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2009年3月

2009年3月24日 (火)

フィンランドの「救国の戦犯」と日本の亡国の戦犯をめぐって

 

 「フィンランドで「救国の戦犯」に光」というタイトルの記事が、産経新聞から配信されていた(→ http://sankei.jp.msn.com/world/europe/090323/erp0903232135001-n1.htm / http://sankei.jp.msn.com/world/europe/090323/erp0903232135001-n2.htm / http://sankei.jp.msn.com/world/europe/090323/erp0903232135001-n3.htm)。

 3月23日付、22時2分ということなので、紙面としては24日付になってるのかも知れない。

 

 実は昨夜、「現代史のトラウマ」のアクセス・ログの検索語をチェックしていたら、「フィンランド」や、かつての戦時の大統領名「リュティ」によるものがあった。検索元にアクセスしてみたら、上記の記事があったわけだ。

 

 

 

 

 検索を頼りに、周辺の話題を読むと、かつての戦犯の復権という文脈から、「東京裁判史観批判」にご執心の田母神信者(?)の皆さんが盛り上がっているのが見て取れた。

 私自身、「フィンランドの歴史 あるいは軍事力による防衛」シリーズを書いた身である(カテゴリ「フィンランドの歴史 あるいは軍事力による防衛」の過去記事参照→ http://uma-sica.cocolog-nifty.com/blog/cat33391329/index.html)。盛り上がる人々に対し、ひとこと言っておきたい。

 

 

 

 その前に、上記の記事を読むと、紹介されているテュートラ博士によるリュティの伝記の出版年は1994年となっており、「復権」の動き自体は新しいもの(つまり「ニュース」)ではない。そもそもが、1956年のリュティの死に際し、その葬儀は「国葬」として執り行われているのである。フィンランド国内におけるリュティの評価がまったく低かったわけではない、ということになるだろう。ただし、対ソ関係の上での配慮も必要であったのである。

 そういう意味では、まさに冷戦後の世界が、伝記出版を可能にしたわけだ。

 上記の記事が、現在のニュースとして書かれる理由があるとすれば、2009年が、「冬戦争」から70周年に当たるということにあるだろう。

 

 

 記事自体にあるように、リスト・リュティは、対ソ戦争時におけるフィンランドの政治指導者であった(首相、そして大統領)。

 「冬戦争」および「継続戦争」という、2度のソ連を相手にした戦争は、どちらもソ連による都市無差別爆撃によって開始されているものだ。あくまでも攻撃側はソ連であり、フィンランドは被侵略国なのである。

 

 「冬戦争」時には、ソ連はナチス・ドイツの同盟国であり、共にポーランドを侵略・分割しており、フィンランド攻撃の結果として、ソ連は「国際連盟」を除名されている。

 「冬戦争」終結後のフィンランドにとり、ソ連の脅威に対する軍事的援助の確保は依然として重要事であった。その時点でそれが可能なのはナチス・ドイツであった。そして、実際にフィンランドは、ナチス・ドイツからの軍事援助を確保するのである。

 しかし、1941年6月22日、ナチス・ドイツはソ連への侵攻を開始する。結果として、ソ連は連合国側の一員となり、フィンランドは枢軸国側に組み入れられてしまうことになる。

 そして戦後世界においては、フィンランドが国際連合の敵国条項の適用対象とされ、リュティが戦争犯罪人として取り扱われることになるのである。そもそもが、フィンランドを主語にして事態を考えれば、不当な話なのである。

 その間の詳細は、「フィンランドの歴史 あるいは軍事力による防衛」をお読みいただきたい。

 

 

 いずれにしても、政治指導者としてのリュティの努力はフィンランドの独立の維持に注がれており、その努力は実ったのである。

 フィンランドは、ソ連による軍事侵略の撃退に成功したし、ナチス・ドイツの占領下にもならなかった。後にワルシャワ条約機構に組み込まれることになる東欧諸国にとり、ソ連がナチス・ドイツからの「解放者」であったのに比し、ソ連との休戦後の対独戦争(ラップランド戦争と呼ばれる)をフィンランドは独力で闘い抜いた。

 その過程の背後に存在したのが、軍事的指導者としてのマンネルハイムであり、政治指導者としてのリュティであったのである。

 

 

 

 「産経新聞」の記事にあるように(ここを田母神信者の方々には見落として欲しくないのだが)、戦後の「戦犯裁判」はあくまでもフィンランドの国内法(臨時立法によるものではあるが)によるものであった。「東京裁判」とは、まったく性格が異なるのである。もちろん、その背後には、戦勝国であり軍事大国であるソ連の存在がある。リュティの「戦犯」認定は、あくまでも軍事大国に隣接する小国家という条件の下での政治的なものなのであり、フィンランド人自身にとってのリュティ評価は、その死に際しての「国葬」という待遇に現れていると考えるべきだろう。

 

 

 

 記事中にある、

 

テュートラ博士は「継続戦争の開戦、ナチスとの取引、戦争責任裁判、服役のすべてがリュティにとり祖国への献身だった。ロシアで権威主義が台頭する中、わが国にとり彼の生きようを検証することはさらに重みを増してくる」と語っている。

 

…という言葉の背後には、独立の維持に大きな貢献をした政治家としてのリュティへの評価として、フィンランド人に共有された認識があるはずだ。

 

 

 

 

 さて、「東京裁判」である。

 被告を裁いたのは、日本ではない。日本人により、日本という国家により裁かれたのではない(そこがリュティとは異なる)。

 「東京裁判」の「被告」は、連合国に対する責任を裁かれたのであって、大日本帝國に対する彼らの責任が裁かれたわけではない。

 大日本帝國に対し、彼らに責任があるとすれば、亡国という事態を招いた政治的・軍事的指導の責任ではないだろうか? 大東亜戦争の結果、大日本帝國は、あるいは日本は、国家としての独立を失ったのである。

 リュティのフィンランド国家・国民に対する功績は明らかである。リュティの存在により、フィンランドは困難な状況下での独立の維持を確保し得たのである。

 「東京裁判」の被告はどうであろうか? 大日本帝國に訪れた「亡国」という事態は、彼らの「功績」なのだろうか?

 

 もちろん、、彼らの責任は、日本国民により裁かれなければならない。

 

 

 

〔追記〕

 戦後フィンランドの置かれた政治外交に関する対ソ従属的状況に関し、「フィンランド化」という揶揄的表現が存在するのは事実である。しかし、実際のフィンランドの戦後史を知ることで、戦後日本の主権放棄的対米従属状況とは異なる戦後フィンランドの政治的外交的努力を、その対ソ防衛力構築実現過程を追うことで理解していただきたい(フィンランドの仮想敵国は、戦後も一貫して、あくまでもソ連だったのである)。
 これまでの「フィンランドの歴史 あるいは軍事力による防衛」シリーズ全体を読むことで、その歴史的経緯に触れることが出来るはずである。
 ソ連を利用した対ソ軍事力整備(!)の事実と、国連を舞台とした中立外交の成果(国家としての国際的信頼の獲得)は、戦後フィンランドの政治的外交的成功を物語るものであろう。そこにあるのは、軍事的強国としての隣国ソ連の存在という地政学的制約の重圧の一方で、あくまでも独立国家としての実質的な主権の維持を目指したフィンランド国民の努力なのである。
 その歴史を知ることで、「フィンランド化」という表現の安易さに思い至ることも出来るはずである。
                    (2010年11月15日記)

 

 

リスト・リュティ

→ http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AA%E3%82%B9%E3%83%88%E3%83%BB%E3%83%AA%E3%83%A5%E3%83%86%E3%82%A3

フィンランドの歴史 あるいは軍事力による防衛(カテゴリ)
→ http://uma-sica.cocolog-nifty.com/blog/cat33391329/index.html

 フィンランドの歴史、あるいは軍事力による防衛 (1)
  → http://uma-sica.cocolog-nifty.com/blog/2008/12/post-84df.html

 フィンランドの歴史、あるいは軍事力による防衛 (2)
  → http://uma-sica.cocolog-nifty.com/blog/2008/12/post-91d9.html

 フィンランドの歴史、あるいは軍事力による防衛 (3)
  → http://uma-sica.cocolog-nifty.com/blog/2008/12/post-bef7.html

 フィンランドの歴史 あるいは軍事力による防衛 (4)
  → http://uma-sica.cocolog-nifty.com/blog/2008/12/post-c8e7.html

 フィンランドの歴史 あるいは軍事力による防衛 (5)
  → http://uma-sica.cocolog-nifty.com/blog/2008/12/post-5ca2.html

 フィンランドの歴史 あるいは軍事力による防衛 (6)
  → http://uma-sica.cocolog-nifty.com/blog/2008/12/post-0d27.html

 フィンランドの歴史 あるいは軍事力による防衛 (7)
  → http://uma-sica.cocolog-nifty.com/blog/2008/12/post-a59e.html

 フィンランドの歴史 あるいは軍事力による防衛 (8)
  → http://uma-sica.cocolog-nifty.com/blog/2008/12/post-7c47.html

 フィンランドの歴史 あるいは軍事力による防衛 (9)
  → http://uma-sica.cocolog-nifty.com/blog/2008/12/post-5027.html

 フィンランドの歴史 あるいは軍事力による防衛 (10)
  → http://uma-sica.cocolog-nifty.com/blog/2008/12/post-b43e.html

 

 

 

 
 

(オリジナルは、投稿日時:2009/03/24 21:24→ http://www.freeml.com/ep.umzx/grid/Blog/node/BlogEntryFront/user_id/316274/blog_id/99111

 

 

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老眼鏡&古書 購入記

 

 ついに私も観念したのだった。

 
 

 眼鏡屋に行き、老眼鏡(!)を注文したのである。

 フレーム選びに、予想以上に時間がかかってしまった。メガネというものは、実際にかけてみないと、よしあしがわからない。

 見た目のデザインはいいのだが、かけてみると顔の中でのバランスがしっくりしない、なんてのが続々。

 老眼鏡ついでに(せっかく意を決して眼鏡屋に足を運んだのだから)、近視用のメガネも作っておくことにした。どうせなら、イメージ(微)チェンジを狙おうという気になってしまう。色を変える、デザインを違うものにする、といった選択肢がいろいろ。

 で、余計に時間がかかる。同行させた娘に、こちらのセレクトから選んでもらった。鏡の姿だけでは、もう一つ、バランスがつかめないからだ。

 レンズの関係で、出来上がりは数日後。

 本も読みやすくなるはずだ。

 
 

 で、コーヒーとケーキで一服の後に、古書チェーン店に立ち寄る。

 
 
 

 鈴木健二 『在外武官物語』 (芙蓉書房 1979) 900円

 

 J.プラシケ編著 『ドイツにおける周辺資本主義論争-〈世界システム〉論と世界経済論・軍事史・経済史の視角-』 (啓文社 1991) 500円

 

 岩渕潤子 『美術館の誕生』 (中公新書 1995) 300円

 

 エリック・ウィリアムズ 『資本主義と奴隷制 経済史から見た黒人奴隷制の発生と崩壊』 (世界歴史叢書 明石書店 2004) 2400円

 

 以上4冊を購入。

 

 
 

 『在外武官物語』の本文は、

 

在外武官とは公務のために外国に駐在している軍人、すなわち鎧を着た外交官である。外交官としての待遇を受け、儀式などにはその軍を代表して出席する一方、駐在国の軍情などを調査することをその任務としている。軍事機密をタテに、自国民に対してすら閉鎖的で秘密主義の軍事組織が、外国に対し窓を開き、各国相互間の交流のチャンネルをつくっているのが、この武官制度である。一体武官という制度はいつごろ確立したのだろうか。

 

という記述で始まる。

 外交と軍事が一体化した官職ということだろうか。

 親戚の誰だかが、ヒトラー時代のベルリン駐在武官だったという話を聞いた覚えがあるので、そんなところからの興味もある。

 

 

 『ドイツにおける周辺資本主義論争』は、副題通りの内容。原著の出版は、1983年なので、冷戦下での議論ということになる。そういう意味では、「論争」自体が歴史的な様相を帯びたものとなっているかも知れない。

 

 

 『美術館の誕生』は、カバーの紹介文の一節によれば、

 

民主主義の発生と公共の美術館という概念の誕生をめぐる野心的考察。

 

ということになる。公共施設としての「美術館」という視角から見た「近代史」の一断面。

 

 

 『資本主義と奴隷制』は、先日の「酒パーティー」の際に、「近世初期風俗画 躍動と悦楽」展の図録にある「南蛮人」一行のひとりに黒人がいるという話から、ボッシュの絵画作品中の黒人の姿にまで話が及び、白人と黒人の関係が上下関係として描かれていないように見えることが、最後まで残っていた学生との話題となったもので、気にかかっていたテーマであった。参考になりそうなので、購入決定。

 
 
 

 老眼鏡をわがものにすれば、どんどん読み進められる、はずである。

 
 
 
 
 
〔追記〕

 

 ブックセンター某のレシートを見ると、

 

『在外武官物語』は「小説」

『ドイツにおける周辺資本主義論争』、『美術館の誕生』、『資本主義と奴隷制』は「実用書」

 

という分類になっていた。

 

 以前に、同じ書店で、リリー・フランキーの小説が「外国文学」の棚に並んでいるのを目撃した覚えがある。

 

 まさに、資本主義最前線の古書店の姿だろう。

 
 
 
 
 

 

 

(オリジナルは、投稿日時:2009/03/23 22:42→ http://www.freeml.com/ep.umzx/grid/Blog/node/BlogEntryFront/user_id/316274/blog_id/99038

 

 

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2009年3月15日 (日)

偉大な兄弟の見守る世界

 

 

   偉大な兄弟(ビッグ・ブラザー)はあなたを見ている

 
 

 もちろん、出典はジョージ・オーウェルだ。

 
 
 

 そのオーウェルの『1984年』は、1949年の作品である。

 

 それから60年、というわけで、今年の年賀状デザインには、ビッグ・ブラザーに登場してもらうこととなった(と言っても、昨年末はインフルエンザで寝込んでしまったので、作成したのは、なんと3月になってから)。

 

 

 

 

 

 

     BIG BROTHER IS WACHING YOU

     偉大な兄弟はあなたを見ている、というわけだ。

 
 

 オーウェルの小説では、

 

突き当たりの壁には、屋内の展示用としては大きすぎる色刷りのポスターが画鋲で止めてあった。巨大な顔を描いただけで、幅は一メートル以上もあった。四十五、六歳といった顔立ちである。豊かに黒い口髭をたくわえ、いかついうちにも目鼻の整った造りだ。

 

各階の踊り場では、エレベーターに向かい合う壁から大きな顔のポスターがにらみつけていた。見る者の動きに従って視線も動くような感じを与える例の絵柄だ。「偉大な兄弟(ビッグ・ブラザー)があなたを見守っている」絵の真下には、そんな説明がついていた。

 
 

という設定になっている。

 

 本文を確認しないでデザインしてしまったので、スローガンとビッグ・ブラザーの顔の関係が逆になってしまった。

 まぁ、現実の(って、小説内の現実の話だが)ポスターにも、様々なヴァージョンがあったに違いないので、そんなことは気にしない。

 
 

 言うまでもないことなのかどうかは知らないが、ビッグ・ブラザーのモデルはスターリンである。スターリンの体制=監獄的ユートピアの現実こそが、小説としての(つまりフィクションとしての)『1984』の背景にある。

 そのスターリンの面影が、

 

豊かに黒い口髭をたくわえ、いかついうちにも目鼻の整った造りだ。

 

という記述にも窺えるだろう。

 

 賀状のデザインに借用したのは、偉大なアンサイクロペディア内にある画像(http://ansaikuropedia.org/wiki/Image:Kfcstalinsexiest.JPG)だ。

 「KFC」ならぬ「KGB」の、サンダースおじさんならぬスターリン同志である。

 

 現実の歴史を振り返れば、1949年とは、やがて自ら構築した壁で自国民を閉じ込めるという前代未聞の監獄国家となった、あのドイツ民主共和国(旧東独)の建国の年でもあった。

 

 2009年とは、フィクションとしての『1984年』の成立から60周年であると同時に、ノンフィクションとしてのドイツ民主共和国建国から60年という記念すべき年でもある。

 

 現実の1984年には、ドイツ民主共和国は、建国35周年を祝っていたのであった。当時の東ベルリン市民は、自由に壁の向こうの西ベルリンまで出かけることは出来なかった。ドイツ民主共和国の偉大な兄弟により、壁を越えようとする者に対しては射殺命令が出されていたのである。

 東独の偉大な兄弟は、シュタージと呼ばれる秘密警察を掌握し、国民には密告を奨励していた。

 まさに『1984年』に、フィクションとして描かれていた世界が、ドイツ民主共和国ではノンフィクションとして、現実化していたのである。

 

 そのドイツ民主共和国も、1989年の「ベルリンの壁崩壊」を機に、国家としての終焉を迎えることになる。建国40周年の栄えあるはずの年が、国家終焉への第一年となったわけだ(1990年にドイツ民主共和国は消滅する)。

 つまり、2009年とは、ベルリンの壁崩壊20周年にも当たる、記念すべき(というより記憶すべき)年なのである。

 

 当初の賀状デザインの目論見としては、オーウェルと同時に、旧東独に関する情報も盛り込むつもりだったのだが、欲張るとデザイン的にうるさくなり過ぎるので断念。

 

 そのかわりに、『1984年』に登場する、「二重思考」を象徴する有名なスローガンである、

 

 戦争は平和である

 自由は屈従である

 無知は力である

 

をデザインとして取り込むことにした。

 
 

 そのようにして出来上がったのが、今回ご紹介した賀状、というわけである。

 
 

 『1984年』に描かれた「二重思考(ダブル・シンク)」は、現代の日本でも無縁ではない。

と言うより、秘密警察や収容所の存在なしに、しかし、日本国民の多くは二重思考を自らのものにしてしまっている(ように私は思う)。

 
 
 

 まぁ、そんなことを考えながらデザインしたのが、2009年の挨拶状、ということになる。

 わかる人にはわかる、はずである。

 
 
 
 
 
(スローガンの英語での表記はこちらが参考に
→ http://wikilivres.info/wiki/Nineteen_Eighty-Four/Part_I%2C_Chapter_1

 
 

 

(オリジナルは、投稿日時:2009/03/14 23:34→ http://www.freeml.com/ep.umzx/grid/Blog/node/BlogEntryFront/user_id/316274/blog_id/98114

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