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2009年1月

2009年1月31日 (土)

続・老眼と自己決定

 

 人の身の上に起る死は、誰によって決定されるべきものなのか?

 言うまでもないことだが、誕生の瞬間から、人は(そして、すべての生き物は)、死という生物としての最終地点への道を辿ることを、その生の歩みの内に組み込まれてしまう。

 生き物であることは、同時に、やがて死に行くものであることを意味するのだ。

 誕生という出来事自体が、当人の意思と関係なく起ってしまう事柄であるのと同様に、死もまた、当人の意思のあり方とは無関係に、向こうからやって来てしまうものだ。

 老眼もまた、やがて死へと至る生の過程のある時点で、当人の意思とは関係なく、向こうからやって来るものだ。

 

 

 しかし、人間の場合、当人による死の決定は可能であるし、生物としての条件とは関係なく社会的に決定されてしまう死を経験させられてしまうという事態も存在する。

 自殺こそは、当人の意思に基づく当人の身の上に起る死であろう。それを、実に人間的な行為と呼ぶことも出来る。死という出来事を対象化した思考の存在を抜きに、自殺という死の形態はありえない。自殺に擬せられる集団的なレミングの死は、個々のレミング自身の自己決定の結果と考えることは出来ないのである。そのような意味合いにおいて、自殺は人間的な、人間ならではの行為として考えられることになる。

 死刑制度に代表される、社会的合意により、対象とされた個人または集団に下される死の決定もまた、人間の身の上にのみ起きる事態であろう。

 

 

 法律家カール=ビンディングと医師アルフレート=ホッへの共著になる、『生きるに値しない命を終わらせる行為の解禁』(1920)では、

  1)助かる見込みのない患者〈末期癌の患者など〉。
  2)治療不能な知的障害者
  3)瀕死の重傷者
 

の3つのケースが、法律家カール=ビンディングにより、安楽死の対象として想定・検討され、2〉のケースが特に精神科の医師アルフレート=ホッへによる考察の対象となり、ホッヘは知的障害者への積極的安楽死政策の提言者となる。

 この書が、「悪名高い」ものとして、後世に取り扱われることになるのは、ナチスによる精神障害者への積極的な安楽死政策としてホッヘの提言が結実し、更にその経験が、ユダヤ人に対するガス殺戮への実行へとつながっているからだ。

 しかし、カール=ビンディングのそもそもの問題意識は、「自殺」を犯罪として取り扱うべきかどうかに関する法学上のものであり、その考察過程で、1)、2)、3)のケースの検討が行われていた、というのがビンディング自身の論文の内容であった。確かに「共著」という形態で出版されたが、ビンディングの論文と、ホッヘの論文では問題意識がまったく異なっているのである。

 ビンディング自身の問題意識の焦点については、死の決定主体と法学上の「殺人行為」との相関を問うものではなかったのか、という理解が私にはある。

 死の決定主体が当人であるものが「自殺」であり、死の決定主体が社会であるものが「安楽死」、ということになるだろう。

 その際、「安楽死」を支えるのは、その前提としての社会的合意の存在である。安楽死の対象とされてしまう当人もまた、その社会の成員として、社会的合意への同意者として取り扱われることにより、当人に対する安楽死の実行が正当化されることになるわけだ。

 そのように考えた時に、

  1)助かる見込みのない患者〈末期癌の患者など〉。
  2)治療不能な知的障害者
  3)瀕死の重傷者
 

という、ビンディングにより想定された「安楽死」の対象の中で、2)の異質性が際立つことになる。

 ここで、治療不能な知的障害者として想定されているのは、社会的合意の外部の存在だからである。当人が「治療不能な知的障害者」と判定される根拠には、社会的合意に関する理解の不能状態と、意思表明能力の欠損が想定されているはずだ。

 ビンディングにより、安楽死の対象とされてしまった「治療不能な知的障害者」のケースは、自殺行為の延長として理解可能な側面がある1)及び3)のケースとは、本質的に異なったものとなっているのである。

 

 

 人の身の上に起る死は、誰によって決定されるべきものなのか?

 この問いをもう一度思い出そう。

 自己決定不能者に対する社会的決定としての殺害は、正当化可能なものなのだろうか?

 そしてもう一つ、自己決定可能な存在であるという想定は、自己への殺害としての自殺の正当化を保障するものであり得るのだろうか?

 

 

 

 

(今回の内容は、先日の日記のコメント欄でのやり取り→ http://www.freeml.com/ep.umzx/grid/Blog/node/BlogEntryFront/user_id/316274/blog_id/93326から生まれた考察、と考えることが出来る。以前から考えていたことではあるけれど、こうして言葉に出来たのはコメントを書いてくれた友人のお陰である。どうもありがとう)

 

 

 

(オリジナルは、投稿日時:2009/01/31 20:34→ http://www.freeml.com/ep.umzx/grid/Blog/node/BlogEntryFront/user_id/316274/blog_id/93553

 

 

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2009年1月29日 (木)

老眼と自己決定

 

 老眼のカミングアウト、ってのは、しかし、どこか悔しいところがあるのかも知れない。

 既に「若い者」ではなくなってしまったことを、当人の意思とは無関係に自覚させられるように仕向けられた感じだ。

 データをプリントアウトしたはいいが、メガネ(もちろん近眼用の)のままじゃ読めない。紐の結び目を解くことが出来ない。CDの中身をチェックしようにも、たとえば、文字が小さ過ぎて録音日時の確認が出来ない。

 様々な瞬間に、老眼の自覚を強要されるのである。

 まぁ、生物としてのヒトという枠組みで考えれば、世界からの引退の時期、ということなのだろう。「人生五十年」というのは、要するに、そういうことなのだろう。

 しかし、人類は、寿命の延長に心を砕いて来たわけだ。公衆衛生や医療、戦争の抑制は、寿命延長の原動力だ。

 その結果、先進諸国では、高齢者の人口比率が高まり、老人の存在が社会問題化している。想定内の出来事なのか、それとも想定外の出来事なのであろうか?

 いずれにしても、私が近代以前のシステム内の住人であれば、既に晩年なのであった。

 老眼とは、近代以前には、晩年入りの徴のようなものだったのかも知れない、なんてことを思ってみたりする。

 もっとも、近代以前の社会でも、老人の存在は知られていた。幸運あるいは強運の下では、喜寿米寿も可能性の内部ではあったのだ。生き延びて老人となることは、誰にでも出来ることではなかったが、達成し老境を生きる経験をする人物が皆無であったわけでもない。

 しかし、それはあくまでも稀有な経験であり、だからこそ祝福される対象ともなり得た。

 誰でも老人であることを経験し得る状況。それこそが現代社会で特徴的なことであろう。

 しかし、同時に、それはありふれた事態に成り下がり、既に祝福の対象ではなくなってしまった。老人であることが、当人にとっても周囲にとっても、あまり祝福されるべき事態ではなくなりつつあるように感じる。

 人生から死を遠ざけること。近現代社会の根底にある基本的な方向性と言うことも出来るだろう。

 もっとも、近代における戦争は、人生において国家のための死を受け入れることを、国民に対し要求するものでもあった。そこでは、自らの意思をもって死に近付き行くことこそが求められていたわけだ。

 それでも、第一次世界大戦および第二次世界大戦の経験は、戦争による死がどのようなものであるかについてのリアルな認識を人類にもたらした、とでも言うべき側面があることを否定することも出来ない。

 特に、ナチスドイツによる、(その対象が、ユダヤ人であれ精神障害者であれ)政策的な「生きるに値しない命」への死刑(厳密には「刑」ではないわけだが)宣告は、他者への死の強要の「権利」の所在への、根底的な疑問を持つことを人類に求めるものとなった。

 他者の死への決定権は、誰のものであるべきなのか? あるいは、誰のものでもないのではないか? という反省的思考が、そこに生じ、人類に共有されるものともなった(もちろん、共有しようとしない人間達の存在もまた無視し得ないものではあるのだが)。

 誰が、死を決定出来るのか?

 本人による決定ならオーケーなのか?

 「自殺」は自己決定として尊重されるべき行為であるのかどうか?

 ナチスドイツにより受容・実践させられることになった、「生きるに値しない命」という発想は、1920年に出版された、法律家カール=ビンディングと医師アルフレート=ホッへの共著になる『生きるに値しない命を終わらせる行為の解禁』と題された書物に遡るものだ。

 そこでは、

  1)助かる見込みのない患者〈末期癌の患者など〉。
  2)治療不能な知的障害者
  3)瀕死の重傷者
 

の3つのケースが、法律家カール=ビンディングにより、安楽死の対象として想定され検討され、2〉のケースが特に精神科の医師アルフレート=ホッへによる考察の対象となっており、特にアルフレート=ホッヘによる考察部分が、ナチスの政策として結実していくのである。

 しかし、カール=ビンディングのそもそもの問題意識は、「自殺」を犯罪として取り扱うべきかどうかに関する、法学上のものであった。死の決定主体と、法学上の「殺人行為」との相関を問うものであった、と言い換えることが出来るかも知れない。

 自己に対する、死の自己決定としての自殺を「殺人」という範疇の行為として記述することに、法学者としてのビンディングは慎重であった。当人の意思に反する死の強要こそが「殺人」の構成要件とまで考えたのかどうかは、現在手元に参照するべき本がないので確言出来ないのだが、そのような問題関心が彼の発想の源にはあったわけだ、ということは思い出しておくに値する。

 人の身の上に起る死は、誰によって決定されるべきものなのか?

 我が身の上に起きた老眼の話題から、はるか遠い地点にまで来てしまったが、老眼が当人の意思を越えた地点での出来事であるように、当人の死もまた当人の意思の内部の出来事ではないのではないか、なんてことを考えているわけだ。

 

 

 

(オリジナルは、投稿日時:2009/01/29 22:03→ http://www.freeml.com/ep.umzx/grid/Blog/node/BlogEntryFront/user_id/316274/blog_id/93326

 

 

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2009年1月18日 (日)

ダミニストによる日本経済への貢献

 

 浪費の日曜日となってしまった。

 いや、日本経済活性化へ貢献した日曜日、だ。

 久しぶりに、家族と出かけたのだった。

 予備校通いで、朝から先に出ていた娘と、忘れ物を取りに途中で引き返した娘の母と、駅ビルの書店で合流。待ち合わせは本屋というのが(つぶす時間に困ることがないので)、我が家のいつものパターンである。

 問題点は、相手が来るまでの時間に、本を買ってしまうことだろう。

 本日も、もちろん(?)購入してしまった。

 カレル・チャペック 『山椒魚戦争』 (岩波文庫 1978)

 シェイクスピア 『リア王』 (光文社古典新訳文庫 2006)

 シェイクスピア 『マクベス』 (光文社古典新訳文庫 2006)

 ジョン・エリス 『機関銃の社会史』 (平凡社ライブラリー 2008)

 チャペックの『山椒魚戦争』は、たぬき男いたち男氏のオススメ本である。普段、まったく文学書を読まないので、当然、今回、初めて読むことになる。

 シェイクスピアは、『マクベス』のセリフを先日の日記のネタにしたところ(http://www.freeml.com/ep.umzx/grid/Blog/node/BlogEntryFront/user_id/316274/blog_id/91617)なので、新訳で読んでみる気になったわけだ。店頭でパラパラとめくって読んでみたら、言葉としてこなれた良い訳という印象だったので、購入を思いついた。

 ジョン・エリスの『機関銃の社会史』は、兵器の「進歩」と戦争形態の変化の問題という「現代史のトラウマ」的テーマの参考にと購入。エドワード・クリントン・エゼルによる「1986年版への序文」には、

 ある書評家はこう記している。「なんとも不思議なことに、機関銃は一人のアメリカ人、リチャード・ガトリングによって発明された。彼のよく知られた願いは、自分の武器が強いる莫大な損傷に人々が気づいたときに、戦争は阻止されるというものだった。軍拡競争を開始させ、ガトリングを金持ちにしたのは、そういった類の論理だった」。軍拡競争と武器製造からの利益は、これからも現実のものでありつづけるだろう。エリスの『機関銃の社会史』は、軍事技術の過去と現在の社会史についてもっとよく理解したいと願う心ある人々にとって、すぐれた入門書であり、これからもそうでありつづけるであろう。

と書かれている。

 そんな、軽い散財の後に、駅近くで昼食。中央線に乗り、ヲタクシティ立川へと向かう。

 ビックカメラで、オーディオ製品カタログを収集。現在この文章を書いている、このパソコンは、26インチの液晶テレビをモニターにし、小型のパワーアンプと小型のJBLスピーカーに接続されている。それにプラスする、独立したDVDプレイヤーの購入を目論んでいるのである(以前に買った中国ブランド製品は半年持たなかった)。小型のユニバーサルプレイヤーを想定中なのだけれど、どうなりますことやら。

 駅から離れたHMVの上階にある大型書店が次の目標。これは娘の希望で、彼女は、そこで、べつやくれいさんのサイン入り本をゲット。

 そのお次は、ヲタクデパート(?)の第一デパートにある書店に向かう。ここでは私が、ミリヲタ本を購入するのである。

 購入本は、

 世界の傑作機スペシャルエディション vol.4 『ボーイングB-17フライングフォートレス』 (文林堂 2007)

 世界の傑作機 vol.54 『B-24リベレーター』 (文林堂 1995)

 世界の傑作機 vol.125 『コンベアB-36ピースメイカー』 (文林堂 2008)

 ジェリー・スカッツ 『第8航空軍のP-47サンダーボルトエース』 (大日本絵画 2001)

 ジェリー・スカッツ 『第8航空軍のP-51マスタングエース』 (大日本絵画 2002)

 ジョン・スタナウェイ 『太平洋戦線のP-51マスタングとP-47サンダーボルトエース』 (大日本絵画 2002)

 ロベルト・グレツィンゲル&ヴォイテック・マトゥシャック 『第二次大戦のポーランド人戦闘機エース』 (大日本絵画 2001)

の6冊となった。

 「現代史のトラウマ」シリーズの資料用である。B-17、B-24、そしてB-36は、戦中と戦後の米国の重爆撃機である。「無差別爆撃の論理」をテーマとして書き続ける中で、航続距離の問題が焦点の一つとなりつつあるので、正確なデータが欲しくなったのだ。

 B-36は、B-52の登場までの冷戦期の前半に、米戦略空軍の主力となった、レシプロエンジン6発装備の巨大爆撃機である。B-36の登場で、あのB-29が中型爆撃機と呼ばれるようになってしまうのだから、その巨大さも想像がつくことだろう。しかし、その名称が「ピースメイカー」というのも皮肉な話である。核爆弾を搭載した都市攻撃が任務なのだから…

 重爆撃機の航続距離と同等の航続距離を持つ戦闘機を持たなかった米(英)航空軍は、実際の作戦行動において護衛戦闘機の随伴を確保出来ず、敵迎撃戦闘機による損耗に悩まされることになる。P-47とP-51の登場は、米航空軍が、長航続距離の戦闘機を入手し、護衛戦闘機を伴った作戦行動を可能としたことを意味するわけだ。。ちなみに、P-47の開発・生産メーカーの経営者こそが、あの「Victory Through Airpower」の著者セバスキーである。

 護衛戦闘機を伴わない、爆撃機単独での作戦行動の結果もたらされる損耗率の高さという問題を史上最初に経験したのは、実は大日本帝國であった。支那事変当時、南京への渡洋爆撃を実行した海軍航空隊は、敵迎撃戦闘機の存在がもたらす損耗率の高さに直面したのである。その解決策として登場したのが、長航続距離戦闘機である、いわゆるゼロ戦なのだ。

 無差別爆撃先進国であった大日本帝國は、爆撃機単独での無差別爆撃作戦実行上の問題点をいち早く理解し、長距離戦闘機の開発においても先進国であった、ということになる。

 まぁ、そんな話を、「無差別爆撃の論理」シリーズで展開していこうと目論んでいるわけで、今回購入したのは、そのための資料群なのだ。

 『第二次大戦のポーランド人エース』の方は、別の問題意識からの購入である。

 この本は、オスプレイ・ミリタリー・シリーズ「世界の戦闘機エース」中の1冊だ。このシリーズには、フィンランド空軍、ハンガリー空軍、クロアチア空軍、ルーマニア空軍の「戦闘機エース」も、それぞれに取り上げられている。そこに共通するのは、それぞれが第一次世界大戦後に独立・登場した新興の小国家における空軍パイロットであるということだろう。戦間期の政治、そして第二次世界大戦下での国家の運命が、彼らの運命に直結しているのである。彼らの背後には、第一次世界大戦後のナショナリズムの問題が横たわっているのだ。

 そのような意味で、文中から実に興味深い記述を見つけ出すことが出来るのが、このシリーズの魅力なのである。

 次は駅ビル最上階に移動。コーヒーで一服。

 下の階の山野楽器で、CD&DVDを物色。娘は『魔笛』のDVDをゲット。私は輸入版コーナーで、フェラボスコのコンソートミュージック集(16~17世紀のイギリス音楽)、ホセ・ミゲル・モレノとエリジオ・クインテロによるダウランドのリュート曲集(これも17世紀のイギリス音楽)、『ウェストファリアの平和のための音楽』と題された30年戦争前後の作品集(1998年のリリースで、これは1648年のウェストファリア条約締結から350年を記念してのものだ)。

 そしてもう一枚は、一挙に20世紀へ飛んでショスタコーヴィッチである。映画のための音楽として書かれた曲が収録されている。ベルリン陥落を描いた1949年の映画と、革命直後が舞台らしい1951年の映画。店頭の30パーセント割引の山から発見。二度と手に入らないかも知れないと思うと、買わずに帰ることは出来ない。

 レンタルのDVDの返却に付き合って別の店へ移動。そこで娘の母と別れ、店を出た父娘は、駅中のコーヒーショップで一服(くつろげる良い店だった)。

…そして、わが浪費の一日、いや日本経済活性化貢献の一日は終わったのであった。

 

 

 

(オリジナルは、投稿日時:2009/01/18 20:40 → http://www.freeml.com/ep.umzx/grid/Blog/node/BlogEntryFront/user_id/316274/blog_id/92177

 

 

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Fair is foul, and foul is fair …

 

  1606年、新王ジェームズ1世に敬意を表して上演された。

 ジョゼ・アクセラとミシェール・ウィレムの共著『シェイクスピアとエリザベス朝演劇』中の、シェイクスピアの『マクベス』上演に関する記述である。

 ジェームズ1世の即位は1603年のことであった。エリザベス1世の死により、スコットランド国王ジェイムズ6世が、ジェイムズ1世としてイングランド国王となったのである。

 その意味では、『シェイクスピアとエリザベス朝演劇』という表題を掲げながらも、書中で取り上げられている作品に関しては、1602年(一説には1603年)の『ハムレット』を除いては、『オセロー』が1604年、『リア王』が1605年と、シェークスピア悲劇の代表作の執筆年代は、エリザベス朝ではなくジェームズ朝であるわけだ。

 ちなみに1603年とは、徳川家康が征夷大将軍となり、江戸に幕府を開いた年でもある。文化史的には、出雲阿国の北野天満宮における歌舞伎興行が記録されている年でもある。

 当時の流行に敏感な(つまり権威主義的人間からは軽佻浮薄と評される)人々がカブキモノと呼ばれていたことを思い出しておきたい。歌舞伎もまた、煙草や三味線への愛好と共に、流行最先端のステージとしてカブキモノ達に歓迎され、その観客動員力を誇っていたということになる。つまり、新しい物好きが集まる場であったわけだ。

 伝統に権威を見出すタイプの人間達からは、軽佻浮薄な新しい物好きの不良じみた連中と思われていたに違いない都市民が、初期の歌舞伎や三味線音楽を支えていたということなのである。要するに、歌舞伎の登場は、都会の不良の世界の出来事だったのだ。煙草は輸入され栽培が始められたばかりの最新のドラッグであったし、三味線も外国からの最新の移入楽器であった。

 そんな時代のロンドンでは、シェイクスピアの最新作の上演に、かの国の流行に敏感な連中が立ち会っていたわけだ。わが愛するジョン・ダウランドがヒット・メロディーを作曲していたのも、その同時代のことである。

 

 さて『マクベス』であった。そこでシェイクスピアは、

  Fair is foul, and foul is fair

  きれいは汚い、汚いはきれい

  so fair and foul a day I have not seen

  こんなに美しくいやな日はみたことがない

というセリフを生み出している。ここでは、私は、このような表現を受け入れることの出来る観客の存在を考えてしまうわけだ。そのような表現を「矛盾」として排斥するのではなく、「現実」の表現として(現実を表現した表現として)受け入れる感性の存在に注目するわけである。

 ロンドンの劇場に集まった、当時の流行最先端の演劇愛好者達は、そのような表現を受け入れ、喝采を送っていたのであった。

 論理的矛盾で構成される現実世界の極限を描いた流行作家と、その表現に自らを重ねた観客達の姿、その両者の存在をそこに見出したいと思う。

 

 

       戦争は平和である

      自由は屈従である

     無知は力である

 こちらは、イングソックの有名なスローガンである。

 1949年のジョージ・オーウェルの作品、『1984年』に登場する。

 今から60年前に、ジョージ・オーウェルが描いた未来世界の姿であり、それは年代的には、既に、今から25年前の世界となってしまっているのであった。

 イングソックすなわちイギリス社会主義の統治する「革命後」の世界のスローガンとして、「戦争は平和である」、「自由は屈従である」、そして「無知は力である」が存在することになる。

 この矛盾した(と私達には思われる)表現で形作られたスローガンは、二重思考(ダブル・シンク)をマスターした者にとっては「矛盾」ではない。そこに矛盾を見出すということは、思想警察による逮捕に直結し、最終的にはその者の死を意味することになるのである。

 生き続けることを望むなら、二重思考をマスターし、スローガンの正しさを確信出来るようになる必要がある。いわゆる批判精神は、イングソックの統治する世界では必要がないのではなく、不要なものとなっているのである。

 その背後には、思想警察の存在があるというわけだ。

 それが、オーウェルにとっては35年後の、私達にとっては25年前の世界の姿なのである。

 さて、オーウェルから60年後の現実はと言えば、思想警察の存在とは無関係に二重思考をマスターしてしまっているのが、現在の日本人の姿であろう。

 公務員へのリストラの実行を求めながら、行政による各種規制の強化を訴える人々。両立不能な要求であることに気付くことがないのである。

 二重思考からは、合理性ある解決が導き出されることはない。そのことは、何よりも大東亜戦争中の大日本帝國の歴史が、見事に示していることだろう。日米の国力差を冷静に分析しながら、国力差を無視した開戦を決断出来てしまったのである。

 

 

 

 シェークスピアが描き、観客が受け入れたのは、現実に存在する矛盾を現実として描き出した表現であった。

 オーウェルが想定したのは、現実に存在する矛盾を当事者の意識において非現実化するための、矛盾した、しかし当事者の意識上は既に矛盾の存在しない、表現なのであった。

 現代の日本では、オーウェルの想定した二重思考が、思想警察の存在に頼ることなく実現されてしまっているのである。

 

 

 

 

 

…というような話は、まぁ、ある意味で他人事として書かれている。

 ネコの異名に「家狸」「狸奴」とあるから、野猫は狸(野生のネコ、ヤマネコ)で、家で飼養されているのが猫。つまり「家狸」の別名は「猫」、和名は「ねこま」である云々、という話題には他人事では済まされない側面がある。

   猫は狸、狸は猫

   狸は猫、猫は狸

   猫は狸、狸は猫

   狸は猫、猫は狸

   ・・・・・・、・・・・・・

 

 

 しかし、猫と狸の区別も判らない昔の無知な中国人の話として済ませてしまうという解決法を、今、思いついてしまった。

 これは二重思考ではない、と思いたいところなのだが、もう寝る時間である。判断力は失われてしまっているのだ。

 明日考えよう。あるいは忘れてしまおう。

註 : 内容的には、前回(「衝撃の事実」→ http://uma-sica.cocolog-nifty.com/blog/2009/01/post-e916.html)同様の、freeml 用のネタ話であるが、オチに至る文中には、この「現代史のトラウマ」にふさわしい話題が書き連ねてある。そこでこちらにも収録した次第。

 参考までに、続編として(?)書いた、「晴々しいなら 禍々しい、禍々しいなら 晴々しい」(→ http://www.freeml.com/ep.umzx/grid/Blog/node/BlogEntryFront/user_id/316274/blog_id/92309)のこともご紹介しておく。セリフ自体の解釈と翻訳の問題、といったテーマにご興味おありの方はどうぞ。

 

 

 

(オリジナルは、投稿日時:2009/01/12 23:52 → http://www.freeml.com/ep.umzx/grid/Blog/node/BlogEntryFront/user_id/316274/blog_id/91617

 

 

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2009年1月12日 (月)

衝撃の事実

 

 タイトル通り、衝撃の事実に直面してしまったのだ。

 関係方面(どんな関係だ?)の方々にも、ショックの大きい話だと思う。繊細な神経をお持ちの方は、最後まで読まない方がよいかも知れない。

 話は、今日の午前中に始まる。

 

 メンバーの一人である「戦争を語り継ごうML」に、ディズニーのアニメ「Victory Through Airpower (空軍力の勝利)」の動画の紹介をしたのだった。

(アニメの詳細については→ http://uma-sica.cocolog-nifty.com/blog/2008/12/post-dcda.html

 

 やがて、その投稿に参加者からレスがついた。

 その一つが、サイト「「戦時下に喪われた日本の商船」(http://homepage2.nifty.com/i-museum/index.htm)の関係者からのもので、そのサイトの中のページ(http://homepage2.nifty.com/i-museum/19430409kousei/kousei.htm)が紹介されており、そこには、件の「Victory Through Airpower 」への言及があったのである。

 そこで、お礼方々、やはり1943年のディズニー作品である、

Walt Disney "Education for Death" (1943)
 → http://jp.youtube.com/watch?v=FQqCeEG5hs0
REASON and EMOTION
 → http://jp.youtube.com/watch?v=ae9bJF-GATo

Der Fuehrer's Face
 → http://jp.youtube.com/watch?v=cdpSU-UWkso&feature=related

の動画を紹介するレスを書いたわけだ。すべて反ナチ・プロパガンダ作品である。

 ちなみに、「Victory Through Airpower」のターゲットは日本である。

 

…というのが、そもそもの発端だったわけだ。

 

 

 「戦時下に喪われた日本の商船」というテーマは、重いものだ。

 日本海軍には、というか大日本帝国の軍隊では、戦争とは軍隊同士のものでしかなかった。かつての日本海軍には、商船=輸送船の護衛任務の必要性という発想はなかったのである。

 戦時下の日本の商船は、護衛なしで航海し、米国海軍の潜水艦や航空機のターゲットとなって、次々と沈められていったのだ。

 商船=輸送船の船員であるということは、死に直結するものであったことになる。

 実は、20年以上前の話となるのだが、ある会合でたまたま同席した方が、戦中は商船の船員だったというエピソードを語ってくれたことがあった。

 「現代詩」関係者の会合だったのだが、そしてお話を伺った相手も「現代詩人」だったのだが、話の内容はまさに「現代史」なのであった。

 その方のお話で感銘を受けたのは、戦時下に船員となった理由である。

 どのような言葉で語られたのかは忘れてしまったが(詩人の言葉だったというのに!)、要するに、戦中を人殺しをしないで過ごすための選択だったというのである。自身の身をを守る術もないのが、戦時下の船員のおかれた状況である(ということもその時に知ったわけだ)。

 それでも船員となることを選んだのだと、彼は語ったのだ、人を殺さないために。想像力の外の出来事だと思ったのを覚えている。

 20才前後の私にとって、召集令状(いわゆる赤紙)を受け取った時に、自分がそれを拒否出来るかどうかは、大きな問題だった。特高や憲兵の存在する世界で、兵役拒否が自分に出来るのかどうか? もちろん、大義のない戦争という状況下での問題設定である。

 そんなことを考えながら生きて来た当時の私にとって、戦時下に船員としての生活を選択したという彼の話は、新鮮な驚きであった。そんな選択肢があるなど、思いもよらなかったのである。しかし、身を守る術がまったくない状況へ自分の身を置いてしまうという選択でもある。

 戦争下で人を殺さずに生きるために船員となることを、では、この自分には選ぶことが出来るのだろうか?

 答えを出すことが出来ず、いまだに私自身の中で続く問いである。

…という20数年前の出会いを思い出しながら、午前中を過ごしていたわけだ。

 

 

 その彼からいただいた「ポエム」という詩誌がある。久しぶりに取り出して、目を通していたのであった。

 オソロシイ事実に直面したのは、その結果である。1985年9月号の誌面をめぐる話、ということになる。

 問題となったのは、明石誠三朗という署名のある、《7月のメモ》という記事の内容である。以下に引用するので、気を確かに持って読んで欲しい。

 

20日 毎月送ってもらっている中国関係の「東方」という書誌に連載されている『猫乗私記』という今村与志雄さんの書いている文章がとても面白い。副題に―ネコのはなし今と昔―とあるように、猫の嫌いな私でさえも、つい釣り込まれてしまうような興味津々たる内容である。ネコの異名に「家狸」「狸奴」とあるから、野猫は狸(野生のネコ、ヤマネコ)で、家で飼養されているのが猫。つまり「家狸」の別名は「猫」、和名は「ねこま」であるからと等等、旧い文献を引いての博識に中国文学の深さを教えられるおもいである。

 

…という話なのだった。

 猫にとっても、狸にとっても、実に由々しき話だろう。

 実に何ともこれはアイデンティティーの危機である。

 ある特定の関係者にとってはの話ではあろうが…

 

 

註 : 今回の文章は、もともとは freeml 用の「バカバカしさ狙い」のネタとして書いたもの。 freeml には「たぬき男いたち男」というハンドルネームの人物が実在し、迷コメントを残していくのである。つまり、私のページは狸と猫-ダミニストである私-の闘いの場となってしまっているのだ。しかし最後のオチまでの過程で書いたことは、「現代史のトラウマ」にふさわしい内容でもあるので、ここに収録したわけである。

 

 

(オリジナルは、投稿日時:2009/01/11 21:03 → http://www.freeml.com/ep.umzx/grid/Blog/node/BlogEntryFront/user_id/316274/blog_id/91501

 

 

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2009年1月 6日 (火)

幻のドイツ民主共和国建国60周年

 

 2009年だ。

 今から、もう20年前のことになる。

 1989年の11月、ベルリンの壁が「崩壊」した。

 1989年の今頃、誰がそれを予測していただろうか?

 ドイツ民主共和国(旧・東ドイツ)は、1989年10月、建国40周年を迎えることになっていた。実際、10月には建国40周年の式典が、当時の東欧圏の社会主義諸国の首脳の列席の下、華々しく開催されたものだ。

 ドイツ民主共和国国家評議会議長にしてドイツ社会主義統一党書記長であったエーリッヒ・ホーネッカーは、10月9日の式典会場で、「壁は今後とも数十年、いや百年は存続するであろう」という趣旨の宣言をしている。その予言が覆されるのは1ヵ月後のことである。

 そして、式典会場に並んだ各国首脳陣の多くは、1年後には権力の座にはいない。誰がそれを予測していただろうか?

 そもそも、党中央委員会の国防担当委員として、1961年に「壁」の建設の指揮を執ったのがホーネッカーであったという。そのホーネッカーの目前で壁は崩壊する。

 正確には、壁崩壊の時点では、既にホーネッカーは前国家評議会議長にして前党書記長であった。10月18日、党第9回中央委員会総会で、ホーネッカーは国家と党の役職から解任されていたのである。党と国家の首脳は、ホーネッカーの解任により、事態は切り抜けられるものと考えていたわけだ。

 ところで「壁」とは何だったのだろうか?

 一般的には、城壁は、外敵の侵入への備えとして築かれるものだ。外部からの侵入者の阻止が目的である。

 ホーネッカーによりベルリンに築かれた壁の果たした機能は、しかし、外部からの侵入者の阻止、外部の脅威からの国民の保護ではなかった。

 壁により、東ベルリン市民は、そしてドイツ民主共和国国民は、壁の西側への移動の自由を奪われたのである。つまり、壁の内部に閉じ込められたのであった。

 既に生じていた西側との経済格差は、東独市民の東から西への移住として結実する。より高い生活水準獲得への期待の結果である。ドイツ民主共和国からすれば、それは国民の流出を意味する。それは人口の減少を意味し、国力の減少をも意味することになるだろう。

 国内の生活水準向上には時間がかかるだろうが、壁の建設なら手っ取り早い。東独国民は、壁により外部から遮断されることになる。

 20数年後になっても、西側レベルの生活水準の獲得は達成されなかった。隣国ハンガリーの国境解放により、ハンガリー経由での東独国民の西独移住が開始されるのが、1989年の夏のことになる。その時点で、既に壁には穴が開いていたわけだ。

 言うまでもなく、ドイツ民主共和国(東独)は社会主義体制の下にあった国家である。体制の頂点で、指導的立場にいるのは党組織である。その下に国家システムが位置することになる。

 政治・経済・外交・軍事・文化…、社会のあらゆる機能が党の統制指導の下に置かれるのが社会主義システムの原理である。党は労働者階級の利益を代表することになっている以上、社会主義システムの下では、労働者の利益は最大限に尊重されることになる(少なくとも理論的には)。

 現実の東独社会は、党官僚の利益を最大限に尊重する社会として成熟していった。労働者の利益は、確かに尊重されてはいたが、あくまでも書類上のことに過ぎなくなっていくのである。書類上の達成と現実の乖離ははなはだしいものであったが、秘密警察の存在が、乖離という現実が国民の話題となることを防止する。

 言論表現の自由に対する抑圧は、体制の延命には効果的ではあるが、社会的停滞の原因ともなっていくのである。1989年には、体制の延命も、限界に達していたのであろう。1990年10月には、国家としてのドイツ民主共和国は消滅するのである。

 壁の中に閉じ込められ、秘密警察により支配された生活は終わったわけだ。

 そして20年。

 新自由主義の20年間であった。

 20年後に拡がる世界は、失業の自由、飢え死の自由を保障している。

 そんな現在を誰が願ったのだろうか?

 

 

 

(オリジナルは、投稿日時:2009/01/06 22:02 → http://www.freeml.com/ep.umzx/grid/Blog/node/BlogEntryFront/user_id/316274/blog_id/90965

 

 

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2009年1月 5日 (月)

元青年は街へ出て書を増やす

 

 一応、今日までは正月休み、ということになっている(私の場合)。昨年末の発熱以来の体調も、かなりの程度回復した(しかし長くかかったものだ)。

 

 今日の午後は、娘を伴って外出した。一人で出かけるにはまだ心もとないので、お供(あるいは付き添い)である。

 駅まで歩いたのだが、低速歩行しか出来ない。まぁ、何とも情けない状態だった。

 銀行に寄って、口座の状態をチェックし、小遣い銭を下ろす。駅ビル内の本屋で、早速消費行動。

 

 

森まり子 『シオニズムとアラブ ジャボティンスキーとイスラエル右派 1880~2005年』 (講談社選書メチエ 2008)

グナル・ハインゾーン 『自爆する若者たち 人口学が警告する驚愕の未来』 (新潮選書 2008)

高橋紘 『昭和天皇 1945-1948』 (岩波現代文庫 2008)

坂井克之 『心の脳科学 「わたし」は脳から生まれる』 (中公新書 2008)

以上の4冊を購入。

 

 

 『シオニズムとアラブ』は、現実に原理主義としての機能を強めつつあるように見えるシオニズムの一潮流の歴史的展望について、参考になりそうなので購入。

 民族主義、民族自決原則という20世紀のパラダイムと、シオニズムは相関関係にある。そもそもはシオニズムの前面には宗教的イデオロギーは打ち出されていなかったはずだ。

 20世紀の終わりに、シオニズムの中の宗教的原理主義要素がシャロンの権力拡大に利用されてしまった。結果として、パレスチナ側の主導権も、世俗的民族主義からハマスのような原理主義要素の強い勢力へとシフトしてしまった。

 本来は世俗的民族主義同士の抗争であった、イスラエル・パレスチナ関係が、宗教的原理主義の抗争の場へとなりつつある、ように思える。政治的解決はより困難になりつつあるということだ。

…というような見通しの下で、イスラエルによるガザ空爆から地上軍による侵攻という現状と、その解決の困難さを憂慮している。

 その「見通し」が果たして妥当なものであるのかどうか?それを考えるために購入したわけである。

 

 

 『自爆する若者たち』については、いわゆるイスラム原理主義のテロリズムと人口動態を関連付けて論じた本として購入した。

 パレスチナや、アフガニスタン、イラクにおける、ローカルなレジスタンスとしてのテロリズムと、いわゆるイスラム原理主義によるグローバルな(インターナショナルな、と言うべきか)テロリズムは峻別されるべきと考えて来た。

 9・11の同時多発テロを見て、「イスラムの新左翼」という印象を得たことを覚えている。アル・カイダの行為が、ローカルな具体的な敵へのテロリズムではなく、インターナショナルなそして不特定の敵への無差別テロという、テロリズムの様態を示していることから、そのように考えたわけだ。

 1970年前後の先進諸国における人口動態と、かつての新左翼によるテロリズムの発現は、現在のイスラム諸国における人口動態とイスラム原理主義テロリズムの発現に相似形ではないのか、という問題意識が、私にはある。その問題意識は果たして妥当なものであるのかどうか?それを考えるための購入本である。

 

 

 『昭和天皇』は、占領と天皇、そして憲法という問題の参考書となるだろう。先日の豊下楢彦『昭和天皇・マッカーサー会見』(岩波現代文庫 2008)と共に気になっていた一冊だ。

 

 

 『心の脳科学』は、某MLで、饒舌氏(久しぶりの投稿だ)が推薦していた上に、信頼出来る参加者のオススメの投稿もあり購入。

 饒舌氏の投稿内容は、具体的な議論を志向すると言いながらも、相変わらず上滑りになり気味な印象を受けるが、まぁ、どちらにしても、こちらの新書は読んでおく価値はあるだろう。

 

 

 明日からの読書は、まずこの4冊から、ということになるのだろうか。

 

 いよいよ、日常生活が戻って来る。

 

 

 

(オリジナルは、投稿日時:2009/01/05 17:34 → http://www.freeml.com/ep.umzx/grid/Blog/node/BlogEntryFront/user_id/316274/blog_id/90816

 

 

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