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2009年12月20日 (日)

日本国の象徴と、國體の本義 8

 

 「大日本帝國憲法」下における、主権者として軍事的政治的大権を保有し「帝國」に君臨する天皇から、「日本国憲法」の下での「国民主権」の原則と「象徴」としての天皇への変化。

 
 

 現在では、何の疑問も持たれない「国民主権」という民主主義の基本原則ではあるが、昭和20年8月15日以後の大日本帝國を引き継いだ政治家達の脳裏にはまったく存在しない統治のイメージだった。

 これまでに、内大臣府御用掛としての近衛文麿、幣原内閣の松本烝治国務大臣主宰の憲法問題調査委員会、そして自由党あるいは進歩党といった保守政党サイドの憲法改正案を検証して来たわけだが、国家における天皇の位置付けと国民の政治的権利に関しては、明治憲法(大日本帝國憲法)からの転換の必要という発想は、まったく見出すことが出来なかった。

 
 

 

 

 大日本帝國の敗戦とは、ポツダム宣言の受諾を意味するのであり、すなわち、

 

六 吾等ハ無責任ナル軍国主義ガ世界ヨリ駆逐サラルルニ至ル迄ハ平和、安全及正義ノ新秩序ガ生ジ得ザルコトヲ主張スルモノナルヲ以テ日本国国民ヲ欺瞞シ之ヲシテ世界征服ノ挙ニ出ヅルノ過誤ヲ犯サシメタル者ノ権力及勢力ハ永久ニ除去セラレザルベカラズ

七 右ノ如キ新秩序ガ建設セラレ且日本国ノ戦争遂行能力ガ破砕セラレタルコトノ確証アルニ至ル迄ハ聯合国ノ指定スベキ日本国領域内ノ諸地点ハ吾等ノ茲ニ指示スル基本的目的ノ達成ヲ確保スル為占領セラルベシ

十 吾等ハ日本人ヲ民族トシテ奴隷化セントシ又ハ国民トシテ滅亡セシメントスルノ意図ヲ有スルモノニ非ザルモ吾等ノ俘虜ヲ虐待セル者ヲ含ム一切ノ戦争犯罪人ニ対シテハ厳重ナル処罰ヲ加ヘラルベシ日本国政府ハ日本国国民ノ間ニ於ケル民主主義的傾向ノ復活強化ニ対スル一切ノ障礙ヲ除去スベシ言論、宗教及思想ノ自由並ニ基本的人権ノ尊重ハ確立セラルベシ

十二 前記諸目的ガ達成セラレ且日本国国民ノ自由ニ表明セル意思ニ従ヒ平和的傾向ヲ有シ且責任アル政府ガ樹立セラルルニ於テハ聯合国ノ占領軍ハ直ニ日本国ヨリ撤収セラルベシ

 

…という連合国による要求を満たす努力を、敗戦国としての日本の政府が課せられたということを意味するものであった。

 
 
 

 マッカーサーの近衛への示唆に始まる憲法改正の試みもまた、ポツダム宣言にある、「日本国国民ヲ欺瞞シ之ヲシテ世界征服ノ挙ニ出ヅルノ過誤ヲ犯サシメタル者ノ権力及勢力」を「永久ニ除去」し、「吾等ノ俘虜ヲ虐待セル者ヲ含ム一切ノ戦争犯罪人ニ対シテハ厳重ナル処罰ヲ加ヘ」、「日本国国民ノ間ニ於ケル民主主義的傾向ノ復活強化ニ対スル一切ノ障礙ヲ除去」し、「言論、宗教及思想ノ自由並ニ基本的人権ノ尊重」の確立という諸要求の実現の過程のひとつ、それも中心となる「ひとつ」であった。

 

 ポツダム宣言には、「日本国国民ヲ欺瞞シ之ヲシテ世界征服ノ挙ニ出ヅルノ過誤ヲ犯サシメタル者ノ権力及勢力」を「永久ニ除去」し、「吾等ノ俘虜ヲ虐待セル者ヲ含ム一切ノ戦争犯罪人ニ対シテハ厳重ナル処罰ヲ加ヘ」ることと、「日本国国民ノ間ニ於ケル民主主義的傾向ノ復活強化ニ対スル一切ノ障礙ヲ除去」し、「言論、宗教及思想ノ自由並ニ基本的人権ノ尊重」の確立という、大枠で二つの要求があったと言うことが出来る。

 戦争を主導した勢力の除去と処罰が前者であり、日本国の民主主義化が後者である。

 その両者の要に位置するのが天皇の処遇という問題であり、それは、憲法の条文の問題であると共に戦犯処罰(「東京裁判」として現実化する)の問題であり、同時に占領の統治方式をめぐる問題でもあった。

 
 

 天皇に対する戦犯指名の是非は、戦後に浮上した問題ではなく、既に戦中から各国において様々に論じられて来た問題であった。

 米国内でも、占領統治における天皇の利用可能性の問題としてであると同時に、天皇及び宮中グループ(と称せられる政治家・軍人)を「穏健派(あるいは自由主義者)」として位置付けることによる戦争主導者からの天皇の分離の可能性の問題として議論されていたのである。

 駐日大使という経歴を持ち、国務次官として戦後へ向けた対日政策立案の中心となったジョセフ・グルーこそが、滞日時代の「穏健派(あるいは米英派)」との交流経験に基き、戦後の天皇制の存続への底流を形作っていたのであった。グルーによれば、戦争は天皇の意思を離れたところで、大日本帝國憲法下での「天皇制」を利用した軍人達に主導されたものだったのである。

 すなわち、戦犯指名の対象からの天皇の除外は、占領統治における米国の負担軽減(間接統治を可能にすることによる)の問題であると同時に、大日本帝國憲法下における天皇の位置付けの評価の問題でもあったわけだ。

 特にグルーの場合は、宮中グループのような「戦前の穏健な米英派の自由主義者」との親密な交流経験が、占領統治の負担軽減というリアリズムを超えた天皇制擁護へと結実しているように見える。

 

 いずれにせよ、戦犯指名からの天皇の除外は、新たな憲法における天皇の位置付けの問題と深くリンクすることになるのである。

 あくまでも、「大権」を持たない天皇である必要があったわけだ。

 
 

 そして、大日本帝國憲法の下でも当初から立憲君主(註)を志向していた昭和天皇というイメージが、大きく意味を持つことになるのである。

 
 
 

(註) ここでは、「立憲君主」を「君臨すれども統治せず」、つまり君臨しても統治しない存在として取扱ってしまっているが、国法学的には、君臨し統治する立憲君主も存在する。
 憲法に、統治権の主体が君主であることが明記されていれば、実際に統治行為を行うかどうかとは関係なく、そこに「立憲君主」の存在は見出されるのである。
(詳細は以下の記事を参照願いたい―2011年1月6日記)
 日本国の象徴と、國體の本義 13(「立憲政治」と天皇)
  → http://uma-sica.cocolog-nifty.com/blog/2010/10/post-3d4d.html
 日本国の象徴と、國體の本義 14(君臨し統治する天皇)
  → http://uma-sica.cocolog-nifty.com/blog/2010/10/post-156d.html

 

 
 
 
 

 

 

(オリジナルは、投稿日時 : 2009/06/10 23:00 → http://www.freeml.com/ep.umzx/grid/Blog/node/BlogEntryFront/user_id/316274/blog_id/106746

 

 

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