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2009年2月11日 (水)

建物のカケラ

 

 「建物のカケラ」と題された展覧会に出かけた。

 サブタイトルに「一木努コレクション」とある通り、一木努氏による個人コレクションの展示である。内容は、タイトル通り、解体された建物の「カケラ」のコレクションだ。

 展覧会図録にある主催者による「ごあいさつ」の文章には、

建物にとっていちばん幸福な姿とは、建物がその場所に存在し、人々や土地の記憶の中で生き続けること(現地保存)であると私達は考えます。しかし建物は、時が経てばその多くが解体される運命にあります。思い出の建物、風景の一部であった建物は、大小無数のカケラをのこして姿を消すのです。

本展覧会で皆様にご紹介する約700点にもおよぶ建物のカケラたちは、現役の歯科医師でもある一木努氏が、約900箇所の解体現場に通い、40年の長きにわたり収集してきた個人コレクションの一部です。…

…とある。

 開催場所が、「江戸東京たてもの園」(東京都小金井市)であることが、冒頭の「建物にとっていちばん幸福な姿とは、建物がその場所に存在し、人々や土地の記憶の中で生き続けること(現地保存)であると私達は考えます」という言葉に反映されているように思える。「江戸東京たてもの園」とは、現地保存の叶わなくなった建物を移転保存するための施設なのである。

 もちろん、移転保存も叶わない建物、解体され姿を消してしまう建物のほうが圧倒的に多い。「江戸東京たてもの園」の関係者にとっても、実に悲しく歯がゆい事態であるに違いない。

 「江戸東京たてもの園」の学芸員氏が書いたのであろう「ごあいさつ」の文章の後ろには、そんな日々の経験が隠されているように思えるわけだ。

 

 下館市の歯科医師、一木努氏は、現地保存が叶わず、移転保存も出来ずに解体され姿を消していく建物のカケラを解体現場から救い出すことで、その建物のかつてあった徴を保存するという行為を続けて来た方なのだ。

 
 

 図録から、一木氏自身の文章を紹介しよう。

どんな名建築でも取り壊しとなれば、美しい壁もはがされ、立派な柱も倒され、つぶし砕かれて、建築廃棄物となってしまう。つまり、廃材というか、ゴミ。でも、捨てられてしまうそのゴミの一部(カケラ)を集めるとなると、それなりの努力がいる。ゴミといっても、通りの集積場に出してあるわけではない。解体現場の仮囲いの中で、廃棄物となった建物のカケラは、ダンプに積まれ、人目に触れることもなく、そのまま処分場に運ばれてしまう。

建物のカケラを手に入れるには、解体中に、その仮囲いの中に入って、取り外すか、拾い上げるしかない。後から入手するのはほとんど不可能だし、解体前も難しい。

そのため、解体の日程を把握し、現場を巡回しながら頃合いをみて交渉。承諾を得て、現場に入り、選択、最終、運搬という手順になる。

つまり、このコレクションは、建物の持ち主や現場作業員の理解と協力がなければ、成り立たなかった。現場では、解体作業中に、部外者から廃材をねだられるのだから、かなり迷惑だったに違いない。にもかかわらず、どこでも本当に親切にしていただいた。その好意に報いることができるとすれば、現場から救い出したカケラを、少しでも多くの人に、見ていただくことしかないだろう。

 

…と、その収集の方法が明かされているわけだが、その第一号は、1966年、一木氏17歳の夏に始まる。もちろん、その時のカケラ(常陽製菓煙突レンガ)も展示会場にある、というか展示自体もそこから始まるのである。

 

 公共建築もあれば、個人住宅もあるし、ありとあらゆる種類の「建物のカケラ」が集められていることに驚く。

 たとえば、図録中の素材別のコーナーの「石」の項目には、渋谷区神宮前の社会事業大学(旧海軍館)、岡山県岡山市の「中国銀行本店」、千代田区丸の内の「白石ビル」、大阪市南区心斎橋筋の「戎橋キリン会館」、港区海岸の「芝浦石畳」、台東区上野の「本牧亭」、港区芝大門の「昭和電工(旧不動貯蓄銀行本店)」…といった具合である。

 中には、1968年の国際反戦デーに新宿駅での投石に使われた石、なんてものまである。

…と、石もあれば金属金物もあり、タイルのカケラから装飾のレリーフ、そして「キャッツシアター(大阪)」のテント地まで、素材も様々なら、大きさも様々である。

 すべて解体され、建物は現存しないのである。写真でかつての姿を見ることは出来るわけだが、しかし、その建物の一部の実物の持つ存在感は、また格別のものなのだ。

 

 一木氏の営為を讃えないわけにはいかない。

 

 しかし、すべて廃材、ゴミである。そのようなもののコレクションに、家族の理解は得られているのだろうか?と、誰しも不安になるところであろう。

 しかし、ここにもまた驚くべきストーリーが展開するのであった。

 

 展示品に、渋谷区千駄ヶ谷の「藤井邸」のカケラがあった。それには次のようなキャプションが付けられていたのだ。

こののち、結婚することになった女性からもらった初めてのプレゼント。実は、彼女も建物のカケラを中学校時代に収集していたことが判明。

 

 一木氏の伴侶となった女性をも、ここで讃えなければならないのである。

   (これは、同行した家族全員が感動したエピソードである)

 

 

 

なお、「建物のカケラ」展は、江戸東京たてもの園(東京都小金井市)にて、3月1日まで開催。

  

 
 

(オリジナルは、投稿日時:2009/02/11 20:23→ http://www.freeml.com/ep.umzx/grid/Blog/node/BlogEntryFront/user_id/316274/blog_id/94803

 

 

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