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2009年7月

2009年7月30日 (木)

「無差別爆撃」の転回点 (2)

 

 昨日に続き、「第3回無差別爆撃シンポジウム」の参加報告である。

 

 

 

 

 昨日は、中山伊佐男氏(元 麻布高校教諭)による「日本への住民選別爆撃の実相-米軍研究資料から」と題された報告のご紹介をした。

 

 米軍資料自身に語らせることにより、米軍による日本本土都市空襲の実態が、目標を特定しないという意味での「無差別爆撃」と言うよりは、目標を都市住民とした「住民選別爆撃」と言うべきものであったことを、中山氏は明らかにしたのである。

 東京大空襲の資料を中心に据えながらも、富山や青森の事例も盛り込まれた説得力ある報告であった。

 

 中山氏は、あと2ヶ月で80歳となる79歳。ご自身も東京大空襲を体験し、疎開先の富山の空襲では母上を失っている。まさに戦災当事者による研究ということになる。

 

 

 

 続いての発表は、木戸衛一氏(大阪大学大学院准教授)による「ドイツにおける空襲研究をめぐって」であった。

 司会役の大岡氏による問題提起中の、

 2. 〈空襲・戦災の比較史〉-共通の歴史理解のために
 3. 空襲記憶のゆくえ-〈「空襲後」史〉の国際比較

に応えるものと言うことが出来るだろう。

 

 前回のシンポジウム「世界の被災都市は空襲をどう伝えてきたのか - ゲルニカ・重慶・東京の博物館における展示/記憶継承活動の現在」でも焦点となったことであるが、戦後(空襲後)の政治的環境が空襲体験の継承の仕方に大きな影響を与えてしまうという事実がある。フランコ政権に敵対していた都市であるゲルニカへの無差別爆撃に関して、当地で言及することが出来るようになったのはフランコ政権崩壊後のことであったし、蒋介石の国民政府の首都であった重慶に対する日本軍の無差別爆撃に関しても、共産党支配下の中華人民共和国では話題となりにくいものであったということが、昨年のシンポジウムではそれぞれの当事者によって語られていたのである(→ http://uma-sica.cocolog-nifty.com/blog/2008/12/post-5976.html)。

 そのもう一つの具体例として、戦後ドイツの経験があるということが、木戸氏による報告では明らかにされたわけだ。

 

 戦後のドイツとは、東西に分断されたドイツである。共産主義者の世界と資本主義下の世界。ソ連に主導された世界(ドイツ民主共和国=東独)と米英をパトロンとした世界(ドイツ連邦共和国=西独)、ということだ。

 ドレスデンを領域に抱えた東独では、あの戦争における被害体験とは、米英による無差別爆撃によるものに他ならない。ソ連による国境線の移動に伴う東方地域からの追放者の被った悲惨な運命こそが、戦後の西独における戦争被害体験の語りの中心となった。つまり、そえぞれに語りうる戦争における被害体験の背後には冷戦構造があった、ということなのである。

 しかし、東独の吸収という形となった東西ドイツの統一は、統一後のドイツにおける東独時代の研究業績の軽視を生み出すことにもなり、その一例として東独の軍事史家グレーラーによる『ドイツに対する爆撃戦争』(1990)が紹介されていた。

 全体として、1960年代に始まり現在に至るドイツにおける空襲研究の展開が、大岡氏による問題提起を踏まえながら、木戸氏により手際よく示された報告であった。

 

 

 日本とドイツの共通の事象として、あの戦争における被害者としての側面と共に加害性という大きな問題がある。空襲の被害を強調し語ることが、時に、加害性の隠蔽として作用してしまうのである。それが意図的に行われることさえあるだろう。

 その意味で、「無差別爆撃」という軍事的手法を世界に先駆けて組織的に採用したのが日本(南京そして重慶で)とドイツ(まずはゲルニカで)の爆撃機部隊であったという事実は、常に思い起こしておきたい。その上でこそ、米英の実行した「無差別爆撃」の問題性は語られるべきだろう。日独の採用した軍事的手法の延長に、米英により実行された無慈悲な無差別爆撃が存在するのである。

 同時に、被害者の姿の見えないところで、つまり加害の事実から遠く引き離されたところで実行される「爆撃」という手法は、21世紀のイラク戦争まで続いていることも忘れずにおきたい。

 シンポジウム参加者が、大岡氏による、

 1. 〈空爆の世界史〉における東京大空襲の位置-第二次大戦後を見据えて
 2. 〈空襲・戦災の比較史〉-共通の歴史理解のために
 3. 空襲記憶のゆくえ-〈「空襲後」史〉の国際比較

という問題提起を念頭に据えた上で、それぞれの報告に接していたことを考えれば、上記の私の認識も広く共有されていたものに思える。

 

 

 

 最後の質疑において、「無差別爆撃」推進の論理を支えていた、

   その効果としての銃後の敵国民の戦意の喪失

は実際に達成されたのかどうかという問題が論じられたが、日独共に、無差別爆撃による被害が戦争終結(降伏)をもたらすことはなかったという事実こそが、その答えとなるのであろう。

 

 

 

 

 

 

 

(オリジナルは、投稿日時 : 2009/07/29 21:55 → http://www.freeml.com/ep.umzx/grid/Blog/node/BlogEntryFront/user_id/316274/blog_id/111554

 

 

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2009年7月29日 (水)

「無差別爆撃」の転回点 (1)

 

 昨日、つまり2009年7月27日、御茶ノ水の明治大学に出かけ、「第3回無差別爆撃シンポジウム」に参加して来た。

 

 

 一昨年が、「無差別爆撃の源流 ― ゲルニカ・中国都市爆撃を検証する」(→ http://uma-sica.cocolog-nifty.com/blog/2008/12/post-156e.html)というタイトル、昨年のシンポジウムは、「世界の被災都市は空襲をどう伝えてきたのか - ゲルニカ・重慶・東京の博物館における展示/記憶継承活動の現在」(→ http://uma-sica.cocolog-nifty.com/blog/2008/12/post-5976.html)というタイトルで開催されている。今年は、「「無差別爆撃」の転回点 -ドイツ、日本都市空襲の位置付けを問う」というタイトルでの開催であった。

 

 

 

 開始時間である14時になり、まず、司会役の大岡聡氏による問題提起という形で今回のシンポジウムの焦点が説明された。

 レジメの文言を引用すれば、

 1. 〈空爆の世界史〉における東京大空襲の位置-第二次大戦後を見据えて

 2. 〈空襲・戦災の比較史〉-共通の歴史理解のために

 3. 空襲記憶のゆくえ-〈「空襲後」史〉の国際比較

ということになるが、これまでのシンポジウムで論じられた、歴史的時間軸と空間的拡がりの両面からの、「戦略爆撃」としての「都市無差別爆撃」という軍事的手法の展開を、前記3つのテーマに視点を据えてあらためて検証するということである。

 一昨年のシンポジウムでは、ゲルニカ・重慶に加え、それに先立つスペイン領モロッコでの空爆の実態等が取り上げられ、「東京大空襲」に至る「無差別爆撃」という軍事的手法の歴史的展開が、植民地主義との関連と共に報告されていた。

 昨年のシンポジウムでは、ゲルニカ、重慶及び東京の「空襲記録展示施設」の関係者の出席により、空襲記録の保存・記憶の継承という問題が、博物館展示という側面から語られていた。

 今回はそれを受けてのテーマ設定ということになるだろう。

 実際の報告及び議論は、時間的制約もあり、目論見のすべてを達成するところまではいけなかったようにも思うが、少なくとも大岡氏による問題提起により、参加者はイラク戦争までも視界内に想定した上で、それぞれの報告を聞き、質疑に参加したわけである。

 

 

 2人の報告者と、1名の論文参加者により、前記のテーマが具体的に論じられ、その上でコメント提供と質疑・討論という形でシンポジウムは進められた。

 

 

 

 まず、中山伊佐男氏(元 麻布高校教諭)による報告。タイトルは「日本への住民選別爆撃の実相-米軍研究資料から」である。

 

 「米軍研究資料」というのは、「米国戦略爆撃調査団報告書」を中心とした米国側の詳細な記録のことだ。1972年の大統領命令第11652号により機密指定が解除され、参照可能となったものである。つまり、東京大空襲を始めとした日本本土都市無差別爆撃の実行者自身による作戦計画と事後報告資料であり、極めて信頼性が高いと評価されているものなのである。

 

 中山氏は、まず、1945年3月10日のいわゆる東京大空襲=作戦任務40号の「作戦任務報告書」に付された「前書き(Foreword)」部分に注目する。

 そこには、東京・名古屋・大阪・神戸の市街地を目標と指定した上で、

 これらの攻撃の目的が、都市の市民を無差別に爆撃する(bomb indiscriminately civilian populations)ことではなかったということは注目すべきことである。目的は、これらの四つの重要な日本の都市の市街地に集中している工業的、戦略的な諸目標を破壊することであった。

と書かれているのである。

 中山氏はその報告で、目標情報票を始めとした実際の米軍側作戦計画の詳細資料を検証することにより、「前書き」の文言にある攻撃目的である「工業的・戦略的諸目標の破壊」が、空襲の実態と乖離していることを明らかにしてみせるのだ。

 米軍資料で「 Zone Ⅰ(焼夷地区1号)」として表示されている地域は正式には「Zone R1」なのだというのである。この「R」は(Residential)の略号なのであり、つまり住宅区域であることを示しているというのだ。つまり、米軍は事前の周到な情報収集により、住宅区域としての地域特性を掌握した上で、爆撃目標としての設定をしている事実が、米軍資料を活用することにより明らかにされているのである。

 中山氏の言葉を引用すれば、

 住居と工場が混在する地域である Zone X (Mixed Industrial Residential Zone)を攻撃目標とした爆撃であるのであれば、無差別爆撃といってもよかろう。しかし、3月10日の東京大空襲を始めとして、多くの都市の空襲は、住民を攻撃目標とした爆撃であると断ぜざるを得ないので、『住民標的爆撃』、『住民選別爆撃』というのが実相を示す表現である…

ということになるのである。

 「無差別爆撃」という用語が、特定の目標を対象とした「精密爆撃」との対比で用いられるものであるのに対し、実際には都市住民そのものをターゲットにしている(つまり目標として特定している)という意味で、米軍による日本の都市爆撃を「住民標的爆撃」あるいは「住民選別爆撃」として再定義することへの提案、と言えばよいだろうか?

 

 

          (続く)

 

 

 

 

 

 

(オリジナルは、投稿日時 2009/07/28 22:03 → http://www.freeml.com/ep.umzx/grid/Blog/node/BlogEntryFront/user_id/316274/blog_id/111462

 

 

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2009年7月21日 (火)

「文明賛歌」と「たぬき汁」

 

 まずは小田急線の「成城学園前」駅に向かう、というのが本日のスタート(まぁ、午前中はウダウダしていたので、正午過ぎての「スタート」ではあったが)。

 世田谷美術館分室清川泰次記念ギャラリーで開催中の展覧会「文明賛歌 清川泰次が写したマシーン・エイジ」を観るのが目的。

 

 娘と成城学園前の駅に着いたのは既に午後2時近い時間。まずは昼食をということで、途中のケーキ屋さんらしき店に立ち寄る。キッシュにクロックムッシュで、とりあえずのお昼ごはん。ギャラリーは、そのちょっと先の路地を入って行った所にあった。

 清川氏がご自身の住居兼アトリエとして使用していた建物の内部に、区民ギャラリーと清川氏の作品展示室が作られている。

 

 

 

 

 今回の展示は、案内の文章に、

 輝かしい未来が機械文明と共にあると信じられた時代へ捧げられた、青年からの賛歌

とある通りの、1930年代日本の鉄橋や機関車や街並みの写真で構成されている。学生時代の清川氏が趣味として撮影したものが中心となっている。

 つまりアマチュア写真ということになるのだろうが、それが、まさに時代の写真なのだ。マーガレット・バーク・ホワイトだったりロドチェンコだったりの作品を思い浮かべて欲しい。まさにあの世界が、1919年生まれの慶応ボーイにより残されているのである。

 もっとも、その輝かしい世界は、1940年代の戦争により、日本では灰燼に帰するわけだ。1945年に撮影されたとおぼしき焼けた街並みと駅舎の写真が、その後の日本が辿った歴史を物語っている(後で受付の方に確認したところでは、撮影データが不明で、残念ながらどこの駅なのかはわからない、ということであった)。

 

 展示法が面白いというか見事だった。10枚くらいずつの写真を、当時のグラフ雑誌の誌面のようにレイアウトして、壁面にピン止めしているのだ。90センチ×120センチくらいで一つの画面としたものが、8(あるいは7)画面。ピン止めだけという安価な方法でありながら、レイアウトの構成で、空間の緊張感が作り出されている。

 

 

 

 

 
 

 3時過ぎにギャラリーを辞して、駅の反対側にある母の実家に向かう。10数年ぶりのはずだ。娘はまだ訪れたことがない。

 今回は訪問が目的なのではなく、娘の祖母が若い日々を過ごした家の所在を覚えてもらおうと思ったからだ。

 別に親戚同士、仲が悪いというわけじゃぁない。室内の片付けという作業をしていないに違いないことを承知しているので、突然の訪問は遠慮するのである。

 道を間違えて、20分もかからないはずの道のりに、小1時間もかけてしまったが、暑さがそれほどひどくもなかったので助かった。

 到着後は、玄関先の母の旧姓が書かれているポストの前で娘の姿を撮影。まぁ、夏の街を1時間近く歩かされた後なので、表情がひどい。結果として20分ほどかけての撮影ということになる。今後は演技力を身に着けて欲しい(と注文をつける身勝手な父)。

 

 とりあえずこれで、母(娘にっとっては祖母)の住んでいた家も見たし(といっても建物は改築されていたけど)、ということで駅へと向かう(それが4時半過ぎ)。

 しかし、祖父母(娘にとっては曽祖父母)が存命だった頃とはまったく違う街並みとなってしまっている。相続税の関係だろうが、複雑な思いがする。バカ息子が親の相続財産の広い屋敷で安楽な生活をするというのも実に問題だと思うのだが、相続税対策の結果としてゆとりある街並みが壊れていくというのも、なんとも文化として貧困なものだと思う。

 

 駅近くなって、「キヌタ文庫」という古書店を発見。以前にも一度訪れ、収穫を抱えて帰った記憶がある。娘も、喜んで立ち寄りましょうモード。

 購入本は、

 佐々木輜重兵大佐 『兵站勤務の研究』 偕行社 昭和7(1932)年  2000円

 佐藤垢石 『随筆 たぬき汁』 墨水書房 昭和17(1942)年  700円

 カール・ヤスペルス 著 森 昭 訳 『独逸的精神 マクス・ウェーバー』 弘文堂 昭和17(1942)年  200円

 総合インド研究室 編 『印度の民族運動』 総合インド研究室 昭和18(1943)年  500円

 木村喜久弥 『ネコ その歴史・習性・人間との関係』 法政大学出版局 昭和33(1958)年  400円

 高群逸枝 『日本婚姻史』 至文堂 昭和38(1963)年 200円

 細川護貞 『細川日記 上下』 中公文庫 1979年(ただし1991年の3版)  480円

 藤岡明義 『敗残の記 玉砕地ホロ島の記録』 中公文庫 1991年 300円

 エマニュエル・ウォーラーステイン 『アフター・リベラリズム』 藤原書店 1997年  1300円

 『MUSICAL INSTRUMENTS OF THE WORLD』 PADDINGTON PRESS LTD 1976年  1800円

 『中国楽器図誌』 (中国の書籍で、出版社名が簡体字なので表示不能) 1987年  800円

 

 

 『随筆 たぬき汁』は、かつてネット上から引用した文章の原本(→ http://www.freeml.com/ep.umzx/grid/Blog/node/BlogEntryFront/user_id/316274/blog_id/91911/)。こんなところでめぐり合おうとは!!

 『兵站勤務の研究』の表紙には、「日本将校ノ外閲覧ヲ禁ス」と書いてある。

 他に娘の欲しがった文庫本を合わせて9800円の散財。

 娘は、昨日は一人で近所の大型古書店(例のチェーン)を2つめぐったらしいが、品揃えの違いに大喜びであった。これぞ正しい古本屋の姿であろう(値段に関しても、ウォーラーステインなんかチェーン店だと定価の半額というパターンで2400円のはずだ)。

 

 駅近くのコーヒーショップで一服。娘の母(仕事である)と連絡を取り、地元の駅で合流することに決定。

 7時半近くに地元駅到着。駅上の書店で合流。ここでまた余計な本を買ってしまった。

 『現代思想 7 (特集 人間/動物の分割線)』 青土社 2009 
 田中克彦 『ノモンハン戦争  モンゴルと満州国』 岩波新書 2009

 そんな荷物を増やして(家族それぞれに、だ)、階上のレストラン街で食事。自宅に帰り着いたのは9時近く。

 
 
 

 暑い中、充実した一日だった、ように思う。

 
 
 
 
 
 
 
 
 

 

(オリジナルは、投稿日時 2009/07/20 21:30 → http://www.freeml.com/ep.umzx/grid/Blog/node/BlogEntryFront/user_id/316274/blog_id/110606

 

 

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2009年7月17日 (金)

老眼と自己決定 (24) 脳死を生きる 17

 

 国会での「臓器移植法改正案(A案)」議決により、現行法に比べ、脳死体からの臓器移植が容易になることは確かだろう。

 

 

 本人が積極的なドナー希望者であることの確認を要件としていた現行法に対し、本人が積極的なドナー拒否者であることが確認されない限り家族の同意のみでドナーとされてしまうというのが、今回の改正案の主眼の一つである。

 現行法ではドナーカードに明記された本人の意思の確認を要件としているのに対し、改正案ではドナーカードの内容確認は要件とされていないことに留意しておきたい。現行法では、ドナーカードの所持の確認と内容の確認の二段階にわたる確認が要請されているのに対し、改正案では、ドナーカードの所持の確認は既に要件ではなくなっているのである。ドナーカードの不所持者は、現行法ではドナーの対象からはずされるのに対し、改正案では、ドナーカードの不所持は問題とならず(つまりドナーカードが発見されなければそれで終わりということ)、要請されるのは家族の同意の確認のみとされているのである。

 

 脳死が人の死であるにせよ、死後の臓器提供に関しては本人の意思を尊重する、つまり脳死時の臓器提供に関し自己決定権を尊重するという姿勢は、改正案からは失われているのである。

 この変更点に見出すことの出来る自己決定権尊重の理念からの後退は、現行法で禁じていた15歳以下の小児からの臓器提供を家族の同意を要件とすることで可能にした改正案条項にも、一貫性をもって見ることが出来る。本人に自己決定能力がないとされることで、現行法では小児の臓器提供は禁止されていたのに対し、自己決定能力を問わぬことで小児からの臓器摘出は可能にされるのである。

 

 

 これまでも繰り返し書いたように、私自身は、脳死を人の死としてしまうことに、いまだに同意出来ないでいる。

 ひとつは、長期脳死者の存在やラザロ徴候、脳死体からの臓器摘出時に脳死体が示す反応等の事例がある以上、脳死状態=死体と結論してしまうのは時期尚早ではないかという疑念である。脳死状態の身体を生体ではなく死体と判断するには、より一層の基礎的研究の積み重ねが必要に見えるのである。

 もうひとつには、たとえ脳死状態が脳の機能の完全な停止を意味してるのだとしても、身体が生体としての反応を示し続けるという状況に対し、生物としての「死」を宣告することの妥当性という問題を考えざるをえないのである。

 

 後者の問題を、もう少し考えてみよう。

 たとえば、脳死状態=死体と定義することにより、脳死者は既に死んでいるので脳死者からの臓器摘出は殺人とはならないわけである。この場合は、脳死者の身体の利用は臓器摘出の時点で終わる。臓器摘出後には、伝統的な心臓死=死という定義からしても疑問の余地のない死体が残されることになる。

 ここで、長期脳死者の存在を思い出したい。臓器摘出利用の場合は、脳死身体の短期的利用であった。

 長期脳死者の存在は、脳死身体の長期的利用の可能性を示唆するものである。

 脳死とは脳の死であっても身体の死ではないからこそ可能になるのが、長期的な脳死身体の利用、ということになるだろう。

 様々な医学的実験が、生体としての脳死身体を使用することで可能になるわけである。たとえば薬品の発がん性を、生きている人間(脳死状態にない人間)を用いて実験することは許されないだろうが、生きているが死んでいる(身体は生きているが脳は死んでいるわけである)脳死状態の人間の身体を用いて実験することは、論理的に可能なはずだ。

 脳死体が身体として生きているからこそ、薬品の実験には最良の素材となるわけである。それも人間の身体であるからこそ、動物実験とは比較にならない有効性が確保出来るのである。

 脳死≠身体死であるからこそ可能な事態であろう。

 要するに人間として生体であることが、脳死者の身体を利用した実験の有効性を保証することになるわけだ。しかし、もちろん、法的には脳死者の身体は既に死体なのであって、そこに存在するのは生体を利用した実験ではなく死体を用いた実験に過ぎないのである。

 要するに、法的には死体だが、生物学的には(そして実は医学的にも)生体として評価されるからこそ、脳死状態の身体は利用価値を生み出すのである。

 

 

 

 脳死者の臓器摘出利用(脳死体の短期利用)に際し、ドナーの意思が尊重されない法案を選択した以上、脳死者の身体の長期利用(脳死体を用いた生体実験である)に際しても脳死者の意思は尊重されないような事態が待ち受けている可能性は高い。

 衆議院9時間、参議院で8時間という短い審議時間で今回の改正案が成立してしまったことを考えれば、脳死体の長期利用への道も簡単に開通するに違いないのである。

 

 家族の意思で、生体実験材料への道は開かれるのである。それが今回の改正案成立の帰結に見える。

 

 

 

 

 

 

 

(オリジナルは、投稿日時 2009/07/16 22:23 → http://www.freeml.com/ep.umzx/grid/Blog/node/BlogEntryFront/user_id/316274/blog_id/110264

 

 

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2009年7月15日 (水)

老眼と自己決定 (23) 脳死を生きる 16

 

 脳死臓器移植「医療」をテーマに書き始めて、今回で16回を数えることになる。

 

 

 

 「脳死を生きる 12」(つまり「老眼と自己決定 (19)」でもある)で書いたことだが、脳死臓器移植「医療」を推進する者にとっての利益と、救急救命医療の対象となる者の利益は一致しないという側面がある。

 脳死体を確保し、脳死体からの臓器摘出利用を利益と考える者と、脳死状態の回避に全力を尽くし救命回復に努力する側の利益は、相反するものとなりうるのである。

 

 

 「脳死を生きる 12」(→ http://uma-sica.cocolog-nifty.com/blog/2009/07/post-ec15.html)では、

 一方で、脳死を人の死とすることには宗教界や法曹界、交通事故遺族の会など、さまざまな方面から反対がある。国会での慌ただしい動きに、改正に反対する医師らが先月、「移植を受ける人と提供する人の救命は表裏一体。審議は慎重の上にも慎重であるべきだ」と緊急声明を発表した。
 脳神経外科医の山口研一郎氏は「医療の進歩で(現行法制定時より)もっと脳死イコール人の死ではない状況となった。親は子供の体が冷たくなって初めて死を認められるもの」と指摘、早急な結論に危機感を表した。
 (時事通信 2009/06/18 13:42 → http://www.jiji.com/jc/zc?k=200906/2009061800447&rel=j&g=soc

という、衆議院本会議での臓器移植法改正案(A案)可決を受けての報道を紹介しておいたが、

移植を受ける人と提供する人の救命は表裏一体。審議は慎重の上にも慎重であるべきだ。

医療の進歩で(現行法制定時より)もっと脳死イコール人の死ではない状況となった。親は子供の体が冷たくなって初めて死を認められるもの。

というそれぞれの言葉が、問題の所在を語っているものと思う。

 

 

 7月13日の参議院本会議での臓器移植法改正案(基本的にA案を踏襲)可決後の報道の一つでは、

 小児の脳死移植を可能とする改正臓器移植法が成立。海外に頼らず国内で「助かる命を助ける」ことに近づいたが、もう1つの「助かる命」を抱える小児救急医療現場は、充実しているとはとても言えない状況だ。関係者らは「十分な治療が尽くされなければ臓器提供は成り立たない」と一様に体制整備を訴えている。
 「私たちの医療の根本は脳死の子をつくらないこと」。参院厚生労働委員会に参考人として出席した日本小児科学会会長の横田俊平横浜市大教授はこう切り出した。臓器を提供する側と受ける側、すべての子の命を守りたいとの思いだ。
 同教授は、小児の救命救急システムが全国に2カ所しかないと指摘。その一つ静岡県立こども病院では、おぼれた子どもが医師の乗るヘリで平均1時間以内に集中治療室(ICU)に運ばれ、ほとんどのケースで後遺症もなく回復しているのに対し、システムのない横浜市では病院搬送に1時間半~4時間半かかり、死亡したり重度の脳障害が残ったりしているとの実態を紹介。「体制一つでこんなに違う。こうした状況で『臓器提供を』と言って納得してもらえるのか」と問い掛けた。
 日本は新生児の死亡率が世界一低いのに対し、1~4歳児は21位。小児救急は専門の医師も施設も不足している。こうした実態を踏まえ、重症小児の救急医療に関する厚生労働省の検討会は先週、小児救命救急センターの整備などを盛り込んだ中間報告をまとめている。
 委員を務めた同病院の植田育也・小児集中治療センター長は、日米で脳死の子の診療やみとりに携わってきた。小児の脳死移植には法整備だけでは不十分だとし、「臓器提供が最良の選択だったと、長く思ってもらえるような医療が必要」と話した。
 (時事通信 2009/07/13 16:38 → http://www.jiji.com/jc/zc?k=200907/2009071300619&rel=y&g=soc

と、小児救急医療現場が抱える問題が指摘されている。

 今回の改正案で可能となった15歳未満の小児からの脳死臓器提供を考える上で、小児救急救命医療自体の不十分さという現状は、脳死臓器移植推進への前提となる環境としてお粗末に過ぎる。

 救急救命医療の受益者としての患者と家族の利益を守るための努力が不十分なところで、脳死臓器移植の受益者としての患者と家族の利益へのより多くの配慮を求めることになってしまうのが、今回の改正案のもたらす帰結であろう。

 もちろん、言うまでもないことだろうが、この指摘は臓器移植法改正案そのものへの批判とは別のことである。脳死を人の死とし、脳死体からの臓器移植を「医療」として推進することの是非とは別に、小児救急救命医療体制は拡充されなければならないのである。

 「私たちの医療の根本は脳死の子をつくらないこと」という日本小児科学会会長の横田俊平横浜市大教授の言葉に、まずは耳を傾けねばならない。

 助けることの出来るはずの命を助けることへの努力を怠ったままに、(怠るからこそ容易になるわけでもあるが)脳死体からの臓器移植の推進を図ることは倫理的ではないだろう。助けることの出来たはずの命を助けずして、助からず脳死状態になった患者の臓器利用にのみ腐心することには同意し難いのである。脳死臓器移植を「脳死の子どもをつくること」という構図の上に成立させてしまうことは、推進者も望まぬものと思いたい。

 

 

 この問題は、臓器移植医療推進の前提として解決されていなければならないはずだ。今回の臓器移植法改正案成立後の大きな課題となるべき事項であろうが、改正案可決に寄与した国会議員諸氏にその自覚はあるのだろうか?

 そもそも、国民それぞれに、その自覚があるのかどうか?という問題であるわけだが…

 

 

 

 

 

 

(オリジナルは、投稿日時 2009/07/15 22:23 → http://www.freeml.com/ep.umzx/grid/Blog/node/BlogEntryFront/user_id/316274/blog_id/110179

 

 

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2009年7月14日 (火)

老眼と自己決定 (22) 脳死を生きる 15

 

 脳死臓器移植「医療」をテーマに、いろいろと書いて来たが、基本的に、その推進に対しては批判的なスタンスであった。

 

 

 

 

 実は、私自身は、「死体=生ゴミのようなもの」という感覚を持っている。死体の資源化という発想に対して、倫理的な反感はない。

 ただし、死体を資源として捉えることは、受益者の間に、より多くの死体の確保への欲求を生み出し、より多くの死体供給のための努力として帰結する可能性が大きい。そのことは倫理的に望ましからぬ事態を生じさせるはずである。

 そのような意味で、死体の資源化には慎重さが必要だと考えるのである。

 

 J・ヘラーが、第二次世界大戦の米陸軍爆撃機搭乗員を主人公に書いた小説『キャッチ22』には、主人公ヨッサリアンが機体後部で死にゆく後方銃手を抱きかかえながら過ごす時間を描いたシーンがある。高射砲弾の破片で身体を引き裂かれており、救命の方途はない。彼の血液に浸った状態で基地に帰投する。

 その時の経験が、繰り返しヨッサリアンの脳裏に現れ、繰り返しその意味を問うことになるのだが、死の意味が、(特にヨッサリアンにとって)戦死の意味が、人間が生ゴミと化していく過程として見出されていくのである。

 逆に、そこに戦争を生き抜くことの価値が見出されるというのが、小説の展開なのだが、「死体=生ゴミのようなもの」という私の感覚の形成に影響を与えているエピソードの一つに違いない。

 

 母の介護をする中で、母の姿を毎日撮影していたことも書いた。「ご臨終後」の一部始終も、当然、撮影の対象である。

 続く日々の中では、死体となった母の姿も撮影していたわけである。

 生死は大きく隔てられた状態だ、と、つくづく思わされたものだ。

 寝たきり状態であっても、表情は刻々と変化するのである。死体には、変化というものがまったくない。モノと化した状態。そのことを痛感した。

 

 「生ゴミのようなもの」にせよ「モノと化した状態」にせよ、私にとっての死体とは、生きている人間とは異なる状態に変化してしまった、かつて生きていた人の身体に過ぎない。それは、既に、過剰な思い入れの対象ではない。

 

 死体の資源化自体に、倫理的抵抗感がないのは、そのような感覚が背景にあるからだろう。

 そのような意味で、脳死体の臓器利用自体に抵抗感を感じるわけではないのである。

 先に示したように、私が危惧しているのは、死体の資源化の帰結がもたらす倫理的問題であるに過ぎない(しかし、このことは実に重要な問題であるが)。

 

 

 

 

 そのような話をした上で、脳死を人の死としてしまうという内容の「臓器移植法改正案(A案)」が、衆議院に続いて参議院本会議でも可決されてしまった今日、「脳死」は本当に人の死なのかどうか、そのことをもう一度問うておきたい。

 

 脳死状態が本当に生物の死として記述可能な状態なのであれば、脳死臓器移植「医療」を、死体利用の方法の一つとして考えることは出来る。

 

 しかし、やはり、そこに疑念が残るのである。

 

 

 

 執刀している医者たちが一番嫌うのは、脳死者から臓器を摘出するときに、苦しがってバタバタ暴れているようにしか見えない行動が出現する場合だ。脳が死んでいるから、その人は苦しんでいないというが、本当かどうかはわからない。脳死者から臓器を取り出すときに脳死者に麻酔をかけなければ、暴れてうまく手術が行えない事実こそは、脳死と言われているものが本当の死ではない証拠のように私には思える。
 (池田清彦 『脳死臓器移植は正しいか』 角川ソフィア文庫 2006)

という話を思い出してしまう。

 死体に麻酔をかける必要はないはずではないだろうか?そこにあるのが本当に死体であるならば。

 麻酔ではなく筋弛緩剤を使用する医師もいるらしい。筋弛緩剤では、痛みの感覚は緩和されないので、もし脳死状態が感覚の消失を意味していないのだとしたら、ドナーにとっては悲劇である。

 どうもその辺の疑念が検討された形跡がない。衆議院で9時間、参議院では8時間という審議時間なのである。あまりに安易ではないだろうか?

 

 そして長期脳死者の例がある。脳の機能の廃絶の判定の一方で、それ以外の身体は成長を続けているのである。そこでは細胞が生きており、更新され、代謝機能が有効であるからこそ、身体的成長があるはずだ。

 そのような身体機能の継続がありながら、脳の機能にのみ注目することにより、生物体としての「死」を宣告することが、脳死を人の死とすることの意味である。

 重度の心身障害者の姿を目に浮かべる時、心臓死から脳死へと変更された死のラインをほんの少し動かすことで、彼らを死者に参入させることが可能になることに思い至る。

 今回の改正に至る議論が、実に慎重さから遠いところで終始していたことを思えば、今後の死のラインの安易な変更の可能性を否定することも難しい。

 

 「精神的な死者」という、ナチスの安楽死政策の用語を思い出さずにはいられないのである。

 

 

 

 

 

 

(オリジナルは、投稿日時 2009/07/13 22:30 → http://www.freeml.com/ep.umzx/grid/Blog/node/BlogEntryFront/user_id/316274/blog_id/109970

 

 

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2009年7月13日 (月)

LACHRIMAE 介護のエンディング (老眼と自己決定 番外編)

 

          LACHRIMAE

 

 ラテン語で「涙」を意味する、はずである。

 

 

 母を亡くしていることは、何度か書いたと思う。

 

 彼女は、88歳の日々を、肺癌患者として、寝たきり状態で過ごすことになった。

 往診に訪れたかかりつけの医師から、「余命数週間」との診断を伝えられたのが2001年の1月29日のことだった。

 医師が帰った後、母のポートレートを撮影した。「遺影」用に、である。

 前年の10月の検査入院の際に、癌の部位が心臓に接していて「かなり危険」なことを病院の当直医から聞かされ、退院後は毎日、母の姿を撮影するようにはなっていた。話が前後するが、1999年の後半から微熱が続くなどの体調変化に見舞われ、癌の診断を受けたのは、その年の暮れか翌年の正月のことだ。そのことは本人にも伝えてある上での、その後の出来事である。

 

 やがて訪れる死を前提にして、毎日、母(と家族の姿)を撮影する。そんな日々の中で、往診の医師からの「余命数週間」という言葉は、「やがて訪れる死」という言葉の切迫度を高めるものとなったわけだ。

 

 丁度、私の仕事が春休みに入ることもあり、母を入院させるのではなく、自宅での介護という選択をした。4月にはすべてが終わっている、と思ってのことである。桜の咲き誇る下での葬儀となれば上等だなどと考えていたくらいだ。

 そして、新学期からは仕事に復帰する。

 

 そう考えていたのだが、介護の成果なのか、4月に入っても母は存命であった。以後、仕事を休んでの介護の日々が始まる。

 介護保険の発足と重なり、それ以前の家族介護が置かれたであろう状況に比べれば、かなり恵まれたものとはなったはずだ。しかし、相手は回復の可能性の存在しない家族である。嚥下困難により、食事の楽しみさえ失ってのことだ。

 彼女の生の存続は、もちろん息子としての私、そして私の家族の喜びである。しかし、寝たきり状態という当人にとってもつらい状況での生の存続でもある。88歳ということは、十分に老人であることを意味し、その上での肺癌は、回復というエンディングへの希望を断つものなのである。

 エンディングは彼女の死以外になく、それは彼女の苦しみからの解放の時でもある。それは、つらい状況の終了ではあるが、しかし、彼女と家族が共に過ごせる日々が断たれる時をも意味するのだ。

 しかし、しかしその上に、終わりの見えぬ介護というつらい日々からの解放を、私には意味することにもなる。そこでは介護の日々からの解放をもたらすのは、彼女の死なのである。

 

 心理的には、少なくとも私の心理の問題としては、ハッピーエンドへの希望を持ちえない日々だったように思える。

 彼女の死は望まない。しかし、彼女の死がすべての問題を解決する、という考えを否定することも出来ない。

 私自身にとって、うれしい認識ではない。

 付け加えれば、介護のために仕事を休んでいるということは、その間の収入がないことを意味するし、介護には金がかかるのである。介護の継続は、経済状況の絶対的な悪化も意味するのだ。

 

 

 そんな毎日ではあったが、その中で、必ずその日の母の姿を撮影することは続けていた。

 3月に彼女は88歳の誕生日を迎える。当然、その日の姿を撮影した。その1ヵ月後(4月)には、3月の誕生日の写真と彼女を1枚に収めた。その1ヵ月後(5月)には、4月に撮影した3月の誕生日の写真と並ぶ彼女の姿を撮影する。それを一ヵ月ごとに繰り返す。彼女の生の存続の証しである。「余命数週間」が一ヶ月ずつ延びていく様が、一枚の写真に収められるのだ。

 まぁ、そんな楽しみ(?)も交えながら、毎日、肺癌で寝たきりとなった老人の姿を撮り続けた。

 

 介護の日々の心理的にストレスフルな状況については、先に書いた通りだが、撮影用のライトをセットし、カメラを構え、彼女と向き合う時間。それは「介護の時間」とは別の時間の流れを、私と母の間にもたらすものとなった。その間だけ、私たちは写真家とモデルになるのだ。

 カメラを持つ習慣、シャッターを切る習慣も捨てたものではない。介護という関係性は、その時だけは、私たちの間からは消えたのである。

 

 

 

 2002年1月3日に突然訪れる彼女の死までに、数千枚の写真が残されることになる。

 

 

 その中から48枚を選び、2冊のアルバムにまとめた。彼女の友人・親戚も、彼女同様の老人であり、見舞いにも来られなければ葬儀にも立ち会えなかった方々がほとんどだ。彼女の最後の日々を、写真を通して共に過ごしてもらえればという思いでセレクトした48枚であった(枚数はアルバムのフォーマットに規定されている)。

 彼女の親戚・友人達へ届けるためのアルバムのタイトルとして選んだのが「ラクリメ LACHRIMAE」である。

 1604年に出版されたジョン・ダウランドの曲集のタイトルにちなんだものだ。介護の日々、私の中を流れていた音楽。

 

 

 

 

 書き始めたら長くなってしまった。仕事先で私を見知っていた学生から、私をネタに展覧会をしたいという話があり、かつての母の写真を見せたら「それで行きましょう」的展開になってしまったのが、今夜のお話の発端。

 学生にタイトルの由来である「LACHRIMAE」の実際の演奏を紹介しようと思って、「YOUTUBE」を利用して見つけた画像を紹介するだけで終えるつもりが、説明を始めたら長い話となってしまったというのが事の真相である。

 さて、学生にメールで紹介したのは、

J. SAVALL · Hespérion XX · "Lachrimae Antiquae" · Dowland
 → http://www.youtube.com/watch?v=LCfhqh0u20c

STING & EDIN KARAMAZOV (LUTE) - ST LUKES CONCERETTE PART 1
 → http://www.youtube.com/watch?gl=JP&hl=ja&v=ljQDTLUDWC0&feature=related

の2つだったのだが、後になってから、

Jordi Savall, Hespèrion XXI - Lacrimae Pavan, J.Dowland (1563-1626)
 → http://www.youtube.com/watch?v=g2uA4msplTg&feature=related

を発見。サヴァールのライヴ映像だ。

 スティングのヴォーカルによる「Flow my Tears」も好きだけど、

Alfred Deller performs Dowland's 'Flow my Tears'.
 → http://www.youtube.com/watch?v=85C1jX0P28k&feature=related

このデラーも名演だと、久しぶりに聴いてあらためて思った。これ、LPは持っていたはずなんだけど…

 最後に、

Flow My Tears - Jim Moray
 → http://www.youtube.com/watch?v=40bv3m9I7dM&feature=related

やるじゃありませんか…

 

 

 

註 : 私自身の死生観の背景の理解につながると思い、「老眼と自己決定」の「番外編」として、ここに収録することにした。

 

 

 

 

(オリジナルは、投稿日時 2009/07/12 22:07 → http://www.freeml.com/ep.umzx/grid/Blog/node/BlogEntryFront/user_id/316274/blog_id/109862

 

 

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2009年7月11日 (土)

老眼と自己決定 (21) 脳死を生きる 14

 

 脳死臓器移植「医療」を推進するためには、脳死状態の患者からの臓器摘出の合法性を保証しておく必要がある。

 つまり、脳死を人の死と定義することにより、脳死状態の患者は、治療の対象から死体へと変化する。臓器摘出により脳死状態の患者が死ぬのではなく、患者は既に死んでいるというのが、脳死を人の死と定義することにより生み出される解釈である。

 

 そして、別の場所で臓器移植を待ち望む患者に、脳死体となった患者からの臓器が提供され、移植手術が成功すれば、前者の近い将来の確実な死は遠ざけられることになる。

 

 

 一人の患者(ドナー)の死が、一人の別の患者(レシピエント)の生を保証するのである。

 

 

 脳死臓器移植「医療」先進国である米国のリポート(数日前のテレビニュースによる)などを見ると、ドナーの家族にとり(成人ならドナー自身もだろうが)、ドナーの死は臓器移植を通してレシピエントの生と結びつき、レシピエントの体内におけるドナーの生の継続として解釈されるという形式で、脳死臓器移植を受け入れるという構図が出来上がっているらしい(もちろん、「脳死=人の死」という図式が共有されていればこその話であろうが)。

 要するに、脳死臓器移植を通して、あるいは脳死臓器移植という手段があればこそ、ドナーの死は回避されたものとして認識されうるわけである。

 米国のケースでは、レシピエントの現実の延命と同時に、ドナーの想像上の延命として、脳死臓器移植が機能しているということのようである。

 

 死の回避は、確かに人間にとっての究極のと言っていいくらいの根深い願望の一つであろう。

 その意味で、米国における脳死臓器移植医療を支える論理と、そこから生み出される感情は、多くの人類に共有されると思われる不死への願望に適うものとして評価することも出来そうだ。

 

 愛する家族の死を受け入れる上で、家族を脳死臓器移植のドナーとすることに同意することが、その家族にとっては一種の救いとして機能しうるわけだ。家族の死(脳死)の受け入れが、同時に、家族の(他者の臓器としての)生の存続の保証となるのである。

 

 世界からの死の排除という願望を、脳死臓器移植が叶えるのである。

 ここでは、米国での脳死臓器移植医療の普及・進展が、それなりの完結した論理に支えられていることを見ておくべきなのだろう。

 

 レシピエントとしての患者が、どこかの誰かのドナーとしての脳死を期待しながら日常を送ることの倫理性を問うという発想は、このような論理に覆われる世界からは生まれにくいのかも知れない。

 レシピエントの存在こそが、ドナーの死をただただ悲しく不条理なものから、意味あるものへと変換するのだ。

 死を受け入れ可能なものにするのが、死を他人の中で継続する生へと変換する論理であり、その具体的手段こそが脳死臓器移植医療なのである。

 

 

 

 

 私自身は、生きていることはいつか必ず訪れる死を前提とした状態である、という思いの中で日々を生きている。

 小学校2年生の時に、父の死に続いて、双方の祖父母の死を体験したことが、その思いを生み出したのだと考えている。「人は皆、最後には死ぬものなんだなぁ…」という実感が、小学校2年生の私に刻み付けられたのである。

 

 この10数年の間に、姉と母を亡くした。無感動なわけではなかった。悲しみの感情は、常日頃から「人は皆、最後には死ぬものなんだなぁ」と思っている男の上にも宿るものである。

両者に対し、適切な医療の提供は出来たのだろうか?

その都度の選択は、最適なものであったのだろうか?

…といった疑念からは逃れられないし、とにかく、これまで直接的コミュニケーションを交わしていた家族と共に時を過ごすことは出来ないのである。それに気付くことは、既に取り返しのつかない地点にいるのだということを再認識させられることであり、そこで自身の無力感と喪失状態をあらためて味わうことになる。

 

 ただ、そのように考えても、生きていることがいつか必ず訪れる死を前提にした状態である、という認識はそのままに残る。

 やがて死ぬものこそが、現在を生きているものなのだ。

 そのような死生観からは、米国流の脳死臓器移植を支える論理が、魅力的だったり説得力を持ったものとして見えて来るということもない。

 

 

 自らの死を望まないのなら、まずは他人の死を望まない。

 私には、こちらの方が、理屈としても倫理観としても説得力があるものに思える。

 

 

 

 

 

 

(オリジナルは、投稿日時 2009/07/10 22:39 → http://www.freeml.com/ep.umzx/grid/Blog/node/BlogEntryFront/user_id/316274/blog_id/109689

 

 

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2009年7月 9日 (木)

老眼と自己決定 (20) 脳死を生きる 13

 

 昨夜で、「老眼と自己決定」シリーズの「脳死を生きる」編も、12回目となってしまっている。

 

 いずれにしても、「脳死臓器移植」をめぐる善悪正邪の判定が目的ではなく、要するに自分の腑に落ちない点をはっきりさせておこう、というのが論の主眼である。

 

 

 他人がどう思うかとは別に、私の視点から、気になること、世の中の議論から抜け落ちているように感じられることを書いておきたいわけだ。

 

 

 

 私自身は、これまでにも書いたように、木村敏氏の提起した問題に大きく影響を受けている。

 脳死臓器移植「医療」は、患者(レシピエント)に他人の死を期待する心情を持たせてしまうことになる、という指摘だ。

 その論理、あるいはそこから生み出される倫理観は、少なくとも私自身には、自分自身が脳死臓器移植「医療」でのレシピエントとなることへの抵抗感を抱かせるものとなった。家族という立場でも(つまり、たとえば自分の娘が脳死臓器移植以外に延命の可能性がないという状況になっても)、脳死臓器移植「医療」を選択することはしたくない。

 そのような意味で、脳死臓器移植「医療」に関しては、(脳死臓器移植医療ではなく)しつこく「 」付きで脳死臓器移植「医療」と表記しているように、医療行為としての位置付けに戸惑いを覚えていることも確かなのである。つまり、「中立的立場」で問題を論じていると主張することは出来ない。

 

 しかし、脳死臓器移植「医療」を「告発」することを目的としているわけでもない。

 私の視点から、論点を整理しておくこと。そこに、書き続ける動機がある。

 

 

 批判的な記述が多くなっていることは確かだろうが、私が問題をそのように見ているというだけの話で、読者の同意を求めているわけでもなければ、読者を説得しようとしているわけでもない。

 脳死臓器移植「医療」の推進を求める方には、私の疑念をクリアした上で、その主張を展開していただければよいと思うだけだ。問題をスルーするのではなく、クリアすることにより、推進の論理も強固なものとなるだろう。

 

 

 

 世の中では、シロクロを明確にした議論、わかりやすい結論が求められる傾向があることは承知しているが、そのような方向性は、これまでの議論からも、これから書くかも知れない議論からも見つけることは出来ないと思う。

 

 話としてはわかりにくく、じれったく感じられるかも知れないが、何らかの結論ではなく問題を「考える」姿勢を共有していただければ、それで私の目的は達せられるものと思っている。

 

 

 

 

 

(オリジナルは、投稿日時 2009/07/08 23:37 → http://www.freeml.com/ep.umzx/grid/Blog/node/BlogEntryFront/user_id/316274/blog_id/109495

 

 

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2009年7月 8日 (水)

老眼と自己決定 (19) 脳死を生きる 12

 

 脳死臓器移植「医療」とは、臓器の疾患により遠くない死を宣告された患者及び家族と、脳の損傷(それが外部的要因であれ内部的病変であれ)により脳死の可能性を宣告された患者及び家族との間に介在するものである。

 前者の多くは、中・長期の治療過程を経験しているのに対し、後者は救急救命医療の対象である。

 前者は、脳死臓器移植以外に延命の可能性がない状況にある。

 後者では的確かつ迅速な救命医療の実施が患者にも家族にも望まれるであろうし、その治療の成功は患者に脳死を免れさせ、患者の延命・回復につながるものとなりうる。

 

 そのように考えると、脳死臓器移植「医療」を実施することは、レシピエントとしての前者の「延命」とドナーとしての後者の「延命」との二者択一的状況を出現させるものとなりうることに気付くだろう。

 もちろん、救急救命医療の現場の医師の努力は、脳の損傷により運び込まれた患者の救命に注がれるはずである。

 

 しかし…

 

 一方で、脳死を人の死とすることには宗教界や法曹界、交通事故遺族の会など、さまざまな方面から反対がある。国会での慌ただしい動きに、改正に反対する医師らが先月、「移植を受ける人と提供する人の救命は表裏一体。審議は慎重の上にも慎重であるべきだ」と緊急声明を発表した。
 脳神経外科医の山口研一郎氏は「医療の進歩で(現行法制定時より)もっと脳死イコール人の死ではない状況となった。親は子供の体が冷たくなって初めて死を認められるもの」と指摘、早急な結論に危機感を表した。
 (時事通信 2009/06/18 13:42 → http://www.jiji.com/jc/zc?k=200906/2009061800447&rel=j&g=soc

 

…という懸念を無視することも出来ない。

 山口研一郎医師の「医療の進歩で(現行法制定時より)もっと脳死イコール人の死ではない状況となった」という指摘は、現時点での問題の所在を語るものであろう。救急救命医療の現場の脳神経外科医自身が、「早急な結論に危機感を表し」ているのである。

 

 それに対し、脳死臓器移植「医療」推進者は、たとえば、

 

 日本心臓血管外科学会(高本真一理事長)は25日、衆院を通過した臓器移植法改正A案を参院で速やかに可決するよう求める声明を発表した。理事の許俊鋭東大特任教授は「移植を待つ患者さんはこういう場に出て来られない。直接診ている我々が患者さんの切なる願いを訴えたい」と述べた。
 同学会によると、1997年の同法施行後64人が心臓移植を受け、うち62人が健在。世界的にも非常に優れた治療成績を上げながら、機会が少ないため、多くの患者が移植を受けられず亡くなっている。
 (時事通信 2009/06/25 19:46 → http://www.jiji.com/jc/zc?k=200906/2009062500957&rel=j&g=pol

 

と主張している。「世界的にも非常に優れた治療成績」を示すと共に、その「機会が少ないために多くの患者が移植を受けられずに亡くなっている」現状を強調しているわけだ。心臓血管外科学会の医師たちが、その患者の利益を考えることは正しいだろう。しかし、彼らの患者の利益は、脳神経外科医の患者の利益を侵すことにより獲得される性質を持つことへの配慮に対しては言及されていない(報道されていないだけだろうか?)。

 日本心臓血管外科学会の声明は、それでも一方の当事者の意見表明としては理解可能なものではある。

 

 

 しかし、「移植を受ける人と提供する人の救命は表裏一体」という認識は、少なくとも国会審議の場では共有されるべきであろう。

 現行法施行後に明らかになった脳死状態そのものに対する疑義の検討と、救急救命医療の技術的進展への考慮を抜きに、脳死状態への評価を下すことは、あまりに乱暴な話に思える。ドナー側の利益の軽視と言うべき現状である。

 

 

 レシピエント(及び家族)自身の延命に対する利己的心情への配慮を求めるなら、同等なドナー(及び家族)自身の延命に対する利己的心情への配慮も必要であるはずだ。

 

 

 「審議は慎重の上にも慎重であるべき」はずなのである。

 

 

 

 

 

 

 

(オリジナルは、投稿日時 2009/07/07 22:55 → http://www.freeml.com/ep.umzx/grid/Blog/node/BlogEntryFront/user_id/316274/blog_id/109402

 

 

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2009年7月 7日 (火)

老眼と自己決定 (18) 脳死を生きる 11

 

 

  脳死を人の死とし、本人の拒否の意思表示がなければ家族の同意で年齢に関係なく臓器提供を可能とする

  脳死を「人の死」としている点を改め、現行と同じく臓器提供時に限って人の死とし、本人の拒否の意思表示がなければ家族の同意で年齢に関係なく臓器提供を可能とする

 

 前者が、2009年6月18日に衆議院本会議で可決された「臓器移植法改正案(いわゆるA案)」であり、後者は参議院に提出予定の、自民党参院有志議員による衆院改正案に対する修正案である。

 

 いずれにしても、現行法では、本人の明確な臓器提供への意思表示の存在を脳死臓器移植実施の要件と定めているのに対し、本人の意思が不明確であっても家族の同意により、脳死状態に陥った時点で死体として取り扱われ、臓器が摘出されてしまうことになる。

 現行法では、本人の自己決定権の尊重の結果としての脳死臓器提供の容認という形式を踏んでいるのに対し、衆院改正案及び参院修正案の両者共に、自己決定権への配慮は大きく失われている。しかも15歳以下も臓器提供対象とすることで、自己決定能力を問うという現行法の姿勢は完全に失われたと評価することも出来そうである(自己決定能力の不在が、現行法における臓器提供の年齢制限の理由であった)。

 

 

 これまで、まず、一律に脳死を人の死としてしまうことの妥当性への疑念を、「長期脳死者」の事例や「ラザロ徴候」、そして臓器摘出時に脳死体が示す反応例の報告を通して考えて来た。

 脳の状態のみをもって、人が生きている状態の判定基準とすることの妥当性(あるいは危険性)を、ナチスの安楽死政策との対比で考えてもみた。脳死を人の死とする発想は、脳に重度の障害を持つ心身障害者の存在に対し、その生存権への否定につながりかねないものなのである。

 また、脳死臓器移植「医療」がもたらす「死体の資源化」とでも言うべき状態は、より多くの死体の供給への欲求を生じさせることになる。ここでは、救急救命医療の対象であるはずの患者が、同時に潜在的脳死体として評価・期待されるという状況も生まれてしまうだろう。救急救命医療とは正反対のベクトルの上に脳死臓器移植「医療」が成立するという構図として描くことが出来る。

 そして、「自己決定権」という理念の尊重の上に成立している現行法と、「自己決定権」への配慮を喪失させることで脳死者として判定される患者を増加させ、脳死臓器移植「医療」の推進を図ろうとする「臓器移植法改正案」とその「修正案」を対比し、そこに潜む問題を示してみたわけである。

 

…と、これまでの議論を振り返った上で、木村敏氏の提起した、脳死臓器移植の実施が、臓器移植を待ち望む患者に脳死者の出現を待ち望む心理を生み出してしまうという倫理上の問題について、再び考えておきたい。

 

 

 

 

 脳死体からの臓器移植という方法以外に生命の存続の可能性のない患者という状況を、自身に当てはめ想像することは簡単なことではない。とりあえず健康であるということは、この数ヶ月、これから数年間は生きている自分という想定と共に日々を過ごしていることを意味しているはずだ。死の現実的可能性に直面すること、それも近い将来に苦痛を伴う形で実現するという可能性に直面する自分の姿を想定することは簡単なことではないのである。

 健康人に、当事者としての患者の心理状態を想像することは出来ないし、そのような健康人が当事者としての患者の欲求を、自分を高みにおいて批判することはあまりに無責任な話であろう。

 

 そのことを確認した上で、患者(レシピエント)と臓器提供者(ドナー)との関係性を考えてみたい。

 

 脳死状態に陥る他者の出現のみが、自らの生存の可能性を現実化するという状況。それが患者の置かれてしまう状況である。

 自らの生存のために、他者の死(脳死)を望む状況だ。自分が生き続けるために、どこかの誰かの死を願うという状況なのである。

 純粋に、「利己的」な状況と言うことが出来るだろう。自分が願わぬ自身の死と交換に、他者の死(他者も自身の死など望まぬはずであろうに)を願うという状況だ。

 患者が幼児である場合、どこかの幼児の死を願うのは、患者である幼児自身ではなくその家族=両親であろう。自らの愛する子供の生の存続への希望は、どこかの誰かの愛する子供の死への期待の上にのみ成り立つものなのである。そこにあるのは、実に純粋な利己的な心情であろう。

 

 一方で、脳死状態に直面した幼児の家族に要求されるのは、長期脳死状態をもたらすかも知れぬ医療の継続ではなく、脳死を自らの愛する子供の死として受け入れ、どこかの誰かの愛する子供のための臓器提供に同意することとなるわけである。ここでは、自らの愛する子供の延命治療の継続を求めることは否定されるべき利己的な行為として評価され、一方的な利他性のみが要求されることになるだろう。

 

 

 「臓器移植法改正案」及びその「修正案」が生み出すのは、このような構図の中に追い込まれる、現行法より多くの患者であり家族の姿である。レシピエントの側も、ドナーとされる側も、患者も家族も共に、このような倫理的困難の中に追い込まれて行くことになるのである。

 

 

 

 

 

 

 

(オリジナルは、投稿日時 2009/07/06 23:09 → http://www.freeml.com/ep.umzx/grid/Blog/node/BlogEntryFront/user_id/316274/blog_id/109310

 

 

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2009年7月 4日 (土)

老眼と自己決定 (17) 脳死を生きる 10

 

 2009年6月18日に衆議院本会議で可決された「臓器移植法改正案(いわゆるA案)」は、

  脳死を人の死とし、本人の拒否の意思表示がなければ家族の同意で年齢に関係なく臓器提供を可能とする

というものであった。現行法からの変更点は、

1) 脳死を一律に人の死とする
2) 本人の意思が明らかでない場合、家族の同意のみで臓器提供を可能とする
3) 臓器提供者への年齢制限を撤廃する

の3点となる。それぞれに現行法では、

1) 脳死状態に陥った際の臓器提供への本人の事前の意思表示が明らかである場合にのみ、脳死を本人の死とする
2) 本人の事前の意思表示に加え、家族の同意を得て、臓器提供を可能とする
3) 15歳以下の臓器提供は禁止する

ということになる。

 現行法を支えているのは、自己決定権の尊重という理念であろう。

 1)及び 2)は、脳死状態での臓器提供に関する本人の事前の明確な意思表明の存在を前提とし、その意思の尊重という形式で、脳死を本人の死とし、脳死状態の身体からの臓器提供を可能としているわけである。

 3)は、自己決定の責任能力という観点から、15歳以下を脳死臓器提供者から除外していることになる。

 それに対し、改正案の 1)は、法的な「死」の定義そのものを、心臓死から脳死へと変更しようとするものである。法的であるということは、社会的合意としての死の定義の変更であることを意味する。これは、現行法では、死の時点が自己決定の対象とされていることも意味するわけだ。

 改正案の 2)は、現行法では本人の積極的な事前の意思表示の存在を臓器提供の要件としていたのに対し、本人の事前の意思が不明であっても家族の同意のみで臓器提供を可能にするものである。つまり、改正案では、本人の自己決定権の尊重という理念が著しく後退していることを示している。

 改正案の 3)は、自己決定能力の存在を問わずに臓器提供が可能にされているということを意味するものだ。

 

 

 参議院に議論の場が移された現実の国会では、民主、共産、社民、国民新各党などの(野党)有志議員が「子ども脳死臨調設置法案」を既に提出しているのに加え、

 

 自民党の参院有志議員は2日、衆院を通過した臓器移植法改正案のA案の修正案を来週にも参院に提出することを決めた。

 脳死を「人の死」としている点を改め、現行と同じく臓器提供時に限って人の死とする内容だ。

 修正を検討しているのは、自民党の古川俊治参院議員ら。A案は衆院で可決されたものの、脳死を人の死とすることには依然、慎重意見が根強いと見て、修正により支持を広げる考えだ。子どもへの臓器移植を可能にするため、臓器提供の年齢制限を撤廃する規定は維持する。野党にも賛同者を広げ、早ければ7日にも参院に提出したい考えだ。
 (読売新聞 2009年7月2日 20時25分 → http://www.yomiuri.co.jp/politics/news/20090702-OYT1T00828.htm

 

と報道されている。

 参院自民有志修正案は、脳死を一律に人の死とするという、衆院での改正案(A案)を後退させるものとなっている。その点では、本人の自己決定権の尊重という現行法の理念に立ち戻っているように見えるが、2)と 3)では衆院の改正案が維持されており、実質的には、自己決定権の尊重という論理は放棄されているのである。

 野党有志議員による「子ども脳死臨調設置法案」について言えば、その背景には、これまでも繰り返し言及して来た、長期脳死者の存在がある。その意味で、必要な手続きであると言えよう。

 自民党議員による修正案の方は、一律に脳死を人の死としてしまうことについて、社会的合意が獲得されていないという現状認識が生み出したものだろう。その意味では、社会の現状への配慮として評価出来るようにも見えるが、実質的には、「A案」の根幹は維持されているのである。

 要するに、参院自民有志修正案では、1)に関しての「自己決定権の尊重」を復活させているように見えるが、脳死状態における臓器提供の決定権を本人ではなく家族にしているのが実態であり、本人の自己決定権への配慮は存在しないに等しい。

 

 

…と、長々と書いて来たが、そもそも、死の時点とは社会的合意にこそ属するものであり、自己決定の対象ではないのである。

 全細胞死の時点をオレの死としてくれ、あるいは53歳の誕生日に死んだことにしてくれ、なんて意思は尊重されることは決してないのである(尊重すれば、法的に処罰されるだけだ)。生体の辿る連続的過程における死の時点は、社会的に定義されるものなのであり、自己決定することは、原理的に不可能なのである。

 その意味で、現行法と参院自民有志修正案における 1)の規定は、本来的な「法」という体系になじむものではない。

 脳死状態の人間を死体として取り扱うことにより、脳死者からの臓器提供を可能にするという目的が生み出した言葉のマジックと考えることが妥当に思えるのである。

 

 

 

 

 

 

(オリジナルは、投稿日時 2009/07/03 22:40 → http://www.freeml.com/ep.umzx/grid/Blog/node/BlogEntryFront/user_id/316274/blog_id/108988

 

 

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2009年7月 3日 (金)

老眼と自己決定 (16) 脳死を生きる 9

 

 昨日は、再び、「脳死を人の死とし」てしまうことへの疑念を述べた。

 

 「長期脳死」状態をどのように考えるのか、あるいは「脳死体」が外部刺激に対し示す反応をどのように解釈するのか、といった問題は、現行の臓器移植法成立後に、私たちの視野に入ってきたものであろう。そのような知見が、現在の脳死の定義や脳死判定に対する疑念を呼び起こしてしまうわけだ。

 そこに生まれるのは、脳死者の身体を死体として取り扱ってしまうことへの疑念、ということになる。

 

 

 いずれにせよ、その根底には、脳の機能の廃絶をもって人の死とするという発想が存在する。それは、人という存在、人間という存在の生死の判断を、身体全体の機能の状態からするのではなく、脳の機能状態の判定にのみ依存させることを意味するのである。

 脳という臓器の機能状態が、生死の判断を決定してしまうのである。

 つまり、人が生きていることは、その脳が機能している状態として記述されることになる。

 人生の途上で後天的に起きる脳の機能の喪失。それが脳死なのであり、それを人の死として一般化しようとするのが、衆議院本会議で6月18日に可決された、臓器移植法改正案なのである。

 

 

 

 さて、これまでにも、ナチスの障害者安楽死政策について論じて来た。

 ナチス時代に先立つワイマール期に出版された、法律家カール=ビンディングと医師アルフレート=ホッへの共著になる、『生きるに値しない命を終わらせる行為の解禁』(1920)では、

 1)助かる見込みのない患者〈末期癌の患者など〉。
 2)治療不能な知的障害者
 3)瀕死の重傷者
 

の3つのケースが、法律家カール=ビンディングにより、安楽死の対象として想定・検討され、2)のケースが特に精神科の医師アルフレート=ホッへによる考察の対象となり、ホッヘは知的障害者への積極的安楽死政策の提言者となったわけである。

 小俣和一郎の言葉を借りれば、

 ホッヘは、精神医学の立場からどのような患者が安楽死の対象となるのか、について詳述している。その際彼は、「精神的に死んだ状態」の有無を最大の引照基準としている(ホッヘによれば治癒不能の精神障害者の大部分がこれに該当する)。そしてこの精神的死の状態を、さらにつぎの二つのグループに分類している。

 第一群 : 脳の老年性変化、いわゆる脳軟化症(麻痺性痴呆)、脳動脈硬化性病変、若年性の痴呆過程(早発痴呆)
 第二群 : 先天性あるいは生後早期に出現する脳疾患(脳の奇形・発育異常にともなう精神薄弱およびてんかん)

 また、ホッヘはこの著作のなかで、のちにナチスによって抹殺されることになる犠牲者を指し示す二つの新語を作り出した。ひとつはこの「精神的死者」、もうひとつは「お荷物」(Ballastexistenz)である。
 (『精神医学とナチズム』 講談社現代新書 1997)

という議論が、ホッヘにより展開されたわけだ。

 

 安楽死の対象として、ビンディングにより指定されたのは、「治療不能な知的障害者」であり、ホッヘによれば、それは彼らが精神的に死んだ状態にある「精神的死者」だからであった。

 

 やがて、ナチスの政権下で、精神障害者に対する安楽死が、実際の政策として実行されることになる。

 精神的に死んだ状態にあると定義された者は、安楽死させられることにより、実際に死んだ者へと変換されるのである。直接的表現を用いれば、そこでは、精神障害者は、国家の政策により、「殺される」のである。

 「治療不能な知的障害者」という、ビンディングにより示された当初の枠組みは簡単に乗り越えられ、広範な精神障害者が安楽死の対象とされ、殺されたのであった。

 

 

 今回の臓器移植法改正案では、脳の機能の廃絶状態と判定された患者は脳死者なのであり、既に死んでいることになる。患者は既に死んでいるのだから、臓器の摘出により死ぬことはない。たとえ臓器摘出時に脳死者が暴れようが、それは既に死体なのだから、臓器摘出は殺人行為ではない。

 脳の機能が廃絶した「精神的死者」は、既に死者そのものなのであり、安楽死させる必要もないわけである。

 

 ナチスの採用した障害者への安楽死というアイディアの論理と、脳死体からの臓器摘出を可能にするためのアイディアを支える用語を混同することは、もちろん、誤りである。

 しかし、そこに親和性を見出すことが出来るのも事実であろう。

 

 脳の機能の喪失状態を、生から死への転換の指標とすることにおいて、その発想は大きく異なるようには思えない。

 

 その発想の妥当性には、まだ議論の余地があるように見えるし、ナチスにおける安楽死対象の拡大は、今回の「改正案」における脳死認定対象の拡大に対応するところがあるようにも思える。

 

 

 

 

 

 

(オリジナルは、投稿日時 2009/07/02 22:36 → http://www.freeml.com/ep.umzx/grid/Blog/node/BlogEntryFront/user_id/316274/blog_id/108897

 

 

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2009年7月 2日 (木)

老眼と自己決定 (15) 脳死を生きる 8

 

 脳死を人の死とすることにより、脳死状態の人間を死者として取り扱うことが可能となり、死体である脳死者の身体からの臓器の切除・摘出が殺人行為ではない合法的行為であることが保証され、脳死者からの臓器移植が医療行為として社会に受け入れらることを期待する人々の要求は、確かに、満たされるだろう。

 要するに、脳死状態の人間からの臓器の切除・摘出の合法性の確保が、現行の臓器移植法を「改正」し、「脳死を人の死とし」ようとすることの動機なのである。

 それに対し、長期脳死者の存在、「ラザロ徴候群」や、脳死体からの臓器の取り出し時に見られる脳死体の反応等の事例は、脳死状態の人間を死体として取り扱ってしまうことへの疑念を呼び起こすものであった。

 

 私も、池田清彦が書いている、

 執刀している医者たちが一番嫌うのは、脳死者から臓器を摘出するときに、苦しがってバタバタ暴れているようにしか見えない行動が出現する場合だ。脳が死んでいるから、その人は苦しんでいないというが、本当かどうかはわからない。脳死者から臓器を取り出すときに脳死者に麻酔をかけなければ、暴れてうまく手術が行えない事実こそは、脳死と言われているものが本当の死ではない証拠のように私には思える。
 (『脳死臓器移植は正しいか』 角川ソフィア文庫 2006)

という、「臓器摘出時の脳死体の反応」とでも呼ぶべき事例を前にして、この「反応」の主体を「死体」と認定することの正当性を素直に受け入れることの難しさに直面してしまう。私の素朴な感覚で言えば、外部からの行為への無反応状態こそが「死体」であることの条件であり、外部からの働きかけへの反応の存在は、反応の主体が「生体」であることを意味するものとして理解されてしまうのである。

 そのような理解からは、脳死状態の人間からの臓器の切除・摘出は、脳死状態の人間への殺人行為そのものとなるだろう。脳死臓器移植「医療」で焦点となっている臓器は心臓なのであり、心臓の摘出が脳死状態の人間(と言うよりすべての人間)に死をもたらすことには議論の余地はないはずだ。

 

 生物の死とは、連続的な過程として記述されるものなのであり、伝統的に受け入れられて来た「心臓死」の時点から「全細胞死」に至るまでにもタイムラグは存在する。そのような意味で、生物の死の時点とは、自然に属する問題ではなく、社会的合意に属する問題なのである。

 池田清彦の著書の事例は、「脳死者」からの臓器摘出の際に「脳死者」が示す反応を、「死体」からの臓器摘出の際に「死体」が示す反応として記述することが正しいのかどうか、「生体」からの臓器摘出の際に「生体」が示す反応と解釈することが誤りであるのかどうかという問題として、一度は考えておくべき必要があるものと思う。医学的・生理学的な検証の必要性が、まだまだ多く残されている事例に見えるのだ。

 

 自分自身が脳死状態に陥り、臓器摘出の瞬間になって苦しい目に遭っても、その時点では遅すぎるのである。実際に既に死んでいるので、そうはならないのかも知れないが、なってしまう可能性を排除出来ないのが現状なのである。

 社会的合意として「脳死を人の死とし」てしまうことは難しいことではないのだろうが、それが、まだ生きている患者からの臓器摘出による殺人の実行への社会的合意とならないという保証はないように思える。

 国会での議論は、あまりに不十分と言わざるをえないのである。

 

 木村敏の言う通り、脳死体からの臓器移植「医療」の実現は、脳死臓器移植以外に健康の維持回復の望みのない患者に、脳死状態の患者=死者の発生への期待を持つことを(結果として)強いるものとなる。既に病魔に追い詰められた患者を、更に他人の死を期待する心理状態へと追い詰めることになるのである。

 その上で、これまで述べた、「脳死を人の死とし」てしまうことへの疑念を考え合わせれば、既に病魔に追い詰められた患者が追い詰められるのは、他者への殺人と交換に獲得出来る自らの健康と表現するしかない、実に追い詰められた状況なのである。

 

 

 人の死の時点、それは社会的合意により判定されるものだ。

 人の死体の利用の適切性の判断も、社会的合意に依存する。

 それが社会的合意であることの意味は、その判定・判断が人類に(あるいは人類を超えて)普遍的で不変のものではなく、ある時代のある文化に限定された(恣意的な)ものだということなのである。

 だからこそ判定・判断基準の変更は可能なのであり、現在の私たちも、その変更の方向性の議論の渦中にあるわけだ。しかし、そこには必要とされるはずの慎重さが見出せない。

 

 現状の議論からは、それが臓器欲しさからの殺人の容認という構図とはならないことへの努力を見出すことは難しいのではないか?

 

 

 

 人の身の上に起る死は、誰によって決定されるべきものなのか?

という問いは、まだ続くことになるだろう。

 

 

 

 

 

 

 

(オリジナルは、投稿日時 2009/07/01 22:48 → http://www.freeml.com/ep.umzx/grid/Blog/node/BlogEntryFront/user_id/316274/blog_id/108775

 

 

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