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2008年12月 4日 (木)

鯨の肉、食べるべきか食べざるべきか…

 

 かつて、「鯨を食べる会」というのを主宰していたことがある。

 十数年前まで、毎年、ウチに仲間で集まっては、鯨を食べていた。

 まぁ、そもそも鯨の肉はとても美味しく好物だったし、国際的な反捕鯨の流れの中で鯨肉を手に入れることが難しくなっていたという、当時の現状への個人的な抗議の実践という意味合いも込めたものだった。

 しかし、今はやっていない。

 「鯨食は日本の伝統文化である」という言い方があり、当初はその文脈も考えての開催だったのだが、どうも「伝統」としての「鯨食文化」という前提にアヤシサを感じ始めてしまったというのが理由の一つである。

 もう一つの理由として、とにかく世界中の食材を食べつくしつつある日本人というイメージを抱き始めたという当時の実感があげられるだろう。あえて鯨まで食べる理由はない、という気分が芽生えてしまったわけだ。

 前者は歴史理解の問題であり、後者は歴史理解も含む日本人の行動様式への疑問につながる問題である。

 つまり、日本列島全域を対象として考えれば、鯨食の伝統は一部地域の問題にとどまるということであるし、資源保護への配慮を欠いた乱獲という事態もまた、日本人の行動様式に付きまとう現実として見逃すわけにもいかない、ということを考えざるを得なくなっていったというわけなのだ。

 船の舳先に積んだ大砲により、撃ち出される銛で鯨をしとめるスタイルの、近代捕鯨(ノルウェー式という呼称もある)がもたらされるまでの、「古式捕鯨」と総称される伝統的な捕鯨は地域限定の沿岸捕鯨であった。

 鯨肉の消費も、地域に限定されたものであり、日本全国に鯨肉が流通するということはなかったのである。

 そのような意味で、鯨食を「日本の伝統文化」として語ることには問題があると考えなければならない。

 しかし、一方で、では「日本の伝統とは何か?」という問いを発した時に、実はその問い自体があいまいなものであることにも気付かされるであろう。

 一般的に「日本の伝統文化」として総称されるものには、日本列島全域に基盤を持たないもの、あるいは身分・階級的伝統以上のものではないものが多く含まれることは、注意深い人間にとっては自明の事実である。

 一部地域の伝統や、一部階級の生活文化に過ぎないものを、そのような細部に顧慮することなく、つまみ食い的に寄せ集めたものが、通常、私たちの「日本の伝統文化」として呼ばれているものの内実ということなのだ。

 そのように考えた時に、「日本の伝統」と呼ばれていたものが、各地方限定の「伝統」であったり、各身分の生活文化としての「伝統」に過ぎないものであったことが実感されるはずだ。

 ここで、「日本」という括りは解体されるだろう。

 国民国家としての近代日本の形成と共に、その国家を構成する等質な日本人という存在を想定する必要が生じる。「日本」という括り方、「日本人」という括り方は近代という歴史的時間を離れては存在しないのである。

 その近代が生み出した「日本の伝統」という括り方の内実を注視すれば、先に書いたように、実体のないものとしてその正体が見えてくるのだ。

 そこにあるのは、「日本の伝統」という言説の虚構性の発見であると共に、かつての日本列島に存在していた文化の多様性への視点の発見でもあり得るだろう。

 「鯨食」に話を戻せば、日本列島全域を対象として、伝統文化としての「鯨食の習慣」を主張することは虚偽であるが、地域文化としての「鯨食の習慣」は否定される必要はない、ということになる。

 そこからは、一様で一元的な「日本の伝統文化」というイメージとは異なる、地方性に彩られた、かつてこの日本列島に花咲いていた各地の「伝統文化」のあり様が見えても来るだろう。「日本列島」という地理的領域が本来持っている豊かさへの想像力も生み出されるはずだ。

 ところで、ほぼ日本列島全域を対象とした「鯨食の習慣」が全く虚構というわけでもない。

 ある年齢以上の方なら、小学校の給食に登場する鯨は、あの脱脂粉乳と共に、ノスタルジーの対象であり続けていることだろう。

 戦後の日本人にとって、南氷洋捕鯨の収穫物である鯨肉は貴重な蛋白質であったのだ。

 日本による南氷洋捕鯨は、昭和15年に始まる。しかし、あの戦争により中断されるのである。

 この戦前の南氷洋捕鯨の特徴は、鯨肉の確保が目的ではなかったという点であろう。鯨油の獲得と、その消費者であるヨーロッパ諸国での売却による利益を目的としていたということなのだ。

 そもそも欧米の捕鯨業は、鯨油の確保と、ヒゲ鯨のヒゲ(あのふくらんだスカートの中身)が目的であった。鯨油は石油に代替され、ふくらんだスカートはファッショナブルではなくなる。欧米では捕鯨は必要な産業ではなくなるのである。

 一方で戦後に再開された、日本の南氷洋捕鯨は、日本人にとっての蛋白資源の確保という「鯨肉」を対象としたものとして再編されていくのである。

 欧米の捕鯨業者には廃棄すべきゴミでしかなかった鯨肉をも活用し、棄てるところのない生物資源としての鯨の活用が開始されたということになる。

 美味しいと感じたか、不味い給食イメージの代表メニューとして記憶されているかはさておき、戦後の一定の時期においては、ほぼ日本列島全域を覆って、鯨肉食が一般的な食卓風景となっていたこともまた事実なのである。

 それを「伝統文化」と呼ぶことには躊躇せざるを得ないものの、歴史的事実として無視することも出来ないと思うのだ。

 付け加えておけば、南氷洋捕鯨はGHQの許可なしには行われ得なかったのである。捕鯨業自体は忌避、ましてや禁止の対象ではなかったことに注意しておきたい。

 歴史的には戦後の出来事として、日本の南氷洋捕鯨の隆盛がある、ということになる。

 そしてその衰退も、突然の環境変化によってもたらされることになる。

 1972年の国連環境会議のテーマは、それまで予定されていたアメリカ合衆国によるヴェトナムでの枯葉剤使用問題から、捕鯨問題へと変更されてしまう。

 「反捕鯨」の大きな潮流は、この歴史的時点に起源を持つと言うことが出来るだろう。

 「枯葉剤使用問題」から「反捕鯨問題」へのシフトは、もちろん米国政府の利益に合致するし、実際にそのシフトを主導したのは米国であった。

 「反捕鯨」という主張の登場の政治的背景の理解には欠かせない事実であろう。

 「反捕鯨論」には、様々な背景を考えることが出来るわけだが、畜産業者の利害も忘れてはならないだろう。日本人が鯨肉を食べ続ければ、牛肉の消費量は伸びないのである。実際問題として、「反捕鯨国」においては畜産業の比重が高いことが指摘されている。

 様々な政治的経済的利害と、捕鯨(そして鯨食)が残酷であるという文化的イメージの合流点に、その後の反捕鯨運動の出発点があるという理解は、決して荒唐無稽なものではないと考えられる。

 生物資源管理という観点からしても、南氷洋におけるミンククジラの生息数は「絶滅の危機」からは遠いものであり、資源としての利用自体に問題はないはずである。

 「反捕鯨」の主張は、政治的経済的、あるいは文化的(もう一歩踏み込んだ表現をすれば、文化的偏見と言うことも出来る)なものとして批判の対象と成り得るものだろう。

 野生生物を捕食対象から除外すべきという主張もあるが、これでは漁業自体が成立しなくなるだろう。

 再生可能な資源量の確保という課題さえクリア出来れば、野生生物資源の利用自体に問題を、少なくとも私は、感じない。

 人類全体における食料問題を考える時に、鯨肉を食料資源としての可能性から除外することが妥当なことであるのかどうか、その点への考慮も必要に思う。

 ただ、まぁ、無理して鯨まで食べなくても、という気分が生じていることも確かなことだ。

 積極的に主張しようという気持ちは消えてしまった。

 しかし、積極的に食べたいという気持ちが消えたわけではない。

 店頭に鯨肉を見つければ、積極的に買ってしまうのである。

 

 

 

(オリジナルは、投稿日時:2008/02/11 20:02 → http://www.freeml.com/ep.umzx/grid/Blog/node/BlogEntryFront/blog_id/57804/user_id/316274

 

 

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