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2009年5月 9日 (土)

続々々々・映画『靖国』を観る

 

 「メイシネマ祭 ’09」での、映画『靖国』(2007年 李纓監督作品)の上映を機に、映画『靖国』が提起した問題を考えて来た。

 

 

 「週刊新潮」による「反日映画『靖国』は『日本の助成金』750万円で作られた」と題された記事の掲載、稲田朋美自民党議員による文化庁を介した事前試写要求、そして右翼の街宣活動(もっとも参加街宣車は2台だったが)といった事態の展開が、一般公開予定の中止につながった経緯は既に書いた。

 もっとも、別の映画館が上映を申し出たことにより、当初予定数を上回る館で上映されてしまうことになった。「反日的」というレッテル貼りと上映中止騒動は、むしろ人々の関心につながり、観客動員数を増やす結果にもなったわけだ。「週刊新潮」、稲田朋美議員とそのお仲間、そして街宣車で活動した右翼の諸氏は、李纓監督のドキュメンタリー映画『靖国』のヒットを支えたことになる。

 

 もちろんそこでは、ジャーナリズムによる安易な「反日」というレッテル貼りの是非、上映への圧力として機能してしまうことに無自覚な議員の行動、暴力的イメージが伴われる街宣車を使用した上映妨害活動の問題性が問われなければならないだろう。

 鈴木邦夫氏の語るところによれば、「週刊新潮」の取材は、当初から煽動的だったという。扇情的なジャーナリズムが扇情的に振舞っただけなのかも知れないし、取材も表現も自由であるが、しかし、「反日」というような曖昧な、しかし否定的イメージの大きい語の安易な使用には抑制的であって欲しい。

 稲田議員の行動にしても、配給会社が用意していた複数回の試写会予定に自身のスケジュールが合わないのなら、一般公開後に観れば済む話だ。芸術文化振興基金からの助成金750万円の支払いの是非を問うのなら、一般上映後で十分だろう。しかし、ここでも、助成金支出の是非の焦点が、「反日映画」であるか否かであるのなら、それは問題だ。あまりに基準として恣意的であり過ぎる。そのことに自覚的でない国会議員の見識が、この国の芸術文化振興を左右するようでは、あまりに情けないと言わねばなるまい。与党国会議員(政権側の人間であることを意味する)による事前検閲という印象(当人の意思の有無とは別に)さえ周囲に与えてしまうわけだから、ご自身の行為には慎重であって欲しい。

 右翼街宣車による活動に関しては、その暴力的イメージは問題であるが、その点の抑制が出来るなら、政治的デモンストレーションの自由として保障されなければならない。上映中止の理由付けにされてしまったとはいえ、今回の活動参加街宣車は2台のみ。しかも、右翼・民族派団体が合同試写会を開催し、結果として上映妨害行為は終息している。マスコミからは悪役扱いされてしまったが、上映中止騒ぎで実際に果たした役割は小さいと考えるべきであろう。

 実質的な上映妨害行為に当たるのは、「週刊新潮」と稲田朋美議員(とそのお仲間)の振る舞いということになるだろうか。

 

 これまでも繰り返し書いてきたように、映画『靖国』自体は、明示的に「反日的」メッセージを発信するような作品ではない。そこに反日的メッセージを見出すのは、観客の側の問題であって、映像自体に反日性が内在してるわけではないのである。

 

 

 

 

 稲田朋美議員の言葉をここで思い出そう。

 靖国神社が侵略戦争に国民を駆り立て、天皇陛下のために死ぬ国民を作る一種の装置だった、というメッセージを映画から感じた

というものだった。

 確かに、「靖国神社が侵略戦争に国民を駆り立て、天皇陛下のために死ぬ国民を作る一種の装置」として機能したことは否定出来ないだろう。国境線を越えて相手国への敵対的な軍事行動を継続することが「侵略」ではないと言うのなら話は別だが、「支那事変」とは、退却を続ける中華民国国民政府の軍隊を相手に敵対的な軍事行動を中華民国領域内で継続したものに他ならないのであって、私が見る限り「侵略」行為そのものである。その「事変」をも含む「大東亜戦争」において、「天皇陛下のために死」んだ帝國軍人を受け入れるための施設であったのが靖国神社なのである。

 

 稲田朋美議員自身が、

 靖国神社というのは不戦の誓いをするところではなくて、「祖国に何かあれば後に続きます」と誓うところでないといけないんです

          「WiLL」 (2006 9)

と語っているわけだから、「天皇陛下のために死ぬ国民を作る一種の装置だった」という認識は、そもそもご自身のものであることになる。

 稲田朋美議員が映画『靖国』から感じたというメッセージは、むしろ稲田議員自身の「靖国神社というのは不戦の誓いをするところではなくて、『祖国に何かあれば後に続きます』と誓うところ」という信念に合致するものなのであり、そのようなメッセージを映画『靖国』が発信していると本気で思ったのならば、助成金獲得を擁護することこそがご自身の務めであっただろう。

 そういう意味では、映画『靖国』上映をめぐる稲田朋美議員の行動は、実に不思議なものに見える。

 

 まぁ、結果として上映館が増え、観客動員数も増えたわけだから、稲田朋美議員(とそのお仲間)の行為も、映画『靖国』上映への支援活動だったのだと考えておくべきなのかも知れない。もちろん、これは皮肉なのであって、当人には自分自身の言行の意味するところは、まったく自覚出来ていないようである。

 

 

 

 

 

 

 

(オリジナルは、投稿日時 2009/05/08 22:21 → http://www.freeml.com/ep.umzx/grid/Blog/node/BlogEntryFront/user_id/316274/blog_id/103503

 

 

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