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2008年12月 3日 (水)

ジャングルクルーズにうってつけな?…年末の一日

 

 生井英考『ジャングルクルーズにうってつけの日』(三省堂 2000)を、年末の片付かない部屋の中で読み終えた。

 二週間前に、ほとんど読み終えていたのだが、「エピローグ」と初版・新版の「あとがき」が残っていたのだった。

 初版の出版は1987年、筑摩書房から。1993年に、ちくま学芸文庫から増補改訂版が出ている。それは既に読んでいたのだが、これは「新版」ということで、改めて購入し、読んでみたわけだ。

 新版用の「あとがき」によれば、著者は同年に、同じ三省堂から『負けた戦争の記憶』も出している。そこまで読んで、これは買った覚えがあるぞ(読んだ覚えはないが)という記憶が蘇り、しばらく本棚(というか本の積んである場所)を捜索することになった。

 本は、二階の階段室のタンスの上に組上げたラック上にあった。

 で、まだ読み始めてはいないのだが、『負けた戦争の記憶』という書名からは、読む前からさまざまなイメージを呼び起こさせられる。

 サブ・タイトルが「歴史の中のヴェトナム戦争」だ。ちなみに『ジャングルクルーズにうってつけの日』の方のサブ・タイトルは、「ヴェトナム戦争の文化とイメージ」である。

 アメリカが「負けた」戦争、少なくともアメリカが「勝てなかった」戦争であるヴェトナム戦争をめぐる、文化史的論考である(というか、『負けた戦争の記憶』の方はまだ読んでいないわけだから、歴史的論考であろう、と書くべきだろうか)。

 実際のところ、日本人は、いまだに、かつての「負けた戦争の記憶」との対面に終止符を打つことが出来ていないように思える。

 大東亜戦争は、いまだに、冷静な歴史的評価の対象となっていないのではないか、ということだ。

 日清日露の十万の英霊の犠牲を無駄にしないため、という口実の下に、支那事変の撤兵による事態収拾を拒否し、結果として引き起こされた対米英戦争がもたらしたのは、二百万を超える新たな英霊の犠牲であった。しかもそれは「敗戦」による終結であり、日清日露の両戦争での十万の英霊の犠牲の上に獲得された権益もすべて失っての終結である。

 「負けた戦争」と言っても、犠牲者の規模において、ヴェトナム戦争と大東亜戦争では、犠牲者数の桁が違う。ヴェトナムでのアメリカ兵の戦死者数は5万人規模だという。大東亜戦争で失われた日本軍兵士は185万~250万と言われている(行方不明者の取り扱い等で、幅が生じる)。ちなみに第二次世界大戦全体での(つまりヨーロッパ戦域も含む)アメリカの戦死者数は50万人台である。

 大日本帝國の敗戦は、国土(ここでは、植民地も国土と考えているわけだが)の喪失をも伴うものであった。ヴェトナムでアメリカが失ったものは、国土ではない。それはむしろ文化的なものであった。その相違は大きいだろう。

 もっとも、その意味では、大戦前後で、日本人もまた文化的変容に見舞われているわけではあるが。

 生井は、『ジャングルクルーズにうってつけの日』の中で、ヴェトナム戦争がアメリカ文化に与えた変容を、戦争という行為自体への意味付けの変化の検討も含めて、様々な角度から論じている。

 大東亜戦争という「負けた戦争の記憶」との関連で、いくつかの点について取り上げてみたい。

 「戦争の大義」のないところで闘われた戦争であったというところで、両者は共通している。

 大東亜戦争の起源としての支那事変は、その「大義」のなさが、戦争遂行をする軍部に、そして総力戦としての戦争に巻き込まれていく銃後の国民に付きまとい続けた。

 もちろん、その「大義のなさ」から生み出された対米英戦争も、その出生の経緯ゆえに、実のところは大義を欠いたものではあったのだが、アジア人と白人の闘いという構図の下に、道義の欠落は覆い隠されることになったわけだ。

 ヴェトナムでのアメリカと、中国大陸での日本軍に共通していたのは、どちらも宣戦布告のない中での「戦争」であったということだろう。

 大日本帝國は、それを「事変」という名で呼ぶことで糊塗し、アメリカ合衆国は南ヴェトナム政府への「支援」として処理し続けた。

 そしてどちらもゲリラ戦争という泥沼に足を取られていくことになる。

 「あらゆる量的計測は、われわれがこの戦争に勝っていることを示している」というマクナマラ国防長官の言葉は、言うのも野暮なことではあるが言わずにはいられないくらい、ヴェトナムにおけるアメリカの存在を語る上で象徴的であろう。

 統計的データには、砲火にさらされ、爆撃を受け、住まいを焼き払われ、家族を失った者の気持ちはカウントされていないのである。

 ゲリラ戦争を支えるのは、外からやって来て、自分たちだけの勝手な理屈で軍事力を行使し、生活を蹂躙し続ける者への反発である。それも、大きな悲しみと憎しみのこもった反発なのである。

 大日本帝國の軍人にはそのことは理解出来ていなかったし、ヴェトナムへの介入を深める米国政府及び軍関係者の想像力からも欠けていたものだ。

 その中での兵力の逐次投入からは、決して勝利は生み出されず、泥沼は深くなるばかりとなっていった。

 アメリカは、やがてヴェトナムの泥沼から足を引き抜くことをしたが、大日本帝國は、対米英戦へと突き進み、すべてを失うところまで行ってしまったのである。

 大東亜戦争が大日本帝國にもたらしたものは、軍民合わせて325万人を超える死者であり、国土の喪失であった。「国土の喪失」とは、もちろん国家領域の縮小的変更の受け入れのみのことではない。何より、そこには、国家としての独立の喪失という事態が存在していたのである。

 そして、いまだにそのことへ、きちんと向き合うことが出来ていないのが、この国の、この国民の現実なのである。

 「負けた戦争」の意味、戦争に負けることの意味、負ける戦争をしてしまったことの意味、そこで大きな犠牲者を出してしまったことの意味、自国だけではなく様々な民族・国民に犠牲を強いたことの意味に、いまだにきちんと向き合うことが出来ているようには見えないのだ。

 そしてこれらの問題の多くは、ヴェトナム戦後のアメリカにおいても同様であるようにも思える。

 大義なき戦争における米兵の犠牲の大きさ、その不条理な死、あるいは帰還兵に対する米社会の当初の冷たさ、帰還兵を蝕むPTSDの深刻さ、戦争の過程で生じた倫理観の喪失、様々な意味での白人文化の変容…

 アメリカにおけるヴェトナム戦争の意味とは、基本的にそのようなものであり、戦場とされたヴェトナム人の蒙った被害の深刻さについて、想像力の及ぶことは少ない。

 アメリカの軍事行動は、再検討され、やがて湾岸戦争において、大義ある戦争、宣戦布告ある戦争、国際的に理解を得られた戦争、軍の大量投入による圧倒的軍事力の行使により決着の付けられる戦争として、「負けた戦争」は過去のものとなった、ように見えた。

 湾岸戦争に先立って、当時のブッシュ大統領(現ブッシュの父)は、「ヴェトナムの最後の教訓は、偉大な国家とは、いつまでも長々と記憶に引き裂かれつづけはしないということ」と、その就任式で述べていたという。確かに湾岸戦争で、その予言は果たされたように見えた。

 シュワルツコフやパウエルといった湾岸戦争を率いた軍人たちは、かつてヴェトナムで苦汁をなめた職業軍人である。ヴェトナム戦争で大きなダメージを受けた軍の再建に当たってきたのが彼らであった。湾岸戦争の勝利は、その成功を証明していた。

 しかし、就任式で「ヴェトナム戦争の最後の教訓」について語り、湾岸戦争での勝利という新たな戦争のの体験を米国にもたらした大統領の息子の手により、米国は新たな「負けた戦争の記憶」を経験しつつある。

 イラクにおいて、米国は再び、「負けた戦争の記憶」を作り上げつつあるのだ。

 そこにあるのは、ジャングルではなかったが、砂漠の世界でのゲリラ戦争なのであった。

あらゆる量的計測は、われわれがこの戦争に勝っていることを示している

とは、イラクの状況についてのブッシュ政権の説明に関しても、何度も聞いたような気にさせられるセリフである。

 幸いなことに、我々日本人にとっては、大東亜戦争の記憶が「負けた戦争の記憶」の最後のものとなっている。

 しかし、日本政府が、

あらゆる量的計測は、われわれがこの戦争に勝っていることを示している

という類の米国政府のセリフに同意し続けてもいることが、何を意味してしまうかについては、もう少し注意深く考えておくことが、日本人には必要であろう。

 

 

 

(オリジナルは、投稿日時:2007/12/27 23:58 → http://www.freeml.com/ep.umzx/grid/Blog/node/BlogEntryFront/blog_id/52906/user_id/316274

 

 

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