期したり。抑々我が国体における統治権の主体が天皇にましますことは我が国体の本義にして帝国臣民の絶対不動の信念なり。帝国憲法の上諭並条章の精神亦姦に存するものと拝察す。しかるに漫りに外国の事例学説を援いて我が国体に擬し、統治権の主体は天皇にましまずして国家なりとし、天皇は国家の機関なりとなすが如き所謂天皇機関説は、神聖なる我が国体に悖り、その本義を愆るの甚しきものにして厳に之を芟除せざるべからず。政教其他百般の事項総て万邦無比なる我が国体の本義を基とし、その真髄を顕揚するを要す。政府は右の信念に基き姦に重ねて意あるところを間明し、以って国体観念いよいよ明徴ならしめ、英美蹟を収むる為全幅のカを効さんことを期す。
     (「国体明徴に関する政府声明」1935年10月15日  第2次国体明徴声明)

 昭和10年の岡田内閣による「国体明徴声明」とは、つまり、神話の記述を根拠とした、立憲君主としての天皇の地位の否定に他ならないのである。

 
 
 
 
 
 

 

(オリジナルは、投稿日時 : 2009/06/16 22:18 → http://www.freeml.com/ep.umzx/grid/Blog/node/BlogEntryFront/user_id/316274/blog_id/107300

 

 

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