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2009年5月11日 (月)

続々々々々・映画「靖国」を観る

 

 「メイシネマ祭 ’09」で、映画『靖国』(2007年 李纓監督作品)が上映されてから一週間が過ぎた。その日以来、映画『靖国』が提起した問題を考えて来たわけだ。

 

 

 その「メイシネマ祭 ’09」における映画「靖国」の上映日5月3日は、奇しくも一年前、一連の上映妨害行為を乗り越え、新たに名乗りを上げた映画館での上映の初日でもあった。

 「週刊新潮」誌上での「反日映画」とのレッテル貼り。稲田朋美自民党議員による(個人的な)事前試写要求。右翼による街宣活動。その三者が、当初の上映予定館での上映中止の要因と考えられている。

 主因がどれであったのかについては、一概に言うことは難しい。いずれにしても、『靖国』が「反日映画」だという評価においては一致していたわけである。

 

 もっとも、「週刊新潮」がこの問題でキャンペーンを展開するようなことはなかったし、右翼団体も合同試写会を開催後は、映画『靖国』を「反日映画」として上映反対キャンペーンを行うことはしなかった。稲田朋美議員自身も、2008年3月31日の配給会社による全館上映中止の発表に際し、「日本は表現の自由も政治活動の自由も守られている国。一部政治家が映画の内容を批判して上映をやめさせるようなことは許されてはいけない」「上映中止という結果になるのは残念」とのコメントを残している。

 

 

 『靖国』に対する、「反日映画」あるいは「反靖国神社映画」であるという評価を、映画の画面自体から導き出すことは出来ないというのが、これまでの私の主張であった。

 

 敗戦後の日本人の視線が、戦中の帝國軍人による敵軍人の斬首という軍刀使用法に「やましさ」あるいは「後ろめたさ」を感じてしまうが故に、そのような写真の映画中での使用に対し「反日的」であるという評価をさせてしまうのである。その写真自体は、戦中の日本人のイメージでは、皇軍の勇猛さの証しとして評価されこそすれ、恥ずべき・隠すべきものではない。

 刀匠自身が、自ら鍛えた軍刀が骨まで斬れるものであることを証言していることの意味は重要であろう。軍刀はお飾りではなく、実際の使用法の想定の上で、刀匠により鍛え上げられていったのである。

 そこに映し出されているのは、それこそ「歴史の真実」(靖国神社「遊就館」の「使命」の一つは、「近代史の真実を明らかにする」ことである)なのであり、現代の日本人も、その「真実」にこそ向き合うべきではなかろうか?

 皇軍の精神を肯定するならば、軍刀が象徴する本来の世界をフィルム(ヴィデオ?)に収めてくれた李纓監督の営為には感謝すべきであろう。

 もちろん、李纓監督自身が皇軍精神礼賛のために作品を制作したかどうかは別問題である。しかし、我々が観るべきは、映像そのものなのであって、そこに「反日性」を見出すのは、敗戦後の日本人ならではの「負い目」という「目」なのである。
 

 

 

 稲田朋美議員自身は、映画に対し、

 靖国神社が侵略戦争に国民を駆り立て、天皇陛下のために死ぬ国民を作る一種の装置だった、というメッセージを映画から感じた

というコメントを残している。文脈から考えて、肯定的な評価ではないように思われる(でなければ、映画『靖国』への芸術文化振興基金からの助成金支給に批判的態度はとらないだろう)。

 しかし、前回も指摘したように、稲田議員自身の靖国神社認識である、

 靖国神社というのは不戦の誓いをするところではなくて、「祖国に何かあれば後に続きます」と誓うところでないといけないんです

という言葉は、「祖国=天皇陛下」・「後に続きます=戦死します」として変換可能であり、稲田議員が受け取ったと感じた「メッセージ」は議員自身の「靖国」認識に合致しているのである。

 

 ただし、靖国神社の歴史を考えれば、「侵略戦争に国民を駆り立て」るという意図は、創建時の理念からは見出せない。明治維新の過程における、官軍側の死者の慰霊施設というのがそもそもの起源なのである。

 最初期の慰霊(文久2年に「私祭」として営まれた)の対象者は、時の正統政府である「幕府」へのテロリストであった。もちろん、「勝てば官軍」なのであって、かつての反体制テロリスト及び官軍側従軍者を、政変の後に、新たに体制側(かつては反体制テロリストの側にいたわけだ)となった人間達が祀った場が、靖国神社の起源となるのだ。(『靖国神社 遊就館図録』 2004 「靖国神社の創祀」の項、及び小島毅 『靖国史観』 ちくま新書 2007 参照)

 つまり、内戦という過程を経ての政治的正統性の問題と不可分の場ではなかったのである。戦死者の慰霊行為に際し、「賊軍」の戦死者を排除し、そのことで「官軍」の勝利と薩長政権の正統性をアピールする場となっていたのだ。西南戦争まで、その構造が続く。

 戊辰戦争では「賊軍」として慰霊の対象とされなかった会津出身者も、西南戦争で政府軍に従軍し戦死した者は、靖国神社に祀られることになる。ここでも内戦状況で勝利した側のための慰霊の場であることに変化はない。

 

 対外戦争における戦死者の慰霊施設として本格的に機能し始めるのは、日清戦争以降になってのことなのである。「祖国=大日本帝國」という図式は、対外戦争において成立するものなのだ。それまでの「国」とは、薩摩や長州あるいは会津なのである。つまり、それが「内戦」というものだ。

 

 ここで興味深いのは、つまり稲田朋美議員の認識の興味深さということなのだが、彼女の尊敬する人物をご存知であろうか?

 なんと西郷隆盛、だそうである。

 もちろん、西郷隆盛は西南戦争という内戦における「賊軍の首魁」であり、「英霊」として靖国神社には祀られてはいない。そもそもの靖国神社の意義は、内戦時における敵味方の峻別にあった。その靖国神社から排除された西郷隆盛を尊敬するというのは、そもそもの靖国神社創建の理念に反することなのではなかろうか?

 

 その辺の論理的整合性が、この弁護士資格を持つ国会議員の中でどのように処理されているのか? 私には実に興味深く感じられるのである。

 

 もちろん、それは私の私的興味にとどまる問題ではなく、靖国神社という施設への認識の根幹に関わることなのである。

 

 

 

 こんなことを考えてしまうのも、一週間前の「メイシネマ映画祭 ’09」初日の、李纓監督作品『靖国』との出会いあればこそである。

 何よりも映画祭関係者には感謝を申し上げたい。この一週間、実に楽しんで書き継ぐことが出来たのだから。

 

 

 

 

 

 

 

(オリジナルは、投稿日時 2009/05/10 21:17 → http://www.freeml.com/ep.umzx/grid/Blog/node/BlogEntryFront/blog_id/103722/user_id/316274

 

 

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