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2008年12月 4日 (木)

負けた戦争の記憶

 

 生井英考『負けた戦争の記憶』(三省堂 2000)を読み始めたところだ。

 この本については、12月27日の日記「ジャングルクルーズにうってつけな?…年末の一日(http://www.freeml.com/ep.umzx/grid/Blog/node/BlogEntryFront/blog_id/52906/user_id/316274)』の中で、既に触れている。

 サブタイトルは「歴史の中のヴェトナム戦争」となっている。

 つまり、アメリカ合衆国がヴェトナム戦争をどのように体験したか、どのような体験としてヴェトナム戦争を描き出そうとして来たのか、時間の経過と国内の様々なレヴェルでの意味づけの変化を追ったもの、とでも紹介すればいいだろうか。

 まぁ、まだ読書中であって、読み終えたわけではないので、今回は、私の視点から印象的だと思ったことについて書いておこうと思う。

 「犠牲者の神話」と題された、第三章からの引用から始めたい。

 ジャーナリストであるアーノルド・アイザックスの1997年の本『ヴェトナムの陰』から、次のような文章が引用されている。

 

 ヴェトナム戦争の記憶が参加した当事者にとって泥まみれのものであるとするなら……戦争が終わってから成人になった世代にとって、ヴェトナムの記憶はより混乱したものだった。彼らの多くにとってヴェトナムは、誰も真実を語りたがらない、惨めで途惑いの多い家族のスキャンダルのように思われた、が、同時に、彼らの過去の一部であるがゆえに理解せねばならないものでもあった。……

 戦争が終わって20年以上が経過し、国内での混乱した議論が展開されたあとになっても、なにがどのように起こり、なにを意味するのかという問題は依然として微妙な問題であった。ヴェトナムは悲劇的な過ちだったのか、それとも「気高き大義」によるものだったのか、戦争は果たして倫理的に誤りのないかたちで戦われたものであったのかどうか――といった大局的な問題について、アメリカには依然として一致した見解がないというだけではない。ごく端的な事実の確認をするだけでも見方はさまざまに分かれていたからである。そのうちのほんのいくつかを挙げてみただけでも、ヴェトナムで駆使された空軍力はどれほどのインパクトと効果があったのか、当時のアメリカの世論はどうだったのか、反戦運動や新聞とTVの報道はどのぐらいの影響を世論に与えたのか、メディアの報道はどこまで正確だったのか、そして世論の動きがどの程度政策決定者の意思に関わりを持っていたのか、等々、実に多彩なものになる。さらには、ワシントンの文官による指示が現地の軍部をどこまで阻害したか、そして戦争拡大の時期(1965年から67年にかけて)に合衆国の軍事力は果たして「勝利した」のか「敗北した」のか、つまり軍事的な成功を測る正確な基準とは結局のところ一体なんなのか――というところまで発展するのである。

 

 アイザックは、「戦争について学ぶ」という章の中で、「高等教育におけるヴェトナム戦争の問題」として、このように述べているのである。

 もう一ヶ所、引用をしておく。

 

 ヴェトナムをめぐって続いた議論は、あの時代とあの場所でなにが起こったのかを正しく知りたいと考えている若いアメリカ人たちの眼を開かせるようなことはほとんどなかった。或る学生が私に語った言い方を借りると、彼女が大きくなるまでに聞かされた戦争についてのすべては「情緒(エモーション)と〔党派的な〕意見(オピニオン)だけで、なにも事実はなかった」のである。アメリカ人があの戦争とその意味を論じつづけているあいだ、エモーションとオピニオンは事実と冷静な追求を圧倒し、覆い隠してしまった。多数の主題をめぐって戦わされた論争の波は、時を経ても収まることはおよそなかった。事実、互いに競い合うあまたの神話は現実の出来事の記憶を追い越し、なかでもいくつかの議論――たとえば戦争報道とそのインパクトについての――はますます党派的になり、多極化し、しかもいっこうに収まることなく、むしろ年を重ねるごとにこの傾向を強めるばかりだった。たとえ〔政府の公文書が情報公開されるといったかたちで〕新しい情報が知らされても、たいていは既存のオピニオンのなかにとりこまれるだけで終わった。「概して」と歴史学者のウィリアム・ターリーはコメントしている、「戦時中にAの意見を持っていた者は戦後も同じことを言い続け、Bの立場にあった者はそれを維持した。要するにめざましく考えを変えた者はほとんどいないのである」と。

 

 

 戦後日本を知る者にとって、そして現代の日本社会の一員として、どこかで聞いたような気にさせられる話である。「聞いた」は、必ずしも、正確な言い回しではないかも知れない。

 私たちの実体験は、そして実感しているところは、やはりそのようなものであった。しかし、このように言語化して語られるのを、あまり聞いた気がしないのである。

 現在に至る、戦後日本の「負けた戦争」への言説のあり方は、まさにそのようなものであった。しかし、そのことが自覚的に語られているのを聞く機会は、あまりないように思う。

 いまだにエモーションかオピニオン、現実にはエモーションそのものとしてのオピニオンでしかないことが多いのではないか。

 しかし、当たり前の話であるが、ヴェトナム戦争と大東亜戦争は別のものである。ここで「別」という言葉に込められた意味は、日本人の誰にとっても、大東亜戦争が「負けた戦争」であることは自明の事実として理解されているということだ。アメリカ人にとってのヴェトナム戦争は、必ずしも「負けた戦争」ではないのである。

 勝利は獲得出来ず、戦争目的も達成出来なかった「戦争」、米国民と米国にとっての「悲劇」ではあっても、「負けた」という形容は、長い間、避けられて来たというのである。

 戦後の日本人の課題は、負けた戦争についてどのように説明するのか、であった。負けた戦争をどのように正当化するのか、あるいは批判するのかが問題の焦点であった。いずれにせよ、戦争に負けたという認識が出発点となるものであった。

 「勝てなかったかも知れないが負けもしなかった」という認識から、「負けた戦争」という認識への距離は近いようで遠い。

 「負けた」という認識の受容の過程、あるいは受容拒否の過程が、『負けた戦争の記憶』の中で語られているということになるのだろうか(まだ読了していないので、ここで言い切ることは出来ないのだが)。

 エモーションでもオピニオンでもない歴史認識のあり方。

 63年前の「負けた戦争」について、いつになったらそのように形容出来る歴史認識を獲得出来るのだろうか?

 

 

 

(オリジナルは、投稿日時:2008/01/07 22:32 → http://www.freeml.com/ep.umzx/grid/Blog/node/BlogEntryFront/blog_id/54141/user_id/316274

 

 

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