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2008年12月 7日 (日)

不都合な戦争の都合という問題 4

 

 あの戦争の責任とは何のことだろうか?

 まず、これは、あの戦争に対する責任、と言い直すべきだろう。

 その上で、誰の誰に対する責任なのか、誰の誰に対する責任を問おうとしているのか、あるいは誰の誰に対する責任が問われるべきなのか、そして誰が誰に責任を問うのか…、問題は見かけほど単純ではない。

 そもそも、なぜ、あの戦争の責任が問われてしまうのか?

 問いはそこから始められるべきかも知れない。

 端的に言って、あの戦争が「負けた」戦争だったからだ。

…という答えは誤りだろうか?

 考えてみて欲しい。あの戦争に、この国が勝っていたら、あの戦争の責任を問うような事態、あの戦争の責任が問われるような事態は存在しただろうか?

 少なくとも、大日本帝國(勝っていたら、いまだに存在していたはずの国だ)の側が、責任を問われるようなことにはなっていなかっただろう。

 大日本帝國の勝利とは、何を意味する事態だっただろうか?

 大東亜戦争の始まりにおいて、天皇の名の下に発せられたのは、

東亜安定ニ関スル帝国積年ノ努力ハ悉ク水泡ニ帰シ帝国ノ存立亦正ニ危殆二瀕セリ事既ニ此ニ至ル帝国ハ今ヤ自存自衛ノ為蹶然起ツテ一切ノ障礙ヲ破砕スルノ外ナキナリ

という言葉であった。

 帝国ハ今ヤ自存自衛ノ為蹶然起ツテ一切ノ障礙ヲ破砕スルノ外ナキナリ、という理由で、対米英戦争は開始されたのである。

 大日本帝國の大東亜戦争における勝利(があったとすれば)の意味するところは、少なくとも理屈上は、「帝國の自存自衛の成功」ということになるだろう。

 しかし、以前にも書いたことであるが、開戦前の状況として、米英による、大日本帝國の国境線への侵犯行為が存在していたわけではなかった。

 軍事的侵略に対する「自衛戦争」ということではないのである。

 現実に存在していたのは、中華民国の国境を越えて展開されていた、大日本帝國軍隊の軍事行動であった。

 その淵源を考えてみよう。

戦時帝國の絶対不足資源は支那より之を求めざるべからず

という文言が、1922年5月の参謀本部第二部第六課作成の、「支那資源利用に関する観察」にある。

 また、1923年の「帝國國防方針」では、

禍機醞釀の起因は主として経済問題に在り、惟ふに大戦の創痍癒ゆると共に、列強経済戦の焦点たるべきは東亜大陸なるべし。蓋し東亜大陸は地域広大資源豊富にして他国の開発に俟つべきもの多きのみならず、巨億の人口を擁する世界の一大市場なればなり。是に於て帝國と他国の間に利害の背馳を来し、勢いの趨くところ遂に干戈相見ゆるに至るの虞なしとせず。而して帝國と衝突の機会最も多きを米國とす。

とある通り、陸海軍共通の仮想敵国として米国が想定されていた。
(「観察」及び「方針」の文言は、加藤陽子 『戦争の日本近現代史』 講談社現代新書 2002 による)

 中国大陸を舞台として、「列強」による経済的利益獲得競争が展開されていた中で、大日本帝國もまたプレイヤーとしてそこに参加していた上での認識である。

 大日本帝國にとって、少なくとも大日本帝國の軍事戦略策定の上で、中国大陸は(そして中華民国は)経済的利害関心の要であり、戦時における資源供給地として想定されていた。

 大日本帝國の中国大陸への進出は、米国の利害との衝突に至るという予測があった。その上で、仮想敵国としての地位を米国は獲得していたわけだ。

 その一方で、対米戦争の可能性からは、資源供給地としての中国大陸の確保が要請される。そして、中国大陸の大日本帝國への資源供給地化は、対米戦争へと至る可能性を増大させてしまうだろう。

 「帝國國防方針」に見られる大日本帝國自身の認識は、論理的に、

  不可避な中国大陸への進出→不可避な対米戦争

  不可避な対米戦争→不可避な中国大陸への進出

という事態を、相互に促進し合う展開を招かざるを得ない。そしてそれは現実化したのである。

 満洲事変、そして支那事変という形で、経済的進出からあからさまな軍事的進出へと展開された、中国大陸における大日本帝國の振る舞いは、米国からの経済制裁を招くに至る。

 ここで、最終的には、大日本帝國は外交による問題解決(つまり政治的解決)の道を捨て、「帝國の自存自衛」のための戦争を選択してしまったわけだ。

 1928年締結の「パリ不戦条約」には、

第一条
 締約国は、国際紛争解決の為戦争に訴えることを非とし、かつその相互関係において国家の政策の手段としての戦争を放棄することを、その各自の人民の名において厳粛に宣言する。

第二条
 締約国は相互間に起こる事あるべき一切の紛争あるいは紛議は、その性質または起因の如何を問わず、平和的手段に拠るの外これが処理または解決を求めざることを約す。

という文言がある。「人民の名において」という文言には留保を付けたものの、大日本帝國は、この「パリ不戦条約」の締約国に名を連ねていた。

 大東亜戦争とは、対米外交上の問題の解決(決着)を、戦争という手段により求めたものである。

 確かに「パリ不戦条約」では、侵略に対する自衛戦争は禁止されていない。しかし、米国による国境侵犯があったわけではなく、存在したのは外交上の問題のみであった。

 あの戦争、あの大東亜戦争における大日本帝國の勝利とは、「パリ不戦条約」の精神を否定を意味し、その戦後世界において、外交上の紛争解決手段としての戦争を是認することを意味することになったであろう。

 そこには、大日本帝國に対し責任を問う者はいない、はずだ。

 暴力的な勝利者の責任を問うことは困難である。

 大日本帝國においては、政治的反対者は暴力的に排除されてしまっていたのである。

 しかし、戦争には加害者と被害者が存在する。

 大日本帝國が大東亜戦争に勝利しようが敗北しようが、そこに戦争による被害者は存在するのだ。B-29との関係において、確かに、日本人は戦争の被害者であったと米国に対し主張出来る。同様な関係性の下に、戦争の様々な局面において、日本人は加害者の位置についてもいるのである。

 大日本帝國の勝利とは、被害者への沈黙の強制を意味するだろう。

 しかし、大日本帝國の敗北がもたらしたのは、帝国政府を継承した日本国政府による戦争被害者の存在の無視であったというのもまた、深く噛み締めるべきこの国の現実の歴史である。

 

 

 

(オリジナルは、投稿日時:2008/08/27 21:08 → http://www.freeml.com/ep.umzx/grid/Blog/node/BlogEntryFront/blog_id/77090/user_id/316274

 

 

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