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2009年1月12日 (月)

衝撃の事実

 

 タイトル通り、衝撃の事実に直面してしまったのだ。

 関係方面(どんな関係だ?)の方々にも、ショックの大きい話だと思う。繊細な神経をお持ちの方は、最後まで読まない方がよいかも知れない。

 話は、今日の午前中に始まる。

 

 メンバーの一人である「戦争を語り継ごうML」に、ディズニーのアニメ「Victory Through Airpower (空軍力の勝利)」の動画の紹介をしたのだった。

(アニメの詳細については→ http://uma-sica.cocolog-nifty.com/blog/2008/12/post-dcda.html

 

 やがて、その投稿に参加者からレスがついた。

 その一つが、サイト「「戦時下に喪われた日本の商船」(http://homepage2.nifty.com/i-museum/index.htm)の関係者からのもので、そのサイトの中のページ(http://homepage2.nifty.com/i-museum/19430409kousei/kousei.htm)が紹介されており、そこには、件の「Victory Through Airpower 」への言及があったのである。

 そこで、お礼方々、やはり1943年のディズニー作品である、

Walt Disney "Education for Death" (1943)
 → http://jp.youtube.com/watch?v=FQqCeEG5hs0
REASON and EMOTION
 → http://jp.youtube.com/watch?v=ae9bJF-GATo

Der Fuehrer's Face
 → http://jp.youtube.com/watch?v=cdpSU-UWkso&feature=related

の動画を紹介するレスを書いたわけだ。すべて反ナチ・プロパガンダ作品である。

 ちなみに、「Victory Through Airpower」のターゲットは日本である。

 

…というのが、そもそもの発端だったわけだ。

 

 

 「戦時下に喪われた日本の商船」というテーマは、重いものだ。

 日本海軍には、というか大日本帝国の軍隊では、戦争とは軍隊同士のものでしかなかった。かつての日本海軍には、商船=輸送船の護衛任務の必要性という発想はなかったのである。

 戦時下の日本の商船は、護衛なしで航海し、米国海軍の潜水艦や航空機のターゲットとなって、次々と沈められていったのだ。

 商船=輸送船の船員であるということは、死に直結するものであったことになる。

 実は、20年以上前の話となるのだが、ある会合でたまたま同席した方が、戦中は商船の船員だったというエピソードを語ってくれたことがあった。

 「現代詩」関係者の会合だったのだが、そしてお話を伺った相手も「現代詩人」だったのだが、話の内容はまさに「現代史」なのであった。

 その方のお話で感銘を受けたのは、戦時下に船員となった理由である。

 どのような言葉で語られたのかは忘れてしまったが(詩人の言葉だったというのに!)、要するに、戦中を人殺しをしないで過ごすための選択だったというのである。自身の身をを守る術もないのが、戦時下の船員のおかれた状況である(ということもその時に知ったわけだ)。

 それでも船員となることを選んだのだと、彼は語ったのだ、人を殺さないために。想像力の外の出来事だと思ったのを覚えている。

 20才前後の私にとって、召集令状(いわゆる赤紙)を受け取った時に、自分がそれを拒否出来るかどうかは、大きな問題だった。特高や憲兵の存在する世界で、兵役拒否が自分に出来るのかどうか? もちろん、大義のない戦争という状況下での問題設定である。

 そんなことを考えながら生きて来た当時の私にとって、戦時下に船員としての生活を選択したという彼の話は、新鮮な驚きであった。そんな選択肢があるなど、思いもよらなかったのである。しかし、身を守る術がまったくない状況へ自分の身を置いてしまうという選択でもある。

 戦争下で人を殺さずに生きるために船員となることを、では、この自分には選ぶことが出来るのだろうか?

 答えを出すことが出来ず、いまだに私自身の中で続く問いである。

…という20数年前の出会いを思い出しながら、午前中を過ごしていたわけだ。

 

 

 その彼からいただいた「ポエム」という詩誌がある。久しぶりに取り出して、目を通していたのであった。

 オソロシイ事実に直面したのは、その結果である。1985年9月号の誌面をめぐる話、ということになる。

 問題となったのは、明石誠三朗という署名のある、《7月のメモ》という記事の内容である。以下に引用するので、気を確かに持って読んで欲しい。

 

20日 毎月送ってもらっている中国関係の「東方」という書誌に連載されている『猫乗私記』という今村与志雄さんの書いている文章がとても面白い。副題に―ネコのはなし今と昔―とあるように、猫の嫌いな私でさえも、つい釣り込まれてしまうような興味津々たる内容である。ネコの異名に「家狸」「狸奴」とあるから、野猫は狸(野生のネコ、ヤマネコ)で、家で飼養されているのが猫。つまり「家狸」の別名は「猫」、和名は「ねこま」であるからと等等、旧い文献を引いての博識に中国文学の深さを教えられるおもいである。

 

…という話なのだった。

 猫にとっても、狸にとっても、実に由々しき話だろう。

 実に何ともこれはアイデンティティーの危機である。

 ある特定の関係者にとってはの話ではあろうが…

 

 

註 : 今回の文章は、もともとは freeml 用の「バカバカしさ狙い」のネタとして書いたもの。 freeml には「たぬき男いたち男」というハンドルネームの人物が実在し、迷コメントを残していくのである。つまり、私のページは狸と猫-ダミニストである私-の闘いの場となってしまっているのだ。しかし最後のオチまでの過程で書いたことは、「現代史のトラウマ」にふさわしい内容でもあるので、ここに収録したわけである。

 

 

(オリジナルは、投稿日時:2009/01/11 21:03 → http://www.freeml.com/ep.umzx/grid/Blog/node/BlogEntryFront/user_id/316274/blog_id/91501

 

 

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