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2008年12月 4日 (木)

フィンランドの歴史 あるいは軍事力による防衛 (7)

 

 大國ソヴエトの周辺にある、人口四百万の小國フィンランドは、みずからの独立をどのように保つかについての、最後の結論をはっきりとつかんだようだ。みずからの独立と、平和とを、誰の手にもよらずみずから守る精神、フィンランドがこの精神を捨てない限り、「カレワラの平和境」は、長く独立を楽しむことができるであろう。

 

 斎藤正躬『独立への苦悶-フィンランドの歴史-』(岩波新書 昭和26年)は、このような言葉で結ばれていた。

 では、実際のところは、どのような歴史的経過を示しているのだろうか? 57年後の視点から振り返ってみよう。

 

 ソ・フィン戦争の折には、モスクワはフィンランドの戦力を、誤算したようだ。だがこんどは、誤算しようにもフィンランドは武力を持っていないのだ。

 

と、斎藤は書いている。

 実際、1947年のパリ条約では、あらためて戦後フィンランドの軍事力に対する制限が明確化されていたが、それは、

第13条 陸海空軍及び要塞の保持は、国内的性格の地域的国境の防衛のための戦闘任務に限定される。前掲に従いフィンランドは以下を越えない範囲で国軍を構成する。

 (a) 陸軍は国境警備隊と対空砲兵も含めて3万4400名とする。

 (b) 海軍は人員4500名、総トン数1万トンとする。

 (c) 空軍はあらゆる航空機及び保管航空機を含めて60機とする。フィンランドは爆弾倉を装備する爆撃機を保有しない。

 

という条文に示された通りの、保有する軍事力の大幅な削減要求であった。そこでは、53万名に及ぶ動員体制から、3万人規模の常備兵力への削減が求められていた。

 しかし、その上で、戦後のフィンランドの選択は、「非武装化」ではなく、制限された軍事力を基礎とした国防戦略の再構築に向けられたのであった。

 手がかりは、パリ条約の文言にあった。条約に規定されているのは、常備軍としての軍の規模であり、動員の禁止は明記されていない。国防軍司令官はその点をパーシキヴィ大統領に指摘し、予備役を基礎とした野戦軍の動員システムの構築を提案したのが、1948年3月であった。提案は採用され、その後の2年間で、小さな常備軍と大きな動員軍という、戦後のフィンランドの国防体制の基礎が確立されることになる。

 その間、1948年2月には、フィン・ソ友好協力相互援助条約が締結されている。あの、「大国間の紛争の局外に立つと共に国連の原則に従って平和を維持したい」というフィンランドの中立政策への希望が条約前文に明記されたものだ。

 そして条文によれば、フィンランドが負うのはフィンランド経由でのソ連への攻撃の撃退義務であって、他の地域におけるソ連への攻撃への共同防衛義務は課せられていない。東欧諸国が、ソ連と一体の軍事行動を義務として課せられたのに比して、独立性の高い内容となっている。

 しかも、自国経由でのソ連への攻撃の撃退義務を負う以上、それを可能にする軍事力の整備は、条約上の義務履行の前提条件となるのである。

 フィンランドにとっての、現実的な国防上の脅威は、2度の戦争の侵略者であった隣の軍事大国、ソ連の存在である。フィンランドの軍事戦略の基本は、ソ連による侵略の可能性への対応に置かれている。端的に言ってしまえば、フィンランド軍の敵はソ連軍なのである。

 しかし、そのフィンランド軍の軍事力の充実を支えたのは、ソ・フィン友好協力援助条約に基づく、ソ連への攻撃に対する撃退の義務であった。

 フィンランドの、ソ連からの攻撃を想定とした防衛戦略を支えたのは、ソ連への攻撃に対する防衛協力義務の存在であった、ということになるわけだ。

 パーシキヴィ大統領時代、1949年3月の防衛研究委員会レポートの内容が興味深い。

 パリ条約とソ・フィン友好協力相互援助条約の制限と義務を基盤とし、自身の戦略的作戦的戦術的経験と経済資源への目配りの必要が指摘される。その上で、防衛力保持の必要性と、徴兵システムの必要性が原則として明示された。

 「大国間の紛争の局外に立つ」ためには、自身が攻撃からの防衛能力を保持しておく必要があるということだ。「中立政策」は、他国からの攻撃に対する防衛力の保有によって支えられるという思想である。フィンランドは、そのことを1930年代から1940年代にかけての戦争の経験から身をもって学んだのである。

 徴兵システムに関しては、1950年9月15日、国家徴兵法が制定され、徴兵期間と予備役の補充訓練日数が明確化された。ただし、実施は資金難により1960年代になってからの事であったという。

 同時期に、国防軍司令部では、防衛戦略の再検討が行われているのだが、その内容も興味深いものだ。

 第二次世界大戦型の、防衛ラインによる戦闘が放棄されることになる。横のラインによる防衛から、縦深の「地域防衛システム」が戦後フィンランドの防衛戦略の基本とされるのである。正規軍同士の正面攻撃による決戦ではなく、深く侵入した敵の軍隊をゲリラ的に漸次撃滅していくという戦略であり、「冬戦争」と「継続戦争」時の実際の戦闘経験からもたらされたものだ。

 あらたな徴兵と予備役訓練のシステムが、「大きな動員軍」の存在を保証することになる。縦深の「地域防衛システム」を支えるのは、軍事的訓練を受けた市民の存在なのである。

 ただし、これもまた資金不足により、現実化していくのは後年のこととなる。

 二度の戦争において、ソ連からの国土の防衛には成功したものの、休戦条約による賠償金の支払い義務と、割譲させられたフィンランド領からの40万人の難民の受け入れが、フィンランド経済を圧迫していたのである。

 もっとも、賠償協定による工業製品の現物による支払い要求は、結果として、フィンランドの工業化をもたらすものとなった。農林業と農産加工品製造に依存していた産業構造からの転換が、1940年代後半から賠償完済の1952年に向けてのフィンランド経済を特徴付けるものとなった。

 復興していく経済と、戦後の国際関係の中で、フィンランドの軍事力も少しずつ充実していくことになる。それが、あくまでも国土防衛のための軍事力であることは、防衛研究委員会レポートや国防軍司令部の防衛戦略に明らかであろう。

 

 

 

(オリジナルは、投稿日時:2008/03/08 20:30 → http://www.freeml.com/ep.umzx/grid/Blog/node/BlogEntryFront/blog_id/60412/user_id/316274

 

 

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