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2009年7月17日 (金)

老眼と自己決定 (24) 脳死を生きる 17

 

 国会での「臓器移植法改正案(A案)」議決により、現行法に比べ、脳死体からの臓器移植が容易になることは確かだろう。

 

 

 本人が積極的なドナー希望者であることの確認を要件としていた現行法に対し、本人が積極的なドナー拒否者であることが確認されない限り家族の同意のみでドナーとされてしまうというのが、今回の改正案の主眼の一つである。

 現行法ではドナーカードに明記された本人の意思の確認を要件としているのに対し、改正案ではドナーカードの内容確認は要件とされていないことに留意しておきたい。現行法では、ドナーカードの所持の確認と内容の確認の二段階にわたる確認が要請されているのに対し、改正案では、ドナーカードの所持の確認は既に要件ではなくなっているのである。ドナーカードの不所持者は、現行法ではドナーの対象からはずされるのに対し、改正案では、ドナーカードの不所持は問題とならず(つまりドナーカードが発見されなければそれで終わりということ)、要請されるのは家族の同意の確認のみとされているのである。

 

 脳死が人の死であるにせよ、死後の臓器提供に関しては本人の意思を尊重する、つまり脳死時の臓器提供に関し自己決定権を尊重するという姿勢は、改正案からは失われているのである。

 この変更点に見出すことの出来る自己決定権尊重の理念からの後退は、現行法で禁じていた15歳以下の小児からの臓器提供を家族の同意を要件とすることで可能にした改正案条項にも、一貫性をもって見ることが出来る。本人に自己決定能力がないとされることで、現行法では小児の臓器提供は禁止されていたのに対し、自己決定能力を問わぬことで小児からの臓器摘出は可能にされるのである。

 

 

 これまでも繰り返し書いたように、私自身は、脳死を人の死としてしまうことに、いまだに同意出来ないでいる。

 ひとつは、長期脳死者の存在やラザロ徴候、脳死体からの臓器摘出時に脳死体が示す反応等の事例がある以上、脳死状態=死体と結論してしまうのは時期尚早ではないかという疑念である。脳死状態の身体を生体ではなく死体と判断するには、より一層の基礎的研究の積み重ねが必要に見えるのである。

 もうひとつには、たとえ脳死状態が脳の機能の完全な停止を意味してるのだとしても、身体が生体としての反応を示し続けるという状況に対し、生物としての「死」を宣告することの妥当性という問題を考えざるをえないのである。

 

 後者の問題を、もう少し考えてみよう。

 たとえば、脳死状態=死体と定義することにより、脳死者は既に死んでいるので脳死者からの臓器摘出は殺人とはならないわけである。この場合は、脳死者の身体の利用は臓器摘出の時点で終わる。臓器摘出後には、伝統的な心臓死=死という定義からしても疑問の余地のない死体が残されることになる。

 ここで、長期脳死者の存在を思い出したい。臓器摘出利用の場合は、脳死身体の短期的利用であった。

 長期脳死者の存在は、脳死身体の長期的利用の可能性を示唆するものである。

 脳死とは脳の死であっても身体の死ではないからこそ可能になるのが、長期的な脳死身体の利用、ということになるだろう。

 様々な医学的実験が、生体としての脳死身体を使用することで可能になるわけである。たとえば薬品の発がん性を、生きている人間(脳死状態にない人間)を用いて実験することは許されないだろうが、生きているが死んでいる(身体は生きているが脳は死んでいるわけである)脳死状態の人間の身体を用いて実験することは、論理的に可能なはずだ。

 脳死体が身体として生きているからこそ、薬品の実験には最良の素材となるわけである。それも人間の身体であるからこそ、動物実験とは比較にならない有効性が確保出来るのである。

 脳死≠身体死であるからこそ可能な事態であろう。

 要するに人間として生体であることが、脳死者の身体を利用した実験の有効性を保証することになるわけだ。しかし、もちろん、法的には脳死者の身体は既に死体なのであって、そこに存在するのは生体を利用した実験ではなく死体を用いた実験に過ぎないのである。

 要するに、法的には死体だが、生物学的には(そして実は医学的にも)生体として評価されるからこそ、脳死状態の身体は利用価値を生み出すのである。

 

 

 

 脳死者の臓器摘出利用(脳死体の短期利用)に際し、ドナーの意思が尊重されない法案を選択した以上、脳死者の身体の長期利用(脳死体を用いた生体実験である)に際しても脳死者の意思は尊重されないような事態が待ち受けている可能性は高い。

 衆議院9時間、参議院で8時間という短い審議時間で今回の改正案が成立してしまったことを考えれば、脳死体の長期利用への道も簡単に開通するに違いないのである。

 

 家族の意思で、生体実験材料への道は開かれるのである。それが今回の改正案成立の帰結に見える。

 

 

 

 

 

 

 

(オリジナルは、投稿日時 2009/07/16 22:23 → http://www.freeml.com/ep.umzx/grid/Blog/node/BlogEntryFront/user_id/316274/blog_id/110264

 

 

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