« 2009年5月 | トップページ | 2009年7月 »

2009年6月

2009年6月30日 (火)

老眼と自己決定 (14) 脳死を生きる 7

 

 前回は、

  脳の機能の廃絶

  精神的に死んだ状態

という表現の意味するところを考えてみたわけだ。

 前者は、それをもって対象(患者)を「脳死」と判定し、脳死をもって人の死とする途を拓くものである。

 後者は、それをもって対象(患者)を「生きるに値しない命」と認定し、安楽死の実行への途を拓くものであった。

 前者は、そもそも脳死体からの臓器移植という「医療行為」の実現という目的の前提としてクローズアップされることになった、ある条件化で人間にもたらされる状態である。

 後者は、障害者に対する福祉経費削減という国家経済政策上の要請を満たすという目的の実現の前提としてクローズアップされた、ある条件を生きる人間の様態である。

 前者は、現代の日本でクローズアップされている問題であり、後者はナチス時代のドイツ(もっとも、議論が始まったのはワイマール期の破滅的な経済状況の中であったが)でクローズアップされた問題であった。

 前者では、つまるところ脳死者の「死体」の資源化が目指され、後者では、資源を消費する「精神的に死んだ状態」の人間の廃棄が目指されていたわけである。

 

 

  人の身の上に起る死は、誰によって決定されるべきものなのか?

という問いを背景に潜ませながら、脳死と脳死体からの臓器移植医療を考え続けている。

 

 前回はナチスドイツにおいて、「精神的に死んだ状態」にあると認定される対象が、政策の具体化と共に拡大していく過程を追ってみた。

 

 現在の日本では、脳死臓器移植の臓器提供者(ドナー)となりうる対象の拡大が図られている(謀られている、と書くべきであろうか?)。

 これまでは、当人が「脳死体」となる以前に、当人により積極的に示された意志の存在が、ドナーとなる(される)ための条件であった。そこには、当人の自己決定権の尊重という理念を見出すことが出来るだろう。現行法を支えているのは、自己決定権の上に存在するドナーという論理である。

 それに対し、現在、議論の対象となっている「臓器移植改正案」では、当人による積極的否定の意思表示が無い限り、家族の同意のみでドナーとする(される)ことになってしまう。当人の自己決定権の尊重という当初の理念は、著しく後退しているのである。

 そこには、ドナー不足により、脳死体からの臓器移植「医療」が普及していないという現行法施行後の日本の現実がある。脳死体からの臓器移植「医療」の推進のためには、脳死体の確保が必要なのである。潜在的脳死体としての日本国民の多くが、自身の自己決定によりドナーとなることを志願しないという現実を前にして、自己決定権の尊重という当初の理念の放棄に至ったのが、脳死体からの臓器移植「医療」推進派の現状、ということになる。

 

 ここでもう一度、ナチスの障害者に対する安楽死政策の歴史を思い起こしてみたい。

 精神障害者へのガス殺の実施は極秘の政策であったのだが、その現状を知った宗教者からの抗議で中止されることになる。その間、1940年1月に開始されたドイツ国内における精神障害者のガス殺は、中止される1941年8月までに7万273名の犠牲者を出すことになった(しかし、それとは別に、薬物注射、計画的な餓死による殺害が実施されており、そちらは続行されるのであるが)。

 ガスによる大量殺害の手法は、ユダヤ人を対象とした絶滅収容所の稼動により、精神障害者の安楽死からユダヤ人の抹殺技術へとシフトし、引き継がれることになる。ユダヤ人に対する、ガス室での大量殺人は、精神障害者安楽死技術の拡大形なのである。

 

 精神障害者の安楽死の目的は、福祉費用削減であり、「精神的に死んだ状態」の人間による資源消費の抑制が目指されていたことは既に説明した。

 それに対し、ユダヤ人を対象にした大量ガス殺人は、死体の資源化という現象をも生み出すものであった。ユダヤ人の死体からの石鹸製造とは、まさに死体の資源化の一例なのである。

 

 

 ここでは、死体を資源として考えること自体を否定しようとは思わない。それは生死観の問題、人間の死体への評価の仕方という文化的問題なのであり、それ自体は別の問題として考えるべきであろう。

 ただ、死体を資源と考えることは、より多くの死体への需要を生み出してしまう可能性をはらむのである。より多くの死体が求められてしまう世界。

 

 「脳死臓器移植法改正案」が、より多くの脳死体を確保するための法改正案であることは、私には否定し難いのである。

 

 

 

 

 

 

(オリジナルは、投稿日時 : 2009/06/29 22:30 → http://www.freeml.com/ep.umzx/grid/Blog/node/BlogEntryFront/user_id/316274/blog_id/108563

 

 

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年6月27日 (土)

老眼と自己決定 (13) 脳死を生きる 6

 

 脳死状態の人間を死者として取り扱うことにより、つまり、たとえ心臓が動き身体が温かくとも、人工呼吸器を着けベッドの上に横たわる人物を死体と認定することにより、臓器の切除利用が可能となる。

 つまり、脳の機能の廃絶の判定に基き、まだ心臓が動いている身体からの臓器摘出を可能にするのが、「脳死を人の死とし」てしまう、新たな死の定義なのであった。

 

 「脳死」の定義の特異性は、「心臓死」=人の死とする伝統的な生死観の上ではまだ生きている患者を、既に死んでいるものとみなしてしまうところにある。

 人の身の上に起る死は、誰によって決定されるべきものなのか?

という問いに関連させれば、人の死を決定するのは社会的合意なのであり、現在の日本社会では、「脳死を人の死とし」てしまうことへの合意形成への試みが、まさに進行中なのである。

 

 

 

 脳の機能の廃絶=死という定式化がここにあるわけだ。つまり、人間が生きていることを、脳が機能している状態として定義するわけである。

 ここで再び、私たちは、あのカール=ビンディング(法学者)とアルフレート=ホッへ(精神医学者)の共著になる『生きるに値しない命を終わらせる行為の解禁』(1920)を思い出すことになる。

 同書が手元にないので(友人のところへ出張中)、ここでは小俣和一郎『精神医学とナチズム』(講談社現代新書 1997)の同書に関する記述を引用しておくと、

 

 このなかでビンディングは、「正当な基準」(死期が目前に迫っていること、および治癒回復の見込みがないこと、の二点)が満たされさえすれば、(当時の)法的規制はおのずと解除され、安楽死は容認される、との主張を展開している。一方、ホッヘは、精神医学の立場からどのような患者が安楽死の対象となるのか、について詳述している。その際彼は、「精神的に死んだ状態」の有無を最大の引照基準としている(ホッヘによれば治癒不能の精神障害者の大部分がこれに該当する)。そしてこの精神的死の状態を、さらにつぎの二つのグループに分類している。

 第一群 : 脳の老年性変化、いわゆる脳軟化症(麻痺性痴呆)、脳動脈硬化性病変、若年性の痴呆過程(早発痴呆)
 第二群 : 先天性あるいは生後早期に出現する脳疾患(脳の奇形・発育異常にともなう精神薄弱およびてんかん)

 また、ホッヘはこの著作のなかで、のちにナチスによって抹殺されることになる犠牲者を指し示す二つの新語を作り出した。ひとつはこの「精神的死者」、もうひとつは「お荷物」(Ballastexistenz)である。

 この書物がナチ政権の安楽死計画にどの程度の影響を及ぼしたのかについては、今日なおいくつかの議論がある。しかしながらナチスによってのちに好んで使用された「価値なき生命(レーベンスウンヴェルト)」という呼び方は、この書のタイトルに由来している。

 

ということになる。

 ここでホッヘは、「精神的に死んだ状態」の患者を安楽死の対象として主張したわけである。

 現代の脳死論議とは別の話であることも確かではあるが、しかし相似形の問題がそこにあることも否定出来ない。

 

 「脳死を人の死とし」てしまうということは、「精神的に死んだ状態」にある患者を安楽死の対象とするまでもなく、既に死んだものとして取り扱うことを意味してもいるのである。

 

 

 小俣和一郎が言及しているナチ政権の安楽死計画について言えば、1939年8月18日の「遺伝性および先天性重症患児の登録に関する帝国委員会」の極秘通達では、

1、白痴及び蒙古症(とくに盲目または聾を合併している場合)
2、小頭症
3、水頭症(重症ないし進行度の高いもの)
4、すべての奇形、とくに四肢の欠損、重度の頭裂蓋および脊椎裂など
5、リットル病を含む種々の麻痺

という登録すべき障害の条件を示していた。

 1939年9月1日のポーランド侵攻に伴い、ナチス・ドイツはポーランド国内の精神病院入院患者の殺害を実行する。

 ドイツ国内に関しては、9月21日の精神病院施設登録に始まる「精神病院帝国作業委員(RAG)」の活動の一環として、安楽死対象者の判定基準が示されることになる。そこでは、

労働能力の有無
診断名(精神分裂病=統合失調症、てんかん、老年性疾患、梅毒性疾患、精神薄弱、神経疾患の終末状態)
5年以上の入院期間、
犯罪歴の有無、
人種

が鑑定医によって判定され、安楽死対象として選別された患者は安楽死施設に移送され、実際にガス殺の対象となったのである。

 

 「精神的に死んだ状態」と判断され、安楽死の対象とされた患者の範囲の急速な拡大をそこに見ることが出来るだろう。

  

 人の身の上に起る死は、誰によって決定されるべきものなのか?

という問いかけに立ち戻れば、社会的合意というものの恣意性を、ビンディングとホッヘの著書からナチスの安楽死政策の実行への展開史(その対象の拡大)を追うことで理解しておくことは無駄ではないと思う。

 

 

 

 

 

 

 

(オリジナルは、投稿日時 2009/06/26 22:52 → http://www.freeml.com/ep.umzx/grid/Blog/node/BlogEntryFront/user_id/316274/blog_id/108259

 

 

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年6月26日 (金)

老眼と自己決定 (12) 脳死を生きる 5

 

 生き続ける希望の焦点に他人の死が位置付けられてしまうという状況。

 

 戦場の出来事ではなく、病院のベッドの上での話である。

 

 脳死体からの臓器移植という医療は、病いに苦しむ患者をそのような状況下へと導いてしまう。どこかの誰かの脳死。それが健康の維持回復の条件となるのである。

 

 

  人の身の上に起る死は、誰によって決定されるべきものなのか?

という問いは、ここでは脳死の決定と関連付けて考えられることになる。

 

 脳死体からの臓器移植医療の出現による、脳死体の臓器利用という局面を抜きにしては、脳死の定義が法的問題として現在のようにクローズアップされることはなかっただろうと思われる。

 

 ここではまず、『ウィキペディア』の記述を利用して、従来の「伝統的」な死と脳死の相違を復習しておこう。

 

古来、人間の死とは何かは自明のことであったため、医学的に厳密に定義することはさほど重要ではなかった。一般に、脳、心臓、肺すべての機能が停止した場合(三兆候説)と考えられており、医師が死亡確認の際に呼吸、脈拍、対光反射の消失を確認することはこれに由来している。順序としては一般に

 肺機能の停止
 心臓機能の停止
 脳機能の停止

という過程を辿ることになる。

しかし医療技術の発達により、脳の機能が完全に廃絶していても(そのため自発呼吸も消失していても)、人工呼吸器により呼吸と循環が保たれた状態が出現することとなった。すなわち、

 脳幹機能の停止
 本来ならば心臓機能が停止する筈だが、人工呼吸器により呼吸が継続される
 心臓機能も維持される

という過程の結果生ずる状態が脳死である。脳死は、心肺機能に致命的な損傷はないが、頭部にのみ(例えば何らかの事故を原因として)強い衝撃を受けた場合やくも膜下出血等の脳の病気が原因で発生することが多い。

本来、脳死に陥った患者は随意運動ができず、何も感じず、近いうちに(あるいは人工呼吸器を外せば)確実に心停止するとされる状態の筈であるが、それを否定するような現象の報告例も多い。また、心臓は動いており、身体も温かい。脳死者の多くは、脊髄反射によって身体を動かすことがある。

脳死という状態は、人工呼吸器が開発・実用化された1950年代頃に現れるようになった。当時は「超昏睡」や「不可逆昏睡」などと呼ばれ、あくまで生きている状態とされていた。

 (http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%84%B3%E6%AD%BB

 

 

 要するに、人工呼吸器の出現なしに、脳死状態を人類が経験することはなかっただろう。20世紀の後半になるまで、人類は脳死という死のあり方を経験することはなかったわけだ。現在でも、人工呼吸器のない医療現場には脳死状態は存在しないことになる。

 たとえ人工呼吸器があって、脳死状態が出現しても、目の前の患者の臓器を取り出し移植するという発想がなければ、積極的に(かつ新たに)脳死を人の死とする必要も生じない。これまで通り、心臓死=人の死、とすることで何の問題もないのである。

 心臓死後の「伝統的」な死体からの臓器摘出でも角膜や腎臓などは利用可能であるが、心臓のような臓器は脳死状態の「死体」からの摘出でなければ利用出来ない。心臓死を待っていては遅すぎる、ということになる。

 そこで、脳の機能の廃絶の判定に基き、たとえ心臓が動き身体が温かくとも、人工呼吸器を着けベッドの上に横たわる人物を死体と認定しておくことの必要が生じたわけなのである。

 

 健康状態を喪失し、人工呼吸器を装着した患者を死体として取り扱うことにより、健康状態を喪失し、臓器移植医療以外に健康の維持回復の可能性のない患者の、健康の維持回復への願望を満たすことが出来る。

 それが脳死体からの臓器移植医療の構図なのである。

 

 

 

 

 

 

(オリジナルは、投稿日時 2009/06/25 22:55 → http://www.freeml.com/ep.umzx/grid/Blog/node/BlogEntryFront/user_id/316274/blog_id/108159

 

 

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年6月25日 (木)

続々々々々々々々々々・老眼と自己決定 脳死を生きる 4

 

 自殺は人間の権利と言えるのかどうか、という問いを考えることが、そもそもの「老眼と自己決定」シリーズの端緒であった。そして他者の手を借りた自殺としての安楽死、という視点からの考察である。

 

 それらの問題を、

  人の身の上に起る死は、誰によって決定されるべきものなのか?

という問い方に集約し、私なりに論じて来た。

 (「老眼と自己決定」~「続々々々々・老眼と自己決定」

  → http://uma-sica.cocolog-nifty.com/blog/2009/01/post-53f5.html

  → http://uma-sica.cocolog-nifty.com/blog/2009/01/post-5574.html

  → http://uma-sica.cocolog-nifty.com/blog/2009/02/post-e51f.html

  → http://uma-sica.cocolog-nifty.com/blog/2009/02/post-3346.html

  → http://uma-sica.cocolog-nifty.com/blog/2009/02/post-5c26.html

  → http://uma-sica.cocolog-nifty.com/blog/2009/02/post-f21e.html )

 

 

 

 そして、あらためて、2009年6月18日の衆議院本会議における「脳死臓器移植法改正案」成立を受け、脳死と脳死体からの臓器移植の問題を、

  人の身の上に起る死は、誰によって決定されるべきものなのか?

という問いを念頭に置きながら考える事を始めたわけだ。

 

 

今回採択された「改正案」は、

脳死を人の死とし、本人の拒否の意思表示がなければ家族の同意で年齢に関係なく臓器提供を可能とする

というものである。

 前回までに、長期脳死者の実際、「ラザロ徴候」の存在、そして臓器摘出時の脳死体の反応といった、現在までに報告されている事例を取り上げることにより、脳死状態及び脳死判定基準への疑念を示して来た。つまり、「脳死を人の死とし」てしまうことへの疑念である。

 特に幼児の長期脳死者の事例は、幼児と成人に対し一律の脳死判定基準を用いることへの疑念を呼び起こすものであり、現行の脳死判定基準の下で「年齢に関係なく臓器提供を可能にする」ことのはらむ危険性を浮かび上がらせるものであった。

 

 いずれにしても、現行の脳死判定による脳死状態の内実には不明の部分が残るのであり、「脳死を人の死とし」てしまうには、まだ時期尚早という感を抱かせる事実であろう。

 

 

 

 ここまでの問題は、脳死及び脳死体からの臓器移植をめぐる技術的側面と言うことも出来る。

 

 さて、これからは、その倫理的とでも言うべき側面を論じて行きたいと思う。

 

 

 脳死体からの臓器移植が現実的話題となり始めたのは、1980年代のことであったように記憶している。少なくとも、私の関心を引く話題となったのは、その年代であったし、手元にある立花隆の『脳死』(中公文庫)の原著の出版年が1986年であるから、「脳死」がジャーナリスティックな話題となったのを1980年代と考えることに、大きな誤りはないであろう。

 

 脳死問題、というより脳死体からの臓器移植の可能性という問題を前にして、私自身、どのように考えるべきなのか思いあぐねている中で、決定的な影響を与えたのは、木村敏氏による論考だった。当時、ある雑誌(誌名の記憶がない)に掲載された文中で木村敏が書いていたのは、

脳死者からの臓器移植による延命の可能性がもたらすのは、移植される側に抱かれることになる脳死者の発生への期待となる

という主旨のことだった。

 要するに、脳死体からの臓器移植以外に延命の手段のない患者(レシピエント)にとり、自らの生存の可能性をもたらすのは、どこかの誰かが脳死者となり臓器提供者(ドナー)となるという事態なのである。つまり、どこかの誰かの脳死という形の死=自分のより長い生存への保障、という図式になる。

 レシピエントは恒常的に、どこかの誰かの脳死への期待の上に病床生活を送ることになる、というのが脳死体からの臓器移植医療がもたらすであろう世界の姿なのである。そこに生まれるのは、他人の死を日常的に期待する状況なのである。

 

 木村敏は、その(少なくとも私にとっては)うれしくない事実を明らかにして見せたのであった。

 

 短期的未来に予測される苦痛の中での確実な死という条件の中で現在を生きる患者にもたらされる希望が、しかし他人の死を通したものであるということなのである。生き続ける希望の焦点に他人の死が位置付けられてしまうのだ。

 脳死体からの臓器移植医療がもたらすのは、既に病魔に追い詰められた人間が他人の死を期待して生きるという、より追い詰められた心理状態なのである。

 

 

 それは望ましい世界のあり方なのだろうか?

 人間の生きるあり方として望ましいものなのであろうか?

 

 

 

 

 

 

(オリジナルは、投稿日時 2009/06/24 22:21 → http://www.freeml.com/ep.umzx/grid/Blog/node/BlogEntryFront/user_id/316274/blog_id/108056

 

 

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年6月24日 (水)

続々々々々々々々々・老眼と自己決定 脳死を生きる 3

 

 今回も、

 

 人の身の上に起る死は、誰によって決定されるべきものなのか?

 

という問いかけを背後に潜ませながら、脳死と脳死体からの臓器移植をめぐる問題を考え続けていきたい。

 

 

 

 前回は、医師からの脳死宣告後、心臓死に至るまでに1年9ヶ月を要した有里ちゃんと、「無呼吸テスト」以外の4項目(臨床的にはそれで脳死とされ、脳死宣告の確定のために5項目目として自発呼吸の有無の判定が行われる)では脳死状態と判断されたものの、その8年後の現在も心臓死を迎えることなく「成長」し続けるみづほ君の事例を取り上げた。

 現在の脳死判定基準への疑念を呼び起こすものとして、考えておく必要を感じる。

 

 有里ちゃんの場合は「4歳8カ月で他界するまでの約1年9カ月」、みづほ君の場合は、「1歳のとき、原因不明のけいれんをきっかけに自発呼吸が止まり、脳内の血流も確認できなくなっ」て以来「8年、人工呼吸器をつけて自宅で過ごし、身長は伸び体重も増え」ているわけだが、どちらも成人ではないという共通性もある。ここには、幼児の場合も成人と同様の脳死判定基準で臨むことの是非という問題が浮上している、と言うことも出来る。

 ところが、今回、衆議院本会議で可決された臓器移植法改正案は、

脳死を人の死とし、本人の拒否の意思表示がなければ家族の同意で年齢に関係なく臓器提供を可能とする

という内容であり、「脳死を人の死」とするのみならず、「年齢に関係なく臓器提供を可能とする」というところが、現行法との大きな相違点なのである。

 つまり、結果として、幼児にも一律に現行の脳死判定基準が適用されることになってしまうのだ。

 ということは、有里ちゃんは死体として1年9ヶ月を過ごしたことを意味する。

 私は、有里ちゃんの1年9ヶ月を死体としての日々としてではなく、生ある日々として捉えることが大事だと思う。

 成人にも幼児にも一律な脳死判定基準を適用することは考え直すべきだろう。

 しかし、問題は、幼児を対象とした脳死判定だけではないのである。

 

 「ラザロ徴候」と呼ばれる脳死体が示す反応が報告されているのだ。たとえば『ウィキペディア』によれば、

ラザロ徴候(Lazarus sign)
1984年に米国の脳神経学者A・H・ロッパーによって5例が報告された。ラザロ徴候とは脳死の人が呼吸器を外した時に手足を動かすこと。脳死患者が医師の目の前で、突如両手を持ち上げ、胸の前に合わせて祈るような動作をする。動作後は自分で手を元の位置に戻す。同様の現象はその後各国で多数確認され、日本でも医学誌に症例報告がある。動作のビデオも収録されている。ロッパーは「脊髄自動反射」と理解するが、疑問視する声もある。脳死患者を家族に見せないようにすべきとロッパーは書いている。
 (http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%84%B3%E6%AD%BB

という状況が確認されているというのである。

 「脊髄自動反射」という解釈は、脳死臓器移植推進には親和性があるが、現在の脳死判定基準による脳死の判断、そして脳死を人の死とすることの妥当性への疑念を払拭するものではない。ラザロ徴候の存在は、「脳死」と呼ばれる状態に関し、より慎重な対応が必要とされていることを示すものではないだろうか。

 

 また、池田清彦は、

 執刀している医者たちが一番嫌うのは、脳死者から臓器を摘出するときに、苦しがってバタバタ暴れているようにしか見えない行動が出現する場合だ。脳が死んでいるから、その人は苦しんでいないというが、本当かどうかはわからない。脳死者から臓器を取り出すときに脳死者に麻酔をかけなければ、暴れてうまく手術が行えない事実こそは、脳死と言われているものが本当の死ではない証拠のように私には思える。

 (『脳死臓器移植は正しいか』 角川ソフィア文庫 2006)

と書いている。積極的な脳死臓器移植反対者である池田清彦の著書の記述であることは確かだが、しかし、「脳死者から臓器を摘出するときに、苦しがってバタバタ暴れているようにしか見えない行動が出現する」事例があることもまた確かなことだと考える必要は残る。

 

 

 

 要するに、脳死状態を人の死とすることに関しては、まだ様々な問題が残されているのが現状なのである。

 「脳死体」はまだ死体と呼ぶべき状態になく、脳死臓器移植が実は殺人行為であるという可能性は、完全に払拭出来ていないのではないだろうか?

 

 

 

 

 

 

 

(オリジナルは、投稿日時 2009/06/23 22:41 → http://www.freeml.com/ep.umzx/grid/Blog/node/BlogEntryFront/user_id/316274/blog_id/107981

 

 

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年6月23日 (火)

続々々々々々々々・老眼と自己決定 脳死を生きる 2

 

   人の身の上に起る死は、誰によって決定されるべきものなのか?

 

 

 
 2009年6月18日に衆議院本会議における採決で、臓器移植法改正案(提出されていた4案の内の「A案」)が可決された。

 「脳死を人の死とし、本人の拒否の意思表示がなければ家族の同意で年齢に関係なく臓器提供を可能とする」という内容の改正法案(A案)が、430人の投票中、賛成263人、反対167人で可決されたわけだ。

 

 

 脳死を人の死とすることは、前回に書いたように、脳死体からの臓器移植をより容易にするという目的がなければ、意味を持たない事項である。

 

 死とは、生物が必ず迎えなければならない事態であることは確かなのだが、生きている状態から死への移行は連続的変化であり、生体の「死」をその連続的過程のどの時点とするのかは、生物学上の問題ではなく社会的合意の問題なのである。たとえば、脳死→心臓死→全細胞死という段階のどの時点を生体の死とするのかは、社会的合意に属する問題であり、生物学に出来ることは、それぞれの段階の判定作業に過ぎないのである。

 

 脳死を死とすることは、そこに心臓死、そして全細胞死に至る、時間の近接した不可逆的過程を仮定するからなのだが、しかし、実際には、その仮定に疑問が付されつつあるのも、1997年の「臓器の移植に関する法律」成立後の現実である。

 

 

 

 臓器移植法改正でA案が衆院で可決されたことについて、反対する遺族や市民団体が18日午後、衆院議員会館で記者会見し、「脳死を一律に人の死としないで」などと訴え、参院での慎重な議論や廃案を求めた。
 「わたしは死体と寄り添っていたの?」。中村暁美さん(45)は本会議場で、長女有里ちゃんの写真を忍ばせ見守った。有里ちゃんは3年半前、原因不明の急性脳症に襲われ、医師から「脳死」を宣告された。しかし、「温かい体があり、成長する体がある」と、2007年9月に4歳8カ月で他界するまでの約1年9カ月にわたり付き添った。
 「心臓が動かなくなり、体が冷たくなって初めて家族は今旅立ったんだと感じた。脳死は死の宣告ではなかった」と語った。
 議員にも実体験を通じて理解を求めたが、「直前まで『迷っている』と言っていた議員が堂々とA案に投じていた」といい、「むなしさがこみ上げてきた。この瞬間から娘は無になってしまうのか」と涙ぐんだ。 
 ( 時事通信 2009年6月18日 18時38分 → http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20090618-00000127-jij-soci

 
 
 脳死を人の死とし、15歳未満の臓器提供に道を開く臓器移植法改正案が18日、衆院で可決された。「A案が成立すると、うちの子どものような生き方が認められなくなるのではないか」。長男みづほ君(9)が「長期脳死」の女性=関東在住=は、A案の大差での可決を知り、肩を落とした。
 みづほ君は00年、1歳のとき、原因不明のけいれんをきっかけに自発呼吸が止まり、脳内の血流も確認できなくなった。旧厚生省研究班がまとめた小児脳死判定基準の5項目のうち、人工呼吸器を外して自発呼吸がないことを確かめる「無呼吸テスト」以外はすべて満たした。それから8年、人工呼吸器をつけて自宅で過ごし、身長は伸び体重も増えた。
 「今後も移植が必要な人は、どんどん増えるだろう。さらに臓器が足りなくなれば、死の線引きが変わり、私たちの方へ近寄ってくるかもしれない」と不安を口にする。
 みづほ君は、この1年、状態は安定している。女性は「この子は『延命』しているのではない。こういう『生き方』をしている。参院の審議と判断に期待したい」と話した。

 (毎日新聞 2009年6月18日 22時01分 → http://mainichi.jp/select/science/news/20090619k0000m040100000c.html

 

 

 

 現在の脳死判定基準では、(1)深昏睡 (2)瞳孔固定 (3) 脳幹反射の消失 (4)平坦脳波 (5)自発呼吸の消失の5項目についての医師の判定により、脳死状態が確定することになる。これまでは、脳死判定から心臓死までの所要時間は1週間ほどであり、それが不可逆的過程であるとの想定の上に、脳死=死とすることの根拠があったことになる。

 しかし、有里ちゃんやみづほ君の例は、その想定に疑問符をつけるものであるだろう。

 みづほ君の場合、自発呼吸の消失の判定はされていないわけだが、その判定の結果、その時点で容態の変化がもたらされ、現在までの8年間の「身長は伸び体重も増え」るような「成長」はなかった可能性が高い。脳死判定自体が、死の直接的原因となりうるわけである。

 有里ちゃんの場合の判定の実際は不明だが、記事による限り、医師による脳死宣告後の1年9ヶ月に及ぶ期間、心臓死に至ることなく、家族と共にあったのである。記事にある、「わたしは死体と寄り添っていたの?」という母親の問いかけは、私たちにも共有出来るはずである。有里ちゃんの1年9ヶ月間は、生きている時間ではなかったということでよいのだろうか?彼女は死体として、1年9ヶ月間を家族と過ごしたのだろうか?

 

 少なくとも、現在の脳死判定基準は、「死」を定義する上での説得力が、十分なものとなり得ていないのではないだろうか?

 

 その問題が問われることがまったくないままに、改正案の採決が行われてしまったことは、実に驚くべきことであったと、私は思う。

 

 

 

 

 

 

(オリジナルは、投稿日時 2009/06/22 22:33 → http://www.freeml.com/ep.umzx/grid/Blog/node/BlogEntryFront/user_id/316274/blog_id/107899

 

 

| | コメント (0) | トラックバック (1)

2009年6月21日 (日)

Inside-Out 1と0の為に

 

 井上廣子さんの、「窓」をテーマにした写真展のタイトルが「Inside-Out 1と0の為に」、である。

 

 武蔵野美術大学内のギャラリー「apmg」で開催中だ(6月26日まで)。先日のオープンキャンパスの際に、パートナーと観たのが最初(昨日も、再度訪れたことは既に書いた)。

 

 

 会場内の照明は、ほとんどない。床にランダムに置かれたライトボックスに、作品が浮かび上がっている。室内から、窓を通して見える外の風景。

 ベッドや洗面所の向こうの窓。カーテン越しの外の光景。室内の光と、外の光のバランスが美しい。

 

 

 窓とは、そもそも、室内と室外の間にあるものだ。壁に窓を穿つことにより、室内は閉鎖空間から、外部へとのつながりある空間へと変貌する。

 寒冷地では、板ガラスの登場・普及以前の窓は小さく、外光あふれる生活は望みえなかった。大きな板ガラスの製造技術が、開放感ある室内をもたらしたのである。

 しかし、窓に鉄格子がはめられていたら?

 

 つまり、井上廣子の写したのは、そのような窓なのである。

 大きな窓のある室内。つまり、外の光景も十分に取り入れられた、外光あふれる室内である。しかし、その部屋は、鉄格子により外部から隔てられているのだ。

 

 

 撮影地は、オットー・ワグナー精神病院、ベーリッツ療養所、県立岡山病院(現・岡山県立精神科医療センター)、ベードブルグ・ハウ精神病院…、と続く。

 精神病院以外にも、老人施設や少年院などの隔離施設が撮影の対象となっている。

 

 窓が存在しながら、外部とのつながり以上に、外部から隔てられた場としての室内であることが、写真を見ているうちに理解されるだろう。

 

 

…なんて書いているが、すぐに気付いたわけではない。パートナーの方がすぐに気付き、指摘してくれたのだ。ウチのパートナーは精神科関連業界人なのである。

 要するに、私のような素人(?)には、すぐに気付くことは出来ない情景の要素なのだが、プロにはピンと来るということなのだろう。病院や、老人あるいは障害者関連施設の光景であるらしいことまでは、私にも想像がついたのだが、プロの目はその先まで見抜いてしまうようだ。

 

 実際のところ、鉄格子といっても、昔の監獄のイメージからは遠いものだ。大きな窓に、デザインされた細い格子状のフレームが取り付けられている、ようにも見えるのである。

 

 

 いずれにしても、室内の人間を外部から遠く隔ててしまうものが、窓の外のフレームなのだ。

 外部である社会から、室内の人間を護るということである以上に、室内に人を隔離することにより、外部の社会を護るという発想が、そこには存在するだろう。

 しかし、社会は十分に凶暴であり、弱者としての障害者が、その凶暴な外部から護られることも必要事ではある。

 外部には自由があるかも知れないが、必ずしも安全ではない。しかし、隔離され、拘束されることもまた、人間にとって好ましい状態ではないだろう。自由を奪われた場所で保障される安全な生存を人は望むものだろうか?

 

 もっとも、外部である社会に生きる人間達も、それほど自由であるわけでもなく、身の安全のためには行政権力による日常生活への管理・統制を望んでいるようにも見える。

 

 私たちは、本当にあの窓の外部にいるのだろうか?

 

 

 

 

 

 

(オリジナルは、投稿日時 2009/06/21 20:58 → http://www.freeml.com/ep.umzx/grid/Blog/node/BlogEntryFront/blog_id/107761/user_id/316274

 

 

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年6月19日 (金)

続々々々々々々・老眼と自己決定 脳死を生きる 1

 

   人の身の上に起る死は、誰によって決定されるべきものなのか?

 

 

という話を久しぶりに考えてみたい。

(これまでの論考は、「老眼と自己決定」シリーズ・カテゴリー「安楽死と自殺(生きるに値しない命)」 → http://uma-sica.cocolog-nifty.com/blog/cat36731516/index.html 参照)

 

 

 衆議院本会議での、「臓器移植法改正案」採決を見ながら、かつての問いを思い出したわけだ。

 

 

 今日の午後、臓器移植法改正案として提出されていた4案のうち、「A案」と呼ばれた提案が、賛成多数で可決されてしまった。

 要約すれば、

脳死を人の死とし、本人の拒否の意思表示がなければ家族の同意で年齢に関係なく臓器提供を可能とする(A案)

臓器提供が可能な年齢を現行の「15歳以上」から「12歳以上」に引き下げる(B案)

脳死の定義を現行より厳しくする(C案)

虐待などがないと確認したうえで家族の同意があれば15歳未満からの臓器提供を可能とする(D案)
 (毎日新聞 2009年6月17日 19時08分 → http://mainichi.jp/select/seiji/news/20090618k0000m010028000c.html

という中の、「脳死を人の死とし、本人の拒否の意思表示がなければ家族の同意で年齢に関係なく臓器提供を可能とする」法案が、430人が投票し、賛成263人、反対167人で可決という結果となったわけだ。

  

 要するに、法的な「人の死」は、国会で決定されるということである。このまま改正案が成立すれば、脳死の時点で、人は生者から死者にされることになる。

 もちろん、変更されるのは法的な死の定義であり、脳死の判定自体は現場の医師の手に委ねられているわけではある。

 

 この変更の試みは、脳死体からの臓器移植を、より容易なものとするためのものであって、それ以上でもそれ以下でもない。

 実際問題として、高度先進医療に与ることの出来ない地域では、「脳死を人の死とする」かどうかの議論は無意味である。

 つまり、「脳死を人の死とする」かどうかという問題は、人類にとって新しい問題なのであり、伝統的な生死観との整合性が問われざるを得ないものとなるのである。

  

 にもかかわらず、今回の衆院本会議における改正案採決に際し、尽くされるべき審議が存在しないのみならず、先立つ衆院厚労委員会の審議時間も9時間に過ぎないものであった。新聞報道を引用すれば、

厚労委では、この日も含め2日間、計約9時間にわたって審議が行われた。採決に代わって14人の委員が行った意見表明では、「A案」「D案」を支持する声が多く聞かれた。一方で「国民的議論がまとまるまで採決は延長すべきだ」と指摘する声も根強く聞かれた。4案の共倒れを懸念する声もあった。
 (産経新聞 2009年6月6日 7時57分 → http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20090606-00000118-san-pol

という状態なのだ。

臓器移植法改正の4案の審議が5日、衆院厚労委員会で終了した。委員会採決はせず、4案すべてが本会議に上程され、再来週に採決される。

 (産経新聞 同記事)

という、「再来週に採決」という予定が、まさに本日の本会議での出来事として実現してしまったのである。

 

 

 議論なき決定が国会の常態であるにせよ、この少ない審議時間には問題を感じざるを得ない。

 しかも、保守与党所属の政治家が、伝統的生死観への配慮を断ち切った「A案」への賛成の多数を占めていたのである。驚いた話だ。

 ほとんどの政党が、党議拘束をかけずに、議員個人の意思を尊重したことだけは評価に値するにせよ、審議時間がないということは、その意思決定に至る思慮の深まりが存在しないということをも意味するのである。

 

 死生観という、文化の根幹にかかわる問題が問われていたという自覚があるようには見えないのである。

 

 

 人の身の上に起る死は、誰かが判定しなければならず、それを周囲が受け入れることが必要なわけだが、「脳死を人の死」としてしまうような死の定義の変更を、この国の人々は本当に受け入れることが出来るのだろうか?

 

 

 

 

 

 

 

(オリジナルは、投稿日時 2009/06/18 23:11 → http://www.freeml.com/ep.umzx/grid/Blog/node/BlogEntryFront/user_id/316274/blog_id/107508

 

 

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年6月16日 (火)

人民解放軍の銃口

 

 6月4日という日付は、やはり、「天安門事件」を思い起させるものだ。

 
 

 1989年だから、20年が過ぎたことになる。

 

 人民解放軍の銃口が人民に向けられた日だった。社会主義の軍隊の行為としては、そもそも軍隊の行動としては、珍しいわけではないだろう。

 軍隊とは、必ずしも国民の守護者ではないのである。

 

 しかし、「人民解放軍」という名称の軍隊が、人民に対し発砲する姿は痛ましいものだった。

 
 
 

 国民の存在が国家を生み出すのか?

 あるいは国家があればこそ国民が存在するのか?

…と問うことに意味はあるだろうか?

 

 まぁ、いずれにせよ、国家を否定することは簡単だが、国家に代わる存在を私たちはイメージしえていない。

 つまりここには、治安の保障も人権の保証も、国家という存在を抜きにしては成立しないという問題がある。

 

 国家こそが人権を蹂躙し、国民へ発砲する暴力そのものではないか、と言われればその通りなのであるが、しかし、国家以外に強制力を持ち、人権を保障することの出来る機関も存在しないのである。

 人権の保障自体が、暴力行使の可能性を排除しない強制力としての国家に裏打ちされているのである。

 
 

 もっとも国民に対し人権を保証する国家とは、実に最近の出来事なのであるが…

 「国民」という存在に支えられた「国家」というイメージ自体が、これまた実に最近のものなのである。っていうのは人類の歴史から見て、という話だが…

 
 
 

 今さらのことではあろうが、江戸時代に日本国民は存在しない。

 国とは藩のことであったし、その藩内においても士農工商を一括して国民と考えることはしなかった。

 統治者と被統治者、支配者と被支配者という関係性が貫かれる限り、そこに「国民」は生まれない。統治者、支配者による支配・収奪の対象として位置付けられる限り、国民としての自負は生じないのである。

 どこまでもフィクションであろうとも、国家の主人公であり国家の受益者であるという意識が、国民という自己意識の基盤となるのだ。

 

 法に縛られる存在なのではなく、法を創り出す存在。それでこそ国民なのである。

 軍隊を養い、兵士として参加し使役する国民。他国による侵略を撃退し、国民の安全を守る軍隊。つまり、その軍隊の主人は、あくまでも国民なのである。

 警察力の主人、それが国民なのだ。

 官僚組織の主人、それも国民だ。

 それが近代国民国家における、理念としての国民の位置付けである。

 

 代議制による国民の代表が立法府を構成し、そのことが国民が「法を創り出す存在」であることを保証する。

 であるからこそ、必ずしも暴力的でない形での法的強制力も生じるわけだ。法とは自分のルールなのである。

 
 
 

 もちろん、これまで書いたことは、理念であり、多分にフィクションである。

 

 代議制という手段しか持ちえない以上、法制定への関与は間接的なものでしかありえない。

 国民という括りの中にも、利害の対立する様々な集団が存在するのであり、立法府はその利害の調整装置となるわけだが、当然のことながら民主的運営による限り、どの集団の利益も完全には満たされることはない。

 非民主的すなわち独裁的運営を採用すれば、特定の集団の利益は最大限に満たされるであろうが、他の集団の利益は打ち棄てられることになる。

 
 
 

 1989年の天安門では、人民の利益を代表すると称した中国共産党が、共産党の利害をのみ考えて現実的に振舞ったに過ぎない。

 しかし、人類にとっての実に痛ましい歴史的経験であった。

 
 
 
 
 

 

 

 

(オリジナルは、投稿日時 2009/06/04 23:55 → http://www.freeml.com/ep.umzx/grid/Blog/node/BlogEntryFront/user_id/316274/blog_id/106145

 

 

| | コメント (0) | トラックバック (0)

今日は靖国

 

     (2009年5月31日の話である)

 昨日の予告通り、靖国神社まで出かけて来た。

 


 

 知人の主催するフィールドワークへ、家族ぐるみで参加(総勢数十人)。

 

 「九段下」の駅に集合。

 最初の目的地は「しょうけい館(戦傷病者史料館)」。「戦傷病者とその家族の労苦を伝える」ことを目的とした史料館である。

 撮影禁止ではあったけれど、受付に申し出て、学芸員さんの許可をいただき、見学風景を撮影しながら、知人の案内で自分も見学。

 次回、あらためてゆっくり時間をかけて見学しようと思う。

 徹底的に「兵隊」の視線で構成された史料館であった。

 

 それから靖国神社へと向かう(コンビニで水分確保してから)。

 

 まずは九段坂の左側(牛ヶ淵沿い)を上り、「高燈篭」や品川弥次郎の銅像等を見ながら、靖国神社創設以前の九段の地誌などを、ガイドをする知人の説明で聞く。要するに、それなりに人の集まる場所であったらしい。

 

 それからあらためて道路を渡り、靖国神社参道へ向かう。

 社号碑(「別格官幣社」の文字が切り取られている)から始めて、それぞれの鳥居、狛犬、様々な記念碑を見学(雨が降り出す中を)。

 続いて本殿左側の「鎮霊社(元宮)」や、当初の招魂斎庭を見る。

 再び本殿前を横切り、右奥の「招魂斎庭」(1938~)へと向かう。しかし、現在は貸し駐車場になっているのだった。つまり、新たな戦死者の発生を、靖国神社自体は想定していないということになる。あるいは、とにかく現金収入の確保を考えている、ということだろうか?

 

 そして、付属の戦争博物館である「遊就館」へ。

 入る前に(一人で)、ガラス壁の外からゼロ戦を撮り、その先にある特攻隊員の像も撮影。そう言えば、その前に、軍馬や軍犬、軍用鳩の記念碑も撮った。

 さて、館内のレストランで「海軍カレー」で昼食(ガイド氏のオススメ)。

 以前にもここで「海軍カレー」は食べたことがあり、家族には「不味いぞ」と伝えてあったのだが、食べてみたら思ったほど不味くもない。どういうことなんだ、と思っていたら、後になってのガイド氏との会話から、以前と味に変化があるという結論に。かつてほど不味くなくなっているのだ。海軍オリジナルレシピが売りなはずなのに、これも「商売」なのだろうか?

 ガイド氏の目論見は、不味い海軍カレーを参加者に味わってもらうことだったらしく、二人で不平を漏らす。

 

 食事の後は、館内の展示見学。

 「遊就館」の「図録」の愛読者であることは、これまでにも書いたと思うが、ご都合主義的記述の魅力は、もちろん展示のキャプションで味わうことが出来る。

 ガイドもそれが目的で、突っ込みどころ満載のキャプションから(時間の関係で)特にセレクトしたものを解説していただく。

 つまるところ、時間の関係で急ぎ足で館内を一周という状態だったのだが、それでも既に4時である(駅前に集合したのが午前10時)。それだけ境内(そして遊就館内も)は広いのだ。

 

 最後に、企画展示室の特別展示「矢弾丸尽きるとも -我レ生還ヲ期セズ-」を見るが、見ているうちに腹が立ってくる。

 昭和19年7月の、いわゆる「絶対国防圏」を破られた後の戦死者(英霊)の記録資料の展示だったのだが、戦闘が勝つことではなく、降伏を表明しないことのみが目的となってしまった状況下での、しかも無謀・杜撰な作戦での犠牲者の遺品なのだ。

 この戦死者達は、無能で無責任な大日本帝國の政治的軍事的指導者の犠牲になった者達なのである。

 その責任を問おうとしない自称愛国者達への怒りも加わり、不愉快の頂点で、遊就館の展示見学を終えたのだった。

 

 ミュージアムショップで「図録」(昨年度の改定新版である)と、『これだけは知っておきたい大東亜戦争 20の最新基礎知識』、『いわゆる「A級戦犯」合祀と靖国問題について』というパンフレットを購入。ご都合主義の論理学のお勉強用である。家族は家族でなにやら購入していた模様。

 
 

 フィールドワークの予定はそれで終了。

 

 雨の靖国神社を後にする。

 わが家族は「抜刀隊(陸軍分列行進曲)」を口ずさみながら(「抜刀隊」→ http://uma-sica.cocolog-nifty.com/blog/2009/05/post-f933.html)、である。映画『靖国』の夜の雨中の映像と、『学徒出陣』の雨の神宮競技場のシーンを思い浮かべながら、だ。

 
 
 

 その後は、参加者の一部で喫茶店でおしゃべり。

 遺族の亡くなっていく中での靖国神社の維持の問題などを話題に、2時間くらい話し込んでしまった。

 
 
 
 
 
 

 

 

(オリジナルは、投稿日時 2009/05/31 22:29 → http://www.freeml.com/ep.umzx/grid/Blog/node/BlogEntryFront/user_id/316274/blog_id/105782

 

 

| | コメント (0) | トラックバック (0)

きたないはきれいだし、リベラルはサヨクである

 

  とにかく「私」は潔癖だ。例え風呂に数年入っていなくとも、潔癖だ。

                (たぬき男いたち男 2009/05/25 18:28 → http://www.freeml.com/ep.umzx/grid/Blog/node/BlogEntryFront/user_id/316274/blog_id/105084) 

 まぁ、「真実」とはそういうものなのだろう。

 

 「ジョーシキ」に対する説得力は皆無だが、人間というイキモノの「真実」を感じてしまう。

 ジョーシキなんかクソ喰らえ、という気分になる言葉だ。

 
 

 かつて、アメリカのブッシュ政権は「中絶反対」を掲げていたわけだが、つまり、その「生命尊重」の精神が中絶への反対を掲げさせたのであろうが、アフガニスタンやイラクの市民の生命を尊重する必要はまったく感じていなかったらしい。

 まぁ、唐突だが、そんなことを思い出してしまった。

 
 

 そう言えば、「ネトウヨ」の皆さんは、「サヨク」がお嫌いらしいが、そしてなんと「リベラル」であることも「サヨク」的なことなのだそうなのだが、その「ネトウヨ」の皆さんの絶対的支持を集める「自由民主党」は、LDP(Liberal Democratic Party)と自称している政党なんだけど、いったいどうなっているのだろうか?

 もっとも、現在の社民党(つまり旧社会党)の政治家が、「社会主義リベラル」という言い方をしていたのも思い出す。リベラリズムとソーシャリズムは対立的な思想だと思うのだが、いったいどうなっていたのだろうか?

 

 要するに、世の中の「真実」というのはそういうものなのだろう。

 
 

WAR IS PEACE

FREEDOM IS SLAVERY

IGNORANCE IS STRENGTH

                    戦争は平和である

                    自由は屈従である

                    無知は力である

 まさに、そういうことだ。

 
 

 論理の問題、リクツの問題、語の意味の厳密性の問題ではない、というわけだろう。

 要するに、「お気持ち」の問題なのだ。

 

 命の大切さを説きながら、戦争が出来てしまう。

 自衛のために、隣国への軍事侵攻が出来てしまう(イラクは米国の「隣国」ではなかったが、中華民国は大日本帝國の「隣国」であった)。

 リベラルも「サヨク」だからダメだと言いながら、リベラル・デモクラティック・パーティーは政治的に正しい政党であるので躊躇なく支持出来てしまう。

 
 

 しかし、

  リベラルはサヨクである

って言うのと、

  戦争は平和である

っていうスローガンの根底には、ほとんど同じ精神を感じる。

 何も考えちゃいない、ってことだろう、要するに。考えることではなく信じること、だ。

 世界を「敵 or 味方」の二分法でしか捉えることが出来なくなると、人は考えることをやめてしまう(つまり、進んで騙されるようになる)。敵と名指されたものは憎め、それが二分法的精神だ。ブッシュの精神であり、ネトウヨの精神であり、新・旧左翼の精神であり、金正日体制の精神でもある。

 
 

 まぁ、

  ネトウヨは北朝鮮である

と言ってしまえば、理解は容易かも知れない。

 「リベラルはサヨクである」はメチャクチャだが、「ネトウヨは北朝鮮である」の方には「真実」が含まれているような気もする。

 
 

 屈従は自由ではない。そこがスタートだろう。

 そして、

  とにかく「私」は潔癖だ。例え風呂に数年入っていなくとも、潔癖だ。

という気持ちは理解したから、まずシャワーを浴びて欲しい。

 シャワーは自由への道である。

 
 
 
 
 

 
 

 

(オリジナルは、投稿日時 2009/05/26 00:11 → http://www.freeml.com/ep.umzx/grid/Blog/node/BlogEntryFront/user_id/316274/blog_id/105179

 

 

| | コメント (2) | トラックバック (0)

« 2009年5月 | トップページ | 2009年7月 »