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2009年8月16日 (日)

無差別爆撃の論理 5 (軍事的合理と不合理)

 

 「特攻」の指揮官としての大西瀧治郎。

 「徹底抗戦論者」として、ポツダム宣言の受諾阻止に奮闘した大西瀧治郎。

 8月15日に遺書を書き、翌16日未明には自決を果たした大西瀧治郎。

 

 非合理的な精神主義者の姿を思い浮かべてしまうエピソードである。

 しかし、大西は日本海軍の軍人として、海軍伝統の大艦巨砲主義を受け継ぐことなく、航空戦力を主体とする新たな時代の軍事思想を理解・主唱していた人物であった。つまり、第一次世界大戦に登場した新兵器の一つとしての航空機の持つ軍事的可能性に着目し、戦争における「戦略爆撃」の実行者としての空軍力の育成の重要性に気付き、まず対中戦争において実行して見せた当の人物が大西なのである。航空機により米国太平洋艦隊とその基地を攻撃するという、真珠湾攻撃の基本プランもまた、大西によるものであったわけで、近代戦のあり方をよく理解していた軍事的合理主義者としての姿をそこに見出すことが出来る。

 

 その大西が、特攻の指揮を執り、徹底抗戦を主張し、「ハラキリ」という最期を遂げる。

 そこにあるのが大日本帝國の限界なのか、大日本帝國海軍軍人の限界なのか、大西という一個人の限界なのか、ここでは、それを問うことはしない。

 

 

 私達が戦争を考え、戦争における軍隊という存在、軍隊を構成する軍人という存在について考える時、戦闘における勝利の確保のために合理的に振舞う人々という想定をしてしまいがちである。しかし、大西の軌跡を振り返る時、大西の所属していた日本海軍の主流は、大艦巨砲主義・艦隊決戦思想に囚われ続けていたという事実が浮かび上がる。

 近代とは、大いなる技術革新と生産力の組み合わせの下に、人間が自身の手により自身の新たな環境条件を日々作り出していく時代であり、軍事的には、新兵器の登場が戦場のあり方自体を変化させてしまうという、そんな世界なのである。しかし、そのことを日本海軍の主流は理解しなかった。

 もちろん、巨大戦艦である大和も武蔵も「最新兵器」ではある。しかし、航空戦力が戦争の勝敗を決する時代の現実からすれば、時代遅れの旧兵器なのである。

 つまり「新兵器」とはモノの問題ではなく、背後にある思想の問題であり、思想に基づく適切な使用の問題なのだ、ということになる。

 巨大戦艦大和と武蔵が、「艦隊決戦」で主役を演じることなしに、巨大「特攻」兵器として出撃させられ、航空機による攻撃で撃沈されたという事実の意味は、熟考に値すると思う。

 

 

 

 

 「戦略爆撃」の思想は、第一次世界大戦の経験をもとに、1920年代にイタリアのジュリオ・ドゥーエ、アメリカのウィリアム・ミッチェル、イギリスのヒュー・トレンチャードらによって提唱されている。「戦略爆撃」が「無差別爆撃」という様相をとって現実化することに関しては、その背後に、植民地における航空機による「効率的な」住民殺戮の経験があることも指摘されている。

 「戦略爆撃」については、第一次世界大戦と植民地支配の経験をもとに、まず思想が先行し、モノである兵器の生産が後を追い、軍の作戦として現実化する過程として描くことが出来る。

 航続距離が長く、爆弾搭載量の多い重爆撃機の生産と、そこに搭載される焼夷弾の開発がなくては、「戦略爆撃(ここでは特に都市無差別爆撃)」が現実化することはない。その意味では、重爆撃機の生産確保に成功した英米のみが、思想としての「戦略爆撃(都市無差別爆撃としての)」の完全な実行者であった、と言うことは出来る。

 もちろん、ナチスドイツ空軍は1937年、ゲルニカにおいて無差別爆撃の実行者として名乗りを上げていた。焼夷弾の使用の事実一つを取ってみても、それが軍事目標主義による爆撃ではなく、無差別爆撃であったことは明らかである。

 大日本帝國海軍も、1938年の段階で南京への渡洋爆撃を都市爆撃として行い、国際連盟から「無防備都市の空中爆撃の問題」として「かかる爆撃の結果として多数の子女を含む無辜の人民に与えられたる生命の損失」の実行者として非難されているのであって、日独が「戦略爆撃(都市無差別爆撃としての)」の初期の実行者であり、それが世界史的出発点であったことは確かなことなのである。

 それに対し、ここでは、モノとしての重爆撃機の保有が「戦略爆撃思想」の到達地点であることを確認しておきたい。

 その意味で、戦略爆撃の思想を現実化・完成させたのは英米なのであり、その完成された「戦略爆撃思想」の効果を実際に味わうことになったのが、日独国民だったのである。

 

 

 

 

 ところで、「戦略爆撃思想」の基底にあるのは第一次世界大戦の経験であった。

 戦場における陸軍兵士の損耗率の高さ、つまり犠牲者数の事前の想像をはるかに超えた大きさが、参戦したヨーロッパ諸国に、新たな戦争の時代の深刻な脅威として意識されることになる。

 その第一次世界大戦は兵器としての航空機の登場の時でもあった。

 その両者が結びついたところに、戦場の背後の敵国の政治的経済的軍事的中枢及び国民(兵士ではなく市民としての)そのものを標的とした航空機による攻撃の有効性という発想が生み出されたわけである。戦争の勝敗を戦場で決するのではなく、戦略爆撃(特に都市無差別爆撃)により敵国民の戦意喪失を目指すことで、前線兵士の犠牲を最小限にとどめ、戦争の早期終結が可能となる(はずだ)というのが、その論理であった。

 

 しかし、現実には、都市無差別爆撃の実行は、敵国都市民の敵愾心をむしろ高揚させる結果となり、戦争の早期終結には成功していないのである。

 そしてそのことは、既に英国がドイツ空軍による都市爆撃の対象となった1940年の時点で、英国民には自身の経験として理解されている。しかし、その英国が、ドイツへの夜間都市無差別爆撃を推進していくのは、その後のことなのである。ここには、ドイツ市民に対する「報復感情」という後押しを見出すべきであろうか?

 

 いずれにしても、軍事理論としての「戦略爆撃(特に都市無差別爆撃)」を評価するならば、第二次世界大戦の経験から、その無効性こそが導き出されていなければならない(はずだ)。

 しかし、ヴェトナム戦争での米戦略空軍による「北爆」の実施は、依然としてドゥーエの理論が軍人達の中に生き残っていたことを示しているものであろう。

 

 戦闘(そして戦争)の勝利のために合理的に振舞う人々、という軍人像には、どこか誤りがありそうなのである。

 

 

 

 

 

 

 

(オリジナルは、投稿日時 : 2009/08/16 18:49 → http://www.freeml.com/ep.umzx/grid/Blog/node/BlogEntryFront/user_id/316274/blog_id/113320

 

 

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