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2009年4月15日 (水)

前衛の終焉

 

    前衛派

 

  前衛派は前衛ではない。後衛である。

  元来前衛は派などという衣装をまとってはいないの

 だ。いつだって素っぱだかで孤独なものだ。

  前衛派は前衛の死体から皮をはがして身にまとい、

 それをユニフォームにする。

 

  ナンテ粋ナンデショ!

 
 

と、辻まことは『虫類図譜』に書いた。1964年の出版であるが、草野新平による「序」によれば、

 

 「虫類図譜」が最初に『歴程』誌上に現れたのは十年前の一九五四年だった。

 

ということになるらしい。

 

 「前衛」も「前衛派」も、当時はまだ、「現実」として存在していたわけだ。

 
 

 『虫類図譜』には、「前衛派」に類する虫として「亜流」も蒐集されている。

 
 

    亜流

 

  彼は羽根の能力を知らず、その形で飛ぼうとする。

 そして重力に支配されている鉛のような地上の知慧を

 羽根の形にする。重さにつぶされて歪んだ自分の脚は、

 彼にとってたくましさの自負となる。

  そろそろと渡りましょう。

  フム。俺は今自由に空を飛んでいるのだぞ。

  とても軽々とな。

  皆よく見ろ!

  落っこちたら世間のせいだぞ。

 
 

 「そろそろと」、綱渡りをする虫の姿のイラストが添えられている。

 

 「亜流」は、今でも簡単に観察出来るだろう。

 
 
 

 「前衛」であること、「アヴァンギャルド」であることはカッコイイことであったはずだが、「前衛」なんて、今では何とも古風な印象を与える言葉だ。「プログレッシヴ」だって、昔の話になってしまっている。

 
 
 

 「前衛」という語に死を宣告したのは、私の経験の中では赤瀬川原平氏であった。

 赤瀬川原平氏と言えば、1960年代の「前衛芸術」を代表する一人であろう。現代日本美術史の教科書からは外すことの出来ない人物である。

 

 その赤瀬川原平氏の著書『超芸術・トマソン』(白夜書房 1985 / ちくま文庫 1987)に登場する「純粋階段」こそが、私の中で「前衛」の終焉を告げた存在なのであった(→ http://blog.goo.ne.jp/tomotubby/e/30fd4e8f7bbb0e6a235dfd503d47ca50 伝説の「四谷階段」参照)。

 
 
 

 「芸術」というジャンルの語に「純粋」という語が重ねられる。

 「純文学」なんて言葉は、今でも命脈を保っているのだろうか?

 そこに求められるのは、あくまでも芸術のための芸術である。排除されねばならないのは、商業主義であり、娯楽的要素であり、時には「政治」であった。そんな雰囲気が込められた語として「純粋」が用いられていたわけだ。「純粋」には、眉間にしわを寄せて対峙しなければならない。

 

 階段であるだけの階段。高低差を解消し目的地に導くという役割を放棄した「純粋」な階段。

 日常的意識からすれば、役立たずな階段であり、無意味な階段である。道中で出会っても、通常なら見過ごしてしまうだろう。

 

 ある日、役立たずで無意味な階段(というか役割を放棄した階段は既に階段ではないのかも知れないが)が「純粋階段」として再発見されたのである。1972年のことであった、らしい。

 それが概念として熟成し、「トマソン」と総称される路上構築物として、改めて観察の対象となり、一つのムーブメントとして記録され分類されていくのが80年代のこととなる。

 
 

…と書いて気付くのは、70年代というのが、「前衛」という語が「芸術」の世界と共に「政治」の世界でもまだ命脈を持ち得ていた時代だったのだということだ。

 四谷の純粋階段の発見は、連合赤軍による「あさま山荘事件」と、まさに同じ年の出来事であったのである。

 「政治的前衛」は自壊し、「芸術的前衛」が純粋階段を見出す時代。

 70年代が「新左翼」の自壊の時代だったとすれば、80年代は「旧左翼」の自滅の時代であった。1989年、ベルリンの壁に開いた穴は、社会主義世界を崩壊させてしまった。今や政治的前衛など存在しない。

 「現代美術」、「現代音楽」はジャンルとしては存在するのだろうが、現代人にとっては見慣れた世界の風景の一部に過ぎなくなってしまっている。最早、何をやっても、誰も驚きはしないのだ。眉間にしわを寄せての、あの「純粋」スタイルも消えた。

 

 ハプニングからパフォーマンスへと流れる行為としての芸術もまた、見慣れた光景となってしまったのが21世紀の現実だろう。誰も驚きはしない。

 
 
 

 しかし、純粋階段の発見は、新たな世界の見出し方を取り出す行為であった。

 それまでは人の視野に入ることのなかった路上構築物が、ある時以降、意味ある存在として輝き始めてしまったのである。

 無意味な(と思われていた)対象から、新たに意味を見出す行為。そこにこそ芸術の核心を見出すことも可能ではないか、と思い始めてしまうのだ。

 前衛は、しっかり前衛でありながら、前衛という言葉に引導を渡してしまったのである。

 
 
 
 
 
 

赤瀬川原平 

→ http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%B5%A4%E7%80%AC%E5%B7%9D%E6%BA%90%E5%B9%B3

トマソン

→ http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%88%E3%83%9E%E3%82%BD%E3%83%B3

あさま山荘事件

→ http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%81%82%E3%81%95%E3%81%BE%E5%B1%B1%E8%8D%98%E4%BA%8B%E4%BB%B6

 
 
 
 

 

 

(オリジナルは、投稿日時:2009/04/14 23:40 → http://www.freeml.com/ep.umzx/grid/Blog/node/BlogEntryFront/user_id/316274/blog_id/101223

 

 

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