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2009年11月

2009年11月 9日 (月)

壁を築くことの意味

 

 壁を築くこと。

 

 

 

 壁とは、内部と外部を分かつ境界として機能するものだ。

 壁の内部とは、私の部屋であり、我が家であり、そして国境線の内側である。

 そこは私の場所であり、私達の場所である。

 

 外部には異質な世界が広がり、時には危険であるかも知れない。

 

 そんな異質で危険でさえある外部から、壁が、私を、私達を守るというわけだ。

 そのために私達は壁を築く。安全な世界を維持するために。

 

 

 

 そんな壁に対し、内部に築かれる壁というものもある。刑務所の壁であり、精神病院の壁がそれだ。内部の異質さ、そして危険と想定される存在を、内部世界から排除・隔離するための壁である。彼らは内部の内部に閉じ込められる。築かれるのは、内部の内部に閉じ込めるための壁なのである。

 

 

 

 20世紀の前半、ナチスは内部の危険な異質さとしてユダヤ人を指名し、ドイツの国民生活からの排除に着手し、やがて強制収容所のフェンス(つまり壁である)の内に閉じ込め、ガス室の扉の向こうに閉じ込め、最後にはその生命を世界から排除した。

 占領地では、まず、ゲットーの壁の内部にユダヤ人は閉じ込められ、外部から隔離された。壁は外部の生活世界からユダヤ人を隔離し、つまり生産活動からも経済活動からもユダヤ人は切り離され、生活基盤そのものを奪われた状態に置かれることになる。ゲットーの壁はユダヤ人の生を守るものではないのである。

 ゲットーのユダヤ人も、強制収容所あるいは絶滅収容所に順次移送され、その多くは焼却炉の煙となった。

 

 ゲットーや強制収容所の壁により守られたのは、アーリア人の純潔であり、ナチスにとって望ましいドイツの姿であった。

 

 

 

 

 

 20世紀後半のドイツの共産主義者達は、新たな壁を築くことになる。

 1961年、東西ベルリンは壁により分断された。

 この壁の特異性は、これまでにも何度か書いたことだと思うが、繰り返し考察するに値するものだ。

 

 資本主義世界から共産主義世界を守る壁、というのは正確な評価ではないのである。異質で危険な外部の脅威から内部世界を守る壁ではないのだ。内部への外部の流入に対する防波堤ではないのである。

 共産主義者が統治する世界から、資本主義者が統治する世界への国民の移動を阻むための壁なのである。ドイツ民主共和国からドイツ連邦共和国の領域への住民の移動を阻止すること、つまり、内部の外部への流出を阻止するための壁なのである。

 

 ベルリンに築かれた壁で何が何から守られたのか? これは考えておくに値する問題ではないだろうか?

 果たして共産主義世界は、ベルリンの壁で守られていたのだろうか? …という問題である。

 ベルリンの壁で守られたのは、共産主義者の純潔であり、共産主義者にとって望ましいドイツの姿であった、と言い切ることが出来るのか? …という問題なのである。

 

 自らの国民を外部から隔離し、壁の内部に閉じ込めるという選択。その発想に示されているのは、ドイツの東側を統治した共産主義者の弱体ぶりであろう。

 壁により守られたのは、国民ではなく、共産主義者による統治体制の存続であったに過ぎないのである。

 

 

 

 

 

 かつてナチスにより、壁の中に閉じ込められ、ガス室のドアの中に閉じ込められ、生命を奪われた経験を持ったユダヤ人が、自らの民族国家であるイスラエルの建国に成功したのは20世紀後半のことであった。

 国境という壁により外部の脅威から守られることのなかったユダヤ人が、自らの民族国家を獲得し、国境線と国軍により守られる安全な内部空間を確保したのである。

 

 しかし、歴史的に、イスラエル国家の土地はパレスチナ人の土地なのであり、ユダヤ人によるイスラエル国家の建国が意味するのは、パレスチナに対する占領統治なのである。

 ユダヤ人にとっての安全な内部空間は、パレスチナ人にとっては不当な占領状態の空間なのである。安全なはずの内部空間は、最初から不安定なものなのであった。

 イスラエル国家のユダヤ人にとり、パレスチナ人の存在は内部の異質性、内部の不安定要因、内部の危険として理解されることにならざるを得ない。

 

 21世紀のイスラエル国家のユダヤ人の選択は、新たな壁の構築であった。

 新たな壁を築き、パレスチナ人を壁の内部に閉じ込める。ユダヤ人国家内部の安全は、内部に新たに構築される壁により保証されることになる(はず)なのである。

 

 壁は、外部からパレスチナ人を隔離し、パレスチナ人同士を分断し、パレスチナ人による生産活動や経済活動の自由を奪うものとなる。つまり、パレスチナ人からの生活基盤の剥奪を意味するものとなるのである。

 かつてナチスが築いたゲットーの壁と同じ効果をパレスチナ人にもたらすのである。

 

 そのような壁の構築は、果たしてイスラエル国家内部のユダヤ人の安全に、永続的な効果を持ち得るものなのだろうか?

 

 少なくとも、かつてのホロコースト被害者の末裔が、かつてのナチスの似姿を演じていることの意味は、考えておくべきであろう。

 他者への永続的な抑圧が、自らの安全の保証を意味するものだという信念の構築がもたらすのは、当人の道徳的腐敗以外の何物でもないように思われる。

 

 もちろん、ナチスの将校も、ドイツ民主共和国の共産主義者達も、自らの道徳的正しさをこそ確信していたに違いないのであるが…

 

 

 

 

 

 

 

 1989年の11月8日。

 ドイツ民主共和国の共産主義者達は、その社会主義統一党の中央委員会総会を開催していた。

 その時点では、誰も、翌日に起きるいわゆる「ベルリンの壁崩壊」を予測してはいなかったのである。

 そんな20年前の出来事を思いながら、あらためて壁という存在について考えてみたわけだ。

 20世紀と21世紀の歴史の中の「壁」の姿である。

 

 

 

 

 

 

(オリジナルは、投稿日時 : 2009/11/08 18:47 → http://www.freeml.com/ep.umzx/grid/Blog/node/BlogEntryFront/user_id/316274/blog_id/121540

 

 

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老眼と自己決定 (32) エホバの証人、あるいは輸血拒否の論理 番外編

 

 グーグルで「エホバ 全体主義」というキーワードで検索すると、1ページ目の2番目に「現代史のトラウマ」の「カテゴリー:エホバの証人」が登場する。

 

 ココログの「アクセス解析」に、たまたまそんなキーワードでのアクセス記録が残されていたので、グーグルの画面をチェックしたら、上記の状態だった。

 

 表示を見ると、「現代史のトラウマ」の記事以外は、「エホバの証人」自体を全体主義的集団として記述しようとするものばかりである。

 

 多分、検索者もそのような記事がお目当てだったのではないだろうか?

 

 

 

 

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     そんな中に、「エホバの証人」をめぐる歴史的事実として、ナチス・ドイツの「全体主義的体制」に対し徹底的に非同調的であり、そのために強制収容所収容者中の独立したカテゴリーまで与えられた集団としての彼らの姿を伝えるブログが見事に入り込んだわけだ。全体主義的体制に対し、死をもいとわず、徹底的に非妥協的に振舞った「エホバの証人」の姿、である。

     別に「エホバの証人」を称揚する気などさらさらないのだが、異なる観点の存在を、信頼性の高い資料に基づくことにより紹介・提示することが出来たことは、正直に言って、うれしいことだ。

     

     

     信仰に生きるということは、その社会の多数者への適合を、当面の生の目標からはずすことを意味することがあるのである。

     多数者にとっての「社会常識」からの離間をもって、その信仰を批判するとすれば、それは人間にとっての「信仰」というもののありかた、人間にとっての宗教的生き方の本質的側面というものへの理解を欠いた態度であると、私は思う。

     

     初期キリスト教徒であれ、原始仏教の信徒であれ、その反社会性をこそ、当時の社会から非難されていたのではなかったか、ということだ。

     当時の社会的期待・現世内的評価に背を向け、家族を捨てることから、彼らの信仰生活は始められていたはずなのである。そのような過激さにこそ、信仰というもの、人間にとっての宗教生活というものの発生地点があるのである。

     

     そこを忘れたような議論に対しては、「宗教を甘く見るんじゃない!」と一喝したい気分に襲われる。多数派で構成される社会の多数派に受け入れられるような(つまり迎合的な)価値の追求を、宗教者に求めることは、本質的に誤りなのである。

     

     

     

     検索ページに並んだ、他の記事の概要を読みながら、ついそんなことを思ってしまった。

     

     

     

     

     

     

     アウトサイダー型人間の呟きである。

     

     

     

     

     

    (オリジナルは、投稿日時 : 2009/10/22 21:54 → http://www.freeml.com/ep.umzx/grid/Blog/node/BlogEntryFront/user_id/316274/blog_id/119911

     

     

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