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2009年6月19日 (金)

続々々々々々々・老眼と自己決定 脳死を生きる 1

 

   人の身の上に起る死は、誰によって決定されるべきものなのか?

 

 

という話を久しぶりに考えてみたい。

(これまでの論考は、「老眼と自己決定」シリーズ・カテゴリー「安楽死と自殺(生きるに値しない命)」 → http://uma-sica.cocolog-nifty.com/blog/cat36731516/index.html 参照)

 

 

 衆議院本会議での、「臓器移植法改正案」採決を見ながら、かつての問いを思い出したわけだ。

 

 

 今日の午後、臓器移植法改正案として提出されていた4案のうち、「A案」と呼ばれた提案が、賛成多数で可決されてしまった。

 要約すれば、

脳死を人の死とし、本人の拒否の意思表示がなければ家族の同意で年齢に関係なく臓器提供を可能とする(A案)

臓器提供が可能な年齢を現行の「15歳以上」から「12歳以上」に引き下げる(B案)

脳死の定義を現行より厳しくする(C案)

虐待などがないと確認したうえで家族の同意があれば15歳未満からの臓器提供を可能とする(D案)
 (毎日新聞 2009年6月17日 19時08分 → http://mainichi.jp/select/seiji/news/20090618k0000m010028000c.html

という中の、「脳死を人の死とし、本人の拒否の意思表示がなければ家族の同意で年齢に関係なく臓器提供を可能とする」法案が、430人が投票し、賛成263人、反対167人で可決という結果となったわけだ。

  

 要するに、法的な「人の死」は、国会で決定されるということである。このまま改正案が成立すれば、脳死の時点で、人は生者から死者にされることになる。

 もちろん、変更されるのは法的な死の定義であり、脳死の判定自体は現場の医師の手に委ねられているわけではある。

 

 この変更の試みは、脳死体からの臓器移植を、より容易なものとするためのものであって、それ以上でもそれ以下でもない。

 実際問題として、高度先進医療に与ることの出来ない地域では、「脳死を人の死とする」かどうかの議論は無意味である。

 つまり、「脳死を人の死とする」かどうかという問題は、人類にとって新しい問題なのであり、伝統的な生死観との整合性が問われざるを得ないものとなるのである。

  

 にもかかわらず、今回の衆院本会議における改正案採決に際し、尽くされるべき審議が存在しないのみならず、先立つ衆院厚労委員会の審議時間も9時間に過ぎないものであった。新聞報道を引用すれば、

厚労委では、この日も含め2日間、計約9時間にわたって審議が行われた。採決に代わって14人の委員が行った意見表明では、「A案」「D案」を支持する声が多く聞かれた。一方で「国民的議論がまとまるまで採決は延長すべきだ」と指摘する声も根強く聞かれた。4案の共倒れを懸念する声もあった。
 (産経新聞 2009年6月6日 7時57分 → http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20090606-00000118-san-pol

という状態なのだ。

臓器移植法改正の4案の審議が5日、衆院厚労委員会で終了した。委員会採決はせず、4案すべてが本会議に上程され、再来週に採決される。

 (産経新聞 同記事)

という、「再来週に採決」という予定が、まさに本日の本会議での出来事として実現してしまったのである。

 

 

 議論なき決定が国会の常態であるにせよ、この少ない審議時間には問題を感じざるを得ない。

 しかも、保守与党所属の政治家が、伝統的生死観への配慮を断ち切った「A案」への賛成の多数を占めていたのである。驚いた話だ。

 ほとんどの政党が、党議拘束をかけずに、議員個人の意思を尊重したことだけは評価に値するにせよ、審議時間がないということは、その意思決定に至る思慮の深まりが存在しないということをも意味するのである。

 

 死生観という、文化の根幹にかかわる問題が問われていたという自覚があるようには見えないのである。

 

 

 人の身の上に起る死は、誰かが判定しなければならず、それを周囲が受け入れることが必要なわけだが、「脳死を人の死」としてしまうような死の定義の変更を、この国の人々は本当に受け入れることが出来るのだろうか?

 

 

 

 

 

 

 

(オリジナルは、投稿日時 2009/06/18 23:11 → http://www.freeml.com/ep.umzx/grid/Blog/node/BlogEntryFront/user_id/316274/blog_id/107508

 

 

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