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2009年12月20日 (日)

日本国の象徴と、國體の本義 5

 

 占領軍司令官からの憲法改正要求に対し、1945年(昭和20年)10月25日、幣原内閣は「憲法問題調査委員会」の設置をもって応えた。

 

…と言っても、これは、「憲法改正」を議論するための委員会ではなかった。委員長の松本烝治国務大臣の説明によれば、「この調査会は学問的な調査研究を主眼とするものであるから、若し改正の要ありといふ結論に達しても直ちに改正案の起草に当たるといふことは考へていない」ということだった。

 先行する、内大臣府御用掛という肩書きでの、近衛文麿による改憲作業への幣原内閣による対抗措置というのがそもそもの発端なのである。委員会の性格も、閣議了解に基くだけの非公式なものであった。

 
 

 10月27日に開催された第1回総会でも、松本烝治は、「憲法改正の要否について議論することはこの際不必要であると思う」と述べていた。

  ポツダム宣言では、この問題は日本人の自由意思にもとづいて決定すべきものとしているから、アメリカといえどもこれに命令し強制することはできない。日本人の総意は山の如く動かぬのである。したがって、第一条・第四条に触れる必要はない。第一条・第四条に触れなければデモクラティックにならぬなどということがあるはずはない。改正すべき点は数多くあっても、この問題は不変であると考える。

…とまで言い切っている。

 ちなみに、大日本帝國憲法の第一条・第四条は、

 大日本帝國ハ萬世一系ノ天皇之ヲ統治ス (第一条)
 天皇ハ國ノ元首ニシテ統治權ヲ總攬シ此ノ憲法ノ條規ニ依リ之ヲ行フ (第四条)

…である。つまり、主権者としての天皇を示す条文だ。

 松本烝治にとり、

  吾等ハ日本人ヲ民族トシテ奴隷化セントシ又ハ国民トシテ滅亡セシメントスルノ意図ヲ有スルモノニ非ザルモ吾等ノ俘虜ヲ虐待セル者ヲ含ム一切ノ戦争犯罪人ニ対シテハ厳重ナル処罰ヲ加ヘラルベシ日本国政府ハ日本国国民ノ間ニ於ケル民主主義的傾向ノ復活強化ニ対スル一切ノ障礙ヲ除去スベシ言論、宗教及思想ノ自由並ニ基本的人権ノ尊重ハ確立セラルベシ

…というポツダム宣言の文言は、「国民主権」への転換要求を含むものではなかったということになる。確かに、「日本国政府ハ日本国国民ノ間ニ於ケル民主主義的傾向ノ復活強化ニ対スル一切ノ障礙ヲ除去スベシ」という一節の「復活強化」という文言からは、かつて存在した「民主主義」への「復活強化」という解釈は生じうるものだろう。

 

 しかし、ポツダム宣言の背後にある連合国の視点からすれば、「大日本帝國憲法」の条文に支えられた国家体制こそが戦争を引き起こしたのであり、帝国憲法の拘束下での「民主主義」には戦争を阻止出来なかったのだ、ということになる。

 つまり、「大日本帝國ハ萬世一系ノ天皇之ヲ統治ス」及び「天皇ハ國ノ元首ニシテ統治權ヲ總攬シ此ノ憲法ノ條規ニ依リ之ヲ行フ」という「帝国憲法」の体制の継続では、

六 吾等ハ無責任ナル軍国主義ガ世界ヨリ駆逐サラルルニ至ル迄ハ平和、安全及正義ノ新秩序ガ生ジ得ザルコトヲ主張スルモノナルヲ以テ日本国国民ヲ欺瞞シ之ヲシテ世界征服ノ挙ニ出ヅルノ過誤ヲ犯サシメタル者ノ権力及勢力ハ永久ニ除去セラレザルベカラズ

…というポツダム宣言の条項の達成は出来ないということになるだろう。

 世界より駆逐されるべき「軍国主義」を生み出すシステムとして機能したのが、「大日本帝國憲法」であったという認識となるわけだ。

 

 

 
 

 主権者としての天皇、政治的軍事的大権の保有者としての天皇が意味するのは、大日本帝國の政治的(軍事的)意思決定における国民の従属性である。

 政治的意思決定における国民の主体性の保証こそが民主主義の根幹であると考えるのだとすれば、そこでは「国民主権」という原則の採用が当然の帰結となるはずなのである。

 
 

 昭和20年の10月、近衛文麿にも松本烝治にも、その認識はなかったということになる。

 
 

 
 もっとも、戦後の昭和天皇の証言によれば、天皇自身は常に「立憲君主」として振舞うことを心がけていたのであり(註)、天皇もまた、「政治的軍事的大権の保有者」と憲法上は規定されながらも、政治的軍事的意思決定への従属的存在であったということになっているのである。
 
 
 

 

 

(註) ここでは、「立憲君主」が「君臨すれども統治せず」的に、つまり君臨しても統治しない存在(政治的軍事的意思決定への従属的存在)として取扱われてしまっているが、国法学的には、君臨し統治する立憲君主も存在する。
 憲法に、統治権の主体が君主のものであることが明記されていれば、実際に統治行為を行うかどうかとは関係なく、そこに「立憲君主」の存在は見出されるのである。
(詳細は以下の記事を参照願いたい―2011年1月6日記)
 日本国の象徴と、國體の本義 13(「立憲政治」と天皇)
  → http://uma-sica.cocolog-nifty.com/blog/2010/10/post-3d4d.html
 日本国の象徴と、國體の本義 14(君臨し統治する天皇)
  → http://uma-sica.cocolog-nifty.com/blog/2010/10/post-156d.html

 
 
 
 

 

(オリジナルは、投稿日時 : 2009/06/02 22:04 → http://www.freeml.com/ep.umzx/grid/Blog/node/BlogEntryFront/user_id/316274/blog_id/105972

 

 

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