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2008年12月 7日 (日)

ヤング!アグレッシヴ!!

 

 ヤングでアグレッシヴ、であること。

 人生の中での基本、とでも言うべき出来事ではある。

 世界は、気付いてみれば、実に愚かしさに満ちている。怒りをもって対峙すべき相手だ。

 先行する世代(つまり年上の連中だ!)は、平気な顔をして、その中で生きていやがる。しかし、オレは…、オレ達は…

 怒りが表現となり、作品として結晶する。

 基本中の基本、みたいなものだ。

 ヤングであること、つまり歳若いということは、まだ社会の中に占めるべき場所を持たぬ未経験な存在であることをも意味する。

 つまり、いわゆる社会的力を持っていない、ということだ。けれど、何をするにも十分な体力を持っている、ということでもある。

 オジサンになってしまえば、愚かな世界には慣れてしまい、既に体力は失われている。

…というような状況下で、ある種の芸術表現は生まれるものだ。

 さて、「ヤング、アグレッシヴ  ロシア現代芸術における挑発的なスピリット」と題された展覧会の話だった。

 集められているのは、1980年代から、90年代、そして21世紀を迎えて現在に至る、ロシアの「ヤングでアグレッシヴ」な表現の世界だ。

 30年に満たない時間の流れの中での作品群である。

 しかし、そこに、ロシアが経験した歴史の反映を見出すことが出来るものであった。

 ソ連邦の、社会主義の、ひたすら行き止まり(行き詰まり、と言うべきか)へと向かう、不毛の80年代。

 その中で制作され続けた、イェヴゲニ・ユフィット(1961年レニングラード生まれ)の映像作品群。モノクロフィルムによる、かつてのサイレント映画を連想させる映像だ。

 主人公が誰であり、登場人物群が何者であるかは説明されない。何事なのか、連続した暴力的な行為が、サイレント時代のスラップスティック風の音楽を背景に、映されているだけだ。

 ソ連社会における情報統制の徹底の進行の一方で、アグレッシヴなヤングが、非公式ではあれ、映画という表現手段を手にしていたこと自体が驚きであった。

 サイレント映画をホーフツとさせる映像として仕上げられていることからも、かつての革命期ソ連の、それ自体が革命的であった映画の数々を連想させられてしまう。かつての映画における暴力は、ツァーリの圧制の表現であり、それに対抗する革命そのものの暴力であった。

 ユフィットの映像にあるのは、革命という希望を失った鬱屈の姿、1980年代における暴力的衝動の姿のようにも思える。

 私にとって同世代(5歳も違わない)のロシア人のレニングラードでの日々は、意外に、遠いものではないという印象だ。まぁ、こちらはバブル経済の進行する中で、別の何事かに腹を立てていたわけであるが。

 90年代の作家、作品群を挟んで、21世紀になってからのロシア人の姿。

 そこに、歴史の進行を感じずにはいられない。

 ユフィットの作品は、ソ連邦という国家の、レニングラードという都市の、二重にローカルな性格を刻み込まれていたものでもあった。

 21世紀の作家たち、つまり、現在「ヤングでアグレッシヴ」な連中の作品には、ユフィットの作品に刻印されていたような地方性を見出すことは、既に難しい。

 アレクセイ・ブルダコフ(1980年生まれ!だ)の、「トーキングヘッド・ストライキ」と題されたヴィデオ作品。

 画面には、CNN、BBC、スカイテレビ等々の、スタジオや現場を背景にしたキャスターやレポーターが映し出されている。それぞれに1分近い時間が割り当てられているのだが、彼らは押し黙っているのだ。正確には、作者によって黙らされている、というわけだ。

 事件を報道するのが彼らの役割だ。事件の経過を説明し、事件に意味を与える、それが彼らの役割である。つまり、喋ることに、彼らの存在意義がある。

 その彼らが沈黙を強いられている画像(喋りたそうにこちらを見つめる彼らの姿が実におかしいのだが)。

 つまり、映像そのものは事件などではなく、彼らによる説明が事件を構成するのだという事実、それがそこに描かれている、というか見透かすことが出来てしまうのである。ブルダコフの映像により。

 CNNに始まる(アル・ジャジーラによって複線化された)グローバルな報道システムが世界に与えた影響は大きい。一極(一局)による情報の支配の時代は終わった。

 しかし、報道そのものは事件そのものではなく、事件を作り出すものこそが報道であるという構図が、ブルダコフの作品によってあぶりだされてしまうのだ。

 ここに、世界に対する怒りは健在なのだ。

 ところで、このブルダコフの作品が示すこと、つまり映像そのものは事件を指示しないということは、あのユフィット作品が説明を欠いたサイレント映像であったということの意味を明らかにもするだろう。

 サイレント映像であるがために、そこにあるのが特定のストーリーに支えられた特定の事件なのではなく、普遍性を帯びた「ヤングでアグレッシヴ」な表現となりえてしまっているということなのだ。ユフィットがそれを意図していたのかどうか、それはまた別の話なのだが。

(「ヤング・アグレッシヴ  ロシア現代芸術における挑発的なスピリット」展は、5月24日まで、武蔵野美術大学美術資料図書館展示室にて開催)

 

 

 

(オリジナルは、投稿日時:2008/05/11 20:16 → http://www.freeml.com/ep.umzx/grid/Blog/node/BlogEntryFront/user_id/316274/blog_id/66503

 

 

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