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2008年12月14日 (日)

続・ルーズベルトの真珠湾 対日先制攻撃の可能性

 

 アメリカ大統領ルーズベルトは、実は、大日本帝國海軍による真珠湾攻撃に先立ち、日本への先制攻撃計画を立てていたのだ、というウワサがあるらしい。

 

 実際に、日本各地への都市爆撃による攻撃プランの文書の存在と、ルーズベルト自身の署名が確認されている、という話である(ネットの知識 : その趣旨のテレビ番組の放送もあったらしい)。

 1941年当時、中国大陸では、アメリカ陸軍航空隊出身のクレア・L・シェンノート により、中華民国政府を支援する米国民の義勇航空部隊(フライング・タイガースとして知られることになる)の設立が進行中であり、その過程での文書ということになるのだろう。

 ネット上の情報を総合すれば、アメリカ政府の提供する爆撃機により、シェンノート率いる義勇航空部隊が、日本の都市を爆撃するというプランだったという。

 このプランを提示した文書へのルーズベルトの署名をもって、ルーズベルトによる対日先制攻撃計画の存在が論じられている(論じられようとしている)ということであるらしい。

 

 

 十分な情報のない中での見解であるが、問題点を指摘しておきたい。

 

 

 まず、文書自体の性格と署名の位置付けである。

 アメリカ政府レベルでの正式な文書であったのかどうか、それを確認する必要がある。

 対日先制攻撃計画、そしてそれに伴う中華民国への爆撃機供給の可否。それは、政治的にも軍事的にも、高度の判断の要求される問題である。政府内部での意思一致、軍との十分な協議、そして議会承認の可能性の判断なしに、計画の推進は出来ない。

 問題の文書はどのレベルのものであったのか、という疑問を持たざるを得ない。

 同時に、検討の必要があるのは、ルーズベルトの署名の性格である。先制攻撃計画のゴー・サインなのか、単なる読了を示すものなのか?

 上記の二項の検証抜きに、ルーズベルトによる対日先制攻撃計画を云々するようでは、拙速の謗りを免れないだろう。

 

 これまで伝えられている、フライング・タイガースに関するシェンノート自身の構想は、戦闘機部隊としての拡充であって、爆撃機部隊設立構想ではなかった。むしろ、爆撃部隊の方を求める、軍事顧問トップのスティルウェルとの対立の存在が伝えられている。

 そのような文脈を考慮すると、文書自体が、どこまで現地レベルの広範な合意に基づくものであったのかにも検証の余地がある。

 

 それに実際問題として、つまり歴史的時系列上の問題として、フライング・タイガース自体の部隊発足・実戦参加の時期をも見ておく必要があるだろう。

 米国内での義勇兵募集を完了し、部隊(戦闘機部隊である)がビルマに到着するのは1941年11月の話だ。ビルマ上空での(中国上空ではない)日本軍との空戦は同年12月20日になってのことなのである。

 

 その上で、たとえ爆撃機の供給が承認されたとしても、その爆撃機での対日本本土爆撃の実現の可能性があったとは思えないのである。

 当時の米国の保有する爆撃機の航続距離という問題を考えねばならない。利用可能な中国国内の航空基地からは、対日爆撃の実行の可能性はなかったのではないだろうか?

 航続距離の問題は、後に登場するB-29に至っても、ついてまわったことを思い起こす必要がある。B-29でさえ、成都の基地からの北九州爆撃が限度であり、サイパン陥落までは、東京を中心とした本土の都市爆撃の実行は不可能であったのである。

 1942年のドゥリットルによる東京初空襲は、太平洋上の空母から発進させた双発爆撃機B-25によるものであったことの意味を理解しておく必要があるだろう。

 1941年時点での、中国内航空基地からの日本本土爆撃計画など、空論の謗りを免れないのではないだろうか?

 

 もちろん、対日戦闘の前線の指揮官にとっては、何であれ武器の入手は最大の課題であったはずだ。爆撃機供給の要求自体は、その意味で、自然な話なのである。

 

 

 とりあえず、空論としての議論のエスカレートの前に、考えておくべきことを示してみた。

 もちろん、文書の存在自体は興味深いものである。

 

 

〔追記〕

 その後、アラン・アームストロングの『「幻」の日本爆撃計画 「真珠湾」に隠された真実』(日本経済新聞出版社 2008)に目を通す機会を得た。
 確かに、大統領を含む米国政府及び軍の高官により、中国国民政府への爆撃機供与による対日先制爆撃計画が検討されたことは自体は事実のようである。しかし、当時の米国の置かれていた状況とその中での外交的課題及び軍事的戦略を理解する者ならば、あくまでも多くの選択肢の一つとしてそのような提案があったということに過ぎず、(外交的にも軍事的にも)戦略的には現実化の可能性の低いプランであったと考えるであろう。
 1941年当時のルーズベルトの最大の課題は、1939年以来のナチスドイツによる戦争で危機に陥っていた英国の救援であり、即ちヨーロッパにおける戦争への参戦であった。その最大の障害となっていたのは、孤立主義的伝統を持つ米国内世論だったのである。
 対日先制攻撃の実行が戦争を望まない米国内世論の支持を得るものとならないことは、大統領自身もスタッフも熟知していたはずだ。ハル・ノートの持つ意味の一つは、それがもたらす、日本による対米先制攻撃の可能性の増大にある。ハル・ノートを日本が受け入れれば中国国民政府と米国の利益に合致し、それ自体が有益であるし、ハル・ノートへの日本の反発と対米先制攻撃の現実化は、日本の同盟国としてのドイツへの宣戦布告=ヨーロッパの戦争への参戦を、米国内世論の支持の下に実現させることになる(どちらに転んでも米国の―そしてルーズベルトの―利益となるのである)。ルーズベルトが中国大陸での蒋介石の敗北を望むことはなかったが、より重要なのはチャーチルの英国がナチス・ドイツに屈服しないことであった。中国大陸における日本の軍隊の軍事力行使を支えていたのは、実は、米国の石油だったのであり、日本の蒋介石に対する勝利は米国の態度に依存していたのである(つまり、既に日本の命運は米国の手の内にあったのだ)。一方、英国への有効な支援と考えられていたのは米国自身の対独参戦であり、ルーズベルトの目標はそこに定められていた。米国からの石油確保の困難に直面しつつあった大日本帝國は、中国大陸での戦闘終結の選択ではなく、南方資源の獲得による打開策を選択し、ついに対米開戦に至る。結果としてルーズベルトは対独参戦への説得力ある理由(国内世論への「説得力」である)を得ることが出来たのであった。
 日本による真珠湾攻撃の成功は、米国太平洋艦隊への手痛いダメージとなった(それを許してしまったことは、国内的にも大統領の威信の低下をもたらした―その点を議会でも追求されている)と同時に、孤立主義的国内世論の大転換(これこそが大統領の求めていたものであった)にもつながるものとなった。
 そのような大局的視野の下での米国の戦略的構図を理解する者ならば、「ルーズベルトによる対日先制攻撃計画」の存在に関し、あの戦争に至る時期の一エピソード以上の評価を与えることはないように思われる。
                    (2010年11月20日)

 

 

  

クレア・リー・シェンノート
 → http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AF%E3%83%AC%E3%82%A2%E3%83%BB%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%83%BB%E3%82%B7%E3%82%A7%E3%83%B3%E3%83%8E%E3%83%BC%E3%83%88

フライング・タイガース

 → http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%83%A9%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%82%B0%E3%83%BB%E3%82%BF%E3%82%A4%E3%82%AC%E3%83%BC%E3%82%B9

ドーリットル空襲(東京初空襲)

 → http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%B1%E4%BA%AC%E5%88%9D%E7%A9%BA%E8%A5%B2

 

 

 

 

(オリジナルは、投稿日時:2008/12/14 14:03 → http://www.freeml.com/ep.umzx/grid/Blog/node/BlogEntryFront/user_id/316274/blog_id/88438

 

 

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