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2008年12月 4日 (木)

フィンランドの歴史 あるいは軍事力による防衛 (4)

 

 フィンランドの戦後。

 それは敗戦国としての出発でもあった。

 1939年から1940年にかけての「冬戦争」では、フィンランドを攻撃したソ連は、侵略者として国際連盟からの除名処分を受けていた。

 1941年から1944年にかけての「継続戦争」においても、攻撃を仕掛けてきたのはソ連であったが、フィンランドはドイツの同盟国として取り扱われ、枢軸側国家であるとの認識の下に、戦後の新たな国際連合では「旧敵国条項」の対象とされてしまった。

 1944年9月のソ連との休戦協定に続き、1947年締結のパリ条約で、敗戦国としてのフィンランドの取り扱いが確定した。

 休戦協定では、フィンランド領土の割譲に加え、フィンランド軍の動員解除が定められ、53万人体制から一挙に3万7千名への縮小が要求された。常備軍を支えていた民兵組織(常備軍の徴兵・動員や日常の軍事訓練を行う)の解体と共に、ロッタ・スヴァルドと呼ばれた女性による軍事支援組織も、ファシスト組織とされ廃止を求められた。戦犯の処罰も要求され、継続戦時の大統領であったリュティもその対象とされてしまった。

 パリ条約では、あらためて戦後フィンランドの軍事力に対する制限が明確化されている。

第13条 陸海空軍及び要塞の保持は、国内的性格の地域的国境の防衛のための戦闘任務に限定される。前掲に従いフィンランドは以下を越えない範囲で国軍を構成する。

 (a) 陸軍は国境警備隊と対空砲兵も含めて3万4400名とする。

 (b) 海軍は人員4500名、総トン数1万トンとする。

 (c) 空軍はあらゆる航空機及び保管航空機を含めて60機とする。フィンランドは爆弾倉を装備する爆撃機を保有しない。

 これは、保有する軍事力の大幅な削減となる。

 戦後の歴史は、しかし、「冷戦」と呼ばれる新たな時代の開始とも重なっていた。

 米ソの対立による新たな時代の中で、フィンランドは国家の再建に取り組むことになる。

 1300キロに渡って国境を接する、かつての侵略国であるソ連の存在を無視して、フィンランドの国家としての存続はあり得ない。それも、軍事力を削減された中で、巨大軍事国家としてのソ連との関係を構築して行かなければならないというのが戦後フィンランドの課題であった。

 結論から言えば、資本主義的経済体制を基盤とし、多党制に基づく民主主義的政治体制を維持することに、戦後フィンランドは成功したのである。

 1948年の、ソ連との間での友好協力相互援助条約調印により、戦後フィンランドとソ連の関係はスタートする。

 東欧各国も、同様の条約により、ソ連との関係を規定されることになるのだが、フィンランドとソ連の間に結ばれた条約の内容は、東欧各国が受け入れざるを得なかったものとは異なる側面がある。

 条約前文にはフィンランドの「大国間の紛争の局外に立つと共に国連の原則に従って平和を維持したい」という希望が文言として明記された。

 その上で、他の東欧諸国が求められたソ連との一般的な軍事同盟の構築は回避されているのである。ドイツとその同盟国によるソ連への攻撃の際に限り、防衛義務を負うものとされ、軍事的協議も事後的なものとして(つまり有事においても交渉の余地を残すものとして)設定されたのである。しかも、ソ連が他の場所で攻撃を受けた場合には支援の義務はないとされていたことも注目点であろう。

 それでも、ソ連にとっては、フィンランドが他国との軍事同盟を結ぶことを制限出来、フィンランド経由の攻撃をフィンランドの存在により回避出来るという防衛上の利点も確保されているものでもあった。

 戦後のフィンランドの軍事力の充実は、ソ連からの武器購入と英国からの武器購入により開始された。

 フィンランドの「大国間の紛争の局外に立つ」という中立主義の帰結であると共に、防衛力整備における一国への依存度を低下させておくことは、中立の維持の出発点ともなりうる政策であろう。

 一方で、国連加盟と共に、PKO活動への積極的参加を通して、「平和維持」へのフィンランド国家としての姿勢を常に明確に示して来た。

 また、様々な紛争に際して、中立国として積極的な仲介外交を展開して来ている。

 軍事面においても外交面においても、「平和維持」への貢献を国際的に認知されるべく努力を重ねて来ているということである。

 もちろん、その外交政策(現実には内政までもが)は、ソ連の意向を無視しては成立しないものである。国境線を接する軍事大国の意向を無視しては、という意味だ。

 その状態が、西独の政治家の間で「フィンランド化」として揶揄的に用いられることにもなった。我が日本の中曽根首相も、「日本が防衛努力を怠るとフィンランドのようなソ連の属国状態になる」という文脈で「フィンランド化」という語を用いたことがあるが、フィンランドの置かれた歴史的状況と実際の防衛・外交上での努力を考え合わせれば、的外れでありかつ失礼極まりない表現であろう。

 戦後フィンランドの国家としての独立の維持に賭けた外交的軍事的努力の大きさは、戦後日本の米国依存状態とは比べようがないものなのである。

 実際、「フィンランド化」という語は、東欧諸国では憧憬の表現であったという。つまり、そこには、国家的自立の維持の成功が見出されていたのだ。

 日本の戦後は、軍事力の否定という建前の上に築かれたものだ。

 国境線を軍事大国と接する国(それもその大国からの被侵略体験のある国)としてのフィンランドの歴史的経験と、近代における被侵略体験はないが侵略体験を有する海洋に囲まれた国家が歴史的経験として受け取ったものは異なって当然である。

 戦後日本の平和主義には理由があり、その平和主義の成功は確かなことだろう。

 昨今の防衛力増強をめぐる議論の問題点は、つまるところそのリアリティーの欠如ではないかと思う。

 フィンランドの防衛努力は、隣国による被侵略体験に根ざす現実的なものであった。そして国家の独立の維持が常に意識されて来た。あくまでも、国家としての独立の維持を保証するものとしての軍事力なのである。

 外交的軍事的な米国一国依存状態の果てに、米国の軍事戦略に組み込まれるための軍事力増強策でしかないような議論は、フィンランドの戦後史から見ればナンセンスそのものではないだろうか。

 フィンランドの教育システム礼賛の文脈で、フィンランドの徴兵制度がフィンランド人の自立心を生み出しているかの主張が存在する。日本人の自立心も徴兵制度の導入により養成可能であるような議論まで見かけるが、これまたナンセンスの極みと言うべきだろう。

 徴兵された兵士が米国に従属した軍隊の一員となることによって、日本人の自立心が涵養されるわけはないのである。

 20世紀のフィンランドの歴史から学べることは多い。

 しかし、良くも悪くも、日本は日本なのでありフィンランドはフィンランドなのだ、という側面もある。それぞれの歴史的経験を無媒介に結び付けて論じることもまたナンセンスへの道であろう。

(「フィンランドの歴史 あるいは軍事力による防衛」シリーズを書くに当たっては、

斎木伸生 『フィンランド軍入門』 イカロス出版 2007

石垣泰司 「戦後欧州情勢の変化とフィンランドの中立政策の変貌」 外務省調査月報 2000/No.2

を、特に参考にしたことを申し添えておきたい)

 

 

 

(オリジナルは、投稿日時:2008/02/28 20:09 → http://www.freeml.com/ep.umzx/grid/Blog/node/BlogEntryFront/blog_id/59539/user_id/316274

 

 

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