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2009年9月

2009年9月29日 (火)

日本国の象徴と、國體の本義 4

 

 1945年10月4日、マッカーサーを訪問した近衛文麿は、憲法改正の必要を明言された。

 

 それを受けて、近衛が作成した「憲法改正要綱」には、

 第一 帝国憲法改正ノ必要ノ有無
 我国今回ノ敗戦ニ鑑ミ国家将来ノ建設二資スルガ為ニ帝国憲法改正ヲナスノ要アリ、単ニソノ解釈運用ニノミ頼ルベカラズ
一、天皇統治権ヲ行フハ万民ノ翼賛ニ依ル旨ヲ特ニ明ニス
二、天皇ノ憲法上ノ大権ヲ制限スル主旨ノ下ニ
 イ、帝国議会ヲシテ自ラ解散ヲ提議スルヲ得シムルコト…(以下略)
          (1945年11月22日に天皇に「上奏」)

…と書かれているが、共同作業者であった佐々木惣一による条文形式の「憲法案」では、

第一條
大日本帝國ハ萬世一系ノ天皇之ヲ統治ス
第二條
皇位ハ皇室典範ノ定ムル所ニ依リ皇男子孫之ヲ繼承ス
第三條
天皇ハ神聖ニシテ侵スヘカラス
第四條
天皇ハ國ノ元首ニシテ統治權ヲ總攬シ此ノ憲法ノ條規ニ依リ之ヲ行フ
         (1945年11月24日に天皇に「進講」)

…という、「大日本帝國憲法」そのままの文言となっていた。

 

 もっとも、その時点で近衛は、マッカーサー司令部からも、マッカーサーとの会見後に成立した幣原内閣からも、憲法改正の任にはないものとして取り扱われていた。近衛文麿の憲法案が、その後の「日本国憲法」に与えた影響はないと言い得るだろう。ここでは、「天皇統治権ヲ行フハ万民ノ翼賛ニ依ル旨ヲ特ニ明ニス」と言いながらも、佐々木による条文化では、大日本帝國憲法からの距離がまったくないという点に注意を向けておきたい。

 

 

 GHQに対する、10月17日の米国務長官の訓令には、憲法改正に関して、天皇制を残さない場合と天皇制を残す場合の二つのケースが併記されていた。

 

  日本の憲法が広範な代表を選ぶ選挙権に基づき、選挙民に責任を有する政府を規定するよう改正することが保障されなければならない。統治の執行部門は選挙民からその権限を発し、かつ選挙民と完全な代議制に基づく立法府とに責任を有するような規定が設けられるべきである。もし天皇制が残されない場合は天皇制に対する憲法上の規制は明らかに不必要であろうが、その場合においてもつぎの諸点が必要である。
(1)財政と予算に対する議会の完全な統制。
(2)日本人民のみならず、日本の支配下にあるあらゆる人民にたいする基本的人権の保障。
(3)国家元首の行為は、明白に委任された権限にのみ従うこと。
 もし、天皇制が残された場合、右に挙げたものに加えて以下の規制が必要となろう。
(1)天皇に勧告と助言を行う内閣は、代議制に基づく立法府の助言と同意によって選ばれ、かつ立法府に責任を負う。
(2)立法機関に対する拒否権は、貴族院、枢密院のごとき他の機関によって行使されない。
(3)天皇は内閣が提案し、議会が承認した憲法の改正を発議する。
(4)立法府は自らの意思で開会することが認められる。
(5)将来認められると思われる軍のいかなる大臣も文官でなくてはならず、軍人が天皇に直接上奏する特権は除去される。

 

…というのがその内容であるが、「国民主権」という語は用いられていないものの、天皇の存在の有無を問わず、国民(選挙民)の代表が立法府を構成し、行政府(統治の執行部門)の権限は立法府に由来し、行政府は選挙民(すなわち国民)及び立法府に対し責任を負うというものである以上、実質的に「国民主権」が原則として提示されているものと言える。

 

 そもそもが、大日本帝國憲法においては、政府は国民に対して責任を負う存在ではなかったのである。

 

 

 

 敗戦と占領がもたらしたのは、「国民主権」への転換であった。

 また、この時点において、米国は天皇制の存続と廃止のどちらをも選択肢として考えていたことがわかる。ここでは、ポツダム宣言にある、

十 吾等ハ日本人ヲ民族トシテ奴隷化セントシ又ハ国民トシテ滅亡セシメントスルノ意図ヲ有スルモノニ非ザルモ吾等ノ俘虜ヲ虐待セル者ヲ含ム一切ノ戦争犯罪人ニ対シテハ厳重ナル処罰ヲ加ヘラルベシ日本国政府ハ日本国国民ノ間ニ於ケル民主主義的傾向ノ復活強化ニ対スル一切ノ障礙ヲ除去スベシ言論、宗教及思想ノ自由並ニ基本的人権ノ尊重ハ確立セラルベシ

十二 前記諸目的ガ達成セラレ且日本国国民ノ自由ニ表明セル意思ニ従ヒ平和的傾向ヲ有シ且責任アル政府ガ樹立セラルルニ於テハ聯合国ノ占領軍ハ直ニ日本国ヨリ撤収セラルベシ

…という文言を思い出しておきたい。

 

 天皇制の存廃に関しては、「ポツダム宣言」では明言せず、10月17日の国務長官訓令では選択肢としてどちらもが示されていた。

 「日本国国民ノ自由ニ表明セル意思ニ従」うべき問題ということであろうか?

 

 

 

 しかし、国民主権の下での天皇制の存続が、「国体の護持」を意味するのかどうか?

 それが保守派政治家を悩ませる問題となって行くことになる。

 

 

 

 

 

(オリジナルは、投稿日時 : 2009/05/29 22:21 → http://www.freeml.com/ep.umzx/grid/Blog/node/BlogEntryFront/user_id/316274/blog_id/105584

 

 

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日本国の象徴と、國體の本義 3

 

 

  天皇は、日本國の象徴であり日本國民統合の象徴であつて、この地位は、主權の存する日本國民の總意に基く。

 

 「主権の存する国民」という文言を用いて、日本国の主権者が「国民」であることを、その第一章第一条で「日本国憲法」は表明している。

 
 

 「大日本帝國憲法」では、その第一章第一条において、

  大日本帝國ハ萬世一系ノ天皇之ヲ統治ス

…と、大日本帝國の統治者としての天皇の地位が言明され、第三条では「神聖ニシテ侵スヘカラス」とその地位の不可侵性が宣言されている。
不可侵の統治者の地位にある天皇は、政治的には、

  天皇ハ國ノ元首ニシテ統治權ヲ總攬シ此ノ憲法ノ條規ニ依リ之ヲ行フ

…国の元首であり、軍事的には、

  天皇ハ陸海軍ヲ統帥ス

…と規定された大元帥であった。

 「国民主権」への変化は、天皇を、そのような政治的軍事的大権を行使する統治者の地位から引き離してしまうことになる。

 新たに提示されたのは、

  日本國の象徴であり日本國民統合の象徴

…という「地位」であった。

 
 その意味するところは、

  天皇は、この憲法の定める國事に關する行爲のみを行ひ、國政に關する權能を有しない。

…ということになる。「国政に関する権能を有しない」とは、つまり、政治過程に関与する存在ではないということだ。天皇は統治者ではありえない。

 
 
 

 もっとも、戦後に行われた昭和天皇自身の説明によれば、昭和天皇は「大日本帝國憲法」下においても「立憲君主」として振舞っていた(振舞うために努力していた)のであって、「政治過程に関与」することのない存在であった(あろうとしていた)ということになっている(後註参照)。

 その言葉通りだとすれば、「日本国憲法」の規定は、「立憲君主」であることを希求して来た昭和天皇の意思に合致したものと考えられるだろう。

 
 

 「日本国憲法」下の天皇は、

  國會の指名に基いて、内閣總理大臣を任命(し)
  内閣の指名に基いて、最高裁判所の長たる裁判官を任命する

…のであり、その上で、「内閣の助言と承認により、國民のために」、

一 憲法改正、法律、政令及び條約を公布すること。
二 國會を召集すること。
三 衆議院を解散すること。
四 國會議員の總選擧の施行を公示すること。
五 國務大臣及び法律の定めるその他の官吏の任免竝びに全權委任状及び大使及び公使の信任状を認證すること。
六 大赦、特赦、減刑、刑の執行の免除及び復權を認證すること。
七 榮典を授與すること。
八 批准書及び法律の定めるその他の外交文書を認證すること。
九 外國の大使及び公使を接受すること。
十 儀式を行ふこと。

…を、「国事行為」として行うのである。

 

 それが「象徴」としての天皇の地位に求められる内実ということになる。

 
 
 

 その変化は、当時の幣原内閣の閣僚に代表される、戦前からの政治家・官僚達には受け入れ難いものと考えられた。

 しかし、「立憲君主」の権能としては、「象徴」に期待されている「國事に關する行爲」は妥当なものであろう。ここで明らかになることは、「大日本帝國憲法」の下で戦争を生き抜いた保守政治家にとっての天皇の地位は、「立憲君主」以上の存在、政治権力に大きく関与すべき存在であった、ということになる。

 

 もっとも、敗戦という条件の下では、占領軍の意向を相手にした保守政治家には、提示された「日本国憲法」の条文を受け入れる以外の選択肢はなかったのであるが。

 
 
 

 しかし、やがて、政治的軍事的大権の保有者としての天皇への復帰が、戦後の保守政治家による改憲論議の一つの焦点として浮上することになる。

 

 
 
 

 

(註) ここでは、立憲君主が「君臨すれども統治せず」的概念の下に、つまり君臨しても統治しない存在(政治過程に関与することのない存在)として取扱われてしまっているが、国法学的には、君臨し統治する立憲君主も存在する。
 憲法に、統治権の主体が君主であることが明記されていれば、実際に統治行為を行う(政治過程に関与する)かどうかとには関係なく、そこに「立憲君主」の存在は見出されるのである。
(詳細は以下の記事を参照願いたい―2011年1月6日記)
 日本国の象徴と、國體の本義 13(「立憲政治」と天皇)
  → http://uma-sica.cocolog-nifty.com/blog/2010/10/post-3d4d.html
 日本国の象徴と、國體の本義 14(君臨し統治する天皇)
  → http://uma-sica.cocolog-nifty.com/blog/2010/10/post-156d.html

 

 

 

 
 
 
 

(オリジナルは、投稿日時 : 2009/05/28 23:11 → http://www.freeml.com/ep.umzx/grid/Blog/node/BlogEntryFront/user_id/316274/blog_id/105492

 

 

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2009年9月12日 (土)

9月11日 世界は、より安全になったのか?

 

 全体主義と陰謀論。

 どちらも私の嫌いなものだ。

 

 

 

 あの「9 . 11」がブッシュ一味の陰謀であった、という話があることは知っているが、アルカイダによるブッシュ政権(というより米国)への敵対的行為であったと考えても、事実関係に矛盾は生じない。

 ブッシュ政権による陰謀であったという解釈で、事件全体(と、その後の展開)の理解が容易になるとも思えない。

 まぁ、陰謀論の内容を検証しての話ではないので、私に言えるのはそこまでだ。

 

 

 大日本帝國海軍による真珠湾攻撃の成功がルーズベルトの罠だった、と考えることは出来るが、対日宣戦布告とそれに連動しての対独宣戦布告をするためだけに、太平洋艦隊の主力を犠牲にする必要はないだろう。真珠湾で連合艦隊を迎え撃ち、日本海軍の主力を撃滅した上で対日戦に臨む方が合理的である。

…というのが私の判断であり、ルーズベルト陰謀説に与する気にならない理由である。

 

 

 

 アフガン戦争にしても、タリバンによるビンラディン引渡しの可能性は存在したわけだし、戦争は必然ではなかったはずだ。ビンラディンの身柄引渡しが実現していれば、戦争に至ることはなかったのである。

 戦争という帰結は、「9 . 11」から確定的に導き出されるものではなく、あの被害をビンラディン引渡しで埋め合わせても、ブッシュ政権の利益にはならないだろう。陰謀論の描く「ブッシュの利益」は、事後の現実の展開からの解釈としては成立するのかも知れないが、すべての展開が事前のシナリオによるものと考えるには無理があるようにしか思えないのである。

 

 

 対イラク戦争を導き出したのは、アフガンにおける予想を超えた米軍の勝利であろう。対アフガン戦争(現実には対タリバン戦争である)は、いわゆる米軍の「軍事における革命 (RMA; Revolution in Military Affairs)」の成功例として語られることになったが、確かにそのような側面を無視は出来ないにしても、北部同盟として地上戦を現実に遂行した反タリバン勢力の存在なしには、あそこまで迅速な勝利の確保はなかったはずである。

 ラムズフェルドに、そのことを理解する冷静さがあれば、対イラク戦争でのあそこまでの失態はなかったであろう。

 

 

 

 そもそも、アフガンにおけるタリバン支配がなぜ生み出されたのか?

 ソ連によるアフガン侵攻に対し、抵抗したアフガン勢力を支援したのは米国であった。アフガンからのソ連の撤退と、ソ連邦自体の崩壊後の世界において、国際社会(そして米国)は、戦争で荒廃したアフガニスタン国家の復興という課題を放置し、結果として生み出されたのがタリバンによる統治だったのである。そして、ビンラディンは、対ソ抵抗時のイスラム戦士のいわば代表としてタリバンに遇されていたわけだ。

 その歴史的過程を一瞥すれば、アフガン戦争後の最大の課題は、アフガニスタンの国家としての復興の成功であったことを理解するのは容易(なはず)である。

 

 アフガン復興の成功こそは、世界をより安全にする鍵であったはずだ。

 しかし、なぜか、ブッシュ政権には、アフガニスタンの復興支援への関心はなかったようである。

 

 アフガンでの(見かけの)軍事的成功による、国際社会での米国の発言力の強化という実績を前に、米軍の「軍事における革命 (RMA; Revolution in Military Affairs)」の成功の再演による国際社会における絶対的発言権の確保こそが、対イラク戦争の目的であったのだと、私は考える。

 対タリバン戦争という、軍事的には劣弱な勢力を相手にした戦争の成功に続き、湾岸戦争で装備の多くを喪失し、その後の新兵器への更新のない、劣弱になったイラク軍との戦争における勝利は自明のことであり、ブッシュ政権はその機会を捉えたわけだ。

 それにより、国際社会における米国の発言力の絶対的優位が獲得出来るはずだったのである。ブッシュは、米国大統領として、歴史的に称賛されるべき実績が残せたはずなのである。もちろん、ブッシュ一味には戦後のイラクにおける利権からの利益が保証されるというオマケ付きで。

 

 

 

 確かに、米軍は戦闘には勝利したわけだが、戦後統治には失敗し、結果として、ブッシュは史上最低の大統領という評価を得ることになったわけだ。

 第二次世界大戦後の日本占領の経験が、イラクの戦後統治のモデルとして喧伝されていたが、日本占領の成功は、天皇の地位の保証と戦前からの国家行政組織の温存というファクターによる部分が大きく、すべての国家組織を雲散霧消させてのイラクの占領は、まったくの別の事態だったのである。

 困難なのは、戦闘における勝利の獲得ではなく、占領統治の成功であることは、中国大陸における大日本帝国の軍隊が十分に味わったものである。同じ過ちを、ブッシュの軍隊は繰り返した(繰り返す羽目に陥らされた)わけだ。

 皇軍の失敗は、政治を理解しない軍人によるものであったが、米軍の(そして米国民が味わった)悲劇は、軍事の困難を理解しない政治家ラムズフェルド(あくまでも彼は文民である)がもたらしたものであった。

 

 

 

 

 

 この8年の歴史をふり返った時に、私に見えるのはそのような現実であり、そこに「陰謀」というファクターを加えなければ理解出来ない事態は存在しないのである。

 

 

 

 もちろん、「陰謀」が現実のものであったのだとすれば、ブッシュの愚かさは倍化されることになる。

 ブッシュは、結果として何の利益も得ていないのだから。

 

 

 

 

 

 

 

(オリジナルは、投稿日時 : 2009/09/11 22:10 → http://www.freeml.com/ep.umzx/grid/Blog/node/BlogEntryFront/user_id/316274/blog_id/115821

 

 

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2009年9月 5日 (土)

死霊と帝国陸軍と小泉改革とマルクスと老人性痴呆の関係…?

 

 埴谷雄高  負けず劣らずじゃないでしょう。僕はずっと君より前なんだから。三十年も前からですから、深さというものは三十年分僕の方が深いわけですよ。だから、君がいくら言っても僕の方が老人性痴呆は深い、大丈夫。

 北杜夫  それは普通の年齢から言えば、人は当然そう思うだろうけど、埴谷さんの脳細胞は僕の百倍多いですから、僕ら老人ボケしても、脳細胞が…

 埴谷  あなた、医者らしくないこと言うね。脳細胞が百倍の多いなんていったら超人ですよ。そんなものはあり得ないよ。

 北  埴谷さんは、だから、ニーチェの超人(イーバーメンシュ)だと言っているんですよ。異論がありますか。

 埴谷  それはニーチェが言っただけで実在しません。

 北  ニーチェは梅毒になったから、超人だなんて言い出したんですね。

 埴谷  まあね。梅毒になれば、何にでもなれますよ。そりゃ神様にでも何にでもね。

 北  つまり梅毒というんじゃなくて、梅毒からくる進行麻痺という精神病者になりましたからね。だからニーチェは「我はいかにしてかくも良著を書くか」なんてことを書いているでしょう、自分で。あれは進行麻痺の誇大妄想です。文章はいいですね。幾ら気が違っても。

 埴谷  気が違うような人は、ヘルダーリンという人もそうですけど、みないいですよ。だから気が違う場合はやはり脳細胞が初めは少し多いのかもしれない。少しは多くて、そういう人が発狂するということはあり得るね。だけれど、老人性痴呆になるのは脳細胞が多いとは言えなくて少ないんじゃないでしょうか。

 北  いや、今、老人性痴呆の問題は大問題になっているんですよ。

 埴谷  そうですね、老人問題、今、大問題だけど。

 北  寿命が長引いたから、必然的に一番大事な問題になっていますね。

 埴谷  僕だって、もうことしの12月で七十七歳ですよ。あなた、七十七歳まで生きると思わなかったのに生きちゃった。これではもうボケるのは当たり前ですよ。

 北  七十七っていうのはラッキーナンバーじゃないですか。百七歳まで生きてください、ぜひ。

 埴谷  (笑)いや、百七歳は、これはもう…

 北  大ボケになって、もっと大妄想を起して、無限大の無限大の無限大の最無限大になられますからね。

 

…と『死霊』の作家と、マンボウ先生の滅裂な対談は続くのだった。

 

 埴谷雄高 北杜夫 『難解人間 vs 躁鬱人間』 (中公文庫 2009 ただし原著刊行は1990)の話。

 

 

 今日は仕事が休みで、家族と駅まで出たついでに購入してしまった。

 

 他に、

 黒野耐 『帝国陸軍の〈改革と抵抗〉』 (講談社現代新書 2006)

 加藤聖文 『「大日本帝國」崩壊 東アジアの1945年』 (中公新書 2009)

 Pen 8/15号 (阪急コミュニケーションズ No.250 2009)

も購入。

 

 こちらは、「現代史のトラウマ」系購入本。

 

 『帝国陸軍の〈改革と抵抗〉』の著者は、「はじめに」の文中で、平成の「小泉改革」に言及している。

 だが小泉改革には、法案を通すため抵抗勢力に妥協して改革の質を低下させたきらいがあること、市場の競争原理を重視するあまり社会的格差を拡大しつつあるという問題点もある。こうした改革にともなう副作用よりも問題なのは、改革完成時の日本の全体像が国民にわかりやすく示されていないこと、そこに至る道筋や政策体系がいまだに定まっていないことである。
 小泉改革はその突破口を開くまでに政権発足から約四年もの歳月を費やし、その任期は本書執筆中の現在、残りわずかでしかない。したがって、日本の将来は後継政権が小泉改革の歪みを是正し、改革完成後の日本の姿とそれに至る全体的な道筋を国民にわかりやすく示し、改革をひきつづき強力に推進できるかどうかにかかっている。

…という記述は、2006年の「本書執筆」時点以後の政治の展開とその帰結を知ってしまった2009年の私達には、一層味わい深いものとして読まれることになるわけだ。

 

 雑誌「Pen」の出版元が、阪急コミュニケーションズだということは、実は、これを書くまで知らずにいた。

 本号の特集は「神秘の海へ」なのだが、それ目当てではない。小特集が「中国の反体制アーティスト アイ・ウェイ・ウェイ」となっていて、こちの方が気になっていたのだが、これも直接のお目当てではない。

 書評の文章が、(図書館で)読んで面白かったので手元に、なんて思ってしまったのだ。好きな雑誌なのだが、自宅内収納スペースの関係で、最近はほとんど買うこともなくなっていたのに。

 ライター(という肩書きの)、今泉愛子さんが取り上げているのは、なんと、

 不破哲三 『マルクスは生きている』 (平凡社新書)

なのであった。

 あの日本共産党の、あの不破哲三氏の著書なのだ。今泉さんによれば、不破氏がその著作で書いているのは、

 マルクスはなぜ誤解されやすいのか。60年以上にわたって研究し続けてきた著者は、マルクスを、どんな研究についても自分の到達点に安住しない人だった、と記す。それなのに、マルクスの理論の一部を知っただけで、自らを「マルクス主義者」とする学者の何と多いこと。マルクス自身も「それがマルクス主義であるならば、私はマルクス主義者ではない」と口にするほどだったらしい。マルクスの思想は、常に発展した。そんな思想家としての偉大さも見えてくる。
 さらに興味深いのは、日本共産党の書記局長、委員長、議長を歴任した著者が、ソ連とはいかなる存在であったかについて言及する部分。農民を集団で管理するやり方は、社会主義とは言えないとし、政府の体質化した覇権主義を徹底的に非難する。

というようなことであるらしい。

 マルクスの著作が経典化し、その解釈を党が独占するのが、かつて存在した共産主義国家の常態であった。そのような行為はマルクスの思想とは関係ないよ、と不破哲三氏は言っているということらしい。

 

 

 2009年の9月のはじめにふさわしい読書かも知れない。

…なんて書いているが、不破氏の著書の購入はしていない私なのであった。

 

 

 

 

 

 

(オリジナルは、投稿日時 : 2009/09/01 20:38 → http://www.freeml.com/ep.umzx/grid/Blog/node/BlogEntryFront/user_id/316274/blog_id/114906

 

 

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