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2008年12月 7日 (日)

不都合な戦争の都合という問題 7

 

 「戦争責任」について考えている。

 昨日は、昭和天皇の言葉として、

自分が恰もファシズムを信奉するが如く思はるることが、最も堪へ難きところなり、実際余りに立憲的に処置し来りし為に如斯事態となりたりとも云ふべく、戦争の途中に於て今少し陛下は進んで御命令ありたしとの希望を聞かざるには非ざりしも、務めて立憲的に運用したる積りなり、戦争についても極力避くることに努力し、前の上海事変の時、白川大将は実に余の命令を守りよくやつて呉し故、大将の薨去の際には和歌を詠みて未亡人に与へたることもあり、又支那事変の当初、天津に事変の起りたるときは、参謀総長と陸軍大臣を呼び、何とか蒋と妥協せしむることにつき下問せむとせしが、頭から一挙に解決し得との奉答なりし故、手の下し様なかりしこともあり、今日から思へば実に残念なり

という、『木戸幸一日記』(昭和20年9月29日)の記述をご紹介しておいた。

 「実際余りに立憲的に処置し来りし為に如斯事態となりたりとも云ふべく」と、自らの「立憲的」な振る舞いについて、昭和天皇は語っていた。

 木戸の伝える天皇の言葉を、その論理に従って並べ替えれば、「戦争についても極力避くることに努力し」たものの、「務めて立憲的に運用したる」結果、「手の下し様なかりしこともあり、今日から思へば実に残念なり」ということになる。

 昭和天皇が「立憲的」に「運用し」・「処置し来り」と言う時、天皇の前にあったのは、大日本帝國憲法であった。

 「立憲的」な昭和天皇を拘束していた大日本帝國憲法の条文では、

 第1章 天 皇 

第1条 大日本帝国ハ万世一系ノ天皇之ヲ統治ス 

第2条 皇位ハ皇室典範ノ定ムル所ニ依リ皇男子孫之ヲ継承ス 

第3条 天皇ハ神聖ニシテ侵スヘカラス 

第4条 天皇ハ国ノ元首ニシテ統治権ヲ総攬シ此ノ憲法ノ条規ニ依リ之ヲ行フ 

第5条 天皇ハ帝国議会ノ協賛ヲ以テ立法権ヲ行フ 

第6条 天皇ハ法律ヲ裁可シ其ノ公布及執行ヲ命ス 

第7条 天皇ハ帝国議会ヲ召集シ其ノ開会閉会停会及衆議院ノ解散ヲ命ス 

第8条 天皇ハ公共ノ安全ヲ保持シ又ハ其ノ災厄ヲ避クル為緊急ノ必要ニ由リ帝国議会閉会ノ場合ニ於テ法律ニ代ルヘキ勅令ヲ発ス  2 此ノ勅令ハ次ノ会期ニ於テ帝国議会ニ提出スヘシ若議会ニ於テ承諾セサルトキハ政府ハ将来ニ向テ其ノ効力ヲ失フコトヲ公布スヘシ 

第9条 天皇ハ法律ヲ執行スル為ニ又ハ公共ノ安寧秩序ヲ保持シ及臣民ノ幸福ヲ増進スル為ニ必要ナル命令ヲ発シ又ハ発セシム但シ命令ヲ以テ法律ヲ変更スルコトヲ得ス 

第10条 天皇ハ行政各部ノ官制及文武官ノ俸給ヲ定メ及文武官ヲ任免ス但シ此ノ憲法又ハ他ノ法律ニ特例ヲ掲ケタルモノハ各々其ノ条項ニ依ル 

第11条 天皇ハ陸海軍ヲ統帥ス 

第12条 天皇ハ陸海軍ノ編制及常備兵額ヲ定ム 

第13条 天皇ハ戦ヲ宣シ和ヲ講シ及諸般ノ条約ヲ締結ス 

第14条 天皇ハ戒厳ヲ宣告ス  2 戒厳ノ要件及効力ハ法律ヲ以テ之ヲ定ム 

第15条 天皇ハ爵位勲章及其ノ他ノ栄典ヲ授与ス 

第16条 天皇ハ大赦特赦減刑及復権ヲ命ス 

第17条 摂政ヲ置クハ皇室典範ノ定ムル所ニ依ル  2 摂政ハ天皇ノ名ニ於テ大権ヲ行フ

と、天皇の地位・権能について規定している。

 政府との関係については、

 第4章 国務大臣及枢密顧問 

第55条 国務各大臣ハ天皇ヲ輔弼シ其ノ責ニ任ス  2 凡テ法律勅令其ノ他国務ニ関ル詔勅ハ国務大臣ノ副署ヲ要ス 

第56条 枢密顧問ハ枢密院官制ノ定ムル所ニ依リ天皇ノ諮詢ニ応ヘ重要ノ国務ヲ審議ス

と規定されている。

 大日本帝國憲法の条文として記されているのは、国務上の天皇の限定された地位・権能というよりは、、限定された議会の地位・権能であり、国務大臣に輔弼され、枢密顧問に諮詢を命ずることの出来る天皇の姿である。そして陸海軍を「統帥」する天皇の姿だ。

 大日本帝國憲法の文言の上に(つまり言葉通りに)、天皇がその地位・権能を「立憲的」に「運用」・「処置」したとすれば、「戦争についても極力避くることに努力し」ようと思えば、必ずしも「手の下し様なかりしこともあり」ということにはならないのではないか?という疑問を提示することは出来るだろう。

 もちろん、それは論理的には可能であるという話であって、当時の現実の政治機構の中で生きていた(昭和天皇を含む)人間にとっては、非現実的な論に感じられてしまうだろうことではある。

 しかし、大日本帝國の戦争の過程で犠牲者となった側の人々からすれば、「天皇ハ戦ヲ宣シ和ヲ講シ及諸般ノ条約ヲ締結ス」という以上、「戦ヲ宣」することをせず、あるいは早期に「和ヲ講シ」ることによって、戦禍は昭和天皇の決断しだいで避けられるものではなかったのか?との思いが生じるのもまた、論理の上では当然のことであろう。

 少なくとも、ポツダム宣言受諾に際して、昭和天皇の意思表示は決定的に作用したのである。それは確かに「思い」の源泉、「思いが生じる」十分な根拠として機能する出来事であった。

 しかし、「論理的には正しいだろうが、それは現実的ではない」との思いは、どちらの側のものでもあるだろう。

 現実に何が可能であり、何が不可能事であったのか?

 事実関係の検証の問題であると同時に、私達自身の想像力が問われる問題でもある。

 

 

 

(オリジナルは、投稿日時:2008/09/19 23:15 → http://www.freeml.com/ep.umzx/grid/Blog/node/BlogEntryFront/blog_id/79231/user_id/316274

 

 

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