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2009年7月 8日 (水)

老眼と自己決定 (19) 脳死を生きる 12

 

 脳死臓器移植「医療」とは、臓器の疾患により遠くない死を宣告された患者及び家族と、脳の損傷(それが外部的要因であれ内部的病変であれ)により脳死の可能性を宣告された患者及び家族との間に介在するものである。

 前者の多くは、中・長期の治療過程を経験しているのに対し、後者は救急救命医療の対象である。

 前者は、脳死臓器移植以外に延命の可能性がない状況にある。

 後者では的確かつ迅速な救命医療の実施が患者にも家族にも望まれるであろうし、その治療の成功は患者に脳死を免れさせ、患者の延命・回復につながるものとなりうる。

 

 そのように考えると、脳死臓器移植「医療」を実施することは、レシピエントとしての前者の「延命」とドナーとしての後者の「延命」との二者択一的状況を出現させるものとなりうることに気付くだろう。

 もちろん、救急救命医療の現場の医師の努力は、脳の損傷により運び込まれた患者の救命に注がれるはずである。

 

 しかし…

 

 一方で、脳死を人の死とすることには宗教界や法曹界、交通事故遺族の会など、さまざまな方面から反対がある。国会での慌ただしい動きに、改正に反対する医師らが先月、「移植を受ける人と提供する人の救命は表裏一体。審議は慎重の上にも慎重であるべきだ」と緊急声明を発表した。
 脳神経外科医の山口研一郎氏は「医療の進歩で(現行法制定時より)もっと脳死イコール人の死ではない状況となった。親は子供の体が冷たくなって初めて死を認められるもの」と指摘、早急な結論に危機感を表した。
 (時事通信 2009/06/18 13:42 → http://www.jiji.com/jc/zc?k=200906/2009061800447&rel=j&g=soc

 

…という懸念を無視することも出来ない。

 山口研一郎医師の「医療の進歩で(現行法制定時より)もっと脳死イコール人の死ではない状況となった」という指摘は、現時点での問題の所在を語るものであろう。救急救命医療の現場の脳神経外科医自身が、「早急な結論に危機感を表し」ているのである。

 

 それに対し、脳死臓器移植「医療」推進者は、たとえば、

 

 日本心臓血管外科学会(高本真一理事長)は25日、衆院を通過した臓器移植法改正A案を参院で速やかに可決するよう求める声明を発表した。理事の許俊鋭東大特任教授は「移植を待つ患者さんはこういう場に出て来られない。直接診ている我々が患者さんの切なる願いを訴えたい」と述べた。
 同学会によると、1997年の同法施行後64人が心臓移植を受け、うち62人が健在。世界的にも非常に優れた治療成績を上げながら、機会が少ないため、多くの患者が移植を受けられず亡くなっている。
 (時事通信 2009/06/25 19:46 → http://www.jiji.com/jc/zc?k=200906/2009062500957&rel=j&g=pol

 

と主張している。「世界的にも非常に優れた治療成績」を示すと共に、その「機会が少ないために多くの患者が移植を受けられずに亡くなっている」現状を強調しているわけだ。心臓血管外科学会の医師たちが、その患者の利益を考えることは正しいだろう。しかし、彼らの患者の利益は、脳神経外科医の患者の利益を侵すことにより獲得される性質を持つことへの配慮に対しては言及されていない(報道されていないだけだろうか?)。

 日本心臓血管外科学会の声明は、それでも一方の当事者の意見表明としては理解可能なものではある。

 

 

 しかし、「移植を受ける人と提供する人の救命は表裏一体」という認識は、少なくとも国会審議の場では共有されるべきであろう。

 現行法施行後に明らかになった脳死状態そのものに対する疑義の検討と、救急救命医療の技術的進展への考慮を抜きに、脳死状態への評価を下すことは、あまりに乱暴な話に思える。ドナー側の利益の軽視と言うべき現状である。

 

 

 レシピエント(及び家族)自身の延命に対する利己的心情への配慮を求めるなら、同等なドナー(及び家族)自身の延命に対する利己的心情への配慮も必要であるはずだ。

 

 

 「審議は慎重の上にも慎重であるべき」はずなのである。

 

 

 

 

 

 

 

(オリジナルは、投稿日時 2009/07/07 22:55 → http://www.freeml.com/ep.umzx/grid/Blog/node/BlogEntryFront/user_id/316274/blog_id/109402

 

 

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