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2008年12月 4日 (木)

負けた戦争の記憶 2

 

 生井英考『負けた戦争の記憶』を読み続けている。

  戦争に「負けた」ことを「受け入れる」ことが出来るのかどうか、という問題として、昨日は、アメリカにとってのヴェトナム戦争と、日本(大日本帝國)にとっての第二次世界大戦(大東亜戦争)を対比して提示してみた。

 日本人にとって、「あの戦争」が「負けた戦争」であることは、疑問の余地がない。

 アメリカと戦争をして負けた。マッカーサーの軍隊に占領されたことは、否定出来ない。

 天皇陛下が占領軍司令官のもとへ出向いていった姿を知らぬ日本人はいなかった。

 負けたのである。アメリカに。誰にとっても自明のことだ。

 しかし、「あの戦争」については別の側面もある。

 1941年の真珠湾攻撃は、支那事変の「打開」を目指したものだった。対米戦争の起源は、対中戦争にあったということだ。

 で、大日本帝國は、支那事変を制することは出来たのかどうか、という問題が存在しているのである。

 もちろん、私の認識は、蒋介石と毛沢東に日本人は負けたというものだ。

 しかし、いまだに、この点は自明の歴史ではない。アメリカには負けたけれど、中国には負けていないという主張は、今でも存在するのである。

 蒋介石と毛沢東に対し、日本軍は勝つことは出来なかった。戦闘での勝利はあっても、戦争での勝利は獲得出来なかった。

 対中戦争(支那事変)で、大日本帝國の軍隊は、蒋介石を降伏させることが出来なかった。蒋介石の軍隊を降伏させることは出来なかったし、毛沢東の率いる軍隊とゲリラ組織を屈服させることも出来なかった。

 つまり、日本軍は勝てなかった。日本人は中国人との戦争に勝つことは出来なかったのである。

 逆に言えば、対中戦争に勝利出来ていれば、対米戦争の必要はなかっただろう。

 しかし、アメリカには負けたけれど、中国には負けていない。そう思うことでプライドを保つことが出来ると考える日本人も少なくはないのである。

 結局、戦争が何であるかが理解出来ていないということだと思う。

 政治・外交での合意困難な問題の決着を戦争でつけること。これは、かつての国際社会での問題解決法の一つであった。戦争は合法的であったということになる。

 しかし、一方で、第一次世界大戦の経験から、総力戦としての近代戦争の惨禍もまた認識されるようになっていた。実際、不戦条約として結実している。

 いずれにせよ、古典的なイメージの下での戦争は、政治・外交の手段のひとつであった。政治・外交の延長としての戦争である。

 重要なのは、戦争は自己目的ではなく、政治・外交の手段に過ぎないという認識なのである。

 戦闘には勝利出来ても、戦争に勝利出来ない戦争であった、対中戦争が対米戦争へと発展し、大日本帝國の敗北に至る過程に存在するのは、蒋介石の政治的・外交的な勝利そのものだ。つまり、大日本帝國は、蒋介石の政治・外交に負け、毛沢東の人民戦争に負けたということだ。

 ただし、このことを認めることは、簡単なことではないらしい。

 日本は蒋介石に占領されたわけではない、という論理が構築される。

 アメリカに対する敗北の明白さは、国土の占領という事実によるものだろう。

 その意味で、ヴェトナムにおけるアメリカをアメリカ人自身がどのように評価するのかという問題に、共有された心情のあり方を見出すことが出来るだろう。

 アメリカは、ヴェトナム人に占領されたわけではないのである。つまり、戦争に負けたわけではない。

 しかし、アメリカは、ヴェトナムのジャングルで米軍兵士の大きな犠牲の上に、何も達成出来なかった。

 もたらされたのは、思いもよらぬことであったが、一種の社会的荒廃であった。

 70年代、ヴェトナム戦争は、存在しない歴史として取り扱われた。つまり、歴史として対象化することが避けられ、言及することさえ避けられた。

 そのあたりの事情が、生井の本では取り扱われているわけだ。

 「負けた戦争」という認識の難しさのひとつは、結局、そこでは、戦死者は「犬死」したことになってしまうところにある。

 「負けた」ことは理解出来ても、戦争自体は正当化されなければならないという心情も、そこから生まれるのだろう。「自虐史観批判」はそんな場所に産み落される。

 「犬死」認識を拒否しようとすると、戦争の正当化が必要になり、「負けた戦争をした責任」を問う回路が閉ざされることになる。

 ヴェトナムとアメリカという主題が、思わぬところで、靖国問題とリンクしてしまう。

 様々なことを考えながら読み続けているところだ。

 

 

 

(オリジナルは、投稿日時:2008/01/09 00:10 → http://www.freeml.com/ep.umzx/grid/Blog/node/BlogEntryFront/blog_id/54243/user_id/316274

 

 

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